www3.nhk.or.jp 自分がいつ死ぬか(「殺す」という行為を意図的に他の生命を停止させることだと定義すれば、実質的には、日本国の認識する正義によって殺されるか)、執行の当日に知るのと事前に知らされるのと、どちらがよいのだろうか。 本人たちが事前に知りたいというのなら、行政側の「あらかじめ伝える方が心理的負担が大きいから」という主旨とはかみ合わない。 省庁側の主張は、問題として取り合うのが面倒くさいのでとりあえずこう言ってるだけだろ、という気がするが、直前に知らされるのが本当に苦痛なのかもよくわからない。星新一の『処刑』を思い出すような話だと思う。 結局、俺はいつか自分も死すべき生命として、死刑囚という存在を終わりを考える一つの題材として扱っているわけなので、自身のそのグロテスクさにはちょっと辟易する。 ところで、森達也の本を読んでいるときに、「死刑囚は死刑という罰に処されるのであっ