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大谷翔平
quishin.com
あれから5年が経った。記憶を整理するのに5年という月日はきりがよくてちょうどいい。 僕にとってもそれは、悲しみを、悲しみとして告白できるくらいにしてくれる時間であった。 正直に言うと毎年この季節になると、志村について文章を書きたいと思っていた。けれど、それはできなかった。今年はなんとなくできそうだと思ったら、もう5年も経っていたという感じだ。 宇多田ヒカルが“COLORS”で歌ったように、死者に祈る際は黒い衣服に身を纏うことが一般的だ。しかし今はクリスマス。 僕らは赤い服のサンタクロースを見るたびに、ある人の死を思い出す。 赤い服を着た何者かが、大切な人を連れていってしまう悪魔ではないのかと疑ってしまう。クリスマスにそんな、世の常識から外れた異物感のあるイメージが植え付けられたのが、今からちょうど5年前。 志村正彦が、クリスマスイヴに死んだ。 今でもその日のことを鮮明に覚えている。仕事場の
僕が音楽を好きになったきっかけは中学2年生の時に知ったリンプ・ビズキットだった。 その後はオフスプリングやグリーン・デイなどのパンクを聴いた。この辺のバンドは、今でも月に一度は聴く。 高校に入るとロッキング・オンとクロス・ビートを購読するようになり、ロックンロール・リヴァイヴァル期に登場したバンドを追いながら、レディオヘッドやオアシス、ウィーザーやニルヴァーナなど1世代前のロックも掘るようになった。 高校3年の冬頃までは「日本の音楽なんてダサイのばっか」が信条の典型的な洋楽専門のリスナーだった。 そんな僕が初めて熱烈に引き付けられた日本のロックバンドが、シロップ16gだった。 今考えるとシロップを知るまでの僕は現実逃避のために音楽を聴いていたので、理解で きる言語で歌われている音楽は求めていなかったのだと思う。裕福とは言い難い家庭で育ち、のちに精神病院に措置入院させられる兄から日常的に暴力
写真作品を、アートを楽しむ上での選択肢にしたい 2019年12月14日(土)に、渋谷ギャラリー・ルデコにて行われた「TALK OUTSIDE DENNY Ⅱ」。 これは、芸術家・大川直也の個展、NAOYA OHKAWA EXHIBITION 2019「HUMAN
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