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続き。『身辺雑感』さんの2004年12月17日の記事とその記事へのコメントから、思春期問題の一つ(と僕が認識している)である「なぜエロゲーの舞台は高校物が多いのか」という話題を整理してみる。 18歳以上の成年を基底ユーザーとしていながら、ポルノ的に(たとえばコスプレとか単なるエロシチュのため)ではなく、物語上の要請から「高校生のドラマ」が幅を効かせてるエロゲーの市場ってやっぱどこかイビツだと思う。換言すると「いい年こいた大人が嗜むには思春期厨房のマインドに傾きすぎてやしませんか」という事なんだけど。エロゲーがある時期からドラマ性を肥大させてる事自体はおおいに結構だとは思います。ただ、それで何故キャンパス〜社会(主人公20〜30代)が舞台じゃなくて高校物(主人公10代)の方がトップの売れ筋に出てきてしまうのか、個人的にはちょっと不思議なのです。(『身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記』) ■
■思春期問題 ある文章を読んでたら、放置気味だった思春期問題(自記事「思春期は終わらない……?」)に関してインスピレーションが沸いてきました。なので、少し書き留めておこうと思います。あくまでメモです。 同じはてな内の『REVの日記』というサイトさんをたまに覗かせてもらっていて。色々なジャンルの話題を目にさせてもらってるんですが。2005年12月25日のREVさんの日記と、そこで引用されていたブログの記事(『身辺雑感/脳をとろ火で煮詰める日記』 20041217 「エロゲユーザーと劇中人物の年齢ギャップの傾向について」)が大変興味深かったです。 REVさんの叙述を読んでて、少し閃いた。エロゲーのパターンを二分すると言ったらもちろん言いすぎだけれど、エロゲーのパターンに確実に見受けられる物語の二つの形がある気がする。この分類が、書かれた本人の文脈に沿っているのかどうかはわからない。 (1)克服
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