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lambtani.hatenablog.jp
「国際学会」と言ってもどこで開催されて誰が来てどのように運営されるか次第であるから、なんとも過度に一般化された記事になる可能性は認める。しかし、これまでいろいろな地域で国際学会に参加してきた経験をもとに、どのように国際学会で新たな友達を作り、更には共同研究の発展を目指せるか、考えたことを書いてみたい。 ただし、小さな国際学会にかぎる。大きい学会? 自分は、主体的交流目的では行かない。受動的交流では行かなくもない。 まず前提として、国際学会にはいろいろな人が来る。その場合、国外から来た人は、自分と同じように、文化の違いに直面している。それは、人との交流の様式かもしれない。言葉かもしれない。あるいは、場合によっては分野へのアプローチそのものかもしれない。いずれにせよ、同じくアウェイを経験している。 この事実は、その研究者がシニアかどうか、それとも若手かどうかにも多少は依存する。しかし、アウェイ
10/7-13の間、Oxford大学に行き、学位審査の外部委員として仕事をしてきました。初めてのOxford、初めての審査ということで、少し緊張しながら渡航したのですが、かえがたい経験をしました。日記を兼ねて綴っていた内容なので長いですが、ひょっとしたら参考になる部分もあるかもと思い、こうして公開しています。 依頼着弾: 件名“Hi”のeメール 渡航前の準備 旅程を決めた後 Collegeとはなんぞ 旅費 学位論文を精読する Oxford Day 1 観光 St John's dinner: “Formal dinner” St John's の客室の残念だったところ Oxford Day 2 内部審査員Alanとの打ち合わせ Stuとの散歩 Oxford Day 3 Viva本番前 Viva 本番! Viva終了 Oxford Day 4 大変で楽しかった 依頼着弾: 件名“Hi”のeメ
私は数学が大好きなので、数学を勉強する習慣がありました。免許合宿では待ち時間に『解析演習』で解析演習問題に取り組み、友人との海外旅行には『多様体の基礎』、遊びに行くにもアルバイトに行くにも、先々に数学書を懐に忍ばせていました。 ただ、数学は得意とは決して言えませんでした。それでも数学が素晴らしいのは、難しさの勾配が非常に緩やかで、論理さえ追えれば(大学数学レベルであれば)必ず再現可能で、そして自分の頭に一旦 自然なものとして身につけば忘れてもすぐ思い出せるということがあります(それだけではありません)。 そんな私は、今は数学を用いて生物現象を表現・解析・予測運用するという研究をしています。学生のころは手法も限られていたし、そこまで複雑な数学を用いることはないだろう、と思っていたのですが、いざ研究を始めてみると、やはりというべきか、複雑で難解な数学的問題に直面することが、ままあります。「こん
この記事は、数理生物学会ニュースレター(2021年10月)に掲載された内容を、いくつかのタイポを修正した上で、掲載したものです。 ■序言 光栄なことに、日本数理生物学会から、「研究奨励賞」を授かった。その奨励賞に寄せる本稿は、研究内容を整理したり将来の展望を説く、良い機会と思える。しかしそれはしない。かわりに、賞に無縁で自信喪失的で論文をテンポよく出版できぬ、真面目だがいかに無精者だったかを、意味ある形で、おもに私より若いステージの方へ向けて、述べたい。本稿が少しでも励みになると嬉しい。 以下、私は「真面目系」という言葉を頻用するが、それはあくまで私自身のみを指す批判的な表現とする。また、以下には少しだけの見栄・自慢も含まれる。だが私が大学院生の間に自慢できることはほとんどない。 ■真面目系無精者の誕生と、自立した研究者への推移 転機1:研究より勉強 私の研究活動はM1/2011年4月、九
私が登録しているメーリングリスト(ML)において最近、ある人物が、疫学モデルに基づく感染者予測が(氏いわく)破綻したことをあげつらう内容や、果には反ワクチン内容を投稿し始めてしまいました。科学者ならこれらの医療(システム?)を疑うべきだ、という投稿もされていました。(ちなみに、文体は崩れていて、読むのは非常に困難な文章でした。他には、コロナはただの風邪、PCR検査はゴミ拾いなど) これは非常に困った事態です。まずもちろん、私は迷惑に感じました。やめてほしい、と感じました。きっと多くの人もそうだろう、と考えました。 また、社会へ与える影響としても害悪があると考えました(以下、「悪影響」と言います)。ワクチンは、本人はもちろん、社会全体が接種を推進・推奨することで、集団免疫が達成する確率を高める効果があるからです。 いっぽうで、上の「悪影響がある」というのは、私の個人的な意見です。他の人がどう
これから何週間かにかけて、適応進化という考え方、それにまつわる誤解、集団遺伝学初歩、そしてゲーム理論について、やや長めですが、できるだけわかりやすく解説していきます。 本エントリーは、academist社ご協力のもと開催された、下記、講演会『数理で読み解く科学の世界』のフォローアップ記事です。 lambtani.hatenablog.jp 文責はすべて私の負うところにあります。論理的に不正確な箇所や、わかりにくいところがあったら、どんどんご指摘ください。 1. 生物の適応進化の考え方 1.1 遺伝する性質が進化する原理 キリンの首は長く、タンポポには綿毛があります。図鑑を眺めてみると、どの生物も異なる姿かたちをしているし、動物園に行けば、動物たちはさまざまな行動を私達に見せてくれます。野山に足を運んでふと見渡すと、草木や動物たちは、かくも素晴らしい多様性を私達に見せてくれます。 こうしたあ
定義 事実命題(X is Y)が真であることから、規範命題(X should be Y)が真である、と結論づけること。 あるいは事実判断から、価値判断を引き出すこと。 論理形式 X is (or is not) Y. Hence, X should (or should not) be Y. XはYである(ではない)。ゆえに、XはYであるべきなのである(べきではないのである) 分類 形式的誤謬。 説明 みんな大好き自然主義の誤謬*1。Is-ought fallacy、Hume’s guillotine(ヒュームのギロチン)とも。 姿形をかえて、この誤謬はそこかしこに姿を現わす。 形式的には、命題はXとYのみからなるものだが、より一般的には、X is Y. Hence, Z should be Wと表される。 具体的に、次のような主張を検討してみよう。 実はこうした「性別役割分担」は、哺乳動
僕は英語を話す環境に生きています。人と話すのは好きですが、英語は得意ではありません。いまでも、英語で発表する直前は異常なまでに緊張します。 実はむしろ、日本で多くの留学生と接していた僕は*1、英語にちょっとした自信すらありました。 まずそうした自信が脆くも崩れ去ったはじめての経験は、スイスのローザンヌに住んでいた頃です。ローザンヌは、フランス語圏の地域です。毎日、学科の友達と12時に建物の一階で待ち合わせてランチに行くという習慣があったのですが、そのメンバーが、スイス・イギリス・フランス・ブラジル・イタリア・コスタリカといった様々なバックグラウンドの人々で構成されていたため、ランチでは英語が“公用語”として用いられていたのです。そのランチでの英語での会話には、ほとんど全く、入り込むことができませんでした。時々助け舟を出してくれる友人や、「ついてこれた?」と直接的に聞いてくれる友人も居て、本
海外に住んでいても、日本国内の公募を目にすることがあります。 そのだいたいは「簡易書留で書類を提出のこと」。そして「別刷りをX編Y部印刷」。 単純計算のため、一編の論文を10Pだとして、5編10部印刷するとしましょう。両面印刷にして、10×5×10÷2 = 250枚の紙が必要になります。A4一枚はだいたい4gとのことですから*1、250枚×4[g/枚]=1000gの書類に。重いなあ。 これをFedEx Rates and Transit Timesにていくらかかるか計算してみましょう。行き先は例えば、神戸大学としましょう。 Fedex Pakないし、Fedex Envelopで送付してみることにしましょう。詳しくは表示しません。結果はなんと \[ 100ドル以上 \] おっと、面接に呼ばれました。Skypeダメ?現地でやらないといけないんですね。えっ!旅費は出ないのですか…?そうですか…自
White et al. 2014: Ecologists should not use statistical significance tests to interpret simulation model results Oikos ちょっと前の論文ですが。生態学のモデリングにはいくつかの方法があります。近年は、個体ベースモデルを含むstochatsticな計算機的手法が多く取り入れられています*1。それ以外にも、確率過程を何らかの形で内包するモデル、より一般に確率モデルは、シミュレーションすることで"しか"結果が得られません。そんなモデルを、シミュレーションモデルと呼ぶことにします。*2 で、そんなシミュレーションモデルでは、1回のシミュレーションを1つのサンプルと扱います。しかしたとえば100回まわした場合には、それらの結果に「統計的な」解釈を与えたくなってくるわけです。とくに、
よく、研究者の間でも「重箱の隅をつつく」ということが話になります。自身の研究は、なんらかの王道的なブンヤ(たとえば、生態学では行動生態学とか、進化学では種分化研究とか、数学でいえば…代数・幾何・解析といった道筋だろうか?)における位置づけとしてはマイナーだったり、あるいは誰かが提唱した有力な仮説を検証するだけのことだとか、誰かの理論に完全に依拠しているだけだ、とか。 そういう生き方も全然アリだなあとは思うわけですが、それを以て自分の研究を卑下することはあってはならないように思います。「低次元の研究だ」という卑下すら耳にしたことがあります。さて、それは論理的に…あるいは数学的にどうなのか、今一度、検証してみましょう。具体的には、次元が高いと、必然的に隅をつつくことになる、つまり隅をつつかないというのは次元が低いからだという結論を、モデルで導いてみましょう。 もちろん、「研究の枠組みという存在
※この記事は、生態学会ニュースレター2014年5月号に掲載された、私自身による書評のHTML版です。数式や脚注などのスタイルを、はてなブログ用に最適化してあるつもりです。 Amazon.co.jp: 行動生態学 (シリーズ 現代の生態学 5): 沓掛 展之, 古賀 庸憲, 日本生態学会, 沓掛 展之 担当編集, 古賀 庸憲 担当編集: 本 行動生態学はオワコン*1か?–これは2012年日本動物行動学会大会におけるラウンドテーブル(自由集会)のタイトルの1つであり、華の時代を謳歌してきた「行動生態学」へのアンチテーゼとして、反響を呼んだ。こと我が国においては、行動生態学の新しい手法や概念は積極的に取りいれられ、多くの教科書も編纂されてきた。「行動生態学入門」(粕谷)、「動物生態学」(嶋田・粕谷・山村・伊藤)といった重厚な教科書は、行動生態学研究の成果の体系と言えよう。しかし21世紀に入ってか
Allen, Nowak & Wilson (PNAS) Limitations of Inclusive Fitness http://www.pnas.org/content/early/2013/11/22/1317588110.abstract また包括適応度理論を攻撃する論文が出ていたので、ぼちぼち読んでいました。アブストは下のような感じ。 Until recently, inclusive fitness has been widely accepted as a general method to explain the evolution of social behavior. Affirming and expanding earlier criticism, we demonstrate that inclusive fitness is instead a limit
昨日、Nowak論文を分析するブログをあげたのですが、この私の解釈 について、少しまとめてみました。 上図で、遺伝子型値を 紫=0 緑=1 黒=2 茶=3 と割り当てて、ハミルトン則を出してみましょう。対応表はこんなかんじ。 なお、gとwとの相関が0でないことは自然選択のおこるための必要条件です。それを見てみると、 E[gw]ーE[g]E[w]=0.5>0 となります。つまり、自然選択がおこり、遺伝子頻度が変化するための必要条件が満たされています(そして確かに遺伝子頻度は変化している)。 この表に基づいて計算すると(詳細は彼らの論文とおなじ計算方法なので省略)、 R=-1/4, B=-2/15, C=-7/15.これによって、RB-C=1/2>0となります。相互作用があってもなくてもこの結果は変わらないものという仮定により、「中立的な相互作用が、相手を傷つけ(B<0)自分を癒やす(C<0)
前回、「数理生物学」のオススメ本をイッキに紹介するということをしてしまいました。 本来、ブクログというサービスを用いて、現在読んでいる本を公表するはずなのですが、はてなブログのほうが幾分もそれが楽なので、こちらで綴らせてもらいます。また、勝手なスコアもつけさせてもらっています。ただし、前回のブログとは基準が異なります。数学における「難易度」は、「地獄度」と等価であることがあります。 Real and Complex Analysis(表紙は赤と緑2種類があります) 作者: W. Rudin出版社/メーカー: McGraw-Hill Publishing Company発売日: 2005/08メディア: ペーパーバック購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (5件) を見る 難易度:★★☆☆ 可読性:★★★★ 推奨度:★★★☆ 必要となる数学の素養:集合と位相、線形代数、微分積分
Twitterで、「数理生物学のオススメの本を」というお尋ねを頂いたので、この際、自分が(少しでも)読んで、勉強になった本を紹介します。 数理生物学、もっと広く理論生物学において、自分で計算を行わないと、理解したことには「つながりにくい」というのが個人的な感想です。どのようなスタイルで「読む」のかは、個人の裁量に委ねられることなのでしょう。僕の場合は、式変形や微分操作などは問題なく行えるはずですので、「ザッと読む」ことにしています(そのぶん、様々なインプリケーションが捨象されている可能性は十二分にあると思っていますが)。 しかし、理論をしっかりと学びたいなら、きちんと計算をしましょう。世界を数式に翻訳しましょう。 最終的な結果こそ導けなくとも、どういうロジックでストーリーが進んでいるのかを理解するととてもよい勉強になります。 あるいは、本文の精読に精魂を賭けるという読み方でもよいと思います
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