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台風の状況は明日になってみないとわかりませんが、記録的な台風の最中を「出勤」させる会社は間違いなく「ブラック企業」と言えるでしょう。 「どうしても会社に行かなければならない仕事」というのも、世の中には存在するのでしょう。が、そうした仕事が存在する企業、そして社会は不健全であることに気付くべきです。 「10年に1度の台風」のなか、社員に出社させる会社は「ブラック企業」だ そうはいわれても出勤せねばならぬのだ。昨日は休みだったのだが、職場から電話がかかってきて、「きょう来て泊まる?」と言われた。ちなみに仕事は障害者施設の生活支援員である。 休みは1日満喫したいタチであるので、「明日這ってでも来るから」とお断りを入れた。台風が来るとイケダハヤト氏のコトバを思い出す。そうなのだ。小生の仕事は不健全なのだ。仕事そのものが必要かどうかというのはあくまで別の話で、不健全なのである。 仕事をしていようが、
今日もまだまだ暑いですねっ! 水分補給はしっかりと体調崩されないようにしてくださいね。 皆さま、 たくさんのいいねやコメントありがとうございます。 皆さまの意見を聞けたこと。 想いを聞けたこと。 とても、嬉しかったです。 反省すべきところもたくさんです。 大切な友だちや先輩や後輩、いろいろな方々からも連絡をたくさんいただきました。 私は改めて、人に恵まれてるなぁ。 と実感しました。 もっと大切にしていかなきゃ! こんなにたくさんの方に支えていただいていることを感じながら 毎日の笑顔と感謝を忘れず頑張ります! これから更新頻度も頑張って上げていくからねーっ! 剛力彩芽さん(@ayame_goriki_official)がシェアした投稿 - 2018年 7月月24日午前3時18分PDT 前澤社長、剛力彩芽が再開したインスタ写真を撮影したことを告白「この笑顔が大好き」 今週、お昼のワイドショー界
まとめ的感じで、何度も再掲します→杉田水脈議員はなぜLGBTを蔑視するのか?(古谷経衡) - Y!ニュース https://t.co/sRyYS7nJMY — 古谷経衡@初長編小説『愛国奴』、小学館『女政治家の通信簿』発売中! (@aniotahosyu) 2018年7月24日 1位だ! 自民党杉田水脈衆議院議員の『新潮45』への寄稿は不適切発言の特盛である #BLOGOS https://t.co/QkBaqlcJD8 — 常見陽平 (@yoheitsunemi) 2018年7月23日 ニンゲンは喜怒哀楽と同じような感情として侮蔑をする。ただニンゲンであるから、理性を以てコントロールする。侮蔑をする者それを咎める者、その違いは理性の使い方の違いにすぎない。 日本人であるからには、基本的人権というヒトもいれば、人間基本的(に異性を愛するのが普通)というヒトもいる。違いは前者の方が、公に主張
自民党・杉田氏「LGBTは子供を作らない、生産性がない」に批判殺到 「なぜ男と女、二つの性だけではいけないのでしょう」と主張 #BLOGOS https://t.co/jF6bJC2X7q — バタなめKEN (@bataname_ken) 2018年7月22日 ”これは差別ではなく区別”と発言するニンゲンが時たまいる。そういうニンゲンの多くは、じゃあ差別と区別はどう違うと聞かれても答えられないパープリンであり、単に自己正当化がしたいがために便利だからということで使っているに過ぎない。 LGBT支援に関しては、2015年3月に自身のブログで「生産性のあるものと無いものを同列に扱うには無理があります。これは差別ではなく区別です」とも発言。 つまりはこの杉田水脈というヒトも、そのパープリンの類ではないかとみている。この一連の”生産性がない”発言も安直すぎる。いまの時代こういうわかりやすい下衆な
過去も未来も存在せず、あるのは現在という瞬間だけだ。と言ったのは、ロシアの文豪トルストイである。たしかに時間というのは、実体がない。”何時何分”などというのは、ニンゲンの都合上、数値化したものにすぎない。 などと偉そうなことを書いているが、先日行った中島義道先生の哲学塾でこの”時間”のハナシを聞いたときに、理屈としてピンとこなかったことを告白しておく。ただイメージはなんとなく沸くから、自分勝手なことは書ける。さっきのもあくまで小生の個人的見解である。 自分の”過去”の記憶というのは、厳密に言うと過去ではない。あくまで自分という小さな存在が見聞きし感じただけの一面的な場面に過ぎない。そもそも実体がないのだから、全部をみることは不可能であるし語れない。それこそ語れないことについては沈黙するしかないのであった。 記憶というのは8ミリカメラのようだ。ファインダーから見えるものだけがすべてで、それが
あるヒトがこんなことを言っていた。”ヒトは死なない(肉体が死んでも)触覚がなくなるだけだ”と。死んでもいないのに、よくそういうことが言えるなとツッコミのひとつやふたつ入れたくなってしまうが。 じゃあ、ばたけん。おまえはなにか答えられるのかと言われたら答えはひとつ。死後の世界なんて見たことないからわからないというのが答えだ。つまり答えなんてない。死後の世界があるというヒトもないというヒトも、その言っていることは個人的見解にすぎない。 現時点で小生が言えるのは、死後の世界はあるかもしれないし、ないかもしれないということだ。だからどっちに転んでもいいように、ある程度の心の準備をしておくといい。ちょっとでいいから、哲学と宗教について考える時間を作るのである。 現世においては死ぬことが怖いかもしれない。だが死ねばなんとかなる。いまは自分の存在が無になるかもしれないことに怖れがあるかもしれないが、無に
たとえばあなたが特攻隊のパイロットであったとしよう。そして仲間が亡くなり、あなたが生き残り終戦を迎える。そうなった時に、あなたはどう思うだろうか。きっと仲間の死を前にして、生き残ってラッキーだとは思わないだろう。 なぜ仲間が死に、自分が生き残ってしまったのか。その”不条理”さに悩まされるかもしれない。ただ不条理と思えることも、幾重もの偶然によって出来ている。ヒトの死というものは、どのようなものでも、偶然の積み重ねによって起こる。 自堕落な生活を送れば早死する。それは正しいようで、正しくないところもある。同じ年齢で同じような自堕落生活を送っても、同時には死なない。それは体質の違いで、死なないニンゲンの方が健康だったのか。 でもそうとも限らない。たまたま健康な方が、ひょんなことから脳の血管が詰まって死んでしまうということも考えられる。死というものは、偶然が重なり起きるということにすぎないのだ。
そうだそうだ! https://t.co/JicowB2j2o — バタなめKEN (@bataname_ken) 2018年7月17日 まったくもってその通りなのだ。高温多湿な日本で、夏の真っ昼間に競技をやらせようなんて、正気の沙汰ではない。宿る健全な精神も、不健全な身体から抜けていくというものだ。健全な精神さえあればなんとかなるとか思っているヤツ。うさぎ跳びで校庭10周。 選手の体調面もそうなのだけれども、夏の真っ盛りにやるというのは、日本の美しさと照らし合わせても、ふさわしくない。日本には四季というものがある。そしてスポーツの祭典を美しく締めくくるのも、秋がふさわしいのだ。 10月10日が体育の日で、この日は1964年の東京オリンピックの開会式であったのは知っての通り。オリンピックは当時15日間であったから、閉会式は10月24日ということになる。 当時の映像をみてほしい。モノクローム
ばたけんこと小生は、現在ノンポリである。なので選挙にも行かない。いつか詳しく書くが、政治思想というものを持ってしまうと、人と人の間に垣根を作ってしまい、話し合いの障壁になってしまうという人生哲学があるからだ。 「根拠がない」とは何を指しておっしゃっていらっしゃるのでしょう? 熊本でご覧のように寄付金を党勢拡大の為に使用していたことは小池氏も認めて「不適切だった」と慌てて火消していた事実ですが? pic.twitter.com/Jod6wR1LUo — 長谷川 豊 (@y___hasegawa) 2018年7月14日 まず左側の香西氏のツイートについてですが、”演説会”と書いてあります。党員や支持者の集会ですよねおそらく。そして集めたお金も共産党の活動にたいする党員・支持者からカンパではないですか?そのカンパの中から熊本の募金にも回すということなら、まったく問題はないと考えられますが。 —
長谷川はこの日生学園第二高校(当時)に籍を置いていた。全寮制の学校だからどうこうと言うつもりはないが、この学校の特色は長谷川の人格形成に大きく関わったのではと推測する。 男子生徒はみな丸坊主。学校の授業以外に、全員でマラソンをさせたり、全力心行という大声を出して雑巾がけをさせるような全体行動をさせたりと、こうなってくると生徒の思考が停止する。 そのような生徒が人里離れた学校の寮という狭い空間のなかで暮らすわけで、そうするとどうなるか。先生や先輩など上の者に従順になる。そうしないと集団のなかで生き残れないからだ。だがそのなかで時には上から理不尽な圧力もかけられる。 そのときにたまった鬱憤のようなものは、どこにむけられるか。結局は弱いものに向けられるのである。集団生活についていけない落ちこぼれにたいして、みんなでいじめるなど攻撃的になる。 長谷川自身は寮長にまでなったのだから、そういう環境のな
僕、取材して現場を見てたから思うんですけれど、こういう時に募金集めて懐に入れるって感覚がマジで理解できないです。 頭おかしいんじゃないか? どんだけ現場は苦しいと思ってんだよ。人がたくさん死んでる現場でさ。 半分近く経費に入れてるって異常すぎでしょ。 共産党ってホントくず集団だ。 https://t.co/wytrHDHBF1 — 長谷川 豊 (@y___hasegawa) 2018年7月11日 現代の日本人として生まれてきたからには、自由に発言する権利があるし、その権利を尊重しなければならない。けれども発言には発言する者としての品性がなければいけない。そういう意味でフリーアナウンサーの長谷川豊という人はいただけない。 これ以外にもハーフで日本国籍を持つ滝川クリステルのことを、公共の電波に乗せて外人呼ばわりするなど、相手を言葉で攻撃する事例はたくさんある。この人の発言について、なにがイヤか
小生ばたけんにとって、市ヶ谷というところはなにかと縁があるみたいだ。高校を出て就職し住んだのが市ヶ谷であったし、あらためて入った大学の校舎も市ヶ谷である。しかし10年ひとむかしというが、”ふたむかし”ともなると、風景もガラッと変わる。 職場となる市ヶ谷駐屯地に着いたとき、まず見に行ったのが、この三島由紀夫が演説し最後に自決した場所である東部方面総監部(当時)の建物だった。今となっては貴重な体験である。 なにかと世間をお騒がせしている日本大学ではあるが、やはり腐っても鯛ではないが、立派な校舎である。しかも真新しい。そして総合教育科目ということもあって、受講者数も多い。100人ぐらいいただろうか。 そしてよく考えりゃ当たり前といえば当たり前なのだが、授業はパワーポイントを使って進められている。黒板は使わない。もちろんレジュメの紙も、わら半紙ではなかった。ガリ版も使っていない。それいつの時代だ。
小生には議論ということについて、こだわりみたいなものがある。それはあくまで議論というのは社会について語るものであって、相手を攻撃するためや、レッテルを貼るために存在するのではないというものだ。 だが実際にはインターネットを中心にして、”議論”は相手にたいする人格攻撃の道具にされたり、自己主張を一方通行で述べるだけのものになりつつある。社会を語る議論にはそもそも勝ち負けなどないはずなのに、やけに勝ちにこだわる者も多い。 勝ち負けにこだわってしまうと、結局はデマゴーグがはびこったり、最初は一対一の議論であったのが、どっちが多数派を形成するかの”勝負”の話になる。そうなると議論そのものが不毛になり、次第に”問答不要”になる。 ”問答不要”になるとどうなるかというと、裏で圧力をかけるなど、工作をしだして相手の言論を封鎖してしまう。いま現実にそうなってはいないだろうか。もはや最初から問答不要になって
【功利主義について】 基本的な考え方は、『正しい行い』とは、「効用」を最大化するあらゆるものだと言うもの。正しい行為や政策とは「最大多数個人の最大幸福」(the greatest happiness of the greatest number)をもたらすものであるとジェレミ・ベンサムは論じた。 たとえば日本人が中東でイスラム教徒に殺害されたとき、憎しみからはなにも生まれないと説いた人がいた。また死刑制度に反対する人がいる。その両方にたいして、共通する疑問のようなものを持っていた。 それは”この人は殺された人の家族についてどう思っているのか”ということだった。どうも無視しているように見えてしまうのだ。以前からもやもやしていたのだが、本を読んで功利主義というコトバを見つけたときに、ちょっとした個人的発見をした。 基本、憎むなとか死刑は反対だという人は、最大多数個人の最大幸福を願っているのだな
取材で得た執行の情報を逐一伝えていく報道に対し、ツイッター上では、「7人もの死刑執行を予告し、TVで順次、執行状況を報道するなんてやっぱり異常事態だよな」「こんな死刑執行の報じられかた、初めてじゃないですか?」などと驚きの声が上がった。中島岳志・東京工業大教授(日本思想史)は正午前、ツイッターに「いま行われているのは、死刑のショー化・見世物化に他ならない。執行場面だけが不可視化された公開処刑だ」と書き込んだ。 死刑囚写真に次々「執行」シール TV演出に疑問の声も 私としたことが、今回は全く来ませんでした。国会会期中で、しかも井上死刑囚は最近再審請求したかと思います。この二つが重なってる段階で本来死刑は無いケースです。それが7人同時執行というのは、本当に異例中の異例だったということだと思いますね。 https://t.co/xxgh2s5J9K — マザー・テラサワ (@Mother_Ter
最初は何で知ったのだろう。この写真と、狼に育てられた女の子がいるというのは、子供のころから知っていた。おそらく子供むけの”〇〇のふしぎ”みたいな本で知ったのではないだろうか。 それから大人になって、実は嘘らしいということも知った。子供の時分は写真を見て、長年信じて疑わなかったことが、後年実は嘘だったというのは結構ある。ネッシーや妖精、宇宙人などなど。 ちなみにインドの辺境で現地の人に化け物と恐れられたその正体は2人の少女だった。2人を発見した宣教師はみずからが運営する孤児院に引き取り育てた。4つ足で生肉を好み人の言葉がわからない少女を宣教師夫婦は愛情を持って育てた。みたいな話だった。 その2人は狼に育てられたというのだけれど、狼というのは積極的に授乳する動物ではないし、ニンゲンの赤ちゃんも目の前に乳首がないと乳は飲めないので、狼がニンゲンを育てるというのはほぼ不可能なのである。 そのような
まずは、日本代表のポーランド戦“最後の10分間のボール回しについて”。 「これは国の文化の違い。日本の文化の中では反発があった。勝負という魅力の中で、負けていて勝負に行かなかったことに“正々堂々と戦うことを誓います”と言えなくなってしまった。行ったらやられるかもしれない…が無意識のうちにあったかもしれない。ポーランドも勝っていたから攻めてこなかった。両国の利害が一致した。今回予選リーグで初めて適用されたルール・フェアプレーポイントの中でフェアプレーでないことが起きてしまった」 と結論づけた。 セルジオ越後氏 日本がベルギーに「勝つ確率は0パーセント」 なら一体どうすればよかったのか。”フェアプレー”は敗因になることはあっても、勝因にはならない。負けて貶されるぐらいなら、勝って貶される方がいいに決まっている。それが結果を出すということだ。 そもそもフェアプレーとはなんなのか。日本代表が見えな
福岡市内であったIT関係セミナーの男性講師を刺殺したとして、福岡県警は25日、福岡市東区筥松(はこまつ)1丁目の無職、松本英光容疑者(42)を殺人と銃刀法違反の疑いで逮捕し、発表した。松本容疑者は「ネット上(のやりとり)で恨んでいた男性を死なせてやろうと思い、腹と首を刺した」などと話しているという。 刺殺された岡本さん、「Hagex」の名でブログ こんばんは。ばたけん参上。 公の場であるインターネット上でブログを更新するときに気をつけねばならないこと。それは個人をdisることは控えるということ。これに尽きる。コミュニケーションというのは、文字だけでは成立しない。感情が伝わらないからだ。 文字だけに頼る。文字だけを見て真に受ける。どちらもいけない。文字なんて不完全なものなのだから。だいたいここまでいろいろ書いたが、なぜこれらを”文字”と認識するのか。”文字”という字を形としてだけみれば、ぜん
人生?強敵だよね。序盤・中盤・終盤、スキがないと思うよ。でもおいら負けないよ。ばたけん参上。 新書本といっても、実はさまざまな出版社が出している。ただ参考文献にするばあい、おすすめしたいのは、岩波新書と中公新書だ。この2つで事が足りるといってもいい。 というのも、まずこの2つの新書は老舗なのである。老舗であるから、勉強するテーマのキホンのキがある。なんとか入門という題名であったり、中にはテーマそのものズバリの題名の本がある。たとえば”社会学”というテーマだったら・・・
参考文献 むいてもむいても結局さいごは核など出てこない。”自分”とは何かというのに、答えなどないのである。だから旅をしても”自分”は見つからない。でもこうばたけんは考える。旅をすることで、大きくて食べでのあるらっきょうになるのではないかと。 だからもし自分探しの旅がしたいという人がいたら、とりあえず行けるところに行ってみればと答えたい。これに関しては、結果よりも過程のほうが重要なのだ。どうせ結果など出やしないのだから。 ”自分”なんて見つからなくていいのだ。それが結論である。どうせ死んだら無になるとはいわないけど、いちどリセットされるのだ。そこから”自分”はどうなるかはわからないけど、いろいろな可能性は考えられる。 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸がつづくかぎり、僕は君のそばにいる。
現在開催中のサッカーW杯ロシア大会。その日本代表チームに寄せられている、ネット上の辛辣な言葉に対し、ペナルティ・ワッキーがTwitterで苦言を呈した。 「厳しい言葉をかけるのも一つの愛情だと思う」と理解も示した上で、「言葉の暴力は代表選手でも傷つくしプレーにも出てしまうような気がしてなりません。愛情の裏返しだと思いますがどうか皆さん、代表に愛のある言葉を」と言及。 「ワッキー自身もサッカー経験者とあって、バッシングに業を煮やしていたのでしょう。しかし、このコメントに対して、『そういう過保護が日本代表のメンタルを弱くする』『暴言浴びたくらいでプレーに影響出るような選手は、代表チームにいらなくない?』『だったら結果残して。プロなら罵倒の言葉も受け止めるべき』といった反論が続出。賛否両論の炎上状態に陥ってしまいました」 皆さんお元気ですか。実はサッカーよくわかりません!自殺点とか半スローって、
みなさんお元気ですか。仕事が終わってバイクで家路につくときは、”よし ブログで今日はあのことを書こうかな”なんて考えていたのに、アパートについて一息つくと、思考が停止しそのまま寝てしまう。起きたら仕事。おまえがお元気なのかって話か。ごもっとも。ばたけん参上。 他の通信課程の大学のレポートはどうなっているのか知らないけれども、日大の場合は参考文献を活用し、それをレポートの巻末に記録する。参考文献が無いとけっこうイチャモンをつけてくるようだ。 とはいっても、本って高い。読書は趣味としてはお金はかからないけれども、趣味以外のところで買うのは懐が痛むものだ。図書館へ行け。ごもっともだが、そんな北方謙三先生の青春人生相談における「ソープへ行け」じゃないのだから。 社会人だと図書館に行くのもまた時間的に難しい場合もあるし。よしんば図書館に行けたとしても、分厚いハードカバーなんて借りた日には、持ち運びに
お元気ですか。子どものころ、”土用丑の日”って土曜日にステーキを食べる日だと思っていたバタけん参上。 きちんとまとめて書けば1回の記事で書けそうなことを3回まで伸ばしてしまったが、おそらく、おそらくこれで終わらせることができるだろう。 仕事は土日盆暮れ正月も関係ないのだが、世間一般はたいてい休みなのである。学校側も社会人に配慮したスクーリングを設定するので、2週連続土日に開講というパターンがある。 一般の社会人ならいいのだが、施設の介護職の場合、ある問題が発生する。土日も仕事があるということは、休みもローテーションになる。シフト作成の都合上、休みの希望は月に3日までしか出せない。これはどこの施設もだいたい一緒だ。 しかも家庭があるパートの人は、どうしても日曜休みにしたいのは当然で、その穴を職員は埋めなければならない。つまり日曜日は休みが取りづらいということになる。だから月に4日、土日を2週
長崎県大村市で開催された全九州高校体育大会のバスケットボール男子準決勝で17日、延岡学園(宮崎)―福岡大大濠の試合中、延岡学園の留学生選手が、審判のファウル判定に不服を示し、審判の顔面を殴打した。九州高校体育連盟から報告を受けた日本バスケットボール協会が同日、明らかにした。審判の男性は病院に搬送され、治療中という。 協会によると、殴ったのはアフリカからの留学生。今後、傷害事件として警察の捜査対象となる見込み。試合は没収試合となった。延岡学園は男子バスケットボールで、全国大会で優勝経験がある強豪。 https://www.asahi.com/articles/ASL6K5CY6L6KUTQP03T.html すでにもう日本のメジャーな高校スポーツは、教育や愛郷心などもはや関係ない。強ければそれでいいということになっている。だから金をかけて選手をいたるところから部員を集められる私立の学校が勝つ
日本大学の通信教育における単位の取り方というのは、仕事を持つ社会人に限っていうと、1600から2000文字のレポートを2通プラス「科目履修テスト」というペーパーテストに合格する方法。 またはレポート2通プラス3から4日間スクーリングという集中講義を受ける方法。それかスクーリングを2つ受ける方法という方法がある。(1科目4単位の場合) スクーリングも最終日に試験があるが、”レポート&テスト”が独学ですべてやらないといけないことを考えたら、いささか合格しやすいといえるであろう。なのでスクーリングは学費とは別に1科目1万円必要だが、知識を身につけるという意味でいえば受けておきたいところだ。 とはいえども、いまの仕事の状況からいくと、なかなか厳しい面もある。どういう情況かは次回に書くけれども、だからどう計画立ててうまくやるかが、カギとなるのであった。 今日のところはこれまで。ごきげんよう。 この呼
9日の夜、新横浜駅と小田原駅の間を走行していた東京発・新大阪行きの東海道新幹線のぞみ265号の車内で乗客3人がなたのような刃物で切りつけられ、兵庫県尼崎市の会社員、梅田耕太郎さん(38)が死亡したほか、20代の女性2人がけがをしました。 この事件で、小島容疑者の隣の座席に座っていて最初に襲われた27歳の女性が「事件の直前まで特に不審な動きはなく、小島容疑者が立ち上がったと思ったら急に切りつけられた」と説明していることが警察への取材でわかりました。 小島容疑者はさらに別の女性を襲ったあと、制止しようとした梅田さんを切りつけたということで、これまでの警察の調べに対し「むしゃくしゃしてやった。誰でもよかった」などと供述しているということです。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180611/k10011472301000.html これまで幾多の日本人が”むし
ことし3月、東京・目黒区の船戸結愛ちゃん(当時5)が死亡し、警視庁は父親の船戸雄大容疑者(33)と母親の優里容疑者(25)が、十分な食事を与えなかったうえ病院にも連れて行かずに死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕し、8日、検察庁に送りました。 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180608/k10011468951000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001 このような小さい子の虐待についての痛ましいニュースがあると、かならずこういう人がいる。それは「児童相談所はなにをやっているのか」と憤る人である。 もしその人が地方から東京に出て住み着いている人ならこう言いたい。「解決に少しでも向けられる方法が一つあるそれはあなたが東京から出ていって地元で生活することだ」と。 東京は人が多すぎるのだ。だ
働き方法案の強行採決。過労死遺族の方々が目の前で傍聴しているにもかかわらず、はしゃいだように起立を促す堀内のり子議員。今年1月に質問時間を余らせてしまった自民党魔の3回生。 #報ステ pic.twitter.com/iw8efkj0HW ツッコミを入れさせてもらうならば、そのツイートには無理があるのではないか。ただ単にその議員さんの、数秒間切り取られた顔がおもしろかったというだけで。 まあ格好の攻撃対象ができれば、それでよかったのかもしれないが。そうはいっても、じゃあ政権の味方をするのかというと、そういうわけでもない。どちらの味方でもない。政治活動などというものは、しょせん多数派つくりごっこでしかないから。 どんな手を使ってでも、多数派をつくれればそれでいいという考えのニンゲンたちには与しない。どっちもそういうふうにみえるから、どっちにも味方しない。では無党派層かというとそうでもない。 無
実際問題、学ぶことに明確な理由というのは、ないのだけれども、介護の仕事をやっていると、生きることとはなんぞや、死ぬこととはなんぞやという問いみたいなものが出てくることがある。その結果が”哲学を専攻する”になったのだろう。 しかし施設介護の仕事というのは、現実的に学ぶのには厳しい。土日は特に人手が足りなくて休みをとるのが難しい。でも世間はふつう土日に休むものだから、労働者のためのスクーリングが土日に開講されるのは当然といえば当然である。 夜間のスクーリングというのもある。世間ではふつう仕事は昼にするものだからである。だが施設介護の仕事というのは、昼間だけではない。うちの施設でいうなら、6時から15時・13時から22時・22時から6時半という3交替勤務なのだ。 夏休みシーズンやゴールデンウイークにも講義が・・・いやもういいか。ようするに施設介護の仕事なんていうのは世間一般からみれば外道なのだ。
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