サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
preciousthings.blog18.fc2.com
付き合うようになったばかりのころ、彼女のことを(兄貴がしていたのと同じように)千尋と呼んで良いかと聞いたことがある。 彼女はちょっと考え(るふりをし)てから、だめよと言った。 「うっかり学校で呼んじゃったりしてごらんなさい、大変なことになるわ」 と言う彼女の説はもっともで、俺は渋々頷いた。 だが、それで諦めるほど素直じゃない。 「じゃあ、ヒロはどう? ヒロって呼び名から、ぱっと千尋を連想するやつは、そうそういないと思うけど」 「んー、そうね、それならいいかも」 「よし、決まりだ」 俺は浮かれていた。 なんといっても、初恋の女性と結ばれたのだ。 しかも、その人は今や自分の通う高校の教師で、ふたりの関係はいわゆる禁断の恋。 秘密めいた暗号のようなその呼び名も、俺の心をわくわくさせた。 もちろん、学校では慎重にしなければならない。 誰かに関係を悟られるようなことは、絶対にあってはならない。 だけ
「ねえ、もう終わりにしよう、こんなのやっぱり良くないよ」 情事のあと、髪を梳かしながら彼女が言う。 「お前、その台詞もう何千回目だよ、聞き飽きたし」 それを聞いた彼女は、必要以上に大きな音を立ててブラシを置き、鏡越しに俺を睨んだ。 「今回は本気なの」 俺は、ベッドに仰向けで寝そべったまま、煙草に火をつける。 「あ、そう。それで、今回は何が良くないと思ってんの、付き合ってる男が死んだ元彼の弟だってこと? それとも、教え子だってことの方?」 今回は、のところをわざと強調して言うと、彼女はさらにムッとした顔になった。 「嫌な言い方する人ね」 「お前が、毎度毎度こうやって蒸し返すからだろ、いい加減にしろよ」 「そんな風に言うことないじゃない、私はお互いの将来のことも考えて――」 俺がいきなり起き上ったものだから、彼女はびくりとして言葉を切った。 俺は、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けて消した。 「わ
動きたい。 激しく動いて、彼女を突いて、突いて、突きまくりたい。 怒張した自らのもので彼女の感じる部分を擦り上げ、最奥までを抉りたい。 俺は、湧き上がる衝動を堪えることができずに、繋がった状態で彼女を仰向けにした。 「蒼ぉ……」 藍は切なげな声で俺を呼び、潤んだ瞳で見上げてきた。 そうしながらも、柔らかくて熱い肉襞は、相変わらず俺を締め付け続けている。 「ああ、藍……すごく気持ちがイイよ……」 「ん、あたしも……」 見つめ合いながら口づけを交わす。 何度も何度も唇を重ね、舌を絡める。 深く激しく、他の何もかもをスポイルしてしまいたくなるくらいに甘いキス。 「あぁん、蒼……好き、大好きぃ……」 藍は俺の肩を強くつかんで、その背中が少し浮く。 ゆっくり腰を揺らすと、繋がり合った部分がくちゃくちゃといやらしい音を立てた。 「すごいね、いつもよりもたくさん濡れているみたい」 「だって……」 「俺が
2023/11 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 君のいる場所 =2= そのうち、「それ」が目を覚ました。 一瞬、自分がどこにいるのかもわからない様子でぱちくりと瞬きし、それから顔を覗き込んでいるのが俺だと気づくと、弾かれたように起き上がった。 「蒼!」 俺の名前を呼ぶ嬉々とした声、首に回される細い腕、嗅ぐたびに俺の中に不思議な切なさを呼び起こす甘い香り。 効きすぎていたエアコンのせいで、抱きしめ返した身体は少し冷えていたけれど、そのぬくもりは間違いなく彼女の――藍の――ものだった。 「ごめんね、待ちくたびれて寝ちゃったみたい。こんな時間まで撮影だったの?」 藍は、驚く俺に悪びれた様子もなく、ニコニコ顔でそんなことを言う。 「いや、外で飯を食っていたから晩くなっ
2023/11 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 今宵の逢瀬は、織姫と彦星に、敬意を表して。 梅雨の中休みで、久しぶりに星空が広がった、七夕の夜。 「いいお天気だね……」 「そうだね、天の川がきれいに見える」 「晴れて良かった」 「どうして?」 「だって、織姫と彦星が会えるのって今日だけなんでしょう、雨が降ったらかわいそう」 ベランダに出て、澄んだ夜空を見上げながら言うと、彼はあたしの耳元でふっと笑った。 「相変わらず、可愛らしいことを言うね、君は」 「会えたかなあ……」 「誰が?」 「だから、織姫と彦星」 「ああ……これだけ晴れたんだから、会えたんじゃないの。今頃は逢瀬の真っ最中かもね」 1年ぶりに激しく愛し合っていたりして、思わせぶりに彼が言う。 「もう、ま
2023/11 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. BGM =7= それから丸1日悩んで、さらにもう1日悶々としてから、放課後、俺は音楽室のとなりにある、教科準備室のドアをノックした。 そこに彼女がいない可能性もあったが、職員室まで訪ねて行くのはさすがに気が引けたし、新入生の俺には、他の場所の見当もつかなかったのだ。 だが、彼女はいた。 机の上を片付けながらの、帰り支度の最中だったようだ。 俺の気のせいでなければ、俺が来ることを予期していたようにも見えた。 「背が高くなったのね、洋介君」 と、彼女は久しぶりに会った親戚の姉ちゃんみたいなことを言った。 現に、俺はこの1年くらいで20センチ以上も身長が伸びていた。 「俺が、ここに来ると思ってたの」 「……どうして?」
2023/11 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. BGM =5= 突然消えてしまった千尋さんを、俺の両親もなんとか探し出そうとはしたようだが、彼女の行方は杳として知れなかった。 もともと、兄貴を介してしか接点のなかった人だ。 何も告げずにいなくなられてしまえば、退院後の行先なども、俺たち家族には皆目見当もつかなかった。 そのうち、お袋があの通りおかしくなり、俺も親父も他人の事には気が回らなくなってしまい、家族の間でも千尋さんの存在は徐々に忘れられていった。 けれども、彼女が俺の記憶からもすっかり消えてしまったかといえば、そうではない。 何度も書いてきたように、俺はよく、千尋さんのことを思い出した。 彼女の人となりを、懐かしく回想するというのではない。 そんな感傷
2023/11 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. BGM =4= 不運にも(と言うより他はないのだろう)、兄貴は死んでしまったが、事故の際に同乗していた恋人、千尋さんはどうなったのか。 結論から言えば、彼女は無事だった。 事故の衝撃で脳震盪を起こし、さらに身体の複数個所を骨折するという重傷ではあったものの、どれも生命に係わる怪我ではなかった。 ただ、「生き延びる」と「生き続ける」が必ずしも同義でないことを、俺はこのとき、はじめて知った。 千尋さんは、無事だった。 打撲も、切り傷も擦り傷も、表面的な怪我はすべて、きれいに治ると医師は請け負った。 骨折も、日常生活に支障ないところまで回復します、と言った。 普通なら、それで十分だろう。 だが、千尋さんはピアニストだっ
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 失いたくないもの =3= 「でも……この部屋がバラの花で埋まってる意味は? 20歳の誕生日にしては、数が多すぎるような気がするけど」 あたしが尋ねると、幸太郎は少し照れたように、鼻の横を掻いた。 「俺……お前と出会えて本当に良かったと思ってる、だから、それを形にしたかった」 「カタチ……?」 「俺たちが出会ってから今日まで、一緒に過ごしてきた日々……そのひとつひとつに花を贈りたいほど、俺は、お前がこうして俺のとなりにいてくれることに感謝してる」 そう思ったら、こうせずにはいられなくなった。 言いながら、照れ隠しなのか彼はあたしをぎゅっと抱きしめた。 どこかの花市場を丸ごと買い占めてきたのではないかと大袈裟でなく思
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 失いたくないもの =2= 「…………?!」 あ然とする、とはこういう状態を言うのかも知れない。 いきなり目の前に広がった光景に、あたしは言葉を失くした。 室内が、数え切れないほどのバラの花で埋め尽くされていたのだから当然だ。 「わあ、すごい! おはなさん、おはなさん、いっぱ~い!」 部屋中に、甘い香りが満ちている。 歓声を上げて駆け出した柚月の姿は、たちまち色とりどりの花に隠れて見えなくなった。 「な、…何これ……?」 柚月と散歩に出る前には、当然ながらこんな状態ではなかった。 散歩といっても小さい子供を連れてのこと、家の近所を少し歩き、途中の公園で柚月を遊ばせながら一休みして、またゆっくり戻ってくるという感じ。
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 幸せ 「あやなさあ、」 2人で歩く、川原沿いの帰り道。 あたしの手を引きながら、少し前を歩いていた彼が振り返る。 川面に反射する夕陽が逆光になって、こちらを向いた途端に、眩しそうに眉を顰める。 あたしは、そんな彼の表情のひとつひとつにドキドキする。 「なに?」 「ああ、別に大したことじゃないんだけどさ、もうすぐ誕生日だろ?」 手庇を上げながら、彼が言う。 影になった目の感じが男っぽくてカッコいい。 「うっそ~、かっちゃん、覚えててくれたの?」 「何意外そうな声出してんだよ、俺があやなの誕生日、覚えてないとでも思ったわけ?」 「そ、そんなこと、ないけど……」 正直言って、ちょっとだけ驚いていた。 かっちゃんとあたし
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 失いたくないもの =1= 「ママ、おはな」 そう言って、柚月が嬉しそうに拾い上げたのは、1輪の淡いピンク色をしたバラ。 ほら、と差し出された花に顔を近づけると、それはとても良い香りがした。 「ホントだ、綺麗ね」 あたしが言うと、柚月はまるで自分が褒められでもしたように、にっこりと笑顔になる。 漆黒の髪、白い頬、黒目がちの大きな瞳。 まるでミニチュアだと周囲に形容されるほど、あたしにそっくりな我が娘。 2歳の彼女はとても活動的で、たくさん動いてその小さな身体に有り余るエネルギーを発散させないと、お昼寝もしてくれない。 だから、お天気の良い日は彼女を散歩に連れ出すのが日課になっている。 柚月がそのバラを見つけたのは、
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 白いレースのカーテン =2= 翌日、会社から帰った幸太郎の手には、赤いリボンがひと巻き、握られていた。 「今度はリボン? 一体、何に使うの」 そう尋ねたあたしを、いいから黙って見ていろと制し、彼は、床に山と詰まれたベビー用品のひとつひとつに、そのリボンを結び始めた。 「今日、取引先と会議があって、そんとき、相手方のひとりに教えてもらったんだ」 意外と器用にリボンを蝶結びにしながら、幸太郎は言った。 「生まれてくる子供のために用意したものに、こうして赤いリボンを結んでおくと、魔よけになるんだとさ」 「へえ? そんなおまじない、初めて聞いた」 「俺も初耳だったぜ、なんでもキリスト教だかユダヤ教だかの言い伝えらしいけど
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 白いレースのカーテン =1= あたしは、俯いていた顔を上げて目を閉じ、指先でまぶたを押さえた。 ぎゅっと力を込めると、目の奥で白と緑の光がちかちかする。 ちょっと、根をつめすぎちゃったかな。 膝に置いていた編み物を、ほどけてしまわないよう慎重にかごに移し、揺り椅子から立ち上がって伸びをする。 大きく深呼吸をすると、真新しい木と壁紙のにおいが鼻腔に流れ込んできた。 この部屋は、御崎家の邸内、普段は使われていなかった翼の一部を、最近になってリフォームしたものだ。 数ヵ月後に生まれてくるはずの、「この子」のために。 あたしは、自分のお腹に手を当ててみた。 まだ目立つというほどではないけど、そこが微かに膨らんでいるのはわ
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. あなたへ 時間はひどくゆっくりと流れる ふたりの歩みに枷をはめて 海の底深く沈んだ数多の恋の物語のように 葛藤ばかりが増えていく ねえ あなたは知っているの わたしの想いは永遠に 消せはしないということを 悲しみに押し潰されそうな夜 壊れたココロの欠片の上で わたしに寄り添うのは孤独 愛しいと思うものはなんでも 1度でもこの手につかんだら 手離すことができなくなる わたしはあなたを愛してしまった わたしのすべてをあなたに捧げてしまった なのにどうして今になって わたしを試すようなことを尋ねるの あなたの中で何が起こっているのかわからない わたしの何が間違っていて わたしに何が足りなかったのか 後戻りをするにはもう
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 不器用でやさしい人だからきっと =3= 直後、抱きしめた直人の腰がぶるっと震えた。 迸った生暖かい精を、迷わず嚥下する。 それでも足りなくて、徐々に萎えていくそれの先端に吸い付いて、さらに残滓を啜る。 ああ、なんて愛しいの、もっと欲しい、もっと……。 「すっげ良かった、美桜……」 半ば恍惚としたあたしの頬に両手を添えて、直人が言う。 「あたしも……直人が良かったなら、嬉しい」 「今度は、俺にさせて」 「うん……」 直人は、横たわったままの姿勢でおいでと言う。 あたしは、彼の顔の真上で膝立ちになる。 「美桜も、もうぬるぬる」 「ああ、ん……」 直人が、舌を伸ばしてあたしのアソコを舐める。 そこはもう、蜜が滴るほどに
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 不器用でやさしい人だからきっと =2= 「ごめん……あたしのせいで、嫌な思いをさせてごめんね、直人」 「美桜のせいじゃないよ、俺が悪いんだ、まだまだガキで了見が狭いから……」 あたしは、言いかけた直人の唇に人差し指を当てて続きを遮った。 そんなことは絶対にない。 直人はこんなあたしを丸ごと受け容れてくれるような、広い心を持った人だ。 「……美桜」 視線が絡まる。 けれども、唇が触れ合う直前、あたしは首を捻ってそれを避けた。 「だめ、あたし……お風呂に入りたいし、歯も磨きたい」 「風呂くらい、店で済ませてきたろ」 直人の言う通り、まさかお客にサービスしたそのままの身体で帰ってくるわけじゃない。 接客のあと、きちんと
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 不器用でやさしい人だからきっと =1= 今夜も「ベビードール」での仕事を終え、タクシーでマンションに帰り着く。 エントランスで、自室のインタホンを押しかけたあたしは、ふとその指を泳がせた。 携帯の液晶画面に表示された時刻は、午前1時を回っている。 ……もう寝ちゃったかなあ。 あたしの部屋を、直人が訪ねてきたのは夕方のことだ。 「ごめん、あたしもう出かけるところなんだけど」 ちょうど出勤前の準備でバタバタしながら謝ったあたしに、直人は、「別にいいよ」と笑って言った。 いつになくご機嫌な様子なのでどうしたのか聞いてみると、彼は、明日は創立記念日か何かで学校が休みだから今夜は泊まりに来たんだというようなことを嬉しそうに
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 君よ 君よ 今夜、僕は君を訪れない だから、僕を待つ必要はないよ 君よ 今夜、僕は君の元に戻らない だから、僕を探す必要はないよ そこにある真実に目を向けて 今まで紡いできた僕と君の物語は 永遠ではないということに 愛しい人よ、おやすみ 僕のことなど早く忘れて 本当に君を想う恋人なら 君を傷つけたりはしないだろう 愛しい人よ、いい夢を見て できることなら僕を憎んで 本当に君を想う恋人なら こんな夜に君をひとりにはしないだろう 君よ もしいつかどこかですれ違っても 僕の名前を呼ばないで 君よ 悲しくて眠れない夜が続いても 僕を思い出さないで すぐそこにある真実に目を向けて 僕と君、ふたりの物語は 永遠に続くものでは
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =19= それから、約束していた鎮守様に寄った。 観光案内には縁結びが有名って書いてあったけど、ご利益は様々みたいで、結構な人で賑わっていた。 海に囲まれた神社で、これからも幸太郎とずっと一緒にいられますようにと願掛けした。 あたしが縁結びの話をしたときには揶揄するようなことを言っていた幸太郎も、手を合わせてお願いするときにちらりと窺った横顔は真面目なもので、それでまた嬉しくなっちゃったりもして。 周りに人がいっぱいいたから、初詣のときみたいに神様の前でちゅ、なんてことはできなかったけど、どちらともなく洩れた微笑や、さり気なく絡んだ指が、あたしたちのこれからを象徴してくれているような気がした。
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =18= その日のお昼を少し過ぎてから、あたしたちは、この海辺の家を離れることになった。 最初にふたりきりだと聞かされたときにはもちろん嬉しかったけど、ここで過ごした3日間は、期待していた以上に甘くて幸福に満ちたものだった。 あたしと幸太郎が、短い蜜月を過ごした愛の巣。 あたしは、少し名残惜しい気分で、幸太郎が玄関に施錠するのを見守った。 「これで、戸締りはよし、と」 幸太郎は、ちゃらりと音をさせてキーホルダーを握りなおすと、2本ぶら下がっていた鍵のひとつを外して、あたしの前に差し出した。 「ちゃんと失くさねえように持っとけよ」 「……え?」 「合鍵は、引き続き管理してくれる人間に預けとくが、
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =17= あたしがリビングに戻ったときには、幸太郎も、もうテレビの前に座ってはおらず、海に向かって設えられた大きな窓の前に立って、ぼんやりと外を眺めていた。 静かに凪いだ海、人気のない白い砂浜。 一昨日から、もう何度も目にした絵のような風景。 けれども、それは決して退屈な景色ではなく、むしろ、穏やかな落ち着きをもたらす。 あたしは幸太郎のうしろから腕を回して、彼の背中にぴっとりと張り付いた。 「今日は、……何時ごろに発つの?」 あたしは、内心のがっかりが声に出ないように気をつけながら、尋ねた。 短い滞在だったけど、この場所を離れることにはすでに後ろ髪を引かれる思いがある。 「そう慌てることもね
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =16= 昨晩は、月明かりに照らされながら、海辺のテラスで激しく愛を交わした。 夢うつつで唇を重ね、抱きしめ合ううちに、いつしか眠りに引き込まれていたらしい。 その間に、幸太郎が運んでくれたのだろう、次に目を覚ましたとき、あたしはベッドの上にいた。 無意識に手を伸ばして、大好きな人のぬくもりを探す。 けれども、となりで寝ているはずの幸太郎は、そこにいなかった。 慌てて起き上がり、部屋の中を見回してみるけど、やっぱり幸太郎の姿はない。 何も言わずに、どこに行っちゃったんだろう。 視界の中に幸太郎がいない、それだけで、あたしは急に不安になる。 とりあえずベッドを抜け出して服を着ると、大急ぎで階段を
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =15= 「恥ずかしがるようなこと言っても、下の口はこうやって妄りがわしくヒクヒクして涎垂らして、ホントはもっとえっちなことして欲しいんだ、そうだろ?」 例えば、こうやって。 その言葉と同時に、幸太郎の指がぬぷりと音を立てて泥濘に沈み込んだ。 「ああっ」 仰け反った拍子に、自分の中がきゅっと狭まって彼の指を締め付けてしまう。 それは、その通りですと彼の言葉を肯定してしまったのと同じだった。 その反応に気を良くしたのか、幸太郎は、内部の天井のざらつきに指先を押し付けて強く擦った。 そこは、あたしがものすごく感じてしまう場所。 「んんっ、だめ、だめ、そんなにしたら、すぐ――」 「だから、だめじゃね
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =14= 月明かりの下、あたしと幸太郎は生まれたままの姿で抱き合う。 潮騒をBGMに、降り注ぐ星をブランケットにして。 突き出しだ舌を絡め合い、まるで貪るような激しい口づけ。 あたしの腰を抱き寄せる、急くような幸太郎の手つきが、愛しい。 余裕がないのは、あたしも同じ。 もっと欲しい、早く欲しい。 これ以上なくあたしを歓ばせるものが、この先に待っている。 ねっとりとしたキスを続けながら、幸太郎の大きな手のひらが、あたしの胸を弄ぶ。 寝台代わりのウッディなデッキチェアは、ふたり分の体重をかけられて、不満そうに軋んだ音を立てる。 先端をぎゅっとつままれて、唇を塞がれたままあたしは少し眉を顰める。 そ
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =13= あたしは、妙にセンチメンタルな気分になって下を向く。 お楽しみは終わった。 楽しい時間はいつも、あっという間に過ぎてしまう。 3日もあると思っていた幸太郎の休暇だって、残るは明日1日だけだ。 「佐和子……」 名前を呼ばれて顔を上げると、デッキチェアで身体を起こしていた幸太郎と目が合った。 「そんなにきれいだったのか、そんときの花火」 「うん……華やかで、潔くて、打ち上げ花火を生で観たのはそれが初めてってこともあったんだろうけど、すごく迫力あって印象深かった」 「そうか……」 幸太郎は、続く言葉に困ったように口を噤んでしまった。 幸太郎が戸惑う気持ちはよくわかる。 小さいころに観た花火
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =12= 「なあ、飯食ったら花火しねえか?」 夕ご飯のとき、向かいに座る幸太郎が、突然言い出した。 「花火? 時期的にまだちょっと早いんじゃないの」 「まあ、本格的な季節はまだかも知んねえけど。海と花火ってお約束だろ、普通」 そんな決まりごとがあるのかとも思ったけど、別に反対する理由はないし、むしろ、この機会を逃したら、今度はいつ、幸太郎とのんびり過ごせる時間が持てるかわからない。 「うん、じゃあ、ご飯が終わったらしよ」 そう言って頷いたあたしに、幸太郎はご機嫌良さそうにニコニコと笑っていた。 ご飯を食べて片付けを済ませたあと、幸太郎と一緒にテラスに出た。 相変わらず、海は静かで風もなく、花火
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. 華やかに、桜舞い散る春、ここにもう、君はいない。 入学式の行われている講堂。 壇上に設けられた教師席に座り、僕は出かかった欠伸を噛み殺す。 毎年毎年、変わり映えのしない長ったらしく退屈な式典。 去年も、一昨年も、同じ場所に座り同じようなことを考えた。 まるでデジャヴ。 ああ、でも……3年前のこの日だけは、少し様子が違っていたっけ。 式の間中、誰かに見られているような気がして、妙に落ち着かなかったのを覚えてる。 その視線が、実は新入生だった柚月が僕を見つめていたものだったことを知ったのは、それからもうしばらく経ってからだ。 親しくなってから、こんな僕のどこが良かったのかと聞いたら、僕を一目見たときのインパクトがとに
2024/06 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30. いつも、いつまでも =11= 意味深に濡れたリビングの床をペーパーモップで拭きながら、あたしは微かに嘆息した。 さすがに、……さっきのは、きつかったかも。 床、硬くてちょっと冷たかったし。 おまけに、ああいうときの幸太郎は手加減ってものを知らない人だし。 大きな窓の向こうには、相変わらず穏やかな景色が広がってる。 白い砂浜、静かに凪いだ海。 幸太郎と手を繋いで波打ち際を散歩、なんてできたら、きっと気持ちが良いだろう。 そんなとりとめのないことに思いを馳せながら、ふと、あることに気がついた。 さっきは夢中になってて、周りを気にすることも忘れていたけど。 ここから、これだけきれいに表が見渡せるのなら。 表からも、屋内
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Precious Things』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く