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ココがキニナル! 相鉄線の西横浜駅とゆめが丘駅はなぜそのように命名されたのか気になります。他の駅は平沼と平沼橋といったように地名と駅名がリンクしていることが多いのですが。(こーちゃさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 戦前に開業された西横浜駅と、その70年後に開業されたゆめが丘駅とでは、命名の理由はまったく異なっている。西横浜駅は路線延伸の歴史と、ゆめが丘駅は付近の再開発計画と関係していた。 「ココがキニナル!」の中では文字数の都合上カットしたが、「こーちゃさん」のキニナル投稿はさらに次のように続く。 「西横浜駅は横浜駅から距離もありますし、JR保土ヶ谷駅のほうが近く、街並み的にも“東保土ケ谷駅”のほうがしっくりくると感じます。ゆめが丘駅に至っては完全に謎で、半年後すぐ近くに開業したブルーラインはなんのひねりもなく下飯田駅と命名しています。」 (© OpenStreetMap contri
ココがキニナル! 朝ドラ「ちむどんどん」の舞台になっている鶴見。なぜ他県ではなく沖縄の方が鶴見に住まわれることになったのか、歴史がキニなります。放送が終わる前に調べていただければ幸いです(せりどんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 鶴見に沖縄県系の人々が多い理由には、京浜工業地帯の発展と同時代の沖縄の経済事情、地縁血縁を重視する沖縄の人々の慣習、さらには横浜の国際港としての位置付けなどが関係していた。 鶴見には沖縄出身者とその二世・三世の方々が多く住む、いわゆる「沖縄タウン」がある。臨海部の工業地帯にほど近い現在の潮田町(うしおだちょう)・仲通(なかどおり)・浜町(はまちょう)・汐入町(しおいりちょう)付近のエリアだ。 赤い円の圏内がざっくりとした同エリア(© OpenStreetMap contributors) この界隈の「沖縄度」を調査した過去記事が、かつてはまれぽに掲載された「鶴
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 江戸幕府の天領だった稲毛領に向かって北上する稲毛道第2回は、「かまくら道下道」に沿って歩く旅だ。少しずつ古道らしい史跡も増えてくる。 中世の道を歩く 稲毛道(いなげみち)の第1回はここで終わった 写真右手の路地を下ってきて合流したこの道。後ろを振り向けば東横線菊名駅がすぐそばにある。そして、カメラを向けた先が稲毛道の続きだ。 前回の終わりに述べた通り、この道は鎌倉幕府成立後、東国武士が鎌倉へはせ参じるために整備された上・中・下3本の「かまくら道(みち)」のうちの一つ、「下道(しもつみち)」と重なる。とはいえ「かまくら道下道」は、鎌倉から東京湾を巻くようにして
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 道を歩けば歴史が見える! 古道シリーズ第五弾の「稲毛道」は、神奈川宿からかつて幕府の天領だった稲毛領に向かって北上する東海道の脇街道だ。その第1回は、ほぼ「東横線沿線をたどる旅」でもある。 稲毛道とは何か? 江戸時代、登戸(のぼりと)から川崎の広域に及んでいた橘樹郡稲毛領(たちばなぐんいなげりょう)の一部は、幕府直轄の領地である天領(てんりょう)で、そこでは良質な米が生産されていた。 おのずと都市と天領間の人々の往来は増え、そこに街道が生まれる。その道を「稲毛道(いなげみち)」と呼んだ。 大山(おおやま)詣りを目指す大山道が幾筋もあるように、稲毛道も江戸方面
ココがキニナル! 根岸の旧柳下邸付近には古くからありそうな、武家屋敷風の家が沢山あります。門構えが立派で雰囲気は抜群ですが、どうしてこの辺りにはそんな旧家が多いのか、歴史的な背景が知りたいです。(しげさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 旧柳下邸付近のお屋敷風の旧家には江戸時代以前にさかのぼる歴史が秘められていた。その代表的な一軒を訪ねると、貴重な古文書などが次々と目の前に現れ、さらに敷地の中にはいくつもの驚きの光景が! 「旧柳下邸」って何? JR根岸駅から徒歩10分足らずの「旧柳下(やぎした)邸」は、正確には磯子区下町(しもちょう)に位置する。 この付近は根岸の丘の裾野に沿ってちょうど区境になっているのだ。崖の上は中区、崖下は磯子区。とはいえ、もとをただせば同じ久良岐(くらき)郡根岸村だ。根岸駅も根岸小・中学校も磯子区に属することからも、古くからの「根岸」という土地は現在、二つの区にまた
ココがキニナル! 青木橋は1870年にかけられたとされていますが、なぜか日本初の跨線橋は1872年にかけられた八ツ山橋と言われます。これはどうしてでしょうか。青木橋の歴史を調べて真相を確かめてください(ねこぼくさん) はまれぽ調査結果! 青木橋の完成は、記録によれば確かに八ツ山橋より早い。にもかかわらず八ツ山橋も日本初の跨線橋と呼ばれるようになったのは、鉄道開通期に合わせたからという可能性がある。 神奈川区ホームページ内の「神奈川区の歴史・主要事業」によれば、1870(明治3)年に「神奈川陸橋(初代青木橋)」が完成したとある。 いっぽう、東京・品川区の八ツ山橋(やつやまばし)は、品川区ホームページ内の「明治維新後の品川 第14回」に「明治4年(1871)5月15日に着工し、翌年1月14日に完成」と書かれている。 つまり2つを比較すると、青木橋の完成のほうが早いことになる。にもかかわらず、品
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 江戸時代、鎌倉への近道観光ルートだった「吉田道」。その後編は中世に東国武士たちによってつくられた鎌倉道のひとつ、「中道」と合流。そしてついに市境を越え、現代の鎌倉観光の人気エリアへ突入する。 新橋を越え、「いざ鎌倉へ!」 前回の旅は「いたち川」の上に架かる「新橋(にいはし)」までで終わった。そしてここは、吉田道(よしだみち)と「鎌倉道中道(かまくらみちなかつみち)」の合流点であった。 新橋の手前にある交差点から進行方向を望む 橋を渡った先に吉田道がさらに続く。そしてその道は、イコール鎌倉道中道でもある。また、写真手前の左へカーブする先は、吉田道と分岐して北上
ココがキニナル! 市営地下鉄の高島町駅は1面2線の島式ホームなのに、なぜ上下線の間が壁で仕切られているのでしょうか。建設時にわざわざホームを2分割にした理由が気になります。(こーちゃさんのキニナル) はまれぽ調査結果! ブルーライン高島町駅は1976年に開業したが、地下埋設物や地盤、国道1号線との関係でシールド工法により建設。線路ごとにトンネルを掘ったため、ホームは同じ階なのに2分割されている。 横浜市営交通は2021年で発足100周年!過去には市街地のあちこちに市電が行き交い、今はバスや地下鉄がその役目を担っている。実は横浜市営地下鉄の車両にも、横浜市営交通100周年記念ヘッドマークが掲出されているのだが、すでに見た人も多いのではないだろうか。 そんな横浜市営地下鉄ブルーラインに関するキニナルを今回は調査していきたい。投稿者の「こーちゃ」さんによれば、高島町駅のホームは上下線で分割されて
ココがキニナル! 横浜にかつてあった映画館、例えば関内アカデミーとか、伊勢佐木町東映とか・・・たくさんありますが、その歴史を整理してほしいです(ossangenerateさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 伊勢佐木町・馬車道通りの映画館街は戦争と敗戦の暗い時代を経て、ふたたび黄金期を迎える。だが時の流れはさらに止まず・・・。まだ記憶に新しい人も多いだろう「あの映画館街」の今の姿に迫る。 前回の記事は戦前の第一次映画館黄金期までで終わった。 だが大盛況の横浜宝塚劇場前の様子を紹介した同じ年に、日中戦争が始まったとも記した。 1937(昭和12)年の横浜宝塚劇場前の様子(神奈川県立歴史博物館所蔵) 以降、社会は刻々と軍事色を強め、表現への規制が高まっていく。すでに「娯楽の王様」に君臨していた映画への影響も大きくなるなか、ついに1941(昭和16)年12月7日、太平洋戦争が起きる。 戦時下から
ココがキニナル! 12月21日から運転開始される横須賀線新型車両E235系の乗車レポートをお願いします。(アサトさんのキニナル) はまれぽ調査結果! E235系1000番台は、山手線の0番台をベースに、トイレやフリーWi-Fiつきのグリーン車を備えた横須賀線バージョン。座席の座り心地の向上や案内表示の充実、優先席の色分けなど、快適で分かりやすい! 「アサト」さんのキニナルに記されている通り、2020年12月21日より横須賀線で新型車両「E235系1000番台」が運転を開始した。現時点で半年経ったので、すでに目撃したり、実際に乗ったりした人も多いかもしれない。筆者・若林もたびたび見かけたり、乗ったり撮ったりすることが増えてきた。 神奈川を走る新型車両とあらば、ぜひはまれぽとしても取り上げるべきでは!?と思っていたが、幸か不幸かはまれぽ内ではE235系1000番台に関する記事はまだない。「アサ
ココがキニナル! 川崎にある河原町団地の昭和のSFの巨大な未来都市のような景観がスゴイと思うのですが文化遺産などにならないのでしょうか?圧倒的な存在感が溢れていてこの空間を作ったコンセプトは貴重(タロー先生のキニナル) はまれぽ調査結果! 1960年代後半に建設、1972年に入居開始した河原町団地は比較的新しい建築物であり、耐震基準も満たしていて遺産になるのはまだ遠い未来の話 建築家、大谷幸夫と河原町団地 東京帝国大学第一工学部建築科在学中から、日本を代表する建築家である丹下健三(たんげ・けんぞう)氏の銀座地区復興都市計画、新宿地区復興都市計画競技設計に参加していた大谷氏は、1946(昭和21)年に卒業し大学院に進学、丹下健三計画研究室に所属した。 丹下健三氏のもとでは広島平和記念資料館や旧東京都庁舎の設計にも参加しながら都市工学の講義を担当する。その後、一度大学を離れるが再び東京大学に戻
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第3編の保土ケ谷宿周辺は史跡や寺社、脇街道の分岐点も多く、見どころいっぱいだ。 横浜市内を通過する近世の大動脈・旧東海道を、端から端まできっちり歩き通す今回の企画。 (© OpenStreetMap contributors) その第3回は保土ケ谷宿周辺。神奈川宿の京側の出入り口にあたる上方見附(かみがたみつけ)の先から保土ケ谷方面に向かってテクテク歩き始める。 なお、「保土ケ谷」はかつて「程ケ谷」とも表記されたが、本稿では便宜上「保土ケ谷」
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 横浜の古道を一筋一筋丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現。まずは王道の東海道。その第2編の神奈川宿周辺には、幕末・開港期の痕跡が数多く残っている。 近世の大動脈・旧東海道を横浜市内の端から端までたどる旅。 (© OpenStreetMap contributors) 第2回目の今回は、第一京浜(国道15号線)の京浜子安駅入口交差点から南へ下る。 この先はかつて神奈川宿だったところ。 宿場付近は中世から陸海交通の要衝地で、物資の集散拠点だった。そしてそこへ至る道、いや至ってからも、街道の左側には海岸線が続いていた。 初代広重
ココがキニナル! 市内に残る「古道」を調べていただけませんか?「えっ!普段歩くこの道が?」「こんな崖っぷちの道が?」など。家の裏の小道が昔は重要な街道だったとか、凄く浪漫があります。(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 数多く残る横浜の古道。その一筋一筋を丁寧に歩くことで、ピンスポットのガイドでは得られない「旅する感覚」を再現する。第一弾は王道の東海道。まずは、市内最北端から神奈川宿の手前までをたどる。 江戸・日本橋を起点に京都まで続いた近世の大動脈・旧東海道。その街道を現在の地図に重ねると、横浜市内の端から端までは次のようになる。 (© OpenStreetMap contributors) 緑のポイントはJR南武線と京浜急行線の八丁畷(はっちょうなわて)駅のやや南に位置する鶴見区・市場上町(いちばかみちょう)の交差点。そして赤いポイントは戸塚区・鉄砲宿(てっぽうじゅく)
ココがキニナル! JR鶴見線で夜景を楽しめるツアーが開催されるとの情報を得たライター・若林。鶴見線での貸し切り列車やツアー開催は非常に珍しい。ぜひツアーに潜入して工場の夜景を紹介したい!(ライター・若林のキニナル) はまれぽ調査結果! JR鶴見線でのツアーは珍しい試みだが参加者には好評。川崎市観光協会のガイドを交えて進行し、入賞したおむすびも楽しみつつ、昼とは全く違う沿線の風景を心ゆくまで楽しめる企画だった。 地元民や通勤客の他に、鉄道ファンにも広く知られているJR鶴見線。鶴見駅から京浜工業地帯へ走る通勤路線だが、日中は通勤客が減ることから本数が激減し、ローカル線のような趣に変わるのだ。 さらに、高架下が懐かしい雰囲気で有名な国道駅や、海(運河)が目の前なのに駅から出られない海芝浦駅など、個性的な駅も数多い。 短い3両編成で工業地帯を走る鶴見線 筆者・若林が入手した情報では、ここに貸し切り
ココがキニナル! 神奈川県の山奥に埴輪女子を夢中にさせる方がいらっしゃるので取材して下さい(ホトリコさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 埴輪女子を夢中にさせる山の主(ぬし)は気さくで優しい陶芸家だった。大井松田ICからほど近い松田山の中腹に築かれた別天地で、埴輪制作一千体の修行に励む作家に密着し、作陶体験にもトライ! キニナル投稿には「神奈川県の山奥」というヒントしかなかった謎の人物。これは探し出すのに一苦労と覚悟を決めて調べ始めたら、意外とすぐに発見してしまった。なぜならその人は、すでにテレビの人気旅番組などにも紹介されたことがある方だったからだ。 その人の名は志村正之(しむら・まさゆき)さん。足柄上郡(あしがらかみぐん)の松田山山中に「時光窯(じこうがま)」という窯元を築く陶芸家であった。 時光窯の場所 だが、山奥にこもって制作に耽(ふけ)る芸術家と聞くと、もしやかなり気難しい人では
ココがキニナル! 高島町交差点近くのマンションを建てる際に当時の赤レンガが出てきたという二代目横浜駅。関東大震災で廃止となった同駅をもっと知りたい。当時の東海道本線の痕跡は残っている?(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 二代目横浜駅の遺構は今も大切に現地に保存され、また旧東海道線の痕跡も突き止めた。同駅の興亡とともに、その背景にある、大都市の中心駅にもかかわらず開業以来移転を繰り返してきた横浜駅の謎を深掘りする JR・私鉄・地下鉄と多くの路線が入り組む横浜駅は、年間乗降客数が新宿・渋谷・池袋に次いで国内どころか世界で4番目(2017年度)の巨大ターミナルだ。 今年新たに「JR横浜タワー」もオープンした西口駅前 ところが現在の横浜駅は、日本初の鉄道駅が誕生したその場所ではない。なにしろ開業した1872(明治5)年当時、この辺りはまだ海だったのだから。 ここに横浜駅ができたの
ココがキニナル! 桜木町からMM地区へのロープウェイが正式に決定しました。経路や料金について調査をお願いします。(パッチョさん、よこはまいちばんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 2020年1月末から工事が開始され、21年3月の開業へ具体的な動き。景観などにも配慮しながら、日本初の常設都市型ロープウェイを目指す。汽車道を沿うように進み、料金は未定 みなとみらいの新しい交通機関として注目の集まるロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN(ヨコハマ・エア・キャビン)」(仮称)の設置工事が、2020(令和2)年1月末からいよいよ始まった。 桜木町駅前をスタートとして、汽車道を沿うように進み、横浜ワールドポーターズの前までおよそ630メートルを結ぶ計画だ。 今回は横浜市の担当部署である都市整備局企画課と、実際に「YOKOHAMA AIR CABIN(仮)」を設置・運営することになる泉陽興
ココがキニナル! 横浜港の歴史に欠かせない「ポートトレイン」。入港した外国人を東京へ運び、異国へ旅立つ日本人を送り届ける夢と希望を乗せた列車は、どんな人々を運び、どんな運命を辿ったの?(よこはまうまれさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 「ポートトレイン」の誕生と軌跡は、港湾・鉄道整備の進展、海外渡航の変容、そして戦争など、横浜や日本の近・現代化と密接に結びついていた。またその痕跡は、今も身近に見ることができる。 JR桜木町駅下車後、手軽に横浜の代表的観光地を見て回りたければ、東口駅前から出ている定期観光周遊バス「あかいくつ」がおすすめだ。 始発のバス停・桜木町駅前に停車中のあかいくつ けれども健脚の方であれば、ひたすら徒歩で、時間をかけてじっくり観光名所を巡るという方法もある。 そのルートの一つが、桜木町駅からワールドポーターズへ向かい、その先に続く海沿いの赤レンガ倉庫、開港の道、山下公
ココがキニナル! 天王町駅近くに、小さなチョコレート工場を備えた工房がオープンしたらしい。店内は工房と共に小さなカフェスペースも設けられているようだ。どんなチョコレートが楽しめるの?!(はまれぽ編集部のキニナル) はまれぽ調査結果! スーパーなどで売られているチョコレートは、基本的に均一の味を求め製造されているのに対して、「2U chocolate」ではカカオ豆の個性ある香りや味わいを活かしたチョコレートを提供していた。 相模鉄道の天王町駅近くにある「シルクロード天王町」商店街が、去年11月にケーブルテレビ「YCV」とコラボして、「YCVテレミン商店街」になった。 ポップな「YCVテレミン商店街」の横断幕が貼られている 一部にはまだ「シルクロード天王町」のなごりも残っている 庶民派商店街に誕生した、小さな「Bean to Bar」 とはいえ、商店街は昔ながらの庶民的な雰囲気はそのまま。その
ココがキニナル! 「ピアゴイセザキ店」が8月上旬に閉店。百貨店「松喜屋」から「ほていや」、「ユニー」と続く歴史ある店舗。競合店の進出やドンキの傘下になった影響?伊勢佐木町が危機的!?(よこはまいちばんさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 伊勢佐木町の総合小売店・最後の砦とも言えた同店の閉店は、近年の新規競合店に見られる商店街の店舗形態の変化が影響しているようだ。同店を含む伊勢佐木町通りの歴史、現場、そして住民の声など多角的な調査を報告 青江三奈(あおえ・みな)の唄「伊勢佐木町ブルース」のメロディーを口ずさみつつ「横浜といえばやっぱり伊勢佐木町でしょ!」と言ってしまうのは、筆者のような「昭和な人々」だけかもしれない。 4丁目の「CROSS STREET」前に建つ「伊勢佐木町ブルース」歌碑 ちなみにこのライブハウス「CROSS STREET」を命名したのは、伊勢佐木町から世界に羽ばたいたフォー
ココがキニナル! 第三京浜の羽沢町付近にある「十三塚橋」の名前の由来は?また、南神大寺団地の一帯には昔合戦の死者を弔うために九つの塚が造られ「九養塚」と呼ばれていたとか。どこにあったの?(ねこぼくさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 「十三塚」「九養塚」にかぎらず、神大寺から羽沢町にかけては「小机の合戦」由来と言い伝えられる地名がいくつもあった。数々の伝承の場所を求めて、貴重な資料を片手に、現地を徹底探訪! 「十三塚(じゅうさんづか)」や「九養塚(きゅうようづか)」についてネットで調べると、ブログなどに戦国時代の「小机(こづくえ)の合戦」との関連を記述した記事を数多く見かける。しかも、この2つだけでなく、「道灌森(どうかんもり)」「刑付原(はつけっぱら)」「赤田谷(あかだやと)」など、まだまだあると書かれている。 ただ、気をつけなければならないのは、その大半が「地名が現存する」ごとく書いて
ココがキニナル! キーコーヒーやキャラバンコーヒー、三本珈琲などコーヒーメーカーの多くは横浜発祥。これだけ揃っているのだからはまれぽさん主導で「横浜珈琲シティ」みたいな仕掛けはできないのでしょうか。(栄区かまくらさん) はまれぽ調査結果! 日本へのコーヒー普及のそもそもを辿っていくと、開国後の横浜とコーヒーとの深い関係が浮き彫りに。そんな地であるからこそ、横浜発祥のコーヒーメーカーには、創業の地への強い思いがあった。 はまれぽ主導で何かの仕掛けをするのはむずかしい。だが、確かに横浜発祥のコーヒーメーカーが多数あるのは大いにキニナルところだ。そこで、さっそく横浜とコーヒーとの関係に深煎り、いや深入りしてみることにした。 横浜コーヒー事始め まずは横浜のコーヒー事始めについて調べてみた。するとそれは、日本のコーヒー事始めでもあることがわかってきた。 とっておきの資料は、横浜開港資料館・横浜都市
ココがキニナル! 川崎市池上町がキニナル!時代に取り残されたようなこの一角はJFEスチールという会社の土地を不法に占拠した住宅地だと聞いたが調査して!(マイクハマーさん) はまれぽ調査結果! JFEスチールという工場の敷地内に、違法に建てられた住宅群。工場と住民との間で定期的に話し合いの場などが設けられるが、いまだに解決していない。 池上町の有名スポットを訪ねる 池上町には有名なスポットがある。 まずは飯塚議員に薦めていただいた焼き肉店・道飛館(どうひかん)を訪れ、店主に話を伺った。 池上町の焼き肉店・道飛館 まずはお店とご自身に関して伺うと「私は在日3世になります。店は50~60年前に私の祖母が始めました。インターネットには国内最古の焼肉店などと書かれていますが、当時は町内で家の軒先でホルモンなどを焼いて、小遣い稼ぎをしていた人たちが多かったため、当店が一番古いわけではありません」 「昔
ココがキニナル! 相鉄線の2000系が廃車になった時、あるお寺が運転室だけ引き取ったはず。あまり情報もなく今はどうなっているか知りたい。(シウマイさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 相鉄・旧2100系の運転台は2004年に港北区大曽根台の大乗寺に引き取られ、今でも大事に保管されていた。各機器がほぼそのまま残っており、マスコンやブレーキも現役同様に動かせる! 相鉄・JR直通線が開業した今、相模鉄道に向けられた注目は大きい。なんといっても、今までは横浜から海老名、あるいは湘南台までの短い距離を走っていた私鉄が、JRという大きな鉄道会社に直通して新宿駅まで乗り入れを果たしたことには、筆者もいち横浜市民として大いに熱狂した。 西谷駅からJR線へ、相鉄の電車が走るように(過去記事より) 一方で、JRとの直通を迎えるもっと前に引退してしまった車両も数多く、その中に「2100系」という車両も含まれてい
ココがキニナル! 昭和歌謡の不朽の名曲『ブルーライトヨコハマ』で「灯りがとてもきれい」と歌われた街はどこだったのか気になります。作詞をした橋本淳先生に直に聞いていただけないでしょうか(羽後人さんのキニナル) はまれぽ調査結果! 作詞家・橋本淳先生によると「港の見える丘公園から見た横浜と川崎の工業地帯の夜景」と「カンヌの夜景」の美しさを重ね合わせたもの 『ブルー・ライト・ヨコハマ』誕生秘話 いよいよここで、『ブルー・ライト・ヨコハマ』の詞を作った時のことを話していただいた。 当時、いしだあゆみさんの曲を3曲、頼まれていた。その時、コンビを組んでいたのは作曲家の筒美京平先生。青山学院の先輩後輩の間柄で、学生時代から良く知っていて、感覚的なものがすごく似ていたという。 1曲目は、そこそこヒットしたものの、2曲目はまったく売れず、次がダメだとかなりまずいという雰囲気の中、橋本先生は、以前から魅力を
ココがキニナル! 京浜急行の戸部と日ノ出町の間にある長いトンネル。先頭車両で観察していると結構グニャグニャと曲がっている事に気づきました。なぜ、あそこまで曲げる必要があったのか調査をお願いします(zumiwoさん) はまれぽ調査結果! 京浜電鉄(当時)が横浜~日ノ出町間を建設する際に横浜市や地域と協議を重ねた結果、曲がりくねるようにトンネルを建設したと推測できる。地上の老松中学校を避けた可能性も高い。 京急の電車は風景変化に富んでいる。JR線と並んで走ったり、多くのトンネルを駆け抜けたり、そして車窓から海が見えたりする。そんな中で、京急線の戸部駅~日ノ出町駅間には長いトンネル区間があり、これが意外と曲がりくねっているという投稿があった。今回はこのトンネルにまつわるキニナルを解明していこう。 さっそく現地で調べてみた 何はともあれ、乗ってみなければ始まらない。まずは戸部駅までやって来た。 戸
ココがキニナル! 大船駅笠間口の近くに昆虫食の自動販売機があります。今ブームだそうですが私には口に入れる勇気がありませんので代わりに食レポお願いします。(山下公園のカモメさんのキニナル) はまれぽ調査結果! 初めて口にした昆虫食は、意外と普通の商品からクセが強い商品まであり、ふり幅がすごかった。国内でも徐々に昆虫料理を提供する飲食店が増えてきているという。 街中が煌めく(きらめく)聖なるクリスマス。 そんなカップルしか目に入らない日にする調査は、“できれば本当は無視したい”(虫だけにね)キニナル投稿からだ。 はまれぽ編集部が全力で身体を張ったので、絶対に最後まで読んでほしい。 ―12月某日― 某はまれぽ編集部員「キニナル投稿に、昆虫食の自販機があるってきてますよ(笑)」。 “見つかってしまった・・・見て見ぬふりをしていたのに!!”と心の中で叫んだ筆者。 筆者「編集部全員で食べてくれるならや
1号店である保土ヶ谷本店がオープンしたのは1969(昭和44)年だ。以来、半世紀にわたって、横浜市を中心とする地域密着型の「ハンバーグとステーキの専門レストラン」として神奈川県民に愛されてきた。 ハングリータイガーの歴史については過去の記事でも紹介しているので、そちらをご覧いただきたい。 ハングリータイガーの記事はこちら さて、今回新規オープンしたのは“ハングリータイガー”ではない。 その違いをまず確かめるべく、株式会社ハングリータイガーに向かった。 こちらがハングリータイガー本社(横浜市保土ヶ谷区仏向町) エントランスではタイガーがお出迎え 話を伺ったのは、統括本部長の中藤満(なかふじ・みつる)さんと業務管理部の橋本恵美(はしもと・えみ)さん。 中藤さん(左)と橋本さん 早速、中藤さんにキニナル質問をぶつけてみた。 ――なぜハングリータイガーに就職したのですか? 「・・・・・・えっと、は
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