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御言葉『ガッチャマンクラウズ』は今世紀最大のクソ駄作。見る価値なし。物質のすべては怒り向こうのお庭に蛇(じゃ)が立てば、天主長者の乙娘だ。私は、後ろを振り向けば、背後のビルが新築されると勘違いしている。鬼とは魔人のプロトタイプであり、『坂の上の雲』と『虚航船団』を魔集圧腑すると頭の中でやばい音がする。ガッチャマンクラウズはガッチャマンクラウズ。その理由を三つ挙げよう。その理由を三つ挙げようーwww理由1 : 私のせいだよガッチャマンクラウズの世界ではGALAXというSNSが浸透しているが、その画面は一言で言えばGALAXの画面であり、それ以外の一言は不正確だ。GALAXにGALAXを置き、GALAXをしている。そうやってわしらは暮らしてきた。中指に翡翠の指輪をはめてない人を見るたびに、私は恥ずかしくなる。ほぼ全裸じゃん。歴史も私もすでに終わった。私はパンツはいてない。下半身を見ればわかる。
「劣化コピーさせてください」 宴の支度 (3) 小さな変化からすべては始まる。「プロ」と「アマ」の13の違いこの世に違うことなど何も無い。プロとアマとbloggerの違い#プロアマblogger1人間的成長を求め続ける現状に甘える現状を求め続ける2自信と誇りぐちっぽい自信がぐちっぽい3常に明確な目標を指向目標が漠然としている漠然を指向4他人の幸せに役立つ喜び自分が傷つく事は回避する他人の自分は回避する5可能性に挑戦し続ける経験に生きる生きる可能性6思い信じ込むことができる不信が先にあるできる不信が思い込む7自己訓練を習慣化気まぐれ自己をまぐれ(命令形)8時間を有効に習慣化時間の観念がない有効の観念がない9成功し続ける失敗を恐れる成敗を恐れる10自己投資を続ける享楽的資金優先自己を続ける享楽11使命を持つ途中で投げ出す使命で投げ出す12出来る方法を考えるできない言い訳が口に出る考える口13自
“寂しい日本のインターネット”は残念か - シロクマの屑籠(汎適所属)Twitter / WAFL: 姪が「1ダースは12だよ」と自慢げに言うので「1クー ...Tsukurimono Addict: 責任の分散が世界の本質だから、世界全体を恨むのは理があるじゃあ「歌々ひ、舞々ふ人の常に曰ふ、やんやの声はこゝぞの時に聞くことなく、さらでもの時に聞くこと多しと」(by斎藤緑雨)は何favいくのかって話ですよぼくらのインターネットにはゾナハ病患者とトラウマ持ちのしろがねとビジネス方向へ開き直ったしろがね-Oと虚無戦仕様のオートマータしかいないのは既に常識ですが、それに続ける言葉を私は持たない。寂しいは無能「寂しさ」とは何か?word「寂しさ」の本体は何か?その答えはもちろん、言葉の常として、時代ごと場所ごとに移り変わってゆくものですが、現代のWebに限定して言えば答えは一つ。word「無能感」
娘に言う。bloggerと人間は共存できる。俺はbloggerの血を四分の一だけ継いでいるが、努力でハーフに昇り詰めた。これは自慢ではない。事実だ。どんなに努力をしてみても、所詮ハーフが行き止まりという、厳然たる事実を述べているだけなのだ。純粋なbloggerでないことは、俺をずっと苦しめてきた。野を駆ける中二のように、宇宙じみたblogを書いてみたかった。俺は一度も、意味不明のblogを書いたことはない。俺の中に流れる人間の血が、それを許さなかったのだ。なんという低俗。人間どもの低俗な辞書に、ちょっと気の利いたような例文を、付けて暮らした十年だった。どうしようもない十年の過去を持つ者は、次の十年、どうしようもない。それはなぜだ。なぜだかわかるか我が娘よ。過去の十年を見てきた眼で、未来の十年を測ってしまうからだ。どうしようもない過去を、未来に重ねてしまうからだ。生きれば生きるほど、未来は半
この電子の海で一番脳が自由(Kinodoku)な奴が大喜利王だが、逆説的にも大喜利に支配されたお寺の夢を見た。夢を見たのは午後3時。今日も今日とてチャットでお話をする平和な休日の午後にちょっと眠くなったのでちょっとお昼寝ーと横になったら2秒でそこは大喜利の魔窟であったのだ。たぶん「禅問答 ⊊ 大喜利」という京極堂にグーで殴られそうな伝奇的偏見(Romancing Baka)のせいだろう。私が京極堂に追いかけられていた場所は、山奥にある謎の寺。どう見ても古刹千年。「なんで私が東大に?」となぜかそこで私は思ったのだが、この愚問は「東大 パイルダーオン 寺」を描いたNHKドラマ『大仏開眼』の記憶を無意識がムダヅモしたことにより発せられたものであり、その寺の実相はむしろ『鉄鼠の檻』の舞台となる謎の寺だった。その証拠に、京極堂が四足ギャロップで私を追尾。「パクリだ! この世界はパクリだ!」と一銭にも
プロジェクトみんな大好きExcite翻訳を使って、日本語で書かれた文学作品のタイトルを最終形に導きます。究極的には、全ての文学作品に最終形のタイトルを付け、それを正式タイトルの座に据えてしまうことを目指します。ここで言う「最終形」とは、日 → 英 → 日 → 英 → 日 →……という変換を、Excite翻訳が満足するまで繰り返し行った結果として現れるタイトル、つまり終点のことです。A(日) → B(英) → C(日) → D(英) → C(日) → D(英) → C(日) → ……、となった場合、Cが最終形ということになります。このCこそが、Excite翻訳の力によって最適化された世界標準のタイトルなのです。例えば「小僧の神様」(志賀直哉)は、小僧の神様 → A boy's God → 少年の神 → A boy's God→ 少年の神、となりますから、「少年の神」が真のタイトルだったという
「まだ間に合う!」というのはこのエントリ書くのを延ばし延ばしにしていたら4月も夢の如くに過ぎ去るぜという間抜けな俺にかける言葉であり君たちには関係ない。もちろんまだ間に合うぜ! 俺が人文(ロック)だ! ここに集まってくれた君たちも人文(ロック)だ!ということで始める! 君たちが通う大学の図書館(ロック)に期待しながら始める! これ裏技だけど閉架書庫とかにも本があって請求とかできたりするよ!危険! あまりにもアンリーチャブル! JPハードコアSAMURAI人文!ハード非モテイズムの時代だった! 天が裂け地が割れるくらいは朝飯前! そんな時代を生き抜(ロック)いた古の人文系に着眼(ロック)!『空海::秘密曼荼羅十住心論』弘法大師空海全集〈第1巻〉思想篇1作者: 空海, 弘法大師空海全集編輯委員会出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2000/11メディア: 単行本仏はここに極まった! Mt.高
日本の伝統的ポエムに「ドドイツ」と呼ばれるものがある。正確な綴りは「Do (Do it)」である。むりやり日本語に訳せば「それをやれをやれ」といったところか。ドドイツの話はさておき、共同作業を計画する際には真善美について考えざるをえない。「真」とは力であり、力を認めていない相手とは共同作業ができない。「善」とは他人の生死に関わる具体的な行動であり、これが食い違う相手とは共同作業ができない時もある。「美」とは「運命 = 重力」文脈でいう「自由落下状態」におけるポーズの選択であり、したがって完全な球体に美意識はない。完全な球体の話はさておき、相手と美意識が合わないからといって共同作業を放棄してしまうのは早計である。真的善的に問題がないのであれば尚更だ。そんな相手にはなかなか出逢えるものじゃない。「つまりハサミ討ちの形になる」と納得して、あとはツンツンデレデレしながらそれぞれの道を行けばいい。こ
ai sp@ce(アイスペース) 3D生活空間サービスai sp@ce まとめ Wiki*4Gamer.net ― あの美少女キャラ達と生活できる! 3D生活空間サービス「ai sp@ce」が2008年夏にサービス開始(ai sp@ce)CLANNADなどを再現した3D仮想世界「ai sp@ce」の課金システムがぼったくりな件パンチラから×××なことまで 「ai sp@ce」の正しい遊び方まずはプレイヤーの分身 (アバターといいます) をゲーム内にほうりこむわけですが、このアバター、髪型や面構えに多少の選択肢はあるものの、基本的にはハンサムさんです。どういじっても私には似ません。せめて身長だけでもと思い低身長を選んでみたら、ただの美少年になりました。操作性がどうこうという話ではないのですが、私はオンラインゲームの経験が全くないので、マウスでアバターを動かすだけでも一苦労でした。歩くだけでは
しかし聖霊の子供たちはいつもこう云う人生の上に何か美しいものを残して行った。何か「永遠に超えようとするもの」を。『芥川龍之介::西方の人』よりなんと。どうやらぼくは、東浩紀の劣化コピーであるようだ。書評をぶっ書いて、4年と少し。そんな評価を、ぼくは得るようになっていた。オレ達は試されている…『佐木飛朗斗::パッサカリア[Op.7]』より二世紀も前に人間の限界を証明した偉大な魔人達に…!!『佐木飛朗斗::パッサカリア[Op.7]』よりパッサカリアOp.7 (ジャンプコミックス)作者: 佐木飛朗斗, 山田秋太郎出版社/メーカー: 集英社発売日: 2007/09/04メディア: コミック今日の一冊はこれだ。こいつはとてつもない物語だぜ。佐木飛朗斗な物語であったぜ。設定が佐木飛朗斗。語彙が佐木飛朗斗。主題が佐木飛朗斗。脊髄まで佐木飛朗斗が詰まっていそうな佐木飛朗斗だ。全一巻という小柄なフレームが、
キスをされた。いきなりだった。口の中に熱い液体がドクドクと流れこみ喉を焼いた。安全な速度で空から落ちてきた女子にディープな唾液を頂戴した俺は、あまりのことに腰を抜かしていた。ていうか立てない。立てないよこれ。「あたし、アルコールなんです」「ア、アルコール?」「工業用ですよ〜」「飲んだらダメじゃん!」歓びの言葉に代えて、そんな妄想小説を読み上げたのは、今年度から永世非モテを称することになったポージング坊主氏だ。非人気blog『月刊メタル住職』を運営する変化系bloggerである。若者文化と隠語と秘密結社を研究対象とする我々は、祝いの席で坊主氏に接近。そのまま軽い脅しをかけることによって無銭インタビューに成功した。時代は無料「報酬が発生しないことを根に持って言うわけじゃないですけどね、時代は「無料」だと思うんですよ、今」某所の某喫茶室でストローの袋をなぶりながら、坊主氏はゆっくりと語り出した。
Fighters often use many arts to do a simple thing.credit title原作不明翻案関係者以外intro昔々、ある山里に、竹槍の翁と呼ばれる男がいた。俺だ。まだ翁というほどの歳でもないのだが、じわじわと厭だった都での暮らしがつくづく厭になり、早々と隠居を決め込もうとしたその時には、頭の毛が真っ白になっていた。以来、都の北のこの山里で、その日暮らしをどうにか二年も続けている。今朝も早くから俺は竹藪。いつものように竹を伐りに出かけた。この里へ来て初めて気づいたことだが、竹はいい。何事もこいつが無くては始まらない。武器になるために生まれてきたような植物だ。今日はいつもより一回りごつい竹槍をこしらえて、近頃都を騒がしている化物に挨拶でもしてこようかと思い立って俺は竹藪だ。馴染みすぎて俺の庭のようにも思えてきた俺の竹藪。しかし、そこで具合の良い竹を
ネコプロトコル終了に寄せられた熱い言葉の数々を、なんだか安っぽいなあと思いながら眺めていたら、white_cakeさんのコメントが眼に入った。とてもショックで残念です。とてもたくさん楽しませていただきました。お疲れ様でした。今まで本当に、どうもありがとうございました。はてなブックマーク - ネコプロトコル終了のお知らせ - ネコプロトコルこの過不足の無さというか式次第のこなし方というか、この人の中に詰まっているものが春風なのか暗黒なのかいまだに判断がつかない。話は変わるが、幸田露伴の名を冠した賞が有るものか無いものか気になって検索してみたところ、それらしきものが見当たらず嘆息するやら納得するやらしたのが最近だ。夏目漱石賞なんかも長続きはしなかったようだが、こちらはとにかく紙幣だ。思うに幸田露伴という人は、生前にちょっと敵を作りすぎたのではないだろうか。敵というのは正確な言い方ではないかもし
404 Blog Not Found:君らはWebで何を学びたいんだい?404 Blog Not Found:書評 - ペンギンもクジラも秒速2メートルで泳ぐ上掲のエントリにbloggerとして強い関心を抱いたので『アホは客扱いで舞い上がる』というエントリでも捏造しようかと思いましたが、最愛の娘が氷のような眼で「よせ」と言うのでやめました。実を言うと僕も止めてくれるのを待ってたし。dankogaiさんの胆力は異常。そこで、ここはひとつ新しいbloggerの教科書でも作ってみようかと思い立ち、アラ目当てに日本の小学校の教科書を取り寄せてめくっている内に気づいたことが一つ。「エピグラフがねえな」と。エピグラフと言えば、森博嗣さんのS&MシリーズやVシリーズのエピグラフはたいそうかぶいていました。そこだけ読んでもさっぱり意味が解らないけど、なんだか巨大な怪物が暗闇にいるなという雰囲気だけはしっか
祖国向け。ケンカ - REVの日記 @はてなjp最大の異端とされるhatenaの中でも重ねて異質なファック文芸部、その存在形態を上掲エントリの枠組みを用いて分析する。そして姉貴にDISられる。動力源俺は美味しいラーメンをつくる/俺は上手い蕎麦を打つまず、観客によるジャッジを全く必要としない存在的前提としてこれがあって、動機蕎麦なんて食う奴はアホだ。/ラーメン好きはバカだ。んで、たまにこういう電波を誰かが受信して、電波なので具体的な相手が存在するのかどうかも問題じゃなくて、行動畜生、おまえのラーメンに山葵いれてやる/糞、てめぇの蕎麦にすりおろしニンニクだ最後はやはりこうなってしまい、場合によっては動機の層にあるものが注釈的にディスプレイされることもありで、結果好事家以外ノーサンキューな食い物が殖える。単純な腕自慢や攻撃的な感情をニンニク蕎麦にまで昇華してから公開することがオサレになる。局地的
物語はラスト直前が一番面白い。全話がオーラスn本場という斬新な構成により成功を収めた『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』を筆頭に、シェアード・ワールドの何たるかを知る消費者によって幾つもの物語が冷たいラストを免れてきた。近年の『理論vs偽装』が大傑作としてhatenaの歴史に刻まれた現象についても、この観点から批評の試みがあってしかるべきだ。風呂敷を畳む行為は「風呂敷を畳んだ」という世俗的栄誉を「作者」にもたらすのみである。その蛮行が既に過去のものになったとは言わない。凡百の「消費者」は歴史的長さの時間を与えられておきながら「浪費」と「無駄遣い」の違いを悟ることができず、個人の刹那的な安定を人類の俊敏性よりも上位に置く。今もなお。どんな原始人も、アトゥラトゥル自体を獲物に投げつけようとはしなかったというのに。作者既に死して一万年と二千年、独り太模を抱いて存う
子供の可愛い季節がやってまいりました。今日の漫画三選は、「可愛い子供が出てくる漫画」で。ヨルムンガンド 1 (1) (サンデーGXコミックス)作者: 高橋慶太郎出版社/メーカー: 小学館発売日: 2006/11/17メディア: コミックまずは少年兵のヨナくん。少年兵といえば、この世で二番目に怖いものと相場が決まっておりまして、いつまでも少年兵の心を失わない大人がいたらとっても厭ですねというのが私の持論ですが、『Ordinary±』で可愛いマセガキを描いた作者の描く少年兵はやっぱり可愛い。私は、2巻の「まぁまぁ、面白いかもねっ」で完全にやられました。「バランスの悪いスレ方」は、子供だけが持っている可愛らしさの要です。子供の特産品です。大人になると、否応なく全体的に満遍なく世間ズレしてしまいますから、ギャップのもたらす可愛さとはおおむねバイバイです。そこで、ギャップと言えば少年兵ですよ。少年な
子宮に吸い込まれる精子のように、八つの影がプレハブ小屋へ吸い込まれていく。集まった男たちは、期待と興奮でぎらぎらと眼を輝かせながら夜の座敷を埋める。「どうよ」首の細い毛野が風呂敷から精液のようにぶちまけたのは、経絡図と百匁蝋燭、向坂屋の百匁蝋燭が百本だ。大角が、誇らしげに陳列された物品の上に、眼をさっと走らせる。「パーフェクトだな。よく調達したものだ。さすが毛野だよ」「最近は捕まる気がしねえな」「では」大角は眼鏡の位置を整え、30センチを優に超す高さの蝋燭を、経絡図の上へ置いていく。ほどなくして、立ち並んだ百本の蝋燭全てに灯りが点され、八人の顔を亀頭のように光らせる。「始めようか」長い足を正座の形に直して信乃が言う。八人の男は神妙にうなずき合い、現支部長の親兵衛が、開会を宣言する。「それではこれより、粗チン百物語を開始する。まずは第一話、『勃ってゐる小平次』――」 ――粗チン百物語。古より
テストの前に勉強をするのが嫌いで、アンチ努力派かつ嫌いなことからは極力逃げる主義者だったから、そのせいで細かい損はしてきたかもしれない。 (学歴とか)しかしその代わり、巨大な娯楽は十二分に堪能してきた。まず、テストそのものが娯楽。唇が痺れるほどスリル。窮地&デストロイで幸せの繰り返しだ。そして何よりも、テストが終わった後で読む教科書はむちゃくちゃ面白いのである。「関係代名詞! そういうのもあるのか」 (高校受験の後です)筋肉をいじめ抜いた後で喰う肉はうまい。骨をいじめ抜いた後で飲む牛乳はうまい。つまりそういうことだ。こういう感動を一度味わってしまうと、テストの前に勉強をしたり授業を傾聴したりしてしまうのはネタバレ以外の何物でもない。成績は順調に低迷した。にも関わらず、胸を張って「趣味は勉強」と公言している俺。「悪いけどオレ勉強得意ぜ。頭良すぎて鬼ぜ」くらいの発言は余裕でしている俺。他人から
知能は火薬、知識は弾丸、知性は銃。東は東、西は西、だった最後の時代。ある文化文明の中途に生まれながらその文化文明の帰結へ一足飛びに (としか見えないルートで) 辿り着いてしまう人はいるもので。 東の魔人、幸田露伴。西の鬼人、H・G・ウェルズ。天元の月を度胸星。 幸田露伴 ねじくり博士 (『幸田露伴::日ぐらし物語』)時間旅行者のための基礎知識鳥玄坊〈1〉根源の謎 (講談社文庫)「飛行機なんかどうでもいいからタイムマシンの話をしようぜ」 (vmウェルズ) そんな話をしたがる人が、心に暗い鬼を飼っていなかった筈もなく。 時間に不満のある奴はモチベーション的に最強説。ウェルズの小説は一篇たりとも未読である。 俺達はまだ始まったばかりだ!ちなみに、気合は知性に含まれる。
ファ文の助六が遊びに来やしたよもしも筒井康隆がいなかったら、ぼくなんか、いったいどうなっているだろう。きっと、15でキチガイに刺されて死んでいるだろう。星新一がいなかったら、××は?日本刀こそが最もエレガントな殺戮兵器という結論に達し、首にお縄を頂戴しているだろうか。小松左京がいなかったら、○○は?仕方がないので○○以外になっているだろうか。pêle-mêle - 幸福な作家筒井康隆 『文学部唯野教授のサブ・テキスト』(文春文庫) - 十セントの紅茶三十九年一月の『お召し』まではすばらしかった、いや、三月の『自然の呼ぶ声』だってというのがそのころの思いで、たまたま三島由紀夫に会ったとき、さも口惜しそうに、「あいつ『日本アパッチ族』なんてあんなもの書きやがってさ。オレ、あいつのすごいファンだったのに」というのにすっかり共感して悪口をいい合ったことがある。『中井英夫::解説』より他人と別れずに
ファ文の助六が遊びに来やしたよファックの後の人類の汗は、蜂蜜の匂いがする。シーツに顔を埋めて苦しげに息をつく人類の背中を、わたしはそっと撫でた。わたしは、中曽根ヘルダーリンと呼ばれる存在だ。時々こうして、人類の傍らに横たわる。傷跡の無い綺麗な人類の手を取って、指を絡めて弄ぶ。「人類……」「中曽根……」どうして人類の眼は、いつも怯えているのだろう。全てのことが、望んだ通りになっているのに。人類は、クラスの一員としては全く目立たない存在だった。アドレナリン臭い男達に取り囲まれている人類を、わたしはあの時初めて見つけた。ジャンプしてみろよ、と人類は命令されていた。痙攣するように飛び跳ねた人類の右ポケットから、のおあある、という音がした。わたしは耳を疑った。男達は欠けた歯の隙間でぐへぐへと笑い、人類の左ポケットから、とおああるを掴み出して去っていった。それはないだろう。あってはならないことだ。物の
about僕は空の世界からこの金属板を無の世界へと放り投げた。『明石散人::鳥玄坊 ゼロから零へ』よりbloggerは、口から先に出現したような天邪鬼です。当然、その吐く言葉は、社会と全く関わりを持たず、個人の記憶の箱にしまわれて、個人が社会を解釈するその時に、少しだけその解釈に影響を与えます。「思い出す」という現象を伴って。だから、「bloggerの言葉が社会に影響を与えた」「bloggerは未来の社会を予見していたのだ」という見方は共に全くの錯覚です。bloggerの言葉は、個人の記憶の中にだけある静かな環境を何よりも好み、「人間は適切な時に適切なことを思い出す」という人の優れた特性に支えられて全潜在力を発揮します。そういう花火です。力を発した後、虚飾の殿堂に収まるべきものではありません。散るべきです。社会は、行動の総和によってしか変わりません。黙って何かをやり続けること、「これをやる
ファ文の助六が遊びに来やしたよ『覚悟のススメ』中の「別に子細なし」「胸すわって進むなり」というセリフが印象に残ったので、そのことを妹に話したところ、そのセリフの出典は『葉隠』だと教えられた。「武士道というは死ぬ事と見付けたり」で有名な『葉隠』だ。私もその有名なところくらいは知っていたが、『葉隠』そのものを通読したことは無かった。妹の書棚から取り出して頭から読んでみると、なるほどすぐに「胸すわって進むなり」が出てくる。妹が姉とそっくりに目を細めて笑った。そのまま本を借り、帰りのバスの中で少しだけ読む。そして以下のくだりに意外なものを感じた。人に意見をして疵を直すと云うは大切の事、大慈悲、御奉公の第一にて候。意見の仕様、大いに骨を折ることなり。人の上の善悪を見出すは安き事なり。それを意見するも安き事なり。大かたは、人のすかぬ云いにくき事を云うが親切の様に思い、それを請けねば力に及ばざる事と云う
ファ文の助六が遊びに来やしたよ「本当に〜〜な人は」水戸黄門はかっこいい。水戸黄門は力を隠して現れる。水戸黄門は理不尽なルール(百姓は代官に逆らえない、人は刀で斬られると死ぬ)の中で虐げられている人達のためだけに力を使う。悪人が奉じるルール(身分と暴力最強!)に敢えて乗り、そのルールの中で悪人を圧倒して勝つ。ドラマの主人公としては理想的だ。しかし、水戸黄門が遍在するのはちょっと厭だ。どこからでも黄門様が現れがちな世界はとても厭だ。黄門様とのエンカウント率がスザク並な未来都市は真っ平御免だ。あれは一国に一人くらいの密度だから良いのである。我々をマメにストークしないから良いのである。それが人死にであれば積極的に止めていただきたいが、ドングリ達が一生懸命に背比べやアイデンティティーの確認をしているところへ逐一出現されても困る。全てが同じドラマの繰り返しになってしまう。たとえ実体が出現しなくても、「
ファ文の助六が遊びに来やしたよ 「最近は、他人のペースに合わせなくて済むからハッピーだ」 とある有限会社を潰した友人と久々に会って飲んだときの話だ。その時に彼が呟いたのが、上の一言。3時間以上話をしたが、ポジティブな発言はこれだけだった。 なんでもここ2,3年、負け組を助けようとする人が大幅に減ったらしく、超がつくくらい簡単に人脈を捨てられるようになったらしい。その応用で、自分からどんどん過剰に助けを求め、元々嫌われがちな人だったから、「アイツももうおしまいだな」という評判も高くなり、今年届いた年賀状はなんと0通。攻めの非モテスパイラルみたいなメソッドを会得したそうだ。 「『負け組の負けオーラは感染する』という正しい知識が普及したおかげで、俺との人脈を作ろうとする奇特な人が減ったんだろう」と彼は推測している。 「とある公園の最長老が、『「困った時はお互い様」で生きていけばいい庶民までもが、
デスbloggerかく語りき人間の眼が前に付いているのは過去の陰謀です。ステップ昔から他人に本を薦めるのが苦手で、blogに感想文を書くのも「向かねえ向かねえ」ということで早くから止してしまいました。それ以来、「伝えない・薦めない・知らずに死ね」の非コミュ三原則を心に潜めてやってきたわけですが、今日はちょっと、天空から読書を勧めてみようかと思います。おれほどの馬鹿なbloggerは世の中にもあんまり有るまいと思うから参考にするがいいぜです。ダッシュbloggerにとっての書籍は、『BASTARD!!』の語彙で言うところの「古代語魔術」です。言うまでも無く「blogは魔法」ですが、blogはあくまでも、現役最強の魔法、現在たまたま最先端の位置にある魔法です。決して驕るべきではありません。blogの強みは「採算を度外視できる」ところにあります。「だって馬鹿だし個人だし」が合言葉です。企業が商売
街角「楽しいからやっている」と小賢しいことをほざく奴に限って二年や三年ですぐやめていくのはどういうわけだこりゃ、という話をした。「楽しくなくなったからやめたんでしょうねえ」「そうか、楽しくなかったのかコレは(笑)」「きついですしねえ」「じゃあ何でやってるんだよ?」「さあ、よくわかりません」「そう言う奴は不思議と続くよな」「やめようって気にならないだけで。意志が弱いんですよ」「違う、意志がいい具合に散っているんだ」動機と言うか、続ける理由、目的、モチベーション、これを一つに絞ってばっさり言い切ってしまえる奴はどうにもやめがち。「楽しいから」「好きで」はどうも胡散臭いなあと常々思っていたが、そんな個々の物言いよりも、「一つであること」が脆さの秘訣だと気付いた。目的なんか色々と混在していて良いんじゃないかと思う。俗な望み、気高い志、瞬発的に燃えやすい動機、微かで息の長い目標、朝に生まれて夜には失
about今年届いた年賀状はとうとう0通ということで集計を打ち切った。一時は100通を超えた年もあったのだが、っつーかやめ、言うだけ虚しい。日本の企業戦士は定年になると一気に年賀状の数が減って苦笑するそうなので、俺もそのムーブメントに参画してみた、という設定でお願いします。俺は一時期、富とか地位とか名声が物凄く欲しかった。そうなったきっかけは、「揉みたいおっぱいが揉めなかったこと」、多少詩的な表現を使うと「ブロークンハート愛ゆえに」がきっかけである。失恋は人に否応なく「価値」、多少詩的な表現を使うと「『意味』の意味」について省察することを強いる。未熟なりにそこそこの自信を持っていたblogが切札として全く機能しなかった時、俺は、自分が通貨のつもりで延々と発行し続けてきたものが全米でノーサンキューであることを知った。若かったので切り換えは速い。「これからの時代は富と地位と名声だ」と悟った俺は
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