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『職業としての大学教授』(中公叢書)は、高等教育に関する研究者として著名な潮木守一氏の、最近2009年の著作である。
やられた! 目次を開いて、そう思った。 ふだんから思い、授業などでも力説してきたことが、みごとにまとめられている。 文は短く、一度にたくさんのことを言わない、文の形をシンプルにする、文の前半と後半を噛み合わせる、いきなり核心に入るなどなど、文章を書く上での基本的な注意点が、例文とともに解説されている。 阿部紘久著『文章力の基本 ~簡単だけど、だれも教えてくれない 77のテクニック~』(日本実業出版社)という本だ。 もっとも、いくら水泳のハウツー本を読んでも泳げるようにならないのと同様、この本を読むだけでは上達しないだろう。本書を参考にしつつ、たくさん文章を書き、それを他人に読んでもらうことが欠かせない。 だから、「教室」での添削指導が不要になることはない。 著者の目論見は、「企業内で若い日地を指導している中間管理職の方や、学校で文章指導をしている先生方の負担も軽減されること」である。
テレビの臨時ニュースよりも先にWikipediaにニュースが流れる、そんなことがあったという。 Wikipediaはインターネット上の百科事典である。百科事典である以上、「十分に確立した事実」「通説となった見解」が掲載されるものであり、まさか「速報性のあるメディア」だとは思いもしなかった。 なのに6月13日(米国時)、NBC放送のニュース・キャスターTim Russert氏の死が、Wikipediaでまっ先に、当のNBC放送がニュースを流すよりも先に、「報道」されたという Russert氏は、6月13日の午前1時40分ころ、NBCのスタジオで心臓発作に襲われる。2時23分に病院に運び込まれたが、治療の甲斐なく、まもなく死亡。NBCは3時39分に、ニュースでRussert氏の死を報じた。 ところがWikipedia上のRussert氏の記事は、3時01分に、つまりNBCのニュースよりも40
日本でもできないかなあ、Curriki みたいなもの。 Curriki とは、Curriculum と Wiki を組み合わせた語である。 教育カリキュラムを、誰もが自由に利用したり改変できるオープン・ソースとして制作していくプロジェクトで、作業を進めるにあたっては、インターネット上で誰もが自由に編集に参加できる Wiki を使うことから、こうした名称が作り出された。 たとえば、インターネット上には、理科教育関係者の開発した実験教材などがあふれかえっている。が残念なことに、ばらばらに散らばったままであり、相互の比較・評価もできない状態で、いわば放り出されている。これらを Wikipedia 的に集約するだけでも、事態は大きく改善するのではなかろうか。 日本の学校現場では「指導要領」の縛りが強い。 だから、「学校」とは無縁の、大人向けの教育カリキュラム(たとえば消費者講座など)からスタートす
KAUSTとは、サウジアラビア王立科学技術大学(King Abdullah University of Science and Technology)のこと。東京大学工学研究科の准教授・伊藤伸泰さんが、同大学から年間100万ドルの研究助成を5年間受けるという。(左の写真は、KAUST開校式で挨拶するアブドゥラ大統領) 1年100万ドル = 1年1億円 = 1日27万円 である。 土曜・日曜も含め1年365日として、1日あたりの研究費が27万円! 年間の研究費が27万円ほど、という研究者も日本の大学では少なくないだろうに。 伊藤さんが受賞したKAUSTの国際研究助成プログラム GRP Investigation 賞のことである。きのう北海道大学で行なわれた伊藤伸泰さんのセミナー「アボガドロ数への挑戦」で聞いた。 伊藤さんは「京速計算機」計画を進めている。2011年までに、1秒間に1京回(1
『「大岡裁き」の法意識』(青木人志、光文社新書)を読んでいたら、「継受」という用語が出てきた。reception の訳語である。 明治維新のときに我が国は西洋の法を、押しつけられたものとしてでなく、むしろ継受、ないし移植(inplant)の形で自発的に正面から受けとめようとした、というように用いられている(p.40)。 科学史学の世界ではふつう、reception を 受容 と訳すが、この「受容」という言葉、なんとなく「ただ受入れるだけ」という響きを伴うように思われる。それに対し「継受」という言葉は、「受け継ぐ」をもとにした造語だろうから、「受け継ぐ、継承する、そして発展させる」というニュアンスを読者に与えるかもしれない。 だとすると、うまい言葉を造ったものだ。 日本では法が好かれない。 「一般の日本人は、法は国家がその意思を人民に強制するための道具であると考え、法と刑罰は同義であると捉
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