前々回のエントリーで硫黄島決戦の話がありましたが、それで「竹槍事件」を思い出したので触れておこうと思います。戦時中の東条英機による言論弾圧事件と、そのとばっちりを受けて極めて理不尽な理由で、激戦地・硫黄島に送られた250人の話です。 --- 戦局が悪化する一方の大東亜戦争後半、陸軍は本土決戦、一億玉砕を唱え、女性から子供まで竹槍訓練を実施しました。私の母も子供の頃に竹槍訓練をしたそうですが、それを批判した記事が1944年2月23日の毎日新聞朝刊第一面の真ん中に掲載されたそうです。その記事とは・・・ 「勝利か滅亡か、戦局はここまで来た。竹槍では間に合わぬ。飛行機だ、海洋航空機だ」 『太平洋の攻防の決戦は、日本の本土沿岸において決せられるものではなくして、数千海里を隔てた基地の争奪をめぐって戦われるのである。本土沿岸に敵が侵攻してくるにおいては最早万事休すである。・・・・・敵が飛行機で攻めてく