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「大阪維新の会(代表・橋下徹大阪市長)大阪市議団は1日、保護者に家庭教育の学習機会を提供する「家庭教育支援条例案」を、15日開会の5月定例議会に議員提案する方針を固めた。 市議会で審議中の教育基本2条例案に盛り込まれた保護者向け家庭教育支援を具体化する内容。「親になる心の準備のないまま子どもに接し、途方に暮 れる父母が増えている」とし、具体的には市内の全保育園・幼稚園に保護者を対象とした一日保育士・幼稚園教諭体験の機会を設けるよう義務化。結婚や子育て の意義を記した家庭用道徳副読本を高校生以下の子どものいる全世帯に配布するほか、市長直轄の推進本部を設置し、「家庭教育推進計画」を策定することも盛 り込んだ。」(YOMIURI ONLINEより抜粋) 下記URLが条例案である。 http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html#4 この条例案を目にした時
子どもの心の診療の中から思うこと、感じることを 綴っています。 (なお、投稿記事の内容はプライバシーに配慮しています) 「普通って何だ」「適当に頑張るって、どこか矛盾している」 青年期にさしかかったアスペルガーの子たちが、外来の診察で眼に涙を溜めながら切実に訴えかけてくる。学童期の頃は特に何も言い返すことなく過ごしていた子たち、その変貌ぶりに親たちは動揺を隠しきれない様子である。 「均質化」が重視されているような現在の学校教育の風潮を感じずにはいられない。「出る杭は打たれる」そんなことを痛切に感じているのがアスペルガーの青年たちであろう。 アスペルガーの青年の中には、つい言い過ぎてしまうことを自覚している 場合も少なくない。 「きっと本音を言っちゃうからヘンな目で見られるんだろうね」「でもそれがなぜいけない?」 世の矛盾と毎日対峙せねばならない苦痛の 日々。正論が、正論でなくされてしまう絶
子どもの心の診療の中から思うこと、感じることを 綴っています。 (なお、投稿記事の内容はプライバシーに配慮しています) 子どもは必ず大人になる。 しかし、子ども時代をつらく生き抜いてきた発達障害の人たちは、大人になっても様々な苦労を強いられる。職場の対人関係、恋愛・結婚、など・・・。自分の居場所がなかなか見つからず、どこにいても「居心地の悪さ」を常に感じている。 成人アスペルガーの人たちの苦悩の多くは、「分かり過ぎて逆に選べない」「考え過ぎて疲れてしまう」のであり、わかってない、何も考えてないようだと言われてしまうことに強く憤りを感じている。であるが、その憤りを説明することがなかなかできない。やがて自分を追いこむ負のスパイラルに没入していく。 負のスパイラルから抜け出せないアスペルガーの人たちは、状態像として「うつ」を呈することが多い。ここで、一般的なうつ病の啓発通り「頑張らなくてよい」「
子どもの心の診療の中から思うこと、感じることを 綴っています。 (なお、投稿記事の内容はプライバシーに配慮しています) ゴールデンウイークも終わり、仕事再開! 連休が続くと診察も時間がかかってしまって、私がリハビリしないとですね・・・。 私の外来にやってくるこどもたちの中には、ADHD(注意欠如・多動性障害)の診断基準を満たす子たちが数多くいる。その特徴は①多動性②衝動性③不注意性で表され、その特性により家庭・学校などで「問題児」として扱われてしまうことが多い。 そんなADHD児のこころの真相に迫ろうと思い、私の思いを綴ってみた。 ADHDの子どもたちの話に耳を傾ける。 「周りがだらけてるとぶっとばしたくなるんすよ!ちゃんとやれよ!って」 「でもそれでイライラしちゃう自分が悔しいっす」 彼らは、何事にも絶対に妥協を許さないと強く願っているのに、それを遂行できないジレンマに慢性的に苦悩してい
子どもの心の診療の中から思うこと、感じることを 綴っています。 (なお、投稿記事の内容はプライバシーに配慮しています) 発達障害、特にアスペルガー障害を抱える人たちは「空気読めない、KYだ」と称されてしまうことが多く、実際にそのような振る舞いにみえてしまうことも少なくないだろう。 しかし、アスペルガーの人たちから話をよく聞いてみると、一概に空気が読めないとは言えないような気がする。「わかってるんですけど、頭の中がいろんなことでいっぱいになって訳が分からなくなる」と述べる人も数多くいる。 アスペルガーの人たちは「空気が読めない」から戸惑う、ということだけではなさそうだ。 実は「空気を“読み過ぎて”」混乱していることも多々あることがわかる。現在の情報氾濫社会の中で、アスペルガーの人たちにとっては、まるで洪水のように様々な情報が押し寄せてくる感覚だろう。 高機能型の発達障害の人たちの中には、いろ
子どもの心の診療の中から思うこと、感じることを 綴っています。 (なお、投稿記事の内容はプライバシーに配慮しています) 私は嘱託医として児童相談所にも勤務している。 主な業務は療育手帳の更新、判定である。 先日の勤務の話をしたい。 療育手帳新規申請依頼のため、中学生女子と両親が児童相談所に来所された。 担当心理士からの情報によると、女子生徒は学習面での遅れがあるため現在特別支援教室に在籍しており、今後の進路として全日制の高校入学は難しいため、高等養護学校に入学するには療育手帳を取得している必要があり、学校教師より勧められ・・・とのことだった。学校からの情報(生活状況や学習状況など)は一切ない。 このような流れでの手帳取得はしばしばあることなので、通常どおりの業務で終わらせようと考えていた。 しかし、知能検査の結果は、療育手帳発行が可能なIQを若干上回っており(要は知的障害とは判定できない)
学校で教員に悪態をつきまくるこどもたちは、常に「見下されてるんじゃないか」と思っているようである。その背景には過去において度重なる叱責を受け続け、親や教員からの強力なコントロール下に置かれていたりしたことが臨床上多い印象を受ける。 だから「叱られてる」と感じると反応的に怒りが湧き上がってくる。結果、暴れて何人もの教員に押さえつけられると、自身の情けなさ、悔しさふがいなさやみっともなさを痛感することになり、余計にキレるだろう。 このようなこどもたちに対し、周囲の大人たちが関わる上で大切なことは、こどもたちの様々な願望があらゆる場面でかなわず途方に暮れていることについて理解することである。 勉強や運動や友達づきあい、そして親との会話など・・・色々あるがどれもうまくいかない理由として「どうやっていいかわからない、やり方がわからなくて諦めるしかないのか」という基底思考が常に渦巻いていることにあるの
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