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大谷翔平
platon427.hatenablog.com
感受性が強すぎるがゆえに精神を病むということ、それは実は「病」ではないのだ。当たり前の反応なのだと思う。「病」と名付けたのは、感情を鈍化、麻痺させて無感覚になっている人たち。その人たちだって強靭な精神を持っているわけではない。弱いからこそ順応とも退化ともとれる麻痺を起しているだけだ。分厚いカーテンを身体にぐるぐる巻きにして街を歩いている。 感受性が強すぎる人間は、身に何もまとっていない。裸で勝負しているのだ。寒い時は痛いほど冷え、暑いときは融けそうになって伸びる、自然すぎる。「無痛/無感動」をとるか、「痛み/泣きたくなるような喜び」をとるか。これはバラ売り不可、セット販売です。自分の反応が正常であるとわかれば、病に苦しむ必要はない。越えろ!次のステージがある。ある方の日記を読んで思ったこと。
演技をやめたい。元気なふりをして騒いでいる舞台から降りることがなかなかできない。 疲弊しているのに行動を変えられない。仕事はもちろんテンションを上げて盛り上げなきゃいけないのだけど、それを日常でも維持してしまい静かにしていることができない。いい人でいたいようで、みんなが休み希望を出しているお正月も働く。そんなのってカッコつけではないか。言われたら笑顔で引き受けてしまって、のちのち潰れていくのに。 人間関係もひどい。仲の良かった人はみんな疎遠。新しく仲良くなった人もすぐ離れてしまうから結局1人だ。 孤独感で肉体は死なないけれど、心はじわじわ死んでいく。 学校、仕事に通うだけで何も出来ていない日々に疲れている。目指すところが見えないまま日々が続いているのがダメなんだろうな。 でも、ふとみんな目標を持って生きているのだろうか?とも考える。日々を生き延びるだけで精一杯の人だって沢山いるだろう。でも
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