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渋谷知美事件顛末 - jun-jun1965の日記
その女から手紙が来たのは、一九九九年の五月末か六月はじめだったと思う。当時私は、三月に大阪大学を... その女から手紙が来たのは、一九九九年の五月末か六月はじめだったと思う。当時私は、三月に大阪大学を退職して東京に引っ越していたが、著書『もてない男』が売れていたため、東京へ帰るととたんに次々と、本を書いてくれという編集者が会いに来たり、テレビ出演を頼まれたり、取材を受けたりしてだいぶ疲れていた。その女、渋谷知美は、東大の大学院で教育社会学を専攻する者と名乗り、所属は教育学研究科だったが、社会学の上野千鶴子ゼミにも出、井上章一氏が事実上主催する「性欲研」にも参加しており、「童貞」について修士論文を書いたので、『もてない男』も興味深く読んだ。ついては上野ゼミの「裏ゼミ」である研究会へ来て話してくれないか、というのが手紙の趣旨だった。私は、いま余りに疲れていて、申し訳ないが行けない、という返事を書いた。 ところがほどなく、渋谷知美と会う機会が訪れた。六月二十六日に東京学芸大学で開かれた比較家族史学
2025/01/20 リンク