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大谷翔平
sociotaxis.hatenablog.com
このタイトルも、そのとおりの内容としてご理解頂けると思う。会社における普通の人については、何も仕事の厳しさを背負うことはないんじゃないかと普段から考えているのだが、この話について述べたいと思う。 やりがい論の話で書いたが、欧米では出世を望んで残業を厭わず働く人と、普通に働いて家族の時間を大切にする人で二分されるというのはよく聞く話である。しかし日本における同様の構図を考えてみると、出世を望む人だけでなく、さほど出世を望まない普通の人までも、残業を強いられたり仕事の厳しさを負わされたりしている…というやるせない状況が思い浮かぶ。 おそらくこの日本の状況のほうが誤っており、欧米の構図が社会の大前提としても成り立つものだと思う。日本はあえて逆行するようなことをしているのだろう。 ここはやや観念的な話になるが、出世を望んで社会をけん引する人と、出世を望まず家族の時間を大切にする人では、備えている役
以前に、組織におけるマニュアルの重要性、整備の仕方について書いているが、今回は、医療現場での仕組みにも触れて述べてみたい。 ヒヤリハット-この言葉はなかなか有名なものである。重大事故の起きる周辺には、軽度の事故とニアミスが数多く存在していたはずというものである。医療現場では、重大事故を起こすことが患者の生死に直結するため、「重大事故は起きなかった、ああよかった。」と安直にやり過ごすのはあり得ないわけだ。重大事故が起きなかったとしても、その事例をヒヤリハットの検証に回して原因を分析するという、2重3重の事故防止措置が取られるのだ。重大事故が起きてから初めて検証を行う、こんな愚かで役所的なことはしない。 個人的に思うのだが、一般の組織におけるマニュアルも、こうした緊張感でもって作成されてもよいのではないだろうか。 一般の組織においては、業務の期限や納期に間に合わせるのに危ない思いをしたというこ
前回、業務マニュアルが軽視される心理として、前任者が後任者へおかしな優越意識を持っているのではないか、ということを述べた。 一度このブログでメモ書きを簡潔に残したことがあるが、今回はそうしたおかしな優越意識をどのように改善していくか、実践的な内容を掘り下げて述べたいと思う。 軸になる話として、まずは分量の目安について。具体的な分量の数値があれば、どれほどのマニュアルを残すことが後任者を救うことになるのか、それを把握できると思う。 結論を言うと、自分は3、4年の在籍であれば50ページ程度のマニュアルを作成してきたのだが、このくらいがちょうどよかったと思っている。後任者から文句を言われることもなく、活用できた旨謝辞の言葉を頂けたものである。(お世辞ではなかったものとして…) 労働基準法の枠内でも1日8時間、週5日働いているのだから、これくらいのページ数にはなるものだと、個人的にはそう思っている
仕事をされている方は、このタイトルにどのようなことを感じるだろうか。 様々な職種において、異動、転勤というものは存在する。(以下「異動」とまとめる。)そして、この異動のたびに重要となってくるものがマニュアルである。業務の前任者と後任者で、業務内容で手順に落とし込めるものについて、その手順書を作成して共有するのである。 ただこのマニュアル、残念なことにその作成は軽視されることが多い。自分は行政組織で仕事をしているが、ここまで働いてきた体感としては、「ほとんど重視されていない」という表現がふさわしかったと思う。 まるで、「本当は後任者が一から仕事を覚えないといけないけど、前任者が善意で少しだけマニュアルを残してあげる」という具合にである。 そうした流れで内容の薄いマニュアルを受け取ると、多くのことを自分で学んでいかなければならず、知識不足によるミスが生じては落胆する…、周りの人へ多数の質問をし
前回は、「そんなの常識だろ」「甘えるな」を始めとする攻撃的な思考停止ワードなるものを、5つ紹介させて頂いた。今回は、上司と部下、新人の間でこうした言葉が使われる背景について述べていきたい。 攻撃的な思考停止ワードというものは、「それを言っちゃあおしまいよ」という思考停止性を含んでおり、なおかつ攻撃的なものとなる。だからこれを言われると、部下としては反論もできずとにかく不満を溜め込むしかなくなる、というタチの悪さを帯びているのだ。この点は強調しておくべきことである。 上司としては、こうした思考停止ワードが出そうになるときは、原則的に自分のほうが誤っているということを意識したほうがいいだろう。思考停止ワードを言ってしまうと、部下を困らせることにしかならない。 もちろん、怠慢への要望、合理性のない自己判断、言い逃れや責任回避、こうした姿勢は新入社員、新人などにおいて多少見られることはあるだろう。
前回は、業務の繁忙、閑散について、繁忙期に易々と人を増やすことが非正規雇用増加の一因になることを述べた。今回は、業務の繁忙、閑散に対して、労働基準法で週5日、毎日8時間の労働が規定されていることの問題を述べたいと思う。 週5日、毎日8時間という枠ありきになっているため、繁忙期は時間外労働も検討するほど業務量があったりするが、閑散期はこの枠を満たせるほどの業務量がなかったりする。なので閑散期は、仕事が少なくあまりすることのない状況に甘んじる、ということがあったりもする。 しかし日本人は仕事を美徳と捉えるため、仕事が少ないという状況を受け入れようとしない節があり、このことに抵抗感を覚えることは多いだろう。閑散期には普段やらない雑務にいそしんだり、雑談をしたりする、素直にそれを認めたらいいんじゃないかなあと思うのだが。(露骨に遊ぶのはだめですよ。) そして、こうした状況を改善するため、閑散期は早
おそらくこの話は、大多数の人から賛同を得られる話ではないだろうか。有給休暇は労働者の福祉のため、所定の休日以外にも付与されるものである。そして病気等による休暇とは異なり、労働者の自由意思で取得できるものとなっている。それだけで、有給休暇を取得する理由は問われるものでないことはわかる。 ただ日本においては、有給休暇の申請を受けると、なんとなくの気持ちに流されて理由を聞いてしまう、そんな上司のほうが圧倒的に多いのだ。これはなんとも情けない話ではないだろうか。 理由を聞いてしまう心理につながる概念として、時季変更権というものはある。明白な業務上の支障があるときは、使用者は労働者に取得理由を確認して、有給休暇を取る日を変更してもらう権利があるというものだ。 kotobank.jp しかしこれも逆に言えば、明白な業務上の支障があるときしか行使できない権利であるとは言える。上司がなんとなくの気持ちに流
昨日の内容は、有給休暇の取得という根深い問題だったからか、数多くのはてなブックマークを頂いた。対応圧力のほかに同調圧力の存在など、様々なご意見を頂けたことを感謝申し上げたい。(ご意見に基づいた考察は追って述べたいと思います。) 今回はひとまず、昨日に述べた内容を前提として、有給休暇取得を推進するための心構えを考えてみたい。 おそらく、有給休暇の取得が進まないことに、「個人としての心構えが不足している」ということはあまりないのだろうと思っている。個人として、会社の業績へとにかく貢献したい、仕事が好きでたまらない、休みは土日祝くらいでいい、などという心構えが広く支持されていれば、有給休暇の取得は進まないことになる。そんな心構えを美徳として持ち出して、個人の側にこうした考えがあるから有給休暇が取得されない、と組織の側が言う理屈もある。 しかしこんな考え方は、一般的に奇特なものでないだろうか。あっ
日本人の対応圧力の強さ-この言葉からは、どのような内容を想像できるだろうか。日本人の精神に巣食う重大なものとして、対応圧力について今回は述べてみたいと思う。 この対応圧力というのは、「相手の対応を求めて圧力をかけること」をイメージした言葉である。そして日本人は、どうにもこの対応圧力を強く持ち過ぎるように感じる。日本人論は荷が重いのだが、この話では避けては通れないので、批判を恐れず書いていきたい。 前に、やりがいのない仕事をする人を奴隷のように扱う心理について述べたが、この心理には対応圧力の強さも含まれているのだと思う。 つまり、客側の対応圧力が強く、それに応えようとするからこそ、店は24時間開けられるんじゃないかとか、荷物は遠方でも明日までに届けられるんじゃないかとか、そういう発想が生まれるのだ。そして、やりがいのない仕事をする人への奴隷視によって、その発想を具現化させようとするわけである
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