サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 17
ejwatanabe.cocolog-nifty.com
永田町・霞が関を幽霊が徘徊している。エビデンス(科学的根拠)という幽霊が――。使い古されたマルクスのもじりが、ある意味ぴったり来る。その実態が、枯れ尾花のように極めて怪しいものだからだ。 「教職員定数増を要求するなら、それで教育が良くなるというエビデンスを出せ」という言説が流布している。まずは5月の財政制度等審議会、次いで経済財政諮問会議、そして行政改革推進会議で「根拠を示せ」の大合唱だ。出所は同じようなものだろう。要するに難癖を付けて、予算増を牽制したい狙いが透けて見える。しかし、こうした主張は二重の意味で間違っていよう。 授業の専門家」(財政審財政制度分科会資料)と短絡する認識だ。「教科指導だけでなく、生徒指導は教員の中核的業務」(中央教育審議会提出の文部科学省資料)だという教育界の常識を一向に理解しようとせず、テストで測れる学力だけでエビデンスを測定しようとしている。 これは決して「
昨年末から今年にかけての教育界の焦点は、表面的に見れば政権交代に伴う教育政策がどうなるかにある。しかしその陰で政権がどう変わろうとも避けられない課題があり、改革に向けた種も既に昨年中にまかれている。 総選挙を直前に控えた先月半ば、文部科学省は「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」を発足させた、この長い名前で何を検討する会なのか、ぴんとくる人は少ないだろう。 一般傍聴者にも公開される公式の会議とはいえ、いわゆる初等中等教育局長の私的諮問機関という位置付けである。しかも当初段階では何が打ち出されるか全く不透明だし、当然ニュースにもならない。この検討会の発足を極めて重要な動きだと思うのは、本社だけであろうか。 文科省事務局が示した「主な検討の視点等」では、検討会設置の趣旨として「育成すべき資質・能力の構造を明らかにした上で、それを実現するための具体的な教育目
惜しい。実に惜しまれる。文部科学省の「教職員のメンタルヘルス対策検討会議」報告(中間まとめ)のことである。 報告では「教職員のメンタルヘルス不調の背景等」として、3ページにわたってまとめられている。いずれも箇条書きの簡単なもので、無味乾燥な印象すら感じられる。しかし実際の論議では委員の外部専門家から、教職という仕事の特殊性、そしてその近年の困難性に極めて共感的な立場からの指摘が相次いでいた。箇条書きの行間には、そうした同情があふれていると読むべきである。 複雑な要因が絡み合っている現状を一気に変えることは難しいが、少なくとも現場の教員が相当な困難を抱えていることはアピールできるのではないか――。当初の議論を聞きながら、そんな期待を持ったものだ。しかし結果的には、お役所的なまとめに収まってしまった。 人選の限界もあったろう。毎回、遅い時間の開催にもかかわらず中身の濃い議論が展開されたことには
平野博文文部科学相が4日の国家戦略会議に「社会の期待に応える教育改革の推進」の方針を提示し、翌5日には高井美穂副大臣らが「大学改革実行プラン」として詳細を発表した。事前の報道でも高校2年卒業や国立大学の「集約」案が大きく取り上げられたが、正式公表後は内閣改造や元オウム信者逮捕などの重大ニュースに隠れて一般には十分着目されなかったように思う。しかし、プランの「衝撃」は想像以上に大きい。 衝撃にカギカッコを付けたのは、さまざまな意味合いがあるからだ。まず、教育関係者への衝撃である。内容もさることながら、何より中央教育審議会で第2期教育振興基本計画に向けたさまざまな改革が議論されているさなかの突然の提案だった。7日に行われた中教審大学教育部会では当然、委員から「我々が一度も議論しないうちに決まったのか」と非難の声が相次ぎ、文科省事務当局は「プレゼン用なので表現は適切さを欠いたかも」「検討したい・
大学入試センター試験が終わったばかりだというのに水を差すようで大変申し訳ないが、あくまで近い将来に向けた話ということでお許し願いたい。本格的な大学全入時代を迎え、大学入試は抜本的な改革が不可避になっている。そのための論議のたたき台として、あえてセンター試験の「廃止」を据えるべきだ。 もちろん、センター試験やその前身である共通第一次学力試験(共通一次)がこれまで果たしてきた大学入試改善と高校教育への貢献は、高く評価してもし過ぎることはない。国立大学の一期校・二期校制時代にあった難問・奇問はおおむね一掃され、高校の教育課程や教科書に配慮した良問が出題されるようになった。共通一次時代には偏差値による大学の序列化が一挙に進んだという弊害を生んだとはいえ、入試方法の多様化・選抜尺度の多元化が進んだのも、一定の学力を担保する共通試験があってのことだった。 そうした入試改善が有効だったのも、あくまで18
2009年に行われた経済協力開発機構(OECD)の「生徒の学習到達度調査」(PISA2009)の結果が発表された。この間の教育現場の取り組みを思うと、日本の数値は極めて納得できる。教育現場ができる限りの努力をした末の成果であるとともに、その限界をも示すものでもある。結果を基に、冷静な教育政策論議を行う必要がある。 調査結果によると、読解力は第1回のPISA2000のレベルにまで回復した。PISA2003での低落による「PISAショック」を受けて、早くから読解力向上に取り組んだ成果だろう。ほかの分野も含めて、改善の兆しは各所に見られる。07年度に開始した全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)で半ば唐突に「活用」のB問題を出題したことも、現場に大きな影響を与えたのは事実だ。校内研究のテーマが国語や算数・数学の「PISA型学力の育成」一色に染まったように、教室レベルで授業改善の努力が積み重ねら
おそらく文部科学省のホームページを毎日チェックしている人でも、多くが見過ごしているのではないか。「高大接続テスト(仮称)」をめぐって北海道大学に委託した「高等学校段階の学力を客観的に把握・活用できる新たな仕組みに関する調査研究」の報告書が、ひっそりとアップされている。テスト創設の必要性を訴えながらも、結論的には高校・大学関係者による今後の検討に委ねている。国も含めて、具体化への機運はいまだ見られない。しかし報告書の指摘は、もっと深刻に受け止められてしかるべきだ。 報告書は高大接続テストについて「学習指導要領の改訂に振り回されない出題教科・科目設定が望ましい」「1点刻みの素点評価から離れることが必要」「目標準拠型の達成度テストであることが求められる」など注目される提言を行い、創設されれば「学力入試の在り方、さらにセンター試験の在り方も検討が必要となる」とまで言及しながらも、一方では大学入試セ
文部科学省の「全国的な学力調査の在り方等の検討に関する専門家会議」が23日、中間まとめ案を大筋で了承した。しかし、そこで示された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)に対する過去4回の評価は、きわめて不十分な総括だと評せざるを得ない。 中間まとめ案は、全国学テが国の行政調査としての役割を超えて地方や学校に貢献してきたことを評価し、実施要領で定められた調査目的を「今後も極めて重要」だと結論付けている。 しかし本社が再三指摘してきた通り、全国学テは位置付けが不透明なまま制度設計がなされた。 中教審の「義務教育の構造改革」答申(2005年10月)では、個々の学校の「アウトカム」(教育の結果)を国の責任で検証し、質を保証するシステムとして提言されている。これが義務教育費国庫負担制度(義務教)維持のための理論武装として打ち出されたことは答申全体から見れば分かることだが、その後の「政治判断」で国庫負
文部科学省が毎年恒例の「公立学校教職員の人事行政の状況調査」の結果を発表した。2008年度は副校長・教頭からの希望降任が前年度比13人増の84人、主幹教諭からの希望降任が同62人増の89人、新採用(条件附採用)教員の依願退職者が11人増の304人となっている。「100万教職員」から見ればわずかな数字とはいえ、これらはあくまで氷山の一角であり、学校現場を覆う教職員の職場環境の危機ととらえるべきだ。改善に向けて、一刻も早い総合的な対応が求められる。 もちろん副校長等の希望降任はここ数年、60~70人ほどで推移してきたし、今回の数値も約3万9000人の全体から見れば0.2%でしかない。しかし小・中学校で残業時間が月60時間超(文科省06年度教員勤務実態調査)にも上る現実から考えれば、この人数で踏みとどまっていること自体が奇跡に近い。 主幹教諭からの希望降任数が増えているのは発令自体の増加(総数は
民主党は16日に発足する連立新政権で、「国家戦略局」を首相官邸に設けて政治主導を実現したい方針である。その具体的な姿はいまだ見えないが、縦割り省庁からの積み上げ・寄せ集め型の政策決定過程を大きく転換するものになろう。そこでは教育政策も、まさに国家の重要な「戦略」として位置付けることを強く期待したい。 国家百年の大計とも言われる教育行政には、継続性や安定性も必要だとされる。それはそれで、もちろん大事なことだ。しかし近年の状況を見ると、財政難も相まって、行き詰まりの度合いがますます増しているような気がしてならない。 多様化・複雑化する子どもの実態に対して、教育現場はなかなか有効な手立てを打ち出せないどころか、教職員定数の抑制、予算削減、過剰な経営・勤務管理、学校・教員バッシングなどにより身動きが取れなくなっている、というのが現実の姿ではないか。小泉構造改革路線や安倍教育再生路線がそれに拍車を掛
それが本当なら、ぜひ実現してもらいたい。教育政策に限って言えば、それだけで政権交代の価値はある。民主党が方針を固めたとされる、教員免許更新制の廃止のことである。 同党のマニフェストや政策集では「抜本的に見直す」と抽象的な表現にとどめているが、7月に行った政府政策の「事業仕分け」では廃止すべきと判断していた。 そもそも更新制は「教育再生」を掲げた安倍晋三元首相が、前回の「郵政選挙」で圧勝した小泉純一郎元首相の禅譲と個人的人気(当時)を背景に、半ば強引に導入したものである。当初もくろんでいた「ダメ教員には辞めていただく」のではなく、定期的に最新の知識・技能を身につけさせる「リニューアル」を目的とした制度設計になったにもかかわらず、世間ではいまだに問題教員の排除策だと誤解されている面が少なくない。 それでも学校現場や、教育を受ける側にとって有益な制度ならば、改善してでも存続する価値はあろう。しか
選挙戦たけなわである。今回は政権選択をめぐって激しい戦いが繰り広げられ、「幼児教育の無償化」か「高校の実質無償化」かといった教育政策も焦点の一つとなっている。しかし主要政党のマニフェストなどをよく見ると、奇妙な一致点がある。公財政教育支出の国内総生産(GDP)比の引き上げだ。 「OECD諸国並みの公財政教育支出の確保を目指す」(自民党・政策BANK)、「先進国中、著しく低いわが国の教育への公財政支出(GDP〔国内総生産〕比3.4%)を、先進国の平均的水準以上を目標(同5.0%以上)として引き上げていきます」(民主党・政策集INDEX2009)、「GDPに対する教育の公費負担率を現在の3.5%から先進国並みへの引き上げを目指します」(公明党・マニフェスト中長期ビジョン)、「OECD加盟国で最下位の教育予算を、早期に平均にまで引き上げます」(共産党・総選挙政策)、「対GDP比3%半ばという他の
LEC東京リーガルマインド大学(学長=反町勝夫・東京リーガルマインド代表取締役)が、来年度から学部の学生募集停止を発表した。同大学は2004年度、構造改革特区制度による初の株式会社立大学として開校したが、当初から本当に大学としふさわしい体制を整えているか、疑問がぬぐえなかった。会計専門職大学院は今後も募集を続けるというが、公教育を安易に考えてきた経営主体は早々に退場して当然だ。 LEC大学は特区の特例により3カ月というスピード審査で設置認可されたが、その時から多くの留意事項が付けられ、その後の設置計画履行状況調査(アフターケア)でも毎年、留意事項による改善が求められ続けていた。2004年には肝心の特区である東京都千代田区の同意を得ないまま通信教育課程の設置を申請し、同新宿区などほかの特区の同意を得て認可されるという混乱もあった。そうしたこともあって定員割れに歯止めは掛からず、一時は14カ所
本来は改訂の目玉になっていいはずなのに、一部関係者を除けば驚くほど注目されていない――。高校で学習指導要領上はじめて明記された「キャリア教育」のことである。 高校をめぐる状況については、先ごろ発行されたリクルート『キャリアガイダンス』5月号(No.26)の本社配信記事を参照されたい。しかし、小・中学校も決して例外ではない。そもそも改訂の基となった2008年1月の中央教育審議会答申にも、教科横断的な改善事項として情報教育、環境教育などと並んで、キャリア教育の充実が挙げられている。 小・中学校の新指導要領にはキャリア教育という文言こそないものの、告示に当たっての文部科学事務次官通知(2008年3月)では「キャリア教育などを通じ、学習意欲を向上するとともに、学習習慣の確立を図るものとしたこと」と説明されている。高校の改訂通知(2009年3月)でも、まったく同じ文章だ。その上、2008年7月に策定
小・中学校に比べれば、高校の授業改革ははるかに遅れている。学校ぐるみの授業研究も決して盛んではない。「教科の専門性」を口実に、個々の授業が「聖域」となってはいまいか。これだけ生徒が多様化しているにもかかわらず、自らのスタイルに拘泥し続ける教員も依然として存在する。もちろん、こうした決め付けが一方的に過ぎることは承知しているし、いい授業をしようと日々奮闘している教員が少なくないことも知っている。しかし、そうであるなら、なぜ多くの高校で「総合的な学習の時間」が小・中ほどの成果を上げられずにいるのか。これも一方的な決め付けを承知で言えば、「学力向上」路線にかじが切られたのをいいことに、嬉々として進学対策に力を入れているだけではないのか。 いささか冷静さを欠いた筆致をお許し願いたい。それというのも、関東のある公立高校での先進的な実践が、直接には関係のない小事によって冷水を浴びせられたことに対する義
7月18日から8月1日まで、一般財団法人教育調査研究所(理事長=天笠茂・千葉大学名誉教授)主催の第10回ラウンドテーブルディスカッション「学習指導要領の改訂に向けた文科大臣『諮問』をどう見るか」の第2回「条件整備の枠組み」が動画配信され、本社編集委員がファシリテーターを務めます。参加者は天笠理事長(文部科学省「今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会」座長)、本図愛実・宮城教育大学大学院教授、青木栄一・東北大学大学院教授。引き続き進行の稚拙さは容赦いただくとして、来るべき中教審の教育課程企画特別部会(企特部会)「論点整理」に向けた議論を理解する際の補助線としていただければ幸いです。申し込みは7月15日まで、料金1000円(税込、機関誌『教育展望』年間購読者は無料)。『教育展望』7・8月合併号にも特集記事として採録されます。 ▼20日投開票の参院選を巡り、日を追うご
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『教育ジャーナリスト渡辺敦司の一人社説』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く