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参議院選挙2025
d.hatena.ne.jp/matterhorn
仕事は七時には終わる。しかし仕事の終わったその後があまりに暇である。だから、最近よく駅前で手相を見てもらう。「手相の勉強してるんですが…」というやつである。あれは宗教だよ、とよく人は云うが、実際のところを知りたくて何度もトライしている。 宗教の勧誘は好きだ。以前、創価学会の友人に勧誘されたときは、久本雅美に握手され「これから一緒にがんばっていこう」と勉強を誓い合うところまで行った。地域集会にも参加した。貴重な創価学会世界大会の中継映像を大勢の学会員たちと一緒に会館で見たこともある。「今度こそ、われらが敵(日蓮正宗)の息の根を止めようではないか!」という壇上のアジテーションに、一万人が大歓声を贈っていた。少し心が動いた。 仕事を始めてから既に三回、僕は駅前で手相を見てもらった。一回目は仕事を始めたばかりということもあって、僕自身とてもテンションが高く、一通り手相を見てもらっただけで全く勧誘に
ご無沙汰です。先月からとある会社に就職して社会人として働いている。働き始めてちょうど一ヶ月になる。本当は大学院に進学するつもりだったが、今度もまた失敗してしまった。とことん勉強の出来ない人間であるようだ。就職活動は三日しかやらなかった。求職雑誌をパラパラとめくって、たまたま一番最初に受けた会社から内定をもらったので、まだ卒業していないけど働かしてくれと云って次の日から働き始めた。だから、就職活動と云っても簡単な履歴書を書いて面接を受けただけである。正直エントリーシートなんてものを書くぐらいなら、死んだほうがましだと思った。そして、一生「ソリューション」という言葉を使わなくてもよさそうな会社を僕は選んだ。 就職をしたことがない人間にとって、やはり就職というものには強い抵抗感があった。特に「就職をした人間」と「就職をしていない人間」の間にはものすごく大きな壁があるように感じられた。と、いうのも
なんだかんだとこの一ヶ月けっこうワールドカップを観ていたのである。決勝戦でイタリアが勝つかフランスが勝つか。そんなことは僕には分からないが、ただひとつ確かなことは最後の最後にはジダンがドメネク監督に勝ってこのワールドカップが終わるということだろう。とにかくフランスチームではこの人に釘付けだった。写真見てくださいよ。このピッチから選手が帰ってきたときの偉そうな態度。そしてこの肩幅の狭さ。これはラピュタにおけるムスカとか、スーパーマンにおけるジーン・ハックマンとか、そのタイプですよ。あと第一形態のフリーザとか、自民党の青木幹雄とか。基本的に文人のイメージで、ちょっとカマが入ってるのな。あとダイ・ハードにも出てた。ドメネク=ムスカ=ジーン・ハックマン=戸愚呂(兄)で、ジダン=ラピュタ=巨神兵=スーパーマン=戸愚呂(弟)でしょう。どっちにしろ最後はジダンにやられる。しかも実際、この人は占星術とかで
先週の土曜日のことです。夜九時半ごろ、駒場東大前駅のホームでいかにもホームレスらしき風体をした老婆に金を貸しました。まずはそのいきさつから説明します。 僕がホームに立っていると、いきなりベンチに座っている老婆から「あなた東大生?」と聞かれました。「うん」と答えると、「私に千円貸してちょうだい」と云ってきました。どうせ返せないだろう、と思って「どうやって返す気なんや」とたずねると、私の身分証の番号と住所を控えてくれ、と云ってきます。家があるのかと聞くと、「ある」と老婆は答えました。どこにあるのか、と聞くと「USAエアフォース」と英語で答えます。老婆の言葉には、不自然に英語が混じっていました。 老婆の外見はピンクのフリースを着て、半ズボンにサンダルを履いていました。大きなビニール袋を三つ持ち、そこには荷物がたくさん入っていました。髪の毛はずいぶん薄くなっていて、ボサボサです。顔は日焼けで茶色く
世の中に「しなければならないこと」はなくなって、全てのことが「情熱」という物差しで説明できるようになってしまった。映画を撮ることや研究をすること等は、当たり前のように、映画や研究対象に対する行為者の「情熱」によって支えられている。また、部屋を綺麗にすることや、結婚することだって、それぞれ「生活への情熱」や「人生への情熱」の賜物なのだと云いえてしまうだろう。だとすれば当然、定職に就けないのは「仕事への情熱の欠如」であり、恋人が出来ないのは「異性への情熱の欠如」である。 かつてそこにあったのは「運命」という言葉であり、「才能」という言葉であり、「性分」という言葉だった。自分の部屋くらいは「情熱」がなくても綺麗にしなくてはいけなかったし、仕事や結婚は、人として生まれた以上、「情熱」がなくてもしなくてはいけないことだった。それが今や、恋愛や結婚や出産はおろか、税金を納めることにすら「情熱」が必要に
「風立ちぬ、いざいきめやも」というエピグラフの「めやも」の意味を巡ってなされる登場人物たちの取るに足らない会話から、もはや、現実のコミュニケーションの再現性ではなく、作家の想像力の貧困さしか感じられないところに、若い作家たちは平田オリザの限界と自分たちの可能性を看取しているように思えた。それ故に、ポツドール『ニセS高原』では、「絶対に盛り上がらない」「空気を読め」と一瞬にしてその話題が封じられることになり、一方の五反田団『ニセS高原』では、そんなポツドールの悪意に挑戦するがごとく、まさにその「風立ちぬ」の話題を契機におおいに舞台を盛り上げてみせる。結果、現実のコミュニケーションの再現性はポツドールにおいて強く印象づけられ、作家の想像力は五反田団によって強く印象づけられることとなった。先日、三条会による、原作戯曲のテクストをそのまま残したシュールで刺激的な舞台を見ながら、僕はあらためて平田オ
先月放送されたTVチャンピオン「お笑い芸人通選手権」は非常に衝撃的だった。全国から集められた「お笑い芸人好き」の小学生が、現在活躍するお笑い芸人にまつわるクイズに答え、チャンピオンを決めるという趣旨の内容だったのだけれど、そこに登場する小学生たちの生気の抜けっぷりが尋常ではなかった。彼ら彼女らは、揃いも揃って常に口が半開きで、集団でシャブを決めているかのように目の焦点が定まっていなかった。目の前で彼らの大好きな芸人(アンジャッシュ、スピードワゴンなど)が一生懸命ネタを展開しても、ほぼ何のリアクションを取らず、たまにヘラヘラと笑みをこぼすのみ。また、肝心のクイズに正解しても間違っても、ヘラヘラニヤニヤとした笑顔にならないような笑顔を多少ゆらゆらと左右に揺らすだけで、これといったわかりやすい感情表現をほとんど行わないのだった。田中義剛やこぶ平(林家正蔵)に主導的な発言が許されるといったテレビ東
選挙が始まる。今回の総選挙は面白い、劇場型選挙だ、驚異的な投票率かもしれない。なんて事で巷では盛り上がりまくっているけれど、今、小泉にはとてつもないオーラが漂っているのは確か。小泉の政治方針や人格はともかく、彼の政治力に疑いを挟む人は今どこにもいない。実際僕も、こんなにカッコいい総理大臣をは見たことがない、とすら思う。かつて、「野球もサッカーもオリンピックも、私にとってはスポーツである前にテレビ番組である」と言ったのはナンシー関であるが、もはや「総理大臣が一国のリーダーである前に、毎日テレビで見なければいけない人」であると、この国の誰もが心のどこかで感じている。 今回の選挙では結局、ウェブの活用は見送られた。さすがに次回からは、限定つきで選挙のウェブ活用も認められることになるだろうから、そういう意味では今回の総選挙が「テレビ」を主戦場とする選挙としてはある種の到達点であり完成型とも言えるか
予告編やCMスポットと本編との枠組みがあまりにも食い違っている、という『スチームボーイ』以来の不幸な例として盛り上がっているのがスピルバーグの『宇宙戦争』で、「そのとき父は愛する家族を守ろうと思った」というCMのナレーションは確かに間違ってはいないけれど、その後に「しかし・・・」と続けるべき部分こそが映画では重要なのであって、トム・クルーズが家族とか地球を守る映画だなんて思って観に行くと、『スチームボーイ』を科学批判のヒューマンアドベンチャーだと思って観に行くくらいその落差に戸惑う。スピルバーグも大友克洋もけっしてそんなお茶の間サイズの人じゃない。むしろダコタ・ファニングのひきつけを起こしそうな表情目当てで劇場に行った人だけ正解にたどり着けたというなんとも痛快な映画だった。 『宇宙戦争』は明瞭に「911以降」の映画で、道に落ちたビデオカメラのモニターに映った映像のカットによって惨劇が開始さ
「はてなダイアラーが選ぶ! はてなダイアリーアワード2004」優秀エントリ賞受賞記事(嬉)
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