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大谷翔平
tetsuzouc.blog.fc2.com
過去の哲学者にとても詳しい人がいる。 これみよ、とばかりに先人の言葉を借りてぼくに攻め入ってくる。 たしかに、過去の哲学に詳しくあることは有用だ。 それは、自分の哲学を肉付けする限りにおいてである。 偉人の名言を振りかざし、「わたしはこんなにも哲学に詳しいのだ!思い知ったか!」という態度を取る人物を哲学者と呼んで良いものか。 過去のことを事細かに学び、それに解釈を加えるのは歴史である。 しかし、哲学は歴史ではない。 哲学とは、自分の結論を用意することである。 過去についての知識が豊富なことと哲学とは無関係だ。 もちろん、哲学が歴史より優れている、というわけではない。 当然その逆も違う。 両者は比較すべきものではないのだ。 それぞれが、人間にとって重要なものである。 過去の哲学に詳しいだけの者は哲学者とは違う。 この者は哲学研究者だ。 過去の哲学を参照することは大いに結構。 重要なことは、そ
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