サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
shurir.hatenablog.com
2017 - 04 - 24 ノスタルジア・ブルー 18.5帖の広々リビングにグランドピアノ、いつでも飲める水素水生成器設置、お菓子づくりに便利なオーブンレンジ付、夢のカウンターキッチンで食卓の準備もらくちん。しかも3LDKの11階建て最上階、夏はベランダから花火の一望できる海沿いのマンション。 おもわず目を見開く理想を詰め込んだ物件情報にまるで楽園!と数日前の自分はたしかに叫んでいた。東京暮らしと比べればお値段格安、まるで浦島太郎みたい。リッチな感覚に浸りながら優雅にすごす田舎暮らし。 それでもいまはどうしても手放しで喜べない。 急に現実味を帯びた食卓を想像し、わたしはおもわず涙ぐんだ。18.5帖のリビングではくたびれた老夫婦が煮物をつっついている。ふたりきりでごはんをたべるにはあまりに広すぎるそこで、箸の食器に触れる音だけがかん、とさびしく響く。 だれもいない6.5帖の洋室には
2017 - 03 - 27 確かさの不確か 「こんなときだから冗談みたいに言うけれど、実はあなた、おとうさんのほんとうのこどもじゃないのよ。」 あまりの衝撃に一瞬息がとまった。きかなければよかった。弟は黙っていた。わたしはドアノブにかけた手を力なく落とすと、すごすごと自室に戻った。 20年間、ずっと知らないで生きてきた。父と、母と、わたしと、弟と4人でやってきた。わたしたち家族は凡庸ながら、お互いの関係を長年かけ大切に育んできた。 それでも、あたりまえにあるとおもっている繋がりがなかったと宣告されることは、おもうほど簡単に受け容れられるものでもなかった。頭ではどんなに想像できても実感が伴わない。 過去のあれこれを記憶の底から掘り起こすと、思い当たる節がないわけではなかった。幼いころからわたしはよく 父親 似だと揶揄された。対して、弟は美人の母と瓜ふたつだと近所でも評判だった。
2016 - 09 - 20 なんのために書くか。 それらしくないと作品ではない、という風潮が世のなかにはあるのかもしれないけれど、わたしは毎回の記事をひとつの作品として提示しているつもりだ。そのなかには信念があり、疑念があり、葛藤がある。都度感情をさらけ出すことでわたしは自分の生きる軌跡を描いているつもりだし、それが芸術家というものだろう。ただ、形としては少々歪すぎるというか、どうしてもそれっぽく書けないことには毎度憤りを感じている。 今朝は衝動に駆られ、一度ものがたりを書こうと筆を執ったはよいけれど、3000字ほど書いたところでその形式に疑問を感じはじめ、絶望し、突っ伏し、真っ暗な世界をただみていた。深く深く広がる闇にどうしていつでもひとり、取り残されてしまうんだろう?わたしはまたひとりぼっちになってしまったんだ、と悟った。喪失感は尋常じゃなかった。 けれど、昔ほどじゃない。いつで
2016 - 08 - 13 高学歴って言うほど魅力的かなあ? わたしという人間自身、学歴社会の歪みから生み出された産物だと自覚している。 勉強は昔からけっこうすきだった。特に暗記系。なぜかといえば、 暗記は覚えりゃいい のでとっても楽だからだ。「次回の漢字テストはp.50~p.128までです」と言われれば、四の五の言わずその範囲とりあえず丸暗記すれば、すくなくともその範囲でなら満点が取れる。とても簡単なはなしだ。 究極的には、受験勉強ってこの理屈で乗り切れると思っている。もちろん応用問題となるとはなしはべつだよ~みたいなところはあるんだけれど、それは多少難易度の差が生じる程度であり、 模範解答が存在する限り 受験は、それこそ本気でなんとかするきもちさえあれば乗り切れる。 もちろんわたしは日本の最高学府と呼ばれる大学に進学したわけではないし、どちらかといえばかなりトリッキーな方法を用
2016 - 08 - 05 みんなみんなつまんない!この世はつまんないおとなだらけ! 夢がなくってかわいそう!信じられなくってかわいそう! なぜひとを値踏みしようとするんだろう?論破しようとするんだろう?なにかを理論的に語れることがそんなに偉いことなのか。 いつもいつもいつもそうだ、説得するだけの根拠がないと語る土俵にさえ立たせてもらえない。 そうしていつもいつもいつもいつもなにを言うことも許されず、ほんとうのことばをしゃべらせてもらえなかったひとのきもちがあなたたちにわかるのか。 ずっとずっとずっとずっと本心が言えずにこころを押し殺してきたひとたちのきもちがわかるのか。 目にみえないものがそんなに信じられない?どうしたら現状を突破できるか具体案が明確でない? そんなのあとからついてくるよ、地に足着けて歩いていけば、きっとみえてくるものがあるよ。たしかに甘いよ、甘々だよ。けれ
2016 - 05 - 07 洗脳からどのようにして正気に戻るか 哲学 素直は洗脳されやすい? わたしは騙されやすい性格だと自負している。昔から、ひとのことばを通過させるじぶんフィルターの網目ががばがばで、たいていのことは「そうなんだ~~」と受け容れてしまう。以前はそのことで「芯がないね」とか「ぶれぶれだよね」と言われよく傷ついていた。けれど最近は、この素直な性格を気に入っている。素直は良いことだ!疑い深くなりすぎると自ずとまわりと距離を取ってしまうからいけない。それだとまず信頼はされないし、相手がほんとうのことを言ってくれなくなったりする。そのことに気がついてからは、この素直さをなくさず、うまく折り合いをつけることを考えるようになった。 ただし、素直には危険がいっぱいだ!もう何度怪しい団体に声をかけられたかしれないし、むしろわたしは上記のごとく積極的に洗脳を受け容れようとする質なので、
2016 - 07 - 20 降りられないジェットコースターに乗ってぐわんぐわん揺さぶられている感じ さっきぽろん、とLINEが来て妹にこんなことを言われた。 「がんばりすぎないでね。おねえちゃんはもう、十分がんばってるんだよ。」 がんばっている自覚はあんまりないのだけれど、たしかに今すこしだけきもちが落ち着いてきて、ちょっとばかり疲れたような気がしてきた。それでも、なぜかわたしにはがんばるってことしか生きる価値がないみたいなきもちがまだまだ強くこびりついていて、 がんばれなくなるのがものすごくこわい 。 もちろんこのどうしようもないわたしをずうっと見守りつづけてきてくれた家族の、そういうことばはあたたかく目に映るし、「無理しないでね」と言ってもらえる嬉しさもこころをいっぱいに満たしてくれるんだけれど、それでもわたしはまだ、 がんばりつづけなくっちゃ自分には価値がなくなるんじゃないか
2016 - 07 - 17 せっかくだから、コーチングについてわかりやすくまとめてみたよ! 我に返っちゃいけない気がする。今ここで我に返ると、恥に恥を重ね上塗りしてきた現実が一気に音を立てて崩れる感じがする。……なにがいけないんだろう?なにが足りないんだろう?もはやそんなことを考えるでもなく走りつづけないと、いつこの車輪が錆びつくかわからない。やはりどうにも健全ではない感じがするのだけれど、立ち止まるよりよっぽどいい。歪んでいるだろうか? きょう、妹のともだちが我が家へ遊びに来た。遊びに、と言っても大学のテストが近いということで、ふたり仲良くお勉強していた。わたしも妹のともだちとはともだちみたいなものなので(勝手に馴れ馴れしくしている)、きょうの記事を書き上げてからリビングで合流し、すこし混ぜてもらいお勉強した。 なんだかこの記事を書き上げてからきょうは自分のなかの様子がすこしおかし
2016 - 07 - 17 ぜひ一読してほしい!感受性MAXのわたしが個人的にオススメする漫画タイトルを128列挙する。 あるレンタルビデオ店で働いていたころ、シフトに入るたび漫画をレンタルして読んでいた時期があった。 映画などの映像やCDもそこそこ借りてはいたのだけれど、わたしは漫画がけっこうすきみたいで、すくなくとも半年で100タイトルくらいは読んだと思う。これが多いかすくないかは正直よくわからないんだけれど、まあ、あのときのわたしには 今の自分にできることは真剣に漫画を読むことくらいしかない と本気で思っていた。 タイトルが被らないように、日記帳の最後のページに読んだ漫画のタイトルをどんどん書き加えていって、新刊が出たらまた読んで、タイトル横の数字を消し、1足して書く。こういうふうになにかを記録に残すことが今までなかった人間だから、なんとなく読んだ漫画のタイトルが増えていくのは
2016 - 06 - 30 24のわたしが選ぶ幼き日のトラウマ映像10 みなさんは覚えているだろうか……? えいごりあーん、えいごりあん……?えいごりあーん!えいごりあん?えーいごーりーあーん…… — しゅり (@shurir) 2016年6月29日 えいごりあん…… pic.twitter.com/FLdE8daNbf — しゅり (@shurir) 2016年6月29日 2000年4月から2008年3月まで NHK教育テレビジョン で放送されていた、小学生向け英語教育番組。 えいごリアン 。 わたしははじめてこの番組をみたとき、子供ごころに得体の知れない恐怖を抱いたのをよく覚えている。たしかOPでは、この画像の キノコ ( えいごリアン )たちが真っ白な地面から続々と湧いてくる超絶ホラー展開だったと記憶しているのだけど、どうだろう?動画をさがしてみたけれどざんねんながら見つから
2016 - 06 - 24 一生懸命書いたはずの小説を読み返したらただのゴミだった…… 絶望は不意にやってくる。わたしは自身の文章における立ち位置を思い悩んでいるのかもしれない。或いは はてなブログ という領域において、頭を上下揺らしながらまるで空間に漂うことばをそのまま頭裏から取り入れるよう表出する、というすこしばかり特殊な手法から距離を置きたかったのかもしれない。困る、とても困っていた。これが万人に受ける、思うところの娯楽性を排除する要素が入っていることをよく知っていた。実際、アクセス数をみればそれは明らかだった。 当初の目的として、わたしは単に応援がほしかった。こどもがアイスをねだる純粋なきもちのまま、わたしはだれかにわかりやすく褒めてほしかったのだ。そしてこの2か月で、欲望はある程度満たされた。ありがたいことに「読んでいる」「元気をもらった」などおことばを受け取り、どこか浮かれ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『shurir.hatenablog.com』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く