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掃除・片付け
hodge.hatenablog.com
事件 ~ クィア・スペースにおけるセクシュアルハラスメント ニューヨーク大学のアヴィタル・ロネル教授が学生に対してセクシュアルハラスメントを行ったとして告発された。ロネル教授を訴えたのはNimrod Reitman。当時、Reitmanはロネル教授の下で指導を受けていた大学院生だった。 Reitman側は次のように主張した。ロネル教授は彼にキスをし、頻繁に彼の体に触り、彼に彼女の体に触らせ、彼に自分と同じベッドに寝るよう命じた。彼女は“cock-er spaniel”といった性的な言葉を彼に浴びせ、同様の内容のメールを大量に彼に送った。また、メールの返信がなかった場合、彼女は仕事上の罰を彼に与えた。 これらは大学教授の地位を利用したセクシュアルハラスメント、及び、性的暴行、ストーカー行為等であるとしてNimrod Reitmanは大学とアヴィタル・ロネルを訴えた。 一方、ロネル教授はRei
リチャード・B. ガートナー『 少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(宮地尚子ほか訳、作品社)より 13歳の少年をレイプしたと法的に訴えられている37歳の女性の裁判を真剣にとりあげたある新聞記事に、女性と少年の間の性行為に対する社会の態度がよく表れている。 ボストン・グローブ紙(July 9, 1996, pp.15-17)で、Karen Aronoso は次のように述べる。「古くからのダブルスタンダード:子どもとセックスをする男性は犯罪者であり、女性とセックスをした少年は幸運である……女性(特に成熟した経験豊富な女性)とのセックスは少年にとって幸運だと認識される。望まないセックスだったと考えられることはほとんどない」 Aronoso は、近所の住民や事件関係者の言葉を引用する。 「少年も望んでいたに違いないよ。何が起こっているのかはわかっていたさ。彼は『俺は本物の女とセ
アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソンの『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(太田美幸訳、新評論)より。 女性による虐待 女性による子どもの性的搾取は、どれくらい起こっているのだろうか。これについての調査結果を見てみよう。現在、この領域の第一人者であるファーガソンとミューレンの研究(Fergusson & Mullen, 1999)によれば、少年への性的虐待の5分の1(およそ20パーセント)が女性虐待者によるものである。子どもへの性的虐待全般で見ると、加害者の90パーセントが男性、10パーセントが女性である。 また、ジャッキ・サラジャンの調査(Saradjian, 2001)では、少女も少年も、100人に1人は年長の女性から深刻な性的暴行を受けた経験をもつとされている。 近年、性的虐待の問題、とりわけ男性の性被害が以前よりもオープンに議論されるようになったこと
「神を知っている」と言いながら、神の掟を守らない者は、偽りの者で、その人の内には真理はありません。 ヨハネの手紙 一 2-4 新共同訳聖書 それにしてもボイコットを命じる「クィア馬鹿」が、そのボイコット対象企業であるAmazonから自分たちの本を販売しているなんて、ほんとバカにしているよな(Kindle版もある)。何が虐殺に加担だよ、お前らも加担しているだろう。 よくこんな欺瞞を演じられると思う。最低だ。https://t.co/deXgtYMOWy — HODGE (@HODGE_EGDOH) 2024年4月20日 自分たちこそが「ピンクウォッシュに加担」しているのに、他人に対して「ピンクウォッシュに加担していると指弾」するなんて、よくこんな恥知らずなマネができると思う。この「クィア馬鹿ども」の欺瞞は、いったい何なんだ?https://t.co/NMAPItsm4T#クィア理論のインチキ
ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』(中井久夫 訳、みすず書房)より 今日という日 私の小さな自然の身体の中に 私は腰をおろし、そして学ぶ── 女性である私の身体は あなたの身体のように どの街でも標的となって 十二の歳に 私から奪われた…… 私は一人の女があえて立つのをみつめる 私はあえて一人の女をみつめる 私たちはあえて私たちの声を挙げる。*1 コンシャスネスレイジング運動とともに始まった過程はいくつかの段階を経て公衆の自覚のレベルを高めた。レイプについての第一回の公開スピークアウトはニューヨークでラディカル・フェミニストによって1971年に行われた。最初の「女性に対する犯罪を裁く国際法廷」は1976年にブリュッセルで開かれた。 合衆国においてはレイプ関連法の改正運動が1970年代の中ごろに「全米女性機構 National Organization for Women」によって着手さ
社会問題化によって生じた第三のジレンマは、社会問題化を推進する主体が、映像を上映したり、分析したりする作業を通じて、さらなる心理的被害を重ねてしまうことである。 私自身の経験を振り返ると、恐怖、怒り、不安、無力感や孤立感に襲われた。性暴力映像そのものがもたらす効果に加え、このような映像が社会的に容認・肯定されていることが、それらの感情を強化した。思い出したくもないのに、虐待シーンが突然浮かんできたり、映像を思い出させる引き金となるようなものを日常の中で発見すると、心臓がドキドキと高鳴って苦しくなったりした。 性暴力映像のタイトルや「監督」「男優」の名前を口にすることも耳にすることも苦痛だった。私にとっては「犯罪者」「レイピスト」としか言いようのない人々が、マス・メディアに登場し、社会的にもてはやされているのを見ることは、この社会に対する絶望感を強めた。 映像に対する他者の反応に対しても過敏
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