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大谷翔平
d.hatena.ne.jp/odanakanaoki
①あっという間に2か月がたち、明日から1か月のフランス出張である。この間なにをしていたのか。顧みると、前半(6月)は各種債務の返済に勤しみ、後半は学内行政に走りまわっていた。各種債務については、角松くんに納めなければならないやつだけが残ってしまったが、10月締切なので「帰国後に働きます、はい(希望的観測)」という約束で許してもらおう。学内行政については、学生支援担当という立場上、勤務先にある学寮のひとつである明善寮の飲酒問題に対応していたのであった。 ②その明善寮の飲酒問題であるが、大体の経緯については、大学の公式見解が「明善寮のリニューアルについて」と題してアップされているので、ご覧いただきたい。「日本四大自治寮」のひとつといわれているらしい……うーむ、知らなかった……明善寮は、学部1年生と2年生だけが入寮できるにもかかわらず、なぜか昔から「酒の明善」として知られていた。たとえば現時点で
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odanakanaoki.hatenablog.com
【ほんのちょっと加筆あり・・・3/24】 【追記】 三条中のデマ、ツイッタでそれなりに騒がれてたらしいので、まとめページである「トゥゲッタ」とやらをみてみた。いやあ、こんな低レベルな元ネタ(上から11番目のmizubasyo)がそれなりに拡散してくのかと思うと、ますますご遠慮したい世界である。とりあえず、ぼくのわかる範囲でいうと、 三条中の避難所は3/14に閉鎖された。「中国人やりたい放題」という元ネタが出たのは3/17なので、どこ&いつの話? しかも元ネタの主、自分&自分の話を正当化するためにどんどん話がかわってくし。怖いですね、恐ろしいですね、それではサイナラサイナラ・・・じゃなくて、ぼくは3/13(下記参照)のあと、3/14にも行って閉鎖を確認しているので、モンクがあるやつは出てきなさい。 避難所閉鎖の理由は、北校舎4階美術室の火事を受けて、学校が可能な限り縮小・できれば閉鎖したいと
(1)わが国では「ニセ科学」とか「インテリジェント・デザイン」とかいった話題が一部で盛上がっているようだが、そんなのは古いっ、古めかしい、古くさい、古すぎる!! 科学の故地(?)ヨーロッパを見よ、かの地ではすでに泣く子も黙る「イスラーム創造説」の時代が始まっているのだ。小田中がル・マンのホテルで朝食を食べながら読み、おもわずカフェオレを口から噴きだしそうになった『ル・フィガロ』紙渾身の記事を粗訳で紹介したい。 「イスラーム創造説のフランス侵攻」(『ル・フィガロ』2007年2月2日) ここ一週間、フランスのほとんどの中高そして大学に、『創造のアトラス』と題する豪華本が届けられている。この本は、ハルン・ヤハヤ(Harun Yahya、本名アドナン・オクタルAdnan Oktar)なるトルコ人を著者とし、じつに数万部がトルコやドイツから直接郵送されてきているが、大量の図版をもちい、770ページに
小森陽一『心脳コントロール社会』(筑摩書房・ちくま新書、2006) (1)pataさんが紹介していたので、さっそく一読。メディアを媒介とした世論操作の近年の形態を「心脳コントロール」と呼び、その特徴を脳科学の知見を利用するところに求めたうえで、正しきメディア・リテラシーのあり方を説く。 (2)たしかに 高名な日本文学研究者である小森さんがなぜ? 脳科学の知見をもとに論じるはずが、いつの間にかフロイトやらユングやらが前面に出てくるんですが? おもに無意識の領域にある「社会的集合記憶」を重視するのは良いとして、無意識のあり方を知る方法がわからないんですが? とか、色々な疑問はわくだろう。それでも、 誰が得をするのか、誰にとっての「実利的なこと」なのか、どのような「政治的、経済的」な力関係の中で、誰が「覇権」を獲得するのか、ということを考えてみる(173頁) 一つひとつ発生する出来事に対し、「な
ピエール・ロザンヴァロン『連帯の新たなる哲学』(北垣徹訳、勁草書房、2006、原著1995) おすすめ。 (1)厨先生こと稲葉くんの戯言から始まった企画、ここに堂々実現。フランスを代表する政治思想史学者の手になる福祉国家の再検討の書。現代日本社会がはらむ諸問題を理解するうえでも必読の一冊といってよいだろう……稲葉くんも、た・ま・に・は・いいことをするもんだ。 (2)ロザンヴァロンによれば、既存の福祉国家は、社会保険が重要な位置を占めていることからわかるとおり、《保険システムによるリスク・シェアリング》という考え方にもとづいている。しかし、今日、保険システムは、 大災害のリスクが巨大化している 個人主義的な「自己責任」イデオロギーが浸透しつつある 医療の分野において遺伝学が進歩してきた 保険システムではカバーできない垂直的再分配が重要になってきた といった動向のために、機能不全をおこし、福祉
秋山裕『経済発展論入門』(東洋経済新報社、1999)続き 昨日の続き。 (3)それは良いとして、それにしても 「経済発展論」ってなんだ? 内容のほとんどは経済成長論と重複しているように思えるが、両者の違いはなんだ? そういえば、似た名前の学問領域として「開発経済学」があるが、開発経済学と経済成長論と経済発展論の違いはなんだ? うーむ……というわけで、少なくとも経済成長論と開発経済学の異同について考えておく必要があるような気がする。
岡田与好『経済的自由主義』(東京大学出版会、1987) (1)『経済セミナー』連載予定「名著再訪・20世紀日本の経済学編」来年の1月号は、わが師匠の一人だった(なぜ過去形?)岡田先生の『経済的自由主義』。それにしても「来年のことを言うと鬼が笑う」気もするが、4月からは学内行政が忙しくなりそうなので、出来ることは先にやっておかなければならない。 (2)学際的な研究の必要性が叫ばれるようになって久しいが、その実行はなかなかに難しい。ましていわんや学際的な論争はさらに難しく、したがって珍しい。日本におけるその稀有な例が、1969年に始まり、経済史学者と憲法学者のあいだで闘わされた「営業の自由」論争である。この論争はイギリス経済史学者・岡田与好(1925〜)が法学界の通説を痛烈に批判したことから始まるが、岡田は、それから20年弱のときを経て、この論争をとりまとめて本書を刊行した。 岡田が問題にした
大黒俊二『嘘と貪欲』(名古屋大学出版会、2006) おすすめ(5400円+税、だが)。 (1)あっという間に新年度か。会議の嵐の狭間に学生運動家諸君のお相手をさせていただくという、楽しい一年になりそうである…というわけで、早くも現実逃避するべく、スコラ学のテクスト、説教文書、そして商人文書を分析しつつ、ヨーロッパ中世における経済活動のイメージを探ったこの本を読む。 「利益」のイメージは、「嘘と貪欲」というマイナスイメージ、「必要と有益」というプラスイメージ、そして「貪欲」というプラスイメージ(マンデヴィル)へと、変化していった 「利子、配当」を正当化する根拠としては、「時間」、「リスク」、「期待利益遺失」といったものが挙げられた といった、じつに興味深い史実が次々に明らかにされ、面白い。この本で歴史学者たる大黒さんが明らかにした史実を、経済学者・経済史学者はどう料理するだろうか。 (2)1
田中拓道『貧困と共和国』(人文書院、2006) いただきもの。 おすすめ(専門書だけど)。 (1)フランス史研究の領域の細かい話になるが、フランス革命二百周年のころ、ハーバーマス「公共空間」論の影響下に、「政治文化論」とでも呼ぶべきトレンドが構築され、発展したことがある。そこで問題になったのは、いわば「政治的なるもの」をいかに捉えるかということだった。その後、今度は、フーコーの所説をうけつぎながら、「社会問題思想史」とでも呼ぶべき研究が展開されるようになった。そこで問題になったのは、福祉国家の成立をもたらす「社会的なるもの」の発見をいかに捉えるかということだった。この本は、社会問題思想史研究のながれに棹差す、おそらくは日本ではじめてのまとまった研究である。著書の田中さんは、このトレンドをリードしてきた政治思想史学者ピエール・ロザンヴァロンの弟子にあたる。 P.S.ロザンヴァロンの業績につい
川北稔『工業化の歴史的前提』(岩波書店、1983) (1)『経済セミナー』連載「名著再訪・20世紀日本の経済学編」12月は、日本の西洋経済史学界の光景を一変させた川北稔『工業化の歴史的前提』。これが経済史学者ではなく西洋史学者の手になるものであることがなんとなく悔しいのは、経済史学者のはしくれたるぼくのセクト主義のなせる業だろう。ついでに、比較経済史学派の末裔たるぼくとしては、常行敏夫『市民革命前夜のイギリス社会』(岩波書店、1990)の復権を訴えたい…というのは措いておいて、専門分野に近いと書きづらく感じるぼくは小心者です。 (2)経済史学における最大の課題は、長いあいだ、世界で最初の工業化がイギリスで生じた理由を探ることだった。日本を見ると、第二次世界大戦前から1960年代まで経済史学界を支配した比較経済史学派は、マルクス経済学の影響のもとに、工業化のメルクマールを「資本賃労働関係の成
渡部信一『ロボット化する子どもたち』(大修館書店、2005) おすすめ。 (1)自閉症研究で知られる認知科学・発達心理学者が、ロボット研究の歴史を顧みながら、近年ゆきづまりつつある教育のあるべき姿を探る試論の書。 (2)この本を要約すると、 発達心理学は「刺激と反応の関係を探る行動主義-->人工知能モデルにもとづく認知心理学-->曖昧さをとりあつかう認知科学」へと進化してきた ロボット研究をみると、タスクを分割してプログラムと一対一対応させることによって解決しようとする人工知能モデルは機能しないことがわかる(これがフレーム問題) 自閉症児も、同じ問題に直面しているらしい 問題は、ロボット研究においても、自閉症研究においても、現実の曖昧さをどう処理すればよいかにある 学問的には、これを問題にしているのが認知科学である 同様に曖昧さをとりあつかっているのが、「習うより慣れよ」とか「学ぶより真似
本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』(NTT出版、2005) いただきもの。 おすすめ。 (1)新進気鋭の(失礼!)教育社会学者にして、最近はてな界隈ではじけまくっている(失礼!)著者の手になる試論の書。近年の日本では、コミュニケーション能力、創造性、自発性、主体性といった能力を身に付けることが求められるようになりつつある。これら能力を「ポスト近代型能力」と定義し、かつて求められていた「学力」たる「近代型能力」と対比したうえで、この事態が学校、家庭、子ども、大人にもたらしつつある変化を確定し、評価し、対処策を構想する。「『人間力』って言うな!」なる帯の台詞だけで(頂いたぼくが言うのもなんだが)即、買いでしょう。 (2)「近代型能力」から「ポスト近代型能力」への移行(あるいは「メリトクラシー」から「ハイパー・メリトクラシー」への移行)という現状認識は、「ネオリベ批判」とか「ポモ」とか「カ
佐藤俊樹「因果の果ての物語」(『社会学史研究』27、2005) (1)『不平等社会日本』から『桜が創った「日本」』まで、神出鬼没かつなにを書かせても面白い社会学者・佐藤俊樹さんが、歴史社会学に物申す論文。歴史学界の片隅に生息するものとしても、うならされた。こういうものの存在を教えてもらえるので、インターネットはありがたい(ありがとうございます)。とりあえず2点だけ備忘録として書きとめておこう。 (2)まず 百年単位のより長い目でみると、歴史学はもともときわめて広い範囲をごく少ないデータで議論する学であった。それゆえ、きわめて細かい実証と超巨大な理論(例えばマルクス主義の発展段階説)との組み合わせで成り立っていた。個性科学か法則科学かという、ドイツ歴史学派以来の論争は、本当は論争ではない。その特性上、歴史学には個性記述と巨大法則の両方が必要であった。データの大量蓄積は、そういう組み合わせで学
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