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jun-jun1965.hatenablog.com
1988年に、江藤淳は日本文藝家協会を中心に、売れ行き不振の文藝書を応援するために文藝書専門店を作ろうという気炎を上げていた。その結果米子市にそういう店ができたのだが、そこへ、文藝家協会理事長・野口冨士男と江藤淳が、自分の勧める文藝書百選というのを出して推薦文を書いた。 これに異論を提出したのが秦恒平で、『中央公論』88年6月号(5月10日発売)に「文芸家協会の"読書指導"に異議あり」を書いて、権威主義的だと批判したのである。さらに「東京新聞」の「大波小波」は8月5日号で、秦の論を正論としてあおり立てたのだが、実はこの時点では、野口と江藤の推薦は文藝家協会とは関係ないという答弁がなされ、秦もこれについて了承していたのだという。 以上、野口冨士男『時のきれはし』による。
新潮社のPR誌『波』に、俳優の高嶋政伸が「インティマシー・コーディネーター」というですます調の文章を書いている。私はほとんど観たことのない「大奥」というドラマで高嶋が徳川家慶の役をやり、自分の幼い女児に性的暴行を加える話を撮影するのに、役を演じる女児がトラウマにならないように配慮するのを統括する仕事の人のことで、高嶋自身もやたら配慮している。だがこのドラマは女が将軍をやる話ではなかったのか? まあそれはいい。 しかし、私は一読して、そういう配慮を素晴らしいと思うより、そんなフィクションの映像をわざわざ作らなくてもいいではないかと思った。だいたい徳川家慶は歴史上の実在の人物で、自分の娘を強姦したなどという事実はない。いくら歴史上の人物とはいえ、これは名誉毀損ではないか? 考えてみるがいい、勝海舟や近藤勇が女児強姦者だなどというドラマが作れるか? ジョージ・ワシントンやナポレオンがそういう変態
ふと、蕨ミニシアターというストリップ劇場へ行ってみようか、と思った。これは九年くらい前に一度行ったことがある。埼玉県のさいたま市の南にちんまりと存在する蕨市の蕨駅から歩いて少し行ったところにあるが、狭い階段を昇って行って、貧弱な楽屋みたいなところから入っていく実に小さな劇場だった。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に「まことに小さな国が」とあるが、日本はツバルやバルバドスに比べたらまことに小さくはない。蕨ミニシアターは、その点、まことに小さい。だが、調べてみてすぐ、昨年の春蕨ミニシアターは火事に遭って焼けてしまい、いま再建運動をしていることが分かった。泉は、それではあの古ぼけた佇まいはもうなくなってしまうだろうと、寂しく思った。 前に触れた榊敦子というトロント大学教授の英語の新刊『鉄道文学という物語理論』(Train Travel as Embodied Space=Time in Narrati
泉が予備校生から大学生になるころは、吾妻ひでおがブームになったり、大久保康雄訳のナボコフ『ロリータ』が新潮文庫に入ったり、『ミンキーモモ』や『コロコロポロン』がアニメになったりして、ちょっとしたロリコン・ブームだった。それが数年後に、宮崎勤の事件が起きて、特に少女に悪いことをしたわけではない単なる趣味のロリコンまでが白い目で見られるようになった、というのが一般的な世相史の見方である。 だが、現実はそれほど苛酷ではなく、その後も少女ヌード写真集は刊行され続けたし、むしろそれらが違法とされた今世紀に入ってからのほうが、事態は苛酷になっていった。「ロリコン」という語には、まだかわいげがあったが、それが「ペドフィリア」とか「ペド」とか言われると、もうそれは紛れもなく犯罪者扱いであり、フランスでは故人となったマルグリット・デュラスが、『愛人』という、かつて日本でもベストセラーになり映画化もされた私小
その夏は、どえらい暑さだった。地球温暖化がどんどんひどくなっているのではないかと、泉は不安になった。妻のいるフランスもかなり暑いらしかった。 泉には、友達がいない。もちろん、学生時代の知り合いとかで、何かあったらメールするとかいう相手はいるが、酒を呑まないせいもあり、時どき会って酒を呑むという友達はいない。非常勤講師でも、講師控室で、ほかの非常勤の人と話が合えばラッキーだ。もう二十年くらい前に、さる大手大学で非常勤をしていた時、当時は講師室が喫煙可だったから、喫煙者の集まるテーブルがあり、そこで話していたのが楽しい思い出になっている。その時知った蒲生さんという、ノースロップ・フライの研究をしている人は、今では母校の落柿舎大学の教授になっている。いや、准教授だったかもしれない。 紅子さんという人がいる。元吉原の高級ソープランド嬢で、今は引退して五十歳、高校生になる息子のいるシングルマザーで、
これはフィクションです 小谷野敦 朝、目を覚ますと、今日はどういう楽しいことがあるかを考えないと、起き上がれない。たとえばその日は、昼には天ぷらそばを食べよう、と思って起き上がった。 十五年前にタバコをやめてから、こうなった。それまでは、朝起きるとまずタバコを喫ったから、それが楽しみだったわけだが、それがなくなったのでそんな儀式が必要になった。朝食にフルグラを食べるとか、だいたい食べものに関するちょっとした楽しみである。 起きた泉浩太(これが主人公の名である)は、自室へ行って着かえ、パソコンの前に座ってメールをチェックする。すると、フランスへ留学している妻からのメールが来ている。現在では、これも泉にとって楽しみの一つになっている。もっとも中身は、「今日も図書館で調べものです」といったそっけないものだが、それでも、いい。妻はニ十歳年下で、四十歳になってやっと留学の機会を得た。泉は六十歳になり
大江健三郎の『ピンチランナー調書』は、大江没後、雨後の筍のように叢生した大江論の中でも、あまり言及されることはない。この長編が新潮社から刊行されたのは一九七六年で、「哄笑の文学」として大きく宣伝されていた。その時中学二年生だった私は、二年後に高校一年生になって大江の初期作品を夢中になって読んだあとで、この最新長編を読み、失望するほかなかった。それは哄笑とはほど遠かったし、かといって大江の初期作品のような輝きもなかった。その後、この作品を再評価した人は私の知る限り、ない。 当時、大江の盟友として知られた井上ひさしが、盛んに「笑いの文学の復権」などと言っていたが、柄谷行人は、「笑いの復権などと言っている者の書いたものが面白かったためしはない」と言っており、私もそれ以後、井上の演劇や小説の、どこがそんなに笑えるのか常に疑問に思ってきた。しかしこれも、実際に笑えるかどうかは別として、憲法九条擁護の
先日、アメリカの作家ケン・フォレットが12世紀英国を舞台にして書いた大長編『大聖堂』について、これははじめ新潮文庫で翻訳が出たので、新潮社の校閲の人が原作のミスを見つけたという記事を読んだ。前から『大聖堂』は気になっていて、世界で二千万部のベストセラーだと言われていて、しかし長いので手をつけられずにいたのが、それで気になって、調べたらドラマになっているので、ドラマの第一回を観たがそれほど面白くはなかった。だが原作を借りてきて全三冊の上巻を読んだら面白かったのだが、周囲の人に訊いても、誰も「読んだ」という人がいないので、Xで投票にかけてみたら、読んだという人はごく少なく、大多数は「何それ、知らない」であった。 それでも、もちろん普通の本よりは読まれているが、「ハリー・ポッター」に比べたらさしたる成功を収めていない。 かつて渡部昇一は、アメリカの作家ハーマン・ウォークという、『ケイン号の反乱』
2006年1月に刊行されてけっこう話題になった本だが、今回初めて読んだ。私は四方田という人に対して複雑な感情を抱いていて、大学院に入ったころ、面識のない先輩としてそのエッセイ集『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』を読んだ時だけ、素直に面白い本として読めたのだが、その後読んだ『貴種と転生』という中上健次論や、『月島物語』といういかにもおじさん受けしそうで実際に受けた本を読んだ時はさして感心しなかったし、『先生とわたし』という、私も英語を教わったことのある由良君美先生について書かれた本の時は、いくつか小さな事実誤認を見つけ、それなりにちゃんと書いておいたのだが、文庫化に際してそれらは訂正されていなかった。その頃には、著者の人格に対する疑念も持っていたし、嫉妬心も抱いていた。 四方田は大阪箕面という、私が阪大時代に住んでいた背後の土地で育ち、両親が離婚して母方の四方田を名乗るようになったという
ケン・フォレット(1949- )というアメリカの大衆作家は、前に「針の眼」というサスペンス小説を読んで、ドナルド・サザーランドが主演する映画も観たが、趣向が「鷲は舞いおりた」と同じな上、サザーランドが両方で似たような役をやっているのがおかしかった。しかし、まあ面白かった。 「大聖堂」は、12世紀英国を舞台としたそのフォレットの小説で、1991年に新潮文庫から矢野浩三郎の訳で全三冊が出ている。のちこれまたサザーランドが出演するドラマにもなっているが、今では新潮文庫版は絶版でソフトバンク文庫から同じ形態で出ている。 だが、私の周囲でこれが話題になったことはなかったので、読んでいなかった。先日、日本の校閲者が間違いを見つけたという記事を読んで、挑戦する気になって図書館で上巻を借りてきたが、その前にドラマ版の第一回の分をツタヤで借りて観てみたがあまり面白い感じはしなかった。 それでも、小説に取り掛
インド映画『デーヴァダース』。原作は1919年に書かれたロングセラー。2002年の何度目かの映画化にあわせて鳥居千代香先生が邦訳していたのを知り、知った。 鳥居先生は長く帝京女子短大の非常勤をしていて、近ごろ助教授をへて教授になられたが、私が1993年に短大で教えていた頃、鳥居先生のプリントが教卓の下に置いてあった。 インドにおけるダウリー殺人や寡婦焼殺、寺院売春婦などの本は、たいてい鳥居先生が訳している。私は勝手に偉い先生だと認識しているのである。 ダウリーと闘い続けて―インドの女性と結婚持参金 作者: スバドラーブタリアー,Subhadra Butalia,鳥居千代香出版社/メーカー: つげ書房新社発売日: 2005/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 6回この商品を含むブログ (1件) を見るインドのコールガール―高級売春婦の生活と世界 (双書・アジアの村から町から (1
私は24年前、「セックスワーカーを差別するな」と呼号する澁谷知美に、そういうことを言うなら自分がアルバイトでもソープ嬢とかやってみるべきだろう、と言ったのだが、こないだふと、なんであんなこと言ったのかなと思ったのだが、あの当時は私は売春撲滅論者だったが、その後転向して売春必要悪論になり、売春防止法は改廃すべきだと思うようになったから、ともいえるのだが、あれは当時の澁谷が、松沢呉一のアジテーションに載せられて浅野千恵とかをやたら攻撃したり、売春婦がなぜ蔑視されるかについて珍妙な説を唱えたりしていたせいもある。 しかし今でも、日常的な差別、たとえば隣に住んでいる人が元売春婦だと知ったら、普通の人づきあいは無理だろうというくらいには思っていて、これは現状では避けられない。コロナの時の給付金とかの話になると、まず合法化が先だろうという話になる。 それに私は近世から昭和初年までの人身売買による売春を
小谷野敦 5つ星のうち5.0 泣ける 2015年2月13日に日本でレビュー済み 「泣ける本を教えて下さい」とか言うやつがいるのを見て、そういう本の探し方をするんじゃねえと思ったが、これは泣く。下町で育って美貌ゆえに玉の輿に乗った女性は、夫殺しの罪で起訴された。語り手の記者は、幼い頃同じ町内に住んでいたから、あの女性が殺人を犯したとは信じられず法廷に臨む。本来の弁護士に代わって立った原島弁護士は、彼女の過去を容赦なく暴いていく。推理作家協会賞受賞作。直木賞では、文章が荒いとかで落とされたが、こういう作品に直木賞をとってほしいんだよなあ。
百目鬼恭三郎という人は、丸谷才一の新潟高校から東大英文科までの同級生で、朝日新聞の記者として、丸谷の『裏声で歌へ君が代』が出た時一面で宣伝したのを江藤淳に非難されたのと、その名前の恐ろしげなので有名だが、「風」という変名で書いた『風の書評』の正続を前に読んで、なかなか博識な人だと感心したことがある。 だが、生前最後の著書となった「乱読すれば良書に当たる」は、『旅』や『Voice』などに載せた古典紹介エッセイを集めたものだが、読んでいて、博識ぶりには驚くが、この人とは合わないなあ、とつくづく感じた。 たとえば、シェイクスピアが面白くない、面白かったのはソネッツだけだとか無茶なことを言うのである。百目鬼は『捜神記』とか『耳袋』に出てくる怪談・奇談が好きで、『奇談の時代』という著書でエッセイストクラブ賞をとっているのだが、私も怪談・奇談は嫌いではないが、シェイクスピアのほうが好きなので、こういう
文学関係の有力出版社の編集者だった人が、引退とかして本を書くと、お世話になった作家たちが選考委員をする文学賞を貰えるという現象があるのはよく知られている。人物別に一覧にしてみた。 半藤一利(1930-2021)文藝春秋「漱石先生ぞな、もし」新田次郎賞(1993)「ノモンハンの夏」山本七平賞(98)、「昭和史」毎日出版文化賞(2006)菊池寛賞(2015) 高田宏(1932-2015)(エッソスタンダード「エナジー対話」)「言葉の海へ」大佛次郎賞(1978)「木に会う」読売文学賞(90) 宮脇俊三(1926-2003)中央公論社「殺意の風景」泉鏡花賞(1985)菊池寛賞(99) 石和鷹(1933-97)(「すばる」編集長)「野分酒場」泉鏡花賞(89)「クルー」芸術選奨(95)「地獄は一定すみかぞかし」伊藤整文学賞(97)、 大久保房男(1921-2014)「群像」編集長「海のまつりごと」芸術
長野隆という文学研究者に、会ったことがある。1989年11月の、国文学研究資料館での国際日本文学研究集会で、懇親会の時に妙に陽気に振る舞っていたが、当時39歳くらいだったろう。 それから9年して、私は阪大におり、『ユリイカ』の太宰治特集に、「カチカチ山」について書いた。これは小森陽一が、狸くんをやたらバカにしている論文に反論したものである。『ユリイカ』が出てから二、三日して、いきなりこの長野から電話がかかってきて、読んだが小森は本当にそんなバカなことを言ったのか、と言っていた。もっとも私は彼を覚えていて「ああ、お久しぶりです」と言ったら、あちらは覚えていなくて、「えっ」と言っていたが、話したら思い出した。 だがそれから二年後、長野は49歳で自殺してしまったことを、私はのちに知った。しかし考えてみると、面識がないと思っている私にいきなり電話をかけてくるあたり、自殺の前兆だったんだな、というこ
久世光彦(1935-2006)は、東大卒で、大江健三郎や高畑勲と同年だが、美学美術史卒だからあまり関係ない。TBSに入り、テレビドラマの演出家として「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「ムー」などを手がけたが、「ムー一族」の打ち上げのパーティで、出演していた女優と不倫していたのを樹木希林にすっぱ抜かれて独立し、向田邦子の作品を手がけてまた名をあげた。58歳になる1993年に『一九三四年冬ー乱歩』で小説家デビューし、これでいきなり山本周五郎賞をとった。「芋虫」を書いて非難され、一時姿を隠していた時期の江戸川乱歩を描いたものだが、私は読んで面白くなかった。さて、久世はドゥマゴ文学賞、芸術選奨などをとったが、『蕭々館日録』は泉鏡花賞をとっている。この時の同時受賞者が笙野頼子である。この作は芥川龍之介の晩年を描いたものらしく、芥川を「九鬼」、菊池寛を「蒲池」とし、小島政次郎を「児島蕭々」として、その児
「渇水」は、河林満(1950-2008)の純文学短編で、芥川賞候補になり、同名の単行本も1990年に出た。その年は私が最初の本を出した年なので、父親が舞い上がって、別に関係ないのにこの本を買ってきたが、私は読まず、その後売ってしまって今に至っている。河林はこれ一冊しか単行本がなかったのに、98年に勤めていた役所を辞めてしまい、58歳で急逝した。 映画は、前橋市を舞台に、市の職員の生田斗真が、水道料金を四か月未納している家を回って水道を停止していくところから始まる。酷暑で雨の降らない夏という設定だが、カメラが移す風景からは、奇妙に暑さは伝わってこなかった。子供二人を放置しているヤンママを門脇麦が演じていたりして、割と面白かった。ところで私は子供のころ「日本人は水と平和はタダだと思っている」というのを聞いて、水はタダじゃないじゃん、水道料金払ってんじゃん、と思ったことがある。
『源氏物語』について、新しい見解を表明することなど、不可能だろう。『源氏』や夏目漱石、シェイクスピアについては、あまりにも研究書や論文が多すぎて、すべてに目を通すことは不可能だし、何か思いついても既に誰かがどこかで似たことを言っている確率は非常に高い。将来的には、AIがそういうものを全部読んで、似た見解があるかどうか教えてくれるようになるだろうし、それはすぐそこまで来ている未来だろう。 にしても、それをどういう形で書き表すかということはまだ人間の自由のうちにあるわけで、本書などは、仮に誰かが既に似たことを言っていても、それを長編評論という形で表現した近年の優れた成果だと言っていいだろう。 『源氏物語』を、女の視点から読むということを最初に意識的に行ったのは駒尺喜美の『紫式部のメッセージ』だが、これが1991年だからまだ三十数年しかたっていない。古典エッセイストを名のる大塚ひかりが『源氏の男
大学教員になった(であった)作家・詩人・文藝評論家・歌人 坪内逍遥 早大教授 1859-1935 二葉亭四迷 東京外国語学校教授 1864-1909 夏目漱石 東大講師 1867-1916 幸田露伴 京大教授 1867-1947 窪田空穂 早大教授 1877-1967 寺田寅彦 東大教授 1878-1935 永井荷風 慶大教授 1879-1959 森田草平 法政大教授 1881-1949 荻原井泉水 昭和女子大教授 1884-1976 折口信夫 國學院大教授 1887-1953 内田百閒 法政大教授 1889-1971 岸田国士 明治大学教授 1890-1954 谷崎精二 早大教授 1890-1971 西脇順三郎 慶大教授 1894-1982 中村草田男 成蹊大教授 1901-83 小林秀雄 明治大学教授 1902ー83 伊藤整 東工大教授 1905-69 平野謙 明治大学教授 190
私は吉村昭(1927-2006)の愛読者である。しかし全作品はあまりに多すぎて読み切れていない。エッセイ集『蟹の縦ばい』(1979、のち旺文社文庫、中公文庫)を読んだら、うすうす気づいてはいたが知らなかった面を知った。 ・大酒飲みであることを知った。多作な作家は、馬琴、漱石、川端など下戸であることが多い。そうでなければ多作できないだろう。吉村は多作な上に取材を必要とする小説を多く書くから、ものすごく多忙で、酒を飲んでいる暇などないだろうと思っていたから意外だった。 ・世代相応に男尊女卑家であることが分かった。妻は津村節子で、小説を書いてもいいという条件で結婚したが、本心では小説を書く妻などは嫌だったという。呆れたのは、自分の誕生日に、夕方から近くの飲み屋へ出かけて酒を飲み、夕飯の支度ができたら飲み屋へ電話がかかってきて、それから家へ帰るということにしていたら、飲み屋で学生たちと知り合い、亭
群像創作合評一覧 編集 『群像』の三人でやる「創作合評」は、1949年から三か月交代が定着し、74-75年と2003年になくなったが再開して今日に至っている。だいたい純文学作家と批評家が中心だが、最近では文学外の人材、ないし翻訳家なども入るようになっている。 その一覧がないので掲げることにする。名前のあとの番号は登場回数で、これを見ると、ほぼ、誰が『群像』界隈の権力者だったかが分かる。中途までとにかく目立つのは『近代文学』派で、埴谷雄高、平野謙、本多秋五、佐々木基一が多い。川端、谷崎などの大家は参加していないが、初期には正宗白鳥、武者小路実篤が出たこともある。吉行淳之介は一回だけで、参加したことがないのは、石川達三、石川淳、舟橋聖一、井上靖、阿川弘之、石原慎太郎、有吉佐和子、大江健三郎、北杜夫、曽野綾子、富岡多恵子、村上春樹、村上龍、蓮實重彦、福田和也、坪内祐三、斎藤美奈子といった顔ぶれで
岩波書店の会長だった小林勇が、『文藝春秋』1970年6月号に書いて、同名の短編集として文春から出したものは、明治の学者・狩野亨吉の隠された生活を推測して描いたものである。狩野は生涯独身だったが、柳田千津子という女と若いころ何らかの関係があり、姉の富子とも何か不思議な関係があり、40歳を過ぎてからは隠遁生活を送り、膨大な春画を描いていたという。春画といっても、それはどうやら自分を主人公にしたものだったらしい。そして狩野は、125歳まで生きるつもりだったらしい。
深田晃司監督の「LOVE LIFE」という映画を観たらかなりの珍物だった。若い夫婦らしい木村文乃と永山絢斗に、4歳くらいの息子らしい男児がいて、その男児がオセロの王者になったのでお祝いをしている。そこへ夫の両親(父は田口トモロヲ)が来るんだが、実は男児は妻の連れ子で、妻のほうは再婚、夫のほうは前の同じ役所に勤める彼女を振って結婚し、両親は不満だということが分かる。しかるに風呂で遊んでいた男児が足をすべらせて事故死してしまう。 葬儀に、男児の実の父が現れるが、これが父が韓国人、母が日本人という韓国籍の男で、ろうあ者という設定。しかもあとでわかるが50歳近いらしく、なんで妻が結婚していたのかかなり不明。妻はキリスト教徒らしく、夜中にホームレスのために炊き出しをやったりしているから、福祉の心で結婚したんだろうか。韓国人はそれまで何をしていたのか不明なまま、役所へ生活保護の手続きに来て、元妻は手話
面白そうな本が出てきたら図書館で借りて読みという具合で平野謙「新刊時評」上下を読んだが、下巻は1960年代から72年に大江の「みずからわが涙・・・」の「誤読書評」で書評の筆を折るまでと、75年の『中野重治批判』と共産党関係の本の書評まであった。下巻はすでに読んだ本が多かったので上巻ほど面白くなかったが、その分、平野が何を面白がっているのか不明なものもあった。たとえば丸谷才一の『たつた一人の反乱』を、ほめているようなんだがどこがポイントなのか分からず、私にはちっとも面白くなかったので、モヤモヤした。 大江作品誤読の顛末は上巻巻末に書いてあるが、ここで平野は、大江が、書評をしたのは自分だと知って「抗議」してきたことに、いささかのショックを受けて書評をやめたのだなと思った。平野は、「東京大学新聞」という目立たない場所に載った大江の「奇妙な仕事」を「毎日新聞」の文藝時評で取り上げて広く知らしめた産
小田実に「現代史」という、1500枚くらいある長編小説があって、それが谷崎の「細雪」を下敷きにしているということを最近知った。これは題名からはちょっと想像がつかない。それで図書館から「小田実全仕事」の4巻にまとめて入っているのを借りてきて斜め読みしたのだが、1960年代の大阪の大都造船の社長の島内一家とその四人姉妹の動きが華やかに描かれていて、なるほどこれは「細雪」だ。やはり「細雪」を下敷きにしているといわれながら、食事のシーンばかりの金井美恵子「恋愛太平記」より面白そうだが、これは時間をかけないとちゃんとは読めないし、その価値があるかどうかちょっと微妙だ。 もちろん小田実だから、「細雪」の保守的で古典的なところには批判的で、ベトナム戦争とか天皇制の問題とかがさりげなく出てくるが、それも押しつけがましさは感じなかった。しかし小田実のように、たくさん小説を書いているのにちゃんと論じられていな
タモリと子供たちが歌った「ミスター・シンセサイザー」という歌は、1980年に「みんなのうた」で放送された。当時、新しい楽器として注目されていたシンセサイザーを顕揚する児童歌で、「ハナモゲラ語」などで知られ、表舞台へ進出してきたタモリが、歌の途中で即興で意味不明な言葉を叫ぶという趣向もあった。タモリのことは、NHKはこの当時から好きで、バラエティ番組「テレビファソラシド」に起用したり、単発ドラマの主演に使ったりしていた。あとから考えると、謎の言葉は大橋巨泉、偽外国語は藤村有弘の二番煎じなのだが、新世代のインテリお笑い芸人というところか。以後今日までNHKはタモリを重用し続けている。まあ私も、ビートたけしに比べると、タモリのほうが常識人で、面白いと思っていた。 さてシンセサイザーは、私は中学生のころに知って、面白そうだと興味を抱いたのだが、最初に「シンセサイザー音楽」に触れたのは、高校一年だっ
私は原一男が井上光晴を撮った「全身小説家」を、2000年ころに一度観かけて、あっこれはガンで死ぬんだと思い、つらくて観るのをやめたが、最近になって、改めて観た。井上が文学伝習所の女性参加者を次々と食ってしまうあたりが話題になっていたようだが、私はむしろ、ガンの民間療法の山師が、井上に、ガンが良くなっているとべらべら喋っている時に、そこにいる瀬戸内寂聴がすごく暗い顔をしてうつむいているのがひどく印象に残った。山師の言っているのはまったくの嘘なわけで、山師が帰ったあと、井上が、説得力がまったくなかった、とカメラに向かって話すのだが、瀬戸内寂聴の暗い表情がいちばん印象に残った。
私は1995年8月に東大病院で処方を受けてマイナートランキライザーを呑むようになり、それまでのパニック障害や不安障害が緩和されていったのだが、それより前に群ようこのエッセイで、群が若いころ精神状態が悪くなりマイナートランキライザーを処方されて呑んだら効き目はすばらしかったが、こんなものに頼っていてはいけないと考えて捨ててしまった、というのを読んでいたため、いつまでも呑んでいてはいけないという考えがあり、翌年春に実家へ帰った時に薬を断ったのだが、そのためひどい禁断症状に陥って一か月くらい七転八倒の苦しみであった。四月になって大阪へ帰って再度薬を用いるようになって収まっていったのだが、薬は少しずつやめていくのが正しいので、いきなりやめると大変なことになる。しかし世の中には反薬派の医師というのがいて、薬はすぐ全部やめろなどと無茶なことを書いた本を出していて、決して本気にしてはいけない。
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