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大谷翔平
fel.hatenadiary.jp
TRPGのルールブックには必ず載っている「RPGとは何か?」という項目。 書き手は苦労する割りに、TRPGのルールブックを本当に始めて手に取る人以外はスルーしがちという、報われない項目です。僕も真面目に目を通した記憶がほとんどありません。 しかし、そんな場所にも時には名作が舞い降りるようです。以下は、BRSを用いたシステムThe Laundryからの引用。いつもながらテキトー訳でごめんなさい。 the greatest thing i've ever read in an rpg bookより −コンピュータRPGのコンピュータの代わりにGMがいるとの説明した後、実例として− プレイヤー:隣の部屋に通じる扉を開けます。 GM:バトルアックスを身につけたオークが宝箱を守っているのを目にするよ。 プレイヤー:フランクな様子で入り、オークと意義深い対話を持ちます。彼の宝箱を守る権利は認めつつも、
突発的に思いついた、極論で遊んでみようコーナー。 TRPGにおいて、シナリオに関わる情報をPCが知っているか否かを、知識技能などで判定させるのは一般的な処理です。 でも、この手の処理って蛇足じゃないの? という反逆的な思い込みが、近頃頭を離れません。 と、申しますのも。 その知識の有無をランダマイザーを通して判定するのは、ほぼ純粋に運に支配された要素です。また、知っているかどうかという判定は、行動を伴わない個人的なものにすぎません。 それぐらいなら、最初から知識系特徴のようなものを持っているか、設定から知っている、あるいはGM判断で渡した方がよっぽど公平です。知らないなら、どうやって該当知識を得るか、手段を考えみなで行動に起こすことができるでしょう。 知識判定を挟み込む利点がまるでみえません。 失敗した結果、セッションが停滞するリスクを生み出すだけではないでしょうか? 個人的には、TRPG
My Life with Masterは2003年度のIndie RPG Awardsを総なめにしており、日本でも『バカバカRPGをかたる』にて紹介されております。 PCは非人間的で邪悪なる主人の、奇っ怪なるしもべとなります。ただし、彼らの心は人間であり、町の人々との繋がりを通じて、やがて主人に反抗し死に至らしめることとなります。セッションは、主人亡き後、下僕たちそれぞれの結末を語って終了となります。 いくつかの斬新なメカニズムを取り入れており、後のインディ系ゲームに与えた影響は計り知れません。 ゲームの進め方は、キャラクターごとのターン制をとっています。どれか1つの行動が決定されたならロールを行い、結果を得れば次のキャラクターへと移ります。 これを何れかのPCが主人と戦える段階に、能力の「愛」を高めるまで繰り返します。 ゲーム進行そのものは、シノビガミと類似しています。MLwMの方が単純
新歓期ということもあり、TRPGに対してイノセントな方々と交流する機会が増えています。 難問はいつも同じ。 この遊びのなんたるかを、どうやって伝えるのか? ただでさえ絡まった結び目をさらに複雑にするのは、RPGの何を楽しいと思うかは、プレイヤー各々によって異なることでしょう。新人さんの左右から聞こえてくる概要が全く異なる遊びとなることだって、無いとは言えません。 コミュニケーション的なアプローチから、AGONやLady BlackbirdのデザイナーであるJohn Harper氏が次のような興味深い記事を書いておられます。概要だけテキトーに書きますので、詳しくは元記事を見てください。 What to Say When Someone Asks You What Gaming is All About ここで提案されているのは次のような方法。 まず、5分ほど時間をとることを相手に了承してもら
RPGのプレイヤーは、可能な限り全ての判定に成功しようと試みます。 失敗が不利な状況を招いたり、敗北に繋がり、楽しい時間を損なう危険性があるからです。 ところが、全てが順調に進んだセッションよりも、失敗などによりギリギリまで追い詰められつつも勝利したセッションの方がずっと盛り上がり、記憶に残ります。 RPGの究極的な勝ちは、参加者全員が楽しい時間を過ごすことです。 ならば、停滞しない程度の失敗を重ねつつも最後は勝利することが、最適解のはずです。 ところがRPG慣れしたプレイヤーであっても、いやベテランの方が更に、判定一回の失敗を嫌います。 #nacky7さんが書かれている通り、ここによじれを感じずにはいられません これは、ストーリーを志向するシステムであっても同じです。 例えば深淵は、大失敗をプレイヤー自らが選択可能なシステムを備えています。ところがこれを活用するプレイヤーは極々希です。
僕はRPGを遊ぶ上で、理屈はあんまし考えない人間です。 基本的に他の参加者に不快感を与えない範囲で、エンターテイメント性を発揮することが、最も重要だと考えております。で、各々がエンターテイメントを表出させる方法は異なるため、技術論的な話もさほど有用とは思えないのです。基礎をなす技術はあるでしょうが、RPGに限定されないコミュニケーション技術に属している印象を抱いています。 だいたい、一口にRPGといっても幅が広すぎます。物語作りを重視するシステムと、GMとの知恵比べも含めた戦術的な動きが必要なシステムと、シチュエーションと演技に重きを置くシステムと、それぞれに必要とされる技術を同じ土俵で語れるものでしょうか? RPGに慣れた人ほどハマりやすい罠として、「自分の遊び方が正しい」と考えてしまう傾向があるように思えてなりません。 自分に合わない遊び方を間違ったものとして罵りはじめたり、特定のシス
寒さで目が覚めたので、ヒーターの熱が体に染み渡るまで、しばし好き放題書きます。 昨日のリストからの流れで、滅多に読まないTRPG論考系の記事を幾つか目にしたためか、いらぬ考えがふわふわと浮かんでは消える状態になってます。普段のTRPGに対する基本スタンスは、遊んで楽しければok、なテキトー人間なんですけどねん。分析とか「べき」論を扱うのは面倒な上に、地雷がたっぷり埋まっているので触れたくないのが本音です。が、せっかくなの少しだけぶっちゃけてみます。 TRPGは自由度の高い遊びとされています。 もちろんそれは犬に食われるレベルの自由ではなく、協調性の上に成り立つ自由です。で、必要とされる協調性は幼稚園で注意される程度のものです。「人がいやがることをするのはやめましょう。相手にされるのが嫌なことを他人にしてはいけません。自分がされて嬉しいことをしてあげましょう。」と、以前Yさんがいうてたよ。
先日の、タスク解決とコンフリクト解決から思いついたことをつらつら。 従来のRPGにおいて、PCは有利な状況を引き寄せるよう動くのが当たり前でした。戦術、ととりあえず呼びますが、実体は小手先で優位さを追求する行動に近いかもしれません。 例えば、「モンスターの弱点と推定されるものを準備して洞穴に潜る」「調査の手順と、どこに行けばどのような情報が得られるのか把握している」「敵対組織に捕らえられた時、命を長らえる情報の漏らし方」「相手の戦闘手段から、苦手とする状況を推測し、そこで戦うように仕向ける」などです。 ものによっては特定のシステムでしか有効でない手法もありますが、例えば情報収集や交渉の方法論は、一度覚えれば他の世界でも応用可能です。こういった戦術の蓄積が、GMはより複雑で難しい状況を提供し、プレイヤーは努力の末にそれを突破するという、ゲーム的な楽しみを強めていくことになるのでしょう。 先週
GMするにせよプレイヤーとして参加するにせよ、TRPGにおける重要な要素は、いかにエンターテナーたり得るかです。 ぶっちゃけ、ネタがマニアックであっても、アイデアが陳腐であっても、場を湧かすことさえ出来ればセッションとしては楽しめます。それを無意識にでも為そうとすること、各々に最適な形でそれを引き出すことこそが、現役時代サークルに参加することでたたき込まれた「技術」といえるものです。それは、私みたいな自分勝手なOBでも例外ではない。 ・・・ということを数ヶ月前に指摘されて、深く納得しました。 と、同時に、別の方からは「それを意識しないでプレイできる間がTRPGを一番楽しめる」といった説も聞きました。確かに、二回生ぐらいまでの、ただ貪欲に遊んでいた時期が、記憶に残るセッションも多かった気がします。その時は気がついてませんが、それを可能としたのは、GMや他プレイヤーがサポートしてくれたからこそ
土曜に、ダブルクロス3rdのサンプルシナリオをGMしました。 プレイヤーは4人で、セッションは2時間半。 終了後、隣でサタスペのボードゲームが行なわれていたため、時間調整のため何人かで感想戦を行ないました。その席で、興味深い疑問が提示されました。それに刺激されて、自分の考えを整理したくなったので、ざっと書いてみました。 #以下、DX3付属シナリオのネタバレを含みます ・前提 本題に入る前に、ここで言うF.E.A.R.系ゲームの私的な認識についてふれておきます。 F.E.A.R.は数多くのシステムを出版しており、〜系という分け方自体が乱暴であることは重々承知しております。例えば自分が実際にプレイした中では、アリアンロッドはこの範疇から外れると思われます。サークルでもリソース管理に重点が置かれたシステムと認識されているようです。 また、視点が(自分が属する)古め世代のゲーマーに偏っていることも
ここ最近の流れと、去年の会報にOさんが吟遊詩人的GMについて書かれた記事から連想した事を少々。 誤解を招きかねない内容で恐縮ですが、RPGにおける才能について思いつくままに書いてみます。 なお、結論まで行かない中途半端な内容です。個人メモ。 TRPGの技術について語られるとき、個々人の才能といった要素はたいてい蚊帳の外です。スキルアップによってだれもがより楽しく遊ぶ事ができるようになる、のが焦点なのですし当然でしょう。実際にある程度の効果が上がっているからこそ、このアプローチは支持を得ているのだと考えられます。誰であっても身につけられる、という言葉には強い魅力があります。 同時に、異端的だったり特殊だったりする手法を、脊髄反射的に悪いものとするケースがあるように見受けられます。吟遊詩人的ゲームマスターなんてその典型例でしょう。この単語から思い浮かぶのは「逸脱を一切許さない一本道シナリオ」「
風邪でふらついているのもあり、思いつきをメモとして投稿します。気が向いたら真面目に書くかもしれません。また、あくまでTRPGのストーリーを遊ぶという一面を切り取った話です。他の遊び方を否定しているわけではありませんので誤解無きようお願いします。 RPGにおいてはゲームマスターがプレイヤー・キャラクターたちのおかれている状況を提供します。そして、セッションの目的、あるいは落としどころもシナリオ作成時にだいたいは決まっているはずです。例えばセッション開始時に与えられるものだけでも、目的と材料だけ用意して道はPCに作ってもらうもの(「工場の生産を妨害してくれ。破壊的なものは認められないが、それ以外なら方法は任せる。」など)から、PC各人の設定や動機まで細かく作られている(「君たちは国を取り返すために姫君を旗頭に戦っている。PC1はその姫君。PC2は彼女をにくからず想う騎士。PC3は彼女を暗殺すべ
TRPGのセッションは常に水物です。きっちり準備して大失敗することもあれば、前日に1時間こねただけの紙ペラから奇蹟のような名セッションが生まれることもあります。いずれの場合も、終わった後に短時間であってもセッション内容について話す機会を設けるのは有用です。時間的制約がかかっている場合もあるだろうし強制するものとは思えませんが、感想戦によって失敗したと落ち込んでいるゲームマスターに対するフォローが行えるのも重要です。場合によってはセッションレポートをwebにあげたり、関係者のメーリングリストなどに投げるのも、似た効用をもたらすかもしれません(書き起こすことによって記憶が再構築されるし、メールだとやたらアグレッシブになる人もいるので、個人的にはその場で話し合うのがお勧めですが)。 さて、こういった感想話で問題になりうるのは、失敗部分の戦犯捜しが行われる危険性です。RPGは参加者全員の共同作業で
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