サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
skillnote.hatenadiary.jp
スキルノートの芦沢です。首都圏の大雪で、いつもの武蔵野プレイスが素敵な表情を見せてくれました。 さて本題です。起業して、こんな悪循環にハマってしまう方を時折見かけます。 →とにかく自分の専門性を磨き良いコンテンツを作ることに集中する →それだけでは誰にも伝わらずお客様は来ないことに気づく →お客様が来ないことには始まらないので集客のノウハウをあれこれ習得する →そのノウハウを使い、晴れてお客様が集まったものの、期待値に満たないためそのお客様は二度と来ないし周囲に勧めることは決して無い →毎回新規の集客に追われ、内容を磨く時間や手間を減らす →提供する内容の質が下がり、ブランディングがあやふやになり、なおさらお客様は来ない 何が問題だと思いますか? 私は集客術のプロではありません。手法のノウハウを持ってもいないし、学んで使ったこともありません。でも、たいへんありがたいことに、お客様は次々とや
ボランティア精神はとても大切だと思う。個人の欲求や都合のために働くだけでなく、地域や社会の課題にも目を向け頭と手足を動かしてそこに関わろうという主体性の発揮、その心がボランティア精神に他ならないからだ。 ところで一般的なボランティア労働=無給ボランティアの場合、その活動を支えるのはそこに参加する個人の努力や我慢で成り立っている。つまり、何らかの事情で努力や我慢が出来なくなったとき、その役割を継続的に提供することはできなくなる。 無給ボランティアである限り、その場に参加するかどうかの最終決定権はボランティアをする側にある。なので全体として、安定した労務の提供ができづらいという事実がある。 例えば全国で活発に広がる「子ども食堂」の取り組み。素晴らしい活動なのだけれど、聞こえてくる運営側の声にはやはり人手が足りない、当日にならないと何人が手伝えるかわからないのでシフトが組めない、従って告知できる
キャリア形成の中心に何を置くか。そりゃ仕事でしょ、それ以外何があるのという声はあるし、その気持ちもわかる。かつての私自身もそうだった。身を粉にして深夜まで働き、その結果得られた成果が自分自身のキャリア形成に寄与するものだと信じて疑わなかった。でも、それは違う。 話の前提として、ここで言う「仕事」とはカイシャ勤めなど組織に従事している人の役割を指す。起業家や個人事業主、また社会的事業に関わる人たちは少し違う。業を生み出すのは主体的なキャリア形成そのものだ。働きすぎ、使命感と生活のバランスなどの課題はあるけれど。 本題に戻る。キャリアの中心に仕事を置く、というのは極論、キャリア形成をサボっている、手抜きしているのと同じ。組織の専門性や、ましてや人事異動や役割変更に自分自身のキャリア形成を委ねるのは、悪い意味でギャンブルそのもの。転勤が当たり前、という感覚はその意味で前時代的ですらある。 ゴール
お互いの関係性は薄く日頃頻繁に会ったり連絡することは無いのだけど、ある一部に共通する経験や関心があり、うっすらとつながっている知人を「薄トモ」と呼びます(勝手に命名)。一見、あまり影響のない存在だと思われがちですが、この「薄トモ」と数多くつながっておくとむしろ人生に良い影響を与えるような大切な出来事に巡り合う可能性がありますよ、というお話です。 例えばこんなこと。 ・旅先でたった一度出会いその後は特段のやりとりの無い"Facebookのみ友だち"が、ある時とても共感する内容の記事をシェアしてその時心底悩んでいた問題解決のヒントになった ・高校の同級生で年賀状のやりとりくらいの付き合いだったが、ある年に帰省した際ランチの誘いがあり話を聞くと、自分が目指すキャリアのロールモデルのような存在になっていた ・子どもの小学校のPTAの集まりで知り合った地域の人と何と無くつながっていたら、ある時に誘わ
桜の蕾がほころび出すと毎年思い出すのだが9年前の今頃、通っていた精神科の主治医から会社を休職することを強く勧められ、翌朝上司に震える手で休職願いを出し、何を話したか緊張と不安感のあまり何も思い出せないが、ともかくそれから2ヶ月半の休職期間に入ることになった。うつ病で休職なんてまさか自分がそんな立場になるとは夢にも思っていなかったので、症状の辛さから休めることの有り難さよりも遥かに、うつ病で休職するということがまるで人間の尊厳を失ってしまうかのような思いに駆られたことを、振り返れば鮮明に思い出す。 *** その数ヶ月前、2005年当時31才の僕は若手から中堅に差し掛かるかどうかという立場で、年の暮れにそれまで勤務していた人事部から本社の営業部に異動することになった。社内では花形とされる、聞けば誰でも名前を知っている大企業を相手にした大きな取引を担う役割だった。今思えば勝手に描いた幻想だったの
春を前に、今年もこんな記事が話題のようです。 最初の3年で仕事人生の大半が決まる説 - sudoken Blog しかし僕は、正面から意義を唱えたい。そんなわけないだろう、と。 それは、あなたの個人的な成功のみを目的にしていませんか?そもそも成功の定義は経済的な側面や、有名になることだけなのでしょうか。 20代30代で経営者になり年収1億で、名前が売れてwebや雑誌に出て、それが成功・・・? だとしたらそれは前時代の価値観そのもの。不思議だなぁ、戦後70年をかけてそれは間違いだったと気付き始めているときに、何故だか若き"成功者"は自らの尺度にこれを当てはめようとしていて、時計が逆回転をしている感。 私は縁あって企業の新入社員教育に3年間、大学生の教育支援に7年間関わる経験をしました。個人差や年代差を乗り越えて共通に言えることは、誰しもがその本人特有の魅力・能力を既に持っているということです
ファシリテーションの概念が日本に導入されて10年程が経過したでしょうか。ようやく最近ファシリテーションとは何か、またその効果についても同様に世の中で認知されつつあることを感じています。旧来型の会議による一方的な指示や伝達だけでなく、参加者が相互に情報を受発信し議論を深めるというカルチャーは大切に育てていきたいですね。 さてファシリテーションが普及すると同時にその進行役であるファシリテーターの存在も必要になり、その役割を担う人が増えてきました。場作りの案内役は重要で、その采配次第でミーティングやワークショップの出来が決まります。多くの人を動かすダイナミズムに惹かれてその役割をやってみたいと目指すことはとても素晴らしいと思います。 しかしながら昨今増えてきたファシリテーターの皆さんが実際に発揮しているスキルには、まだまだ多くの課題があると感じています。今後の発展のために、気がついた点をいくつか
私自身もアラフォーで立派なおっさんの一員なのですが、どうも世の中には人から受け入れられるおっさんと、遠ざけられるおっさんがいるようです。その違いは外面的なこと(顔が怖いとか、臭いとか)を除くと、要はコンテンツを持っているかそうでないか、そのコンテンツを発揮することで人の役に立っているかどうかの違いではないかという仮説を立ててみました。 まずコンテンツのあるおっさんと、無いおっさんを見分けるのは「発言」でわかります。たとえば、何かをこちらから話しかけ相談した時のレスポンスとして、 1.「若いころはそういう事に出会うものだよ。」 2.「何とかなるよ。」 3.「自分はどう思うの?」 これらの発言をするおっさんには、あまり有効な助言を期待できません。1.「若いころは~」の方は経験第一主義者ですね。世の中のだいたいのことは俺が経験している。だからその事例に照らし合わせれば答えはわかる。よくぞ俺に聞い
年末が近づき書店には新年度の手帳が並んでいます。気持ちも新たに、来年こそは納得の日々をスケジュールしたい、と思いますよね。そこで、手帳に書くべき本当に必要な3つのことをご紹介します。 1.まずプライベートの予定をブロックする 買い物、友人との会食、書店めぐり、趣味のサークル、お子さんの行事参加など夜間と休日のプライベートの予定をしっかりと記入しましょう。自分が心地良く過ごせる時間を確保することは日々の勤めのパフォーマンスを支えることにつながります。そして大切なのは勤めの忙しさを理由にその予定を安易に変更しないこと。プライベートの予定をしっかりブロックすることで生活全体のバランスを維持することができます。手帳は決してカイシャのスケジュール管理のためだけではなく、生活全体のためにあることを認識しましょう。 2.自分一人の作業時間を記入する 企画のリサーチや検討、資料作成など一人で行うためのまと
先日、大学のゼミOB・OG会でファシリテーターを務めました。同窓会もそうですが、こういう機会って年1回の楽しみなイベントの割に、参加してみると座った席次第というか、意外に話せる人数が少ないですよね。どんな刺激や発見を得られるか胸を高鳴らせて参加したものの、帰路では不完全燃焼の自分がいて割高な飲み会だったなぁと感じ、翌年以降足が遠のく・・・そんな意識を常々感じていました。私が所属していたゼミは創立から20年、自分たちが第一期生ということもあり、やや責任を感じて今年改革の役割を担うことに。 まずは7月某日、前期のゼミ最終回の打ち上げに参加して現役のゼミ生がOB・OG会に何を期待しているかをヒアリング。いろいろ意見はあるものの共通する想いは「社会人の先輩方とガチで語りたいっス」。教育学専攻のゼミでもあり、社会に出てみると大学で学んだ事にはどんな意味があるのだろう、社会人の立場から大学での経験をど
行政の旗振りのもと、企業やその他の組織において女性の活躍推進は重要な課題として様々な対策が展開されています。私はその代表的ないくつかのやり方が、むしろ推進ではなく阻害要因になっていると、感じています。国際的に見て日本での管理職登用は、行政でも企業でも著しく男性偏重となっています。日本における女性管理職比率は平均1%程度と韓国と並び最下位グループにあり、それが政府の強い旗振り行動につながっています。しかし、ただ盲目的に女性管理職を増やすやり方が適切で、女性自身や社会全体にとって恩恵となるのでしょうか。 昨今多くの企業では選抜型女性リーダー育成プログラムが展開され、数年以内に女性管理職◯%を達成するのだというコミットがなされています。しかし大切なのは数値目標の達成ではなく、その実現のために必要な組織風土の改善や環境整備が全体としてなされているのか、ということです。例えば既に管理職として活躍され
残念ながら現状では、日本の多くの企業の広報部は旧来型の情報発信スタイルに留まっており、世の中の情報流通の主流となり今後も拡大していくwebベースでの情報発信について、十分に変化に対応できていないという大きな課題がある。以前からの「ニュースリリース・マスコミ記者コネクション・記者会見・ホームページへのニュースリリース文アップ」のセットはルーティンであり、差別化という意味では効果をまったく発揮し得ない。 さらにニュースリリースのホームページ掲載に関しては、依然として「PDFファイルの掲示のみ」となっている時代遅れの企業もある。形式的なニュースリリースを記者が拾い記事にするケースは稀であり、その一方で企業からの情報発信をダイレクトにかつ主体的に拾い拡散するweb情報メディアやプロブロガー、個人ユーザーは増加しており、リリース案件の口コミ効果は無視できないレベルに来ている。しかしPDFでは自動サー
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『skillnote.hatenadiary.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く