サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
nonsugarcafe.hatenablog.com
少し前になりますが、ふだんご自身ではルートを引かない方、引いたことがない方向けに、GPXファイルを作る講習会をやりました。敷居の高いルート作成サイトは使わずに、Googleマップのルートを使う方法です。 そのときの資料をすべてここで起こしなおすのはあまりにもご苦労さまなので、PDFをそのまま置いておくことにしました。
輪行するなら普通列車のほうが好きだ。──僕の場合。 普通列車なら乗る列車が決められているわけでもないし、乗る車両や座席も決められているわけじゃない。特急や新幹線で自転車を置く場所が確保できて席に着くことができればそれは申し分ない。気分も体力的にも楽。だけどそれに至るまでのそわそわといったらなくて、対してその場その場の対応でどうとでも身動きが取れる普通列車が好きだ。 でも欠点を挙げるとするならば、遅い・・ってこと。 こればっかりはどうしようもない。 だから行程上時間に縛られるときは僕も新幹線や特急を使う。全体行程と自転車の距離を調整して計画はするけれど、ある程度の距離を走らなきゃならないとなれば、どうしても時間が必要だから。走る距離が短ければいいけど、お昼に着いてそれから70キロ80キロ走りますって行程はさすがにちょっと……。 とはいえ、思い返してみるとこれまでけっこうな場所まで普通列車だけ
旧名鉄美濃駅をあとにした僕は、ここから長良川鉄道の沿線旅を始める。長良川鉄道はその名の通り長良川に沿って走る鉄道で、美濃太田を出て関からは終点の北濃に至るまで長良川と並んで行く。国鉄時代は越美南線という名で(現在も路線名は長良川鉄道・越美南線)、変わることなく同じ区間を走っていた。越前の「越」と美濃の「美」なので、当然福井を目指していた。福井からも岐阜を目指し越美北線が敷設され、現在もJR西日本の路線として走っているが、結局両者が峠で手をつなぐことはなかった。一本の路線として、晴れて越美線となることはなかった。 いっぽう長良川に沿う道路のほうは、国道156号がある。こちらは美濃太田ではなく岐阜を起点とし、長良川に添い遂げたあとは福井県ではなく富山県を目指す。白川郷から砺波平野を通って高岡に至る国道である。 国道は地域の幹線道路であり、交通量も多く大型車も頻繁に往来するため、幾人かの人から並
大垣から三駅。10分少々で岐阜に着いた。 お昼過ぎ、輪行袋を持ち18きっぷを見せて通過した有人改札。もう一度、同じように通る。 ホテルは歩いて2分程度だったから、輪行袋を担いだまま向かった。そのままチェックインして、そのまま部屋へ入る。輪行袋のまま、自転車を部屋の隅に置いた。 夕飯を食べに行かなくちゃ。 フロントのラックから持ってきた、周辺飲食店の地図を眺めた。まあ予想通りだったけど、飲み屋が中心。食事を主体にやっている店が見当たらない。イタリアンもあるけど、バルの延長っぽい。元気な時なら勇んで出かけて、「お酒飲まないんですが、かまいませんか?」と聞くのだけど、ちょっとその気力はないな。 洋食屋ないかな。今度はグーグルマップを見てみる。──ない。まったくといっていいほど。範囲を広げながら調べて、名鉄岐阜駅近くにようやく一軒。でもコース主体のディナーっぽい。ドレスコードはなさそうだけど、そう
事前から決めてかかりすぎると大ごとになる。もっと日帰りの延長のような気軽さでで臨めないか。そのフットワークの軽さを認識したのが昨年の奥会津の旅だった。錦秋の折、紅葉前線の進みとお天気から出かけることを決めた金曜日、自転車旅仲間のうっちぃさんに明日どうですかと声をかけた。その後とんとんと話は進み、ルートを引き待ち合わせの時間を決めたところでうっちぃさんがいった。「泊まってもう一日楽しもうと思うんです」──その言葉に驚くも、日帰りの荷物に少しばかりの必要なものを足してそのまま出かけた。何のことはない日帰りを二度するだけだ──そのスタンスで旅の足回りは軽く、でも充実度は二倍をはるかに上回った。この手軽さは魅力的だった。 もっとも事前から決めてかかる旅だって悪くない。少しずつ煮詰まっていく計画、肉付けされていく情報は、旅程が近づくにつれ気分が高まる。ワクワクが止まらなくなる。旅は本当のところ計画が
ガストでモーニングを食べた。春日部で朝からやっている喫茶店って、西口からずいぶん行ったところのコメダと星乃くらいで、東口には皆無だった。唯一春日部市場内に喫茶店があるのだけど日曜日はお休みらしく、やっと見つけたのが国道沿いのガストだった。 トーストにマーガリンを塗り、地図を見ながら食べる。下総利根大橋を渡ろうと思う。 下総利根大橋は利根川に架かる橋だ。橋の数が少ない利根川は──だいたい10キロおきくらいしかない──、川を越えるため橋に車が集まってくるので混雑しているところが多い。そんななかでこの下総利根大橋はいつだってガラガラだった。道が幹線道路と直接つながっているわけじゃなくわかりにくい場所であることと、有料道路であることが要因だと思う。人と会話するときは下総利根有料と呼ぶことが多かった。 その閑古鳥有料橋が今年1月、無料開放された。 www.i-road.or.jp 渡ってみよう。 (
ここは歩いてみたいと思っていた。 三浦半島の先端は、よく自転車で走ったことがあった。三浦海岸から剱崎を経て三崎へ。神奈川県道215号・上宮田金田三崎港線という道がちょうどそのルートをたどっている。三浦海岸から金田漁港を過ぎた入(いり)という集落まで海岸線をひた走り、そこから三崎の台地へ一気に坂を駆け上る。大根やキャベツの畑を見つつ左手に剱崎の灯台の頭を見たら、大海原太平洋へ向かってダウンヒルになる。松輪の漁港から江奈湾をぐるりと半周し、毘沙門天の丘へと駆け上がる。ここも三崎の台地の続きで、やはり大根やキャベツの畑が広がる。高台からにょきっと突き出すように伸びる城ケ島大橋を望み、そのたもとの晴海町へ下って回り込めば三崎漁港。三浦半島サイクリングのゴールデンルートといってもいい。 ここを走ると、新道旧道、あるいはちょっとした路地道を経由することはあれど、なかなか海辺へ降りてみることがない。地図
少しだけ日の当たる木更津駅の端のホームから久留里線のディーゼルが発車した。たった1両の気動車は座席が半分埋まった程度だった。内房線の線路から右にそれてゆき、広々とした田園のなかをたった1両の気動車が走る。電化していない久留里線は架線柱がないから、余計に景色が広く感じられるみたいだ。たった1両の気動車はステンレスボディの新しいもので、軽快に加速し、トルコンを使って進段していく。ある程度の速度まで上がると直結と呼ばれるトルコンを介さない駆動に切り替わるのだけど、音で感じている限り久留里線の線路では直結に入る機会があまりない。たいしたスピードは出さないみたいだ。 そうやって上総(かずさ)路をことこと走った。 途中の駅は大半が無人駅で、バスの運賃のように、駅に着くたびに運転士が精算した。スイカが使えない路線なのに内房線からそのまま乗り通してきてしまったとか、両替の仕方がよくわからないとか、さまざま
ある日、いつものようにルートを引こうと、それまで使い続けていたGPSiesにアクセスすると、ページは有無をいわさずAllTrailsへとジャンプした。あ、いよいよ来てしまったか──そう思った。 僕が利用していたルート作成サイト、GPSiesは昨年夏、AllTrailsと統合すると発表した。事実上の吸収あるいは買収だった。 僕は落胆し、それでもそのXデーといわれていた8月15日を過ぎても何事もないようにアクセスでき、ルートを引くことができ、保存すれば自分のライブラリに保管され、GPXファイルをダウンロードすることができた。僕はやっぱりこの使い勝手がいいからと、経営や運営やビジネス面はともかく機能は今あるGPSiesをこのまま残してはもらえまいか、とメールした。 「彼らはGPSies機能に非常に興味があり、GPSies機能を改善することを計画しています。それがうまくいくまで、それがあなたがGP
果てしなく続くブルーに見惚れていた。力を込めて見つめれば見つめるほどその深さに吸い込まれそうだった。風はまったくないくせに、この気温が立っているだけで体の熱を少しずつ奪っていく。それでも見ていた。いつものコンパクト・デジカメを持ってこなかったことを悔やんだ。スマートフォンのカメラで何カットもブルーを収めてみるものの、どれひとついいものはなかった。いいものってつまり、今僕がこの目で見て琴線を揺らす何かが映し込めてるかってことだ。だめだった。色、深み、美しさ──何ひとつ写し込めていなかった。あるいはコンデジを持ってきたところで無理だったに違いない。僕はあきらめて写真はほどほどに、目で見た光景を、心に響くゆらぎ、、、を、記憶に刻むよう専念した。 ◆ きれいな青が見たくなった。 青が好きなんですかと問われてはいそうですと即答するつもりもないけど、じつは何度かそう聞かれる機会がこれまであった。思い返
風邪を引くのは悪くない。むしろ年に一度や二度は風邪を引くべきだ。そのほうが体は強くなるし定期的に抵抗力がアップデートされる。これは持論である。だから風邪を引くことはかまわない。 しかしよりによってだ。今日は木曜日である。 午後に入ったころから腰と股関節に鈍痛が感じられた。それが時間を追うごとに重みを増していく。「寒い?」同じ部屋で仕事をしている同僚にそうやって聞くと、「寒いですよ、今日は」という。最低気温の底を更新し、雨がときおり降る日差しのない一日は、寒い日なのか自分の寒気がそうさせているのか区別がつけられなかった。鼻の奥から伝わるような頭の痛みもつらかった。「明日はもっと寒いらしいです」同僚はそう付け加えた。 定時になると僕は同僚に今日はこれで上がるよといった。なんだか熱っぽい気がすると伝えた。 「明日、さらに寒いらしいから無理しないで休んだほうがいいですよ」 僕はありがとうといい、今
この夏、蔵王を旅してきた。蔵王エコーラインを走って、宮城から山形へ抜けた。 しかしこの坂が上れなかった。自分でもびっくりするくらい。もう少し何とかなるんじゃないかって、そのときも、あとにも思った。でも、上れなかった。そのときのことはよく覚えてる。体も脚も、心肺もどうにもならなかった。むしろあの状態からよく上ったなって思えた。 僕のポテンシャル不足だと片づけてしまえば簡単だ。もちろんそれは間違いないし、僕は練習だの鍛錬だのしない(する気もない)。そりゃ上れないでしょ、っていわれればそのとおり。 でも何かポイントとか糸口があるんじゃないかって思って。 このときのスタートは宮城県、JR東北本線の白石駅。標高50メートル。頂点になる刈田峠は標高1600メートル。ほぼ上り一辺倒で1550メートルほど上る。 これはかつて上った渋峠の、群馬大津駅650メートル、渋峠2150メートルの1500メートル登坂
(前編から続き) 魚沼展望台は魚沼スカイラインのなかで最も高い場所にある。魚沼盆地を一望でき、石打、大沢、塩沢、六日町と魚野川流域にだんだんと広がっていく日本の穀倉地帯の風景が手に取るようにわかる。それと同時に六日町や十日町の展望台ではなかなか見えなかった、湯沢町へと続く風景も見ることができる。山々に囲まれて徐々に狭まっていく平野部をやがて飲み込み、その背後に壁のようにそびえるのは日本の屋根だ。連なる山の稜線は中央分水嶺を結ぶ線でもあり、向こうは太平洋側ということだ。 僕はしばらくこの景色を眺めていた。 たいして人の来る場所じゃなかった。僕がここに着いたときにすれ違い帰って行った老夫婦と、車でやってきてiPadで写真を何枚か撮ったらすぐに出ていった中年夫婦がいたくらいだ。あとは僕ひとり。長々と何をしているのだろうと思われたかもしれない。あるいはこんな景色をただ眺めて何か楽しいのだろうかと思
テーマがまず浮かんだ。米を見に行く、そう決めた。そう考えたのは8月に林道河原小屋三の宿線(前日光基幹林道)へ出かけた日。そこまでのアプローチで走った鹿沼市内の田んぼのなかの道で。まわりの稲穂たちはまさに金色に染まるのを目前にしていた。一部はもうこうべを垂れ始めていたし、若いやつも時間を待たずして実りを付けることを示していた。田んぼが一面黄金色に染まる、それを実感させたからだった。 広大な田んぼに米を見に行こう──それにふさわしい場所を僕は頭のなかで探した。ひとつずつ、その候補として思い浮かぶ場所をスマートフォンでスワイプするように。でももうそれは決まっていた。米を見に行こうと考えて1分もたたないうちにこの道が浮かんでいた。ほかの場所をスワイプする作業なんて、それら場所じゃなくここなのだという裏付け作業に過ぎなかった。 魚沼スカイライン。 先週の週末を飯田線の汽車旅に充てたのは、新潟県の天気
前夜、ビジネスホテルの狭い部屋でずうっとだらけていた。夕飯に米沢の名物駅弁『牛肉どまん中』を買ってきて、味噌汁代わりにカップラーメンを添えた。ダラダラとローカル局のTVを垂れ流しながらそれらを食べ、終えてひと休みしてから買い出しに出たときに一緒に手に入れたワン・ドリップのコーヒーを淹れた。飲み食いしたものはみなゴミ箱に放り込んでしまえばいいし、あとはベッドの上でごろごろ過ごせばいい。こんなぐうたら、そうはない。極上の至福。コーヒーは三杯目。 明日の行動をどうするか決める必要があった。家族には状況によってはもう一泊してくると伝えていた。しかしそれは難しくなっていた。明日、台風10号がやってくる。 そんなこともあって宿泊地をここ米沢にした。もうどうにもならなければ朝、ここから列車に乗って福島に出て、そのまま家に帰ろうと思っていた。そうするのなら山形や上山にいるよりも、米沢にいるほうが断然都合が
地図で見つけた道だった。そこでは県道なのか市道なのか、林道なのかそれとも登山道なのかわからなかった。わかったのは「こんなところに道がある」という事実であり、それをたどった結果、「つながっている」ことから湧いた興味だった。 道は現在のみどり市、かつての大間々町から北へ向かっていた。大間々から北へ向かう道は、一般的な交通に使われる道としては二本あって、ひとつは国道122号、もうひとつが県道257号である。いずれも渡良瀬川に沿うよう敷設されていて、おもに右岸を行くのが国道122号、川を挟んで左岸を県道257号が通っている。県道257号は桐生市内、かつての黒保根(くろほね)村の八木原という地区で渡良瀬川を渡って国道122号に合流してしまうが、県道257号から分岐した市道が引き続き左岸を北上して上流の草木ダムまで続いている。この右岸左岸の道路陣形で栃木県との県境手前、沢入(そうり)という場所まで続い
眠っていた。長らく。青空のもと、列車の窓から差し込む7月の強い日差しを背に受けながら、でもそれはじりじりと暑いわけでもなく、もともと気温がさほど高くない日に、列車内に冷房も入っていたから、中和されてちょうどいいくらいだった。眠るにはまさにうってつけだった。車掌が放送でまもなく終点の村上ですという。目覚めたときはもう終着だった。昭和の気動車が惰性走行で駅構内に侵入していく。エンジンはアイドリングしたきりで、がらがらがらがらと低回転でまわっている。それがやかましいわけじゃないのだけど、ほかのいろいろな音と混じり合って全体的にうるさくて、乗り換えの案内を告げる車掌の声はよく聞き取れなかった。もっとも僕にとってそれは重要な放送じゃない。終着の村上で降りるのだから。列車は車体を左右に揺らしながら転線し、到着ホームの線路に入る。僕は少しずつ目を開けていく。──寝足りない、もう少し寝ていたい。そうだ、今
僕は自分の自転車をロードバイクと呼ばない。速く走らないし競技もしない。レースはもちろん、ブルベもイベントも出ない。クラブに入ったりチームを組んだりすることもない。人と走ることもあまりないうえ、人と走ることに慣れていない。手信号とか出さないし──。なのでときに僕と一緒に走ろうなどと思ってくださる奇特な方には、違和感や走りづらさを覚えさせているかもしれない。あるいは苛立ちや不快な思いをさせているかもしれない。本当、すみません。置いてってくれていいです。 とはいうものの僕の自転車を無理にカテゴライズするならばロードバイクにあたるはず。クロモリのフレームにドロップハンドル、クラリスというシマノのロード用8速コンポーネント、700×23cのスリックタイヤ。 自転車を何に使っているのだと聞かれれば、旅の道具。なぜこれを選んだのと聞かれれば、これでいいやと思ったから。旅には旅に適した自転車ってものがある
ああ先週も乗ったなあと高崎線から上越線へ。なにをしているんだいったい、という気にはならなくて、同じ方面同じような場所に立て続けに行くっていうことが僕にはけっこうあって、全然気にしない。むしろ先週と同じ乗り継ぎは印象が残っているし勝手がわかってていい。 上越線の車内であたたかい日を背に受けていたらうつらうつらし始めた。眠い。──いけないいけない。今日は終点の水上まで乗った先週とは違い、途中で降りるのだ。渋川のひとつ先、敷島まで。それほど駅数がないからうかつに寝たら乗り過ごしちゃう。ひと駅ごとに目を開けつつ乗り過ごさないように気を付けた。 降りてみると、ここ初下車駅だなって気づいた。 群馬県北部、みなかみ町に源を発する利根川は、水上から月夜野、沼田と沼田盆地の河岸段丘を流れて片品川を合流する。そこから渋川で吾妻(あがつま)川と交わるまでのあいだ、東の赤城山と西の子持山のすそ野に挟まれた場所で、
僕は坂を下るとき、下ハンを握っています。 下ハンってのもまた俗な言葉ですが、ドロップハンドルのアーチ下側ですね。乗っている方には説明も不要と思いますが。 僕が下ハンを握っているのは、前傾を深くして空気抵抗を極限までそぎ、高速で走るためではありません。じっさい下り坂もゆっくりゆっくり下りているしね(笑)。 それはブレーキのためです。 もし下り坂でも平地や上りと同じようにブラケット部を握っているようでしたら、ぜひ下ハンを握ることを試してみてください。 僕の場合ですが、ブラケット部を握りながら下り坂を走っていると、あっというまに握力がなくなって、最終的にはブレーキなどかけられなくなっちゃいます。握力が、パワーもエンデュランスも兼ね備えた方ならブラケット部握りでも問題ないでしょうけど、非力な僕は残念ながら早々にブレーキできなくなってしまうのが実情です。 でも、そんな非力でも困っていないのは、下ハン
そもそも僕が自ら〇〇イチなどという達成目的のサイクリングを計画するということはまずなく──どこかの島に出かけたり、湖をめぐろうとか、結果的にルートが一周になることはあれど──、したがって琵琶湖を一周したいなどという発想で事が始まるのは、他人(ひと)の動機によるものだ。 それが琵琶湖となれば規模が大きい。周囲が240キロにもおよぶ日本最大の湖は、道路で全周するとなれば210キロから220キロくらいになる。そういう距離感だ。 僕の妻はきわめて気分屋な自転車乗りである。いやどちらかというと自転車乗りというほどの範ちゅうではなく、趣味じゃないけど興味がわいたときに乗れるといいなと思っているだけだ。だから年に数回(月に一度乗れば年に12回乗ることになるわけだから、おそらくそれより少ない)乗る程度からの発想でこのビッグ・レイクに挑もうなどといわれると、連れていく僕のほうが負担なわけである。何しろ本人は
つまらない、退屈な道。 それが箱根やまなみ林道の情報を収集していておおむね得られた情報だった。情報源の多くは自転車か、バイクか、ジムニー乗り。木々に囲まれた見晴らしのない林道は誰の目にも魅力に欠けるようだった。上りきれば360度の遠景を望むような峠があるわけでもなく、道の途中で思わず立ち止まるような大展望が広がるわけでもない。オフロードバイクやジムニーを駆るような人たちにとっては、全線舗装されているこの林道がさらに魅力を押し下げているようだった。ロードバイクで走る人は交通量が少なく走りやすいといった。でもその好評価とは走ることに徹した側面だった。練習にいいっていっているようだった。 そして僕は、じっさいつまらないのだろうかと逆に興味を持った。 小田急ロマンスカーで輪行したのは初めてだった。自転車を置く場所などないといわれていたロマンスカーはいつの時代だったんだろう。車両最後列の背面も、各車
長い長い下り坂を、抑速ブレーキで下っていた。電車の大きな窓から、曇った空と霞んだ空気ではっきりしない甲府盆地の風景を望み、それはさながら映画スクリーンのようだった。残念な天気ではあったけど、見通しが利かなくても、僕はこの風景が好きだ。中央本線、笹子トンネルを抜け、甲斐大和から勝沼ぶどう郷、そして塩山へ向かう長い長い下り坂から望む甲府盆地の風景。 人から見たら苦笑いされそうだけれど、僕は先週とまったく同じ列車に乗っている。同じ時間に家を出て、同じ時間の武蔵野線に乗り、中央快速に乗り換えて、高尾駅で中央本線普通列車の列に並んだ。違うことといえば、18きっぷのスタンプがひとつ多いことと、自転車を持っていないことだ。 こうしているのはいくつか理由がある。 まず、18きっぷを使う機会を作らないとこのまま消費しきれなくなりそうだったから。自転車の輪行にこだわってばかりいたせいで、天候で出かけられなかっ
春になると山梨に行きたくなるのか。 振り返ってみると去年も3月に早川町に出かけている。 山梨に限った話じゃないんだと思う。ようは冬のあいだ凍結や雪で山に行くことができないから、そろそろ山の風景が見たいって考え始める季節なのだ。といってもまだまだ寒いし雪や凍結も残っているし、手はじめに山梨がちょうどいいって考えるのだ。栃木や群馬の県北や長野や福島の山は冬季閉鎖中が多いし(もちろん山梨にもあるけど)、そういうところは平地でさえ寒いから標高が高ければもっと寒いし(もちろん山梨だって寒いけど)。 そんなわけで僕は山梨県の地図を眺めていた。 中央本線の線路沿いを眺めていた。 地図を見ていると、風景が浮かんでくる。行ったことがなくても、空想で。行ったことがある場所なら、記憶の残像が空想を補完して。 これまで中央本線で鉄道旅をしたとき、その車窓に小さな道を見つけた。線路に沿うように、しかしながら真っ直ぐ
ごくまれに、僕が輪行のとき収納しているようすを見て、「えっ!?」といわれることがあります。輪行ばかりするので、そのなかで編み出した自分なりのやりかたなわけですが、輪行袋のメーカーはこのやりかたをしません。説明書にある内容とは違いますが、ごくわずかですが「このやりかたいいよ」といってくださる方がいて、紹介したら? ともいわれたので、あくまで僕自身のやりかた、、、、、、、、、、、、 ということでメモ代わりに書いておきます。 ちなみにこれは、エンド金具を使って立てて入れる、「縦型輪行袋」での輪行パッキングでのお話です。 縦型輪行袋を出しているメーカーはいくつもあります。構造上エンド金具が必要になるのですが、それを出しているのはオーストリッチとタイオガだけかな。それほど詳しくなくてすみません。 商品説明の写真や取扱説明書には、たいていこうあります。 自転車の両輪を外す フレームのリアエンドにエンド
冬、シューズカバーが手放せない。これを靴の上にかぶせるということは、面倒で大変なばかりだけど、手放せない。仕方がないよ、寒がりなんだから。 そんなわけで冬になれば引っ張り出して使っているシューズカバーがいよいよぼろぼろになってしまった。いや、これってぼろぼろになるよね、どうしたって。靴底やつま先やかかともカバーしているものであるわけで、靴であれば補強がなされているような場所だ。そんなところに布切れ一枚でカバーしようっていうんだから、無理もかかる。そりゃだめだ、と苦笑するしかない。自走や車載で乗っている人ならまだ痛み度合いも少ないだろうけど──それはシューズカバーをつけているとき、イコール、乗っているときだろうから──、僕のように輪行はするわ(しかもかなりの長距離長時間、何度の乗り換えもいとわず)、未舗装や荒れ地には行くわ(乗ってるときも草木に足は当たるし、降りて歩いて押すことも多いし)、シ
つくば道にサイクリングに行った日、輪行下車駅を土浦にしたので、りんりんスクエア土浦なる施設に立ち寄ってみた。 りんりんスクエア土浦とはいわばサイクリング拠点となるサービス施設で、去年ウェブやツイッターで名前を目にする機会が多かった。 てっきり広々とした東口にあるのだと思ってた。霞ヶ浦へのアクセスも容易だし。土浦駅で降り、長い跨線境を歩いて行くのは嫌だなと思った。目指す道がつくばりんりんロードだったから西口に出るつもりだし、だとしたら立ち寄らなくていいやと思っていた。駅前で、自転車を組めるスペースさえあれば事足りる僕には、拠点となるサービス施設は特に必要がないから。でもそれは西口にあった。 西口といういい方が適当だろうか。じっさいには西口側の駅ビルの地下にあった。ならいいじゃん、寄ってみようって思った。 輪行袋のまま地下へ。せっかくだから行ってそこで自転車組み上げができるか見てみる。 しかし
(前編から続く) 引いたルートの道がなかったから、僕らはそこにある案内標識──と呼んでいいものなのだろうか──にしたがって右に下ることにした。これから向かう養老渓谷の文字がそこに書かれていたからだ。左側なんか読めやしない。左側の字を当てようとO君と連想ゲームをしたのだけど、答えの確証も得られなそうだし、なにより寒いからさっさと先に進むことにした。 そういえばさっきの緑色に変色したの案内標識、養老渓谷に並んで畜産なんとかと書いてあった。そのとおりで、下り坂を走りながら、左右の山の斜面に養鶏場だか養豚場だか、そんな建物がたくさんあるのを見た。しかしどこも静かで、いるのかいないのか、起きているのか寝てるのか、そんな畜産場ばかりだった。道は細く、カーブを連続させながら下って、広い道に出た。この道を下ればすぐ、県道32号大多喜君津線に突き当たる。もう養老渓谷だ。 (本日のルート) (GPSログ) ◆
自転車を買い換えた。 クロモリのフレームは、ラレーの自転車があるのだけど、ここ最近家人が乗ることが増えてきて(もともとそのつもりであったので、僕にはサイズが小さい)、きちんと用意しないといけないなと思っていた。 自転車にこだわりを持たない僕なので、例によってあえて、、、クラリス8速で組んだ自転車である。 その最初の行き先に選んだのは群馬県から栃木県、桐生市からみどり市、県境を越えて日光市へ至る道。これも何かこだわりがあったわけじゃない。朝、早いうちに目覚ましをかけて起きたものの、窓の外のどんよりした重い雲を寝ぼけまなこのまま見て気分も重くなり、これが雨を降らせているのかどうかも確認せずそのまま二度寝してしまったから。 7時過ぎに起きて明るくなった外を見て、今さら行きたくなくなった気分を半分抱えつつ、電車の時間を調べて決めた場所だった。この時間だからそう遠い場所には行けない。 8時過ぎ、僕は
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『nonsugarcafe.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く