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空ヲ洗フ日々 十谷あとり
大方の詩はすっかり忘却していたが、覚えていたもの、数行をはっきりと思い出せるものもあった。中学の... 大方の詩はすっかり忘却していたが、覚えていたもの、数行をはっきりと思い出せるものもあった。中学の授業で読んだ(読まされた)「道程」「冬が来た」「ぼろぼろな駝鳥」。高校一年の一学期に読んで、異様に胸が苦しくなった『智恵子抄』の「樹下の二人」「風にのる智恵子」「山麓の二人」など。 高村光太郎の詩は力強くてわかりやすい。そして随分あどけない。悪口で言うのではない。ストレートな力強さとわかりやすさ、そこに見え隠れするあどけなさ無邪気さが美質だし、作品の生命力の源となっている。 ただ、今の自分の眼で読み直すと、「道程」は堂々としすぎて気恥ずかしいし、「ぼろぼろな駝鳥」はちょっとスローガンみたいに感じられてしまう。『智恵子抄』の諸作品は、高校生の時は素直に恋愛の苦しさうつくしさだけを享受できたが、今となるとつい(智恵子さんはどう思っていたのだろう、彼女が彼女の立場からことばを発することができていたら、