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親の会へ。 近況をきいて驚いたケースがたくさんありました。 例えば… ・アスペルガータイプ。 不登校引きこもりあり、3浪していたが志望校かえて大学入学。 大学側の受け入れ体制もちょうど始動し登校している。 本人「もっと早くかえればよかった…」 家族「この3年が必要だったんだよ。」 ・アスペルガータイプ 不登校引きこもり。中学は行っていない。 この春から専門学校へ。 友人に巻き込まれて参加。一緒にコンビニいったりテニスして。 ほとんど乗ったことのない電車に乗って単独で出掛けたり… いろいろなことに気づきます。 ・自己決定の大切さ 自分で決めたことだからチャレンジできる。 ・タイミングの大切さ 小さい時は本当にしんどい思いしたようですが、機会が来れ ばタイミングがあえば再び参加も再始動もできる。 ・高機能群の苦しさと持つ力 彼らのこれまでを思うと胸がふさがるばかりです。 過敏で参加が苦しかった
前回の記事がけっこうたくさん読まれているようで驚いてい ます。 まだまだ「甘やかすな。」の世界で、支援や関わりってあるん だろうなあということでしょうか。 でも、きっと、それじゃよくないなと皆さんが思っているのでし ょうねえ。 昨今の大阪維新の会のいろいろを見聞してちょっと思ったの は「愛情不足!」っていうのは「甘やかすな!」と論調が似てい るということ。 「愛情不足!」っていうヒトに愛情や情感を感じることが少ない のは私だけでしょうか。 なんだろう。 なんとなくですが、許容度のせまさを感じるからでしょうか。 こどものトラブルの原因を全部、愛情不足で処理しようとしてい る狭量さを感じる気がします。 それは事実でもないし、フェアでもない。 リカバリーへフォローの視点もない。 愛情がもてないヒトもいる。 愛情を確保できない状況もある。 そうなるとダメなのか。 前回の記事にもちょっと書いたのです
前の記事とつながっています。 発達障害系のこどもの支援を巡って「甘やかすな!」という 方向に支援がゆがんでいくことがあります。 端的にいうと、特性が理解されにくいということにつきます。 ある一定の知的なやりとりや理解が示されたり、ある場面での 参加や達成がある一方で、対人的なトラブルがあったり、マイ ペースであったりすることは「わかっているのに…故意に問題 を起こしている」=悪意に捉えられがちです。 実は本当にわからない、できないというのは多くの実践の積み 重ねやケースとの出会い、試行錯誤や学びによって支援するヒ トの思考の枠組みがかわった時に理解されることが多いように 思います。 こどもに悪意がないなんてことばかりでもないと思います。 けれども、「悪意」とみえるものの構造をみた時に、そこには 未熟や理解の不足、受容や肯定の不足がみえるはずです。 「悪意」をひっくり返すのは拒否や叱責でなく
ちょっと聞いておどろいたことです。 人口5万にもみたないある地域で、保育の中で加配を必 要とするこどもを現場からあげてもらったら40人程度に なったそうです。 あまりの数にケースの中身をきくと、すべてが重度児では ありません。 となると、明らかに保育の側に問題があります。 正直ちょっとひどい。 集団の保育に乗らない子はすべて加配をつけてみればよ いと考えているのです。 ・加配はある意味緊急避難。 ・緊急避難というからには、その個の発達支援のため には集団参加が基本的な生活の場として必要である という実態がある。 ・集団参加に対する本人の動機とスキルがあり、仲間 とのつながりがあり、関係の中で子育てをしていこうと いう保育者の構えが基本的にあること。 ・個の発達に即した支援のためには、居場所が保育で いいのかについて検討すべきケースも当然ある。 保育は年齢の対人関係を基盤とした参加の下になり
前回に引き続き、保育でよく使う言い回しです。 「経験不足かしら?」には大きな問題性があります。 経験を重視する視点が強い保育者は、どうも構造とし ての育ちの理解、発達理解が弱い傾向にあります。 経験が量のとらえであるために、質の分析である発達 理解が難しいのです。 やれば身につく、やってないからだめだというのは短絡 的過ぎる。 そして「経験不足」には園でうまくないのは家庭での養 育がよくないからだというメッセージが入っています。 だから平気で何年も園にいるこどもにも経験不足といっ てしまうことがあるのです。いったい、園で何してるの? と言われかねないのに… 日本の子育ての姿勢として、原因をこどものせいにしな いという伝統があります。 「こどもは宝物」という文化基盤があるからなのでしょう。 けれども、その裏返しとして親が責められてしまうように 感じます。 しかし、現実的にはすべてが養育の問題
ちょっと多動なTちゃんのサポートに入りました。 なんでも自分でやりたくなって出ていってしまう。 まだちょっと順番はわかりにくそう。 いつも「座って」「戻って」と言われがちなTちゃん。 どうしようか思案した上で、横に座って手をつなぎました。 掌が合わさった瞬間、Tちゃんがこちらを意識しはじめた ことが感じられました。ちょっと体を弛緩しはじめました。 そんな風に手をつなぎながら、身体的補助をしながら 時間を過ごしました。注意のことばをはかないで。 そうやって1日みていると、やはりスタッフ全員のTちゃん への声かけが多いこと。 ・行動修正のため ・注意喚起のため ・予防的な声かけ 何か言われています。 でもちょっと視点をかえれば全部なくて済むかもしれ ない。 Tちゃんの評価を適切にし、動きに対する考えをかえ るのです。 Tちゃん、視覚的な理解は良好で活動への意欲は 確かにあります。やってほしい状
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