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大谷翔平
lettres-philosophiques.hatenablog.com
(改定版:2018年12月31日) 森次画伯と落合陽一氏がtwitter上で論争状態になっていたので、何事かと思ってツイートを辿ってみると落合氏がどうやらNews Picksで展開した議論がニューアカ気取りの「トンデモ」であるという画伯の指摘が発端らしいことがわかったので、ここは分析哲学の使いどころかなと思い本稿を書くことに致しました。 まず、落合氏本人が以下のリンク先のブログ記事(このブログ記事を以下では「好意的解釈」と呼びます)「参考リンク」であると明言しているので、ここではこのリンク先ブログ記事を参照元することを明確にしておきます。つまり、「行為的解釈」において落合氏の発言として引用されている文章に関しては、落合氏本人が自分の発言であると認めるはずだという前提で議論を進めます。 1. 落合氏の倫理思想について それではまず、「好意的解釈」において落合氏の発言として引用されている箇所の
そもそもリベラリズム(自由主義)とは何であるべきか 近年「リベラル」を自称する人が本当は「自由」とは別の価値を「自由」と同程度、あるいはそれ以上に強調しているという点で「リベラル」とはいえないのではないか、という意識を持っているのは私だけではないと思います。現代の英語圏で主流の「リベラリズム」はRawlsの「政治的リベラリズム/political liberalism」だとされていますが、Rawlsの政治的リベラリズムは同時に「自由平等主義/liberal egalitarinism」とも呼ばれており、「自由」よりはむしろ「平等」の方を強調するものでもあるという点は広く認識されています。Rawls支持派(=主流派)の論理に従えば、「真の自由」は自由が平等に配分されることによって実現するので、平等主義と自由主義は矛盾しないということになります。確かに、有名なフランスの標語もLiberté,
偖、では早速哲学の世界に入って行きます。と言っても、いきなり形而上学や言語哲学に入っていくのではなく、まずは一般的関心の強い政治哲学から入って行きたいと思います。本稿では、まず現代の政治思想を語る上で絶対に欠かせない「リベラリズム」の概念について考察することから始めましょう。 「アゴラ」でも私は結構頻繁に「リベラル派」あるいは「リベラリズム」という言葉を便宜上使って来ましたが、本来「リベラリズムとは何か」それ自体が議論の対象となるような曖昧な概念です。英語では特にネット上のメディアにおいて慣用的に「右派/right」の対義語として「リベラル派/liberals」は使われておりますが、そもそも「liberalism」とは何なのでしょうか。 Liberalism というのは、実はいくつか種類があって、Classical LiberalismだとかNew LibealismだとかNeo-Libe
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