性交とはいかんともしがたく抑圧的な構図を孕むが対して接吻はそうではなく、といった言い回しは一時代の映画批評家としての蓮實重彦が頻繁に使っていたように記憶しているが、忌野清志郎のYOUTUBEをまとめて見ていると、なんとなはなしに彼は接吻的な人だったという印象を持つ。個人的にはタイマーズがいちばん好きなのだけれど(京都大学進学に熱意を燃やしていた頃の個人史的心象風景と重複するので)、坂本龍一とも篠原涼子ともあっけらかんと繰り広げているリテラルな接吻場面のはじけた解放感もさることながら、矢野顕子や井上陽水とのセッションも、性交的というよりどこか接吻的なのである。接吻とは、たしかに性交のプレリュードであったりプロローグであったり、あるいはインターコースと同時進行する性交のプロフィールであったりもするけれども、接吻それ自体はなにをも胚胎しない無為の行為であり、官能の交換はゆるやかに波をうち、直線的