サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
www.8ssan.com
2015-11-03 七十億分のたった一人の人に ルーツ ため息をついたら幸せが逃げてしまいます。 幸せを運ぶ天使は逃げ足がとてつもなく速いので、顎を引いていつだって身構えている必要があります。 屋上で幼い姉弟が下を覗いて何か話をしていました。やがて弟はつま先で立ち、そこからニジンスキーのように飛び跳ねて遊びを始めたのです。姉は心配で心配でたまりませんでした。床のない空が一歩先で待ち構えているのだから、当然のことです。なのに怒っても拗ねても宥めても、飛び跳ねる弟を止めることはできませんでした。 私がブログを書く理由はきっと、姉と同じ気持ちになるからです。 世界中のあちこちで、夜中にスマホを眺めている人はいったいどれくらいいるのでしょうか。彼らは液晶に指を滑り込ませたらすべての情報を得ることができると錯覚しています。 しかし寝ている人が脳に沈み込んだ記憶という情報を浮かび上がらせることに比べ
灰皿で友人が彼女の頭を何度も殴打するところを、私は見たことがあります。 こだわりが強すぎてときおりどうしても解決できない事案にぶつかり、跳ね返されて戻ってくるといきなり閃いて問題の極々、一部が解決する場合があります。 誰かが私に質問をしました。絶対に交通事故を起こさない方法はあるのか。 大阪南部と北部では言葉や気質に、かなりの違いがあります。北へ行くほど上品で、南へ向かうほどに荒っぽい。阪急沿線と近鉄沿線を比べてみれば、北部と南部の違いがよく分かります。 世界中を探せばきっと、地獄のような場所は存在します。地獄絵図は誰もが知っているはずで、でも日本には地獄がないと思っている人もやはりいます。学生のころの私がそうでした。バイト三昧で車を買って、それで遊ぶことばかりを考えていました。 交通事故を起こさない方法は、必ずあります。 もうすぐ結婚するという人が深夜にミナミでお祝いの最中に、地獄の鬼に
ミステリーショッパー(Mystery-Shopper)とはいったい何なのか。 レビュー記事は今まで一度として書いたことがありません。はてなには、レビューの達人がたくさんいます。私のような者に出番はない、それはもっともな意見です。ですがどういうわけか、私は本のレビューや映画、ドラマの紹介記事に対してこよなく憧れじみた愛情を持っています。 しかし私のやり方は、雑学をこねくり回して記事にするという、なんとも下品な記事制作プロセスがほとんどです。 いまさら後悔しても、このブログでは今のやり方を劇的に変える手段はありません。しかしとりあえずレビューの真似事をしながら、ほんの少し先の未来を模索したいと夢見た次第です。 そこでミステリーショッパーの登場です。 ミステリーショッパーというのは覆面調査員のことです。名前がやけに魅力的なこの職業は果たして、探偵みたいなものでしょうか。ひょっとすると浮気調査でも
下手をすると顎を砕きます。 嘘です。そんなはずはありません。しかし驚くほどのパワーを人間は口もとに隠しているのだけは、事実です。 歯ぎしりはイビキと並んで、安眠妨害の元凶として世間ではかなり冷たい目で見られる行為です。イビキは例えるならば、嵐です。そして歯ぎしりは地震といっても過言ではありません。 嵐や地震は男性にも女性にも平等に訪れます。自然災害なのだから当たり前のことです。しかるにうちの家内は、私は嵐や地震には無縁だと言ってききません。言い切ります。ややもするとごり押し気味に話をすり替えます。しかし私のほうも変わり者です。負けてはいませんでした。スマホで家内のイビキと歯ぎしりを録音し、まるでどうだと言わんばかりに口もとをゆがめて突き付けてやったのです。 ほら見たことか、これがあなたのイビキです。もっと言えば、歯ぎしりです。 ところがここでも家内は慌てませんでした。私じゃないと言い張るの
読むだけでミニマリストになる方法は、実はGから始まった。 ミニマリストは暗号です。執着を捨てるための呪文です。唱えるだけの呪文ではなくて、ミニマリスト養成ギプスと名づけても良いくらいの出来栄えです。 ときおり台所にGが出ると、私は男のくせに大騒ぎします。なんとか取りたい、でも取れない。取れないではそのまま寝床に入って眠れない、というような矛盾に満ちた心の振動を経験します。 執着は振動です。心の小さな揺れです。気にしだすとどうしようもなくなって、仕方なく夜中にマックスバリューまで車を飛ばし、G用のブラックキャップとホイホイを手に入れました。それを全部、仕掛けてようやく心の振動はほんの少し収まったのです。 物への執着は浅ましい限りです。異性へのそれも同じです。Gを見かけたときの私の動揺は、明らかに醜態でした。面目次第もありません。自分を恥じて顔を背けたとき、テレビでは録画した映画が映っていまし
ドッグフードについて夕べは心底、悩みました。 私の悩み事はいつも厄介で、近所の小学生が利用している悩み事相談室くらいでは、とても収まりそうにありません。どうでもいいことが、気になって気になって仕方がなくなるのです。目が回ります。高所恐怖症がぶり返しそうで、怖いです。 とにかくドッグフードです。ドッグフードは犬の味覚に合ったものを、厳選して売られているのならば納得します。私が納得しようが呆れようが、実はドッグフード業界にとっては、それほどのことはありません。 私は三食、白いごはんに玄米を少し混ぜて、味噌汁があればそれだけでも、強引に食事を終わらせることが可能です。隣の犬よりも世話がかからないと、家内がいつも笑っています。 しかしドッグフードの場合、食べるのは犬なんですから、人間が味見をしているとしたら、解せません。そもそも人間同士であったとしても、味覚の良し悪しなんてかなりの誤差が生じるもん
結果的に、他の生き方を許されなかった人たちがかつていました。 夜はいつも真っ暗です。けれども我々は、やがて朝が来ることをよく知っています。だからぐっすりと眠り、ゆっくりと目覚めます。 けれどももし、朝が来ることが約束されていない場所に置かれたら、我々はいかにして生きるのでしょうか。 山口良忠と沢田美喜はまさに、朝が来るかどうかわからない環境で生き、対照的な足跡を残した人たちでした。 山口良忠が亡くなったのは昭和22年のことです。 死因は栄養失調がもとで肺浸潤(はいしんじゅん)を併発し、死亡したとあります。戦後間もないことなので無理もないと考える方もいるかもしれませんが、山口は裁判官でした。当時の人たちの中では裕福な部類です。裕福な人たちは配給だけでなく、ヤミ市で食糧を調達して飢えをしのぐことができたのです。 現在でも、それなりの地位にいる人はそれなりの場所から、それなりの金品を授受してそれ
世界一、速い男はいったい誰なのか。 悪のりは醜悪ですが、止まらないときもあります。人によっては不快に思われる方もいますので、田舎道で肥溜めをよけるが如く、歩きやすい道を選んでください。 オリンピックで常に話題の中心になるのは、スピードです。 せっかくの熱い夜、卒業のダスティン・ホフマンはミセス・ロビンソンから嘲笑を受けました。 にっこりとあしらわれてしまいます。けれどもベンジャミンにとって救いだったのは、ミセス・ロビンソンが決してスピードを口にしなかったことです。 世界陸上をテレビで垣間見るたびに、スピードへの未知への扉を開けてみたくなります。それはもはや、男たちにとっての宿命です。 果たしてウサイン・ボルトが世界で最速の男なのか、疑問はやがて後悔へと続く片道切符、二度と引き返すことはできません。 残念ながら。 果たして彼が最速か、彼よりも速い男はこの世に存在するのかしないのか。男は男同士
鼻毛は現在、恥じてしかるべき冠をいただいております。 まさしく下衆な陰毛扱いです。 このような恥辱は鼻毛にとっても心外きわまりないに違いなく、このままの勢いで公然と陰毛などと言われた日には、誰だって次に鼻がなんと呼ばれるのか、考えただけでも身の縮む思いがします。 しかし鼻毛には鼻毛なりの事情が、歴然と存在します。かなり重要な働きを担っているにもかかわらず、誰もがそれに対して興味を示してくれません。眉毛やまつ毛、せめてモミアゲと同等かそれ以上の扱いを受けてしかるべきです。 なにゆえに同じ毛であるにもかかわらず、鼻から大きくはみ出た口髭のたぐいはもてはやされて、ひっそりと慎ましく生え続ける鼻毛が、ここまでの恥辱を受けるのか。涙なくしては語れません。 絶世の美女の鼻の穴から、一本の鼻毛がしゃしゃり出ている、そんな光景を見た人は、鼻毛を金輪際、嫌悪します。悪夢です。トラウマです。 それでも鼻毛には
男が男性を好きになって、子供が欲しくなる。 砂漠で飲み水を欲しがるように、私はあなたを愛しています。どうしようもなく、好きなんです。そんな無二の相手が不幸にも男だったとしたら、今の社会ではかなりの制約を受けます。 しかし重い枷をかけるのは、社会だけでしょうか。お父さんやお母さんはどう思うでしょう。身内の目を気にしたりはしないのでしょうか。 まるで超難解なダンジョンに迷い込んだ、世界を救うべき主人公の如く、数々の難関を面の皮の厚さと詐欺師的な話術で運よく、クリアできたとしても、最後に立ちふさがるラスボスは、想像をはるかに超えた強力な相手になることは自明の理です。 乗り越えるべき相手は自然の法則だったのです。 精子と精子で子どもを作る方法はあるのか。果たして精子は愛する人の精子を、あなたと同じように愛することができるのか。 仮に精子同士の交配を、アンドロイド的な解決策を用いてクリアしたとしても
生きていけないと生きられないと生きたくない。 そのどれにあてはめても支障がでない言葉は、二つの鼻の穴です。 鼻の穴がなくては生きていけない。鼻の穴が一つでも、生きられない。生きたくなくなったら、鼻の穴を塞げば良い。このうち、鼻の穴をなくすことと塞ぐことに関しては、何の説明もいりません。 即座に息が止まるからです。 ただしもう一つ、私の脳の片隅でいきなり直立不動、しゃしゃり出てくる感情の答えがありました。それは、女性です。 彼女がいなくては生きていけない。彼女に嫌われたら、生きられない。もうこれ以上、彼女とは生きたくない。 これはどれも真理ですが、すべて間違っています。最後の生きたくない以外は、ほぼ錯覚、一瞬の熱情と言い換えても差し支えないからです。 このような諸事情の結果、今回は、二つの鼻の穴にこだわります。 鼻の穴が一つだと、いったいどんな差しさわりがあるというのか。 二つの鼻の穴が我々
ソ連への越境を決意した岡田嘉子は、樺太で消息を絶ちました。 岡田嘉子(おかだ・よしこ)は女優でしたが、彼女が活躍したのは私が生まれる前の話です。しかしとにかく、すごい経歴の持ち主です。 写真で見る限り、岡田嘉子はかなりの美人です。しかも今でいう恋多き女優でした。 「出家とその弟子」という山田隆弥主宰の舞台協会公演で、新劇界のスターになります。映画にも進出しましたので、順風満帆な芸能活動を切ったと言えます。 山田隆弥とは仕事だけでなく、内縁関係にあったようですが、1927年に映画の相手役、竹中良一と撮影中に失踪します。結婚までしました。 しかし36年には、演出家の杉本良吉と恋に落ちたのです。 ひょっとすると、岡田嘉子にとって杉本良吉は運命の人だったのかもしれません。 けれどもまさしく、不倫です。この当時の女性でここまで奔放に生きた人は、おそらく他にはいないでしょう。しかも彼女は奔放なだけであ
空跳ぶバレエダンサー、ニジンスキーは伝説の人であり、神に魂を奪われた者であるとも言われています。 ニジンスキーはまさしく、天才でした。彼は空を跳びました。 10歳でマリインスキー劇場付属舞踊学校に入学し、18歳で劇場の主役に抜擢されました。バレエダンサーとしての人生は、紆余曲折があったにせよ、彼の才能は誰からも疑われることのないものでした。 しかしニジンスキーは徐々に、精神を病んでいきます。 自分を囲む線を引き、その中からしか物事を見ることができなくなったのです。 彼の中には常に、自分しかなかったのかもしれません。たとえ自分以外の者を語る場合にも、それは三人称でくくられた、彼ではない自分自身だったのではないかと思われます。 後年、ユングが幻覚に悩んだように、ニジンスキーは自分の存在に常に悩まされ続けたのです。 天才ゆえに訪れた、神の試練であったと言ってしまえば、それまでですが。 ニジンスキ
小林多喜二はなにゆえに虐殺されなければならなかったのか。 小林多喜二はプロレタリア作家と言われていました。プロレタリアとはそもそも、賃金労働者階級、無産者階級を指す言葉です。彼の作品で近年、再脚光を浴びた「蟹工船」などはまさにそれでしょう。 彼はただ単に殺されたわけではありません。拷問の末に、なぶり殺しにされたのです。 虐殺された証拠も証人も残っています。 首には細引きの痕が深く溝のように残り、皮下出血の線が赤黒く引かれてあったと言います。左右の手首にも縄の食い込んだ痕跡があり、そこから血がにじんでいたそうです。 それでも小林多喜二の体に記された拷問の証に比べたら、首も手首もそれほどのことはありませんでした。帯を解いて着物を広げ、ズボンの下を覗いたときに、間違いのない死因を見つけたと、小林多喜二の遺体を確認した者は、話しています。 なぜ小林多喜二は、こうまでひどい仕打ちを受けて、虐殺されな
誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺して……。 これは演歌、天城越えの歌詞の一節です。阿部定事件を思うとき、私はなぜかこの歌を思い出します。 背徳だと分かってはいても、恋い焦がれる心情にはどこか惹かれてしまうのが、人情かもしれません。もちろん事件そのものを擁護するわけではありません。 目に見えない思いというものを、人間の五感は否応なしに感じ取ってしまいます。それゆえに、阿部定事件はこれまで文学や演劇の世界で、特別な女性として扱われてきたのでしょう。 事件は昭和11年の5月に起こりました。阿部定は愛人、石田吉蔵の局部を切り取りました。 ハトロン紙に包んで身につけて逃走します。現場にはなんと「定吉二人キリ」という血書が残してありました。 局部を切り取るという異常な行為から、猟奇殺人として当時、大きな話題を呼びました。ただし現代の殺人のほうがむしろ、残酷で猟奇的だと私には感じます。 阿部定は取り
リバーフェニックスは1993年の深夜に、命を落としたらしい。 クラブで友人らと機嫌良く飲んでいた彼は、しかし突然、喘ぎ出し、よろけながらも店を出た。そこで卒倒、意識不明のままで病院に運ばれた。 手を尽くしたが五十分後に死亡が確認されて、二十三歳の若さで人生を閉じた。 遺体からは致死量のドラッグが、検出されたと言われている。故に彼の死因は麻薬の過剰摂取による、事故死という診断がなされたそうである。 けれども私の友人は、違うと言って利かなかった。 リバーフェニックスは生粋のベジタリアンであったらしく、動物性のものは一切、口にしなかった。だから麻薬など、常用するはずがない。何らかの事情があって暗殺されたのではないか、そんな物騒なことまで言い出したのである。 私には見たまま聞いたままを信じるだけの素直さが、欠けている。ベジタリアンだから余計に怪しいと考えた。黒いからこそ白く塗って、黒い部分を隠す必
ワームホールが存在するのなら、世の中のかなりの不思議を解明してくれるかもしれません。 ワームホールを分かりやすく説明するために、ブラックホールを持ち出します。本来、ブラックホールを持ち出さなくても、ワームホールは存在可能ですが、あくまでも理解しやすい説明のためです。 吸い込み口をブラックホールとして、吐き出し口をホワイトホールとします。ブラックホールは時空に穴を開けるほど重力が強いので、別次元に出口ができると考えられています。 それがホワイトホールです。 吸い込んだものをホワイトホールから、吐き出すわけです。 ちなみに、ビッグバンとはこのホワイトホールから吐き出された空間ではないのか、という研究者もいますが、定かではありません。あくまでも仮説です。 吸い込み口と吐き出し口を繋ぐためには、通り道が必要になります。違う時空を繋ぐ通り道のことを、ワームホールというわけです。 ただしブラックホール
一般の人が宇宙人と遭遇できないことを、特に嘆いたりしているとは思えませんが。 宇宙人が存在していることを、信じている人はたくさんいます。しかもまだ見ぬ宇宙人に対して、過度な期待を寄せているのも事実です。 宇宙人がいるかいないか、という問いかけに対して、私は私なりに真剣に考えてみました。 そういえば私もまた、その昔、宇宙人に対して憧れにも似た感情を持ったことがありました。恥ずかしい過去ではありますが、事実は動かしようのない事実です。 だからこそ、宇宙人がいるのか、いないのか、真剣に考えようとしているわけです。 もちろんたかが数日、調べたからと言って、真実が得られるはずなどありませんし、屁理屈をこねるだけこねて、ただの絵空事を真理にすり替えるような器用な芸当もできません。 ただし宇宙人はいるのか、それともいないのか、それを誰よりも知りたいと願っているのは、他でもない私自身です。だからこそ、私は
幸徳秋水の本名は、幸徳傳次郎(こうとく でんじろう)と言います。 彼は社会運動家であり、思想家でもありました。 中江兆民に師事し、兆民から「処世の秘訣はもうろうとすることだ。号はぼんやり『春藹(しゅんあい)』としたらどうだ」と言われ、「ぼんやりはきらいです」と答えて、研ぎ澄まされた刀を意味する「秋水」にしたと言います。 1910年に起きた大逆事件によって、当局に逮捕されました。大逆事件では多数の処刑者を出しますが、そのうちの一人です。 最近、このブログでは、宇宙のことをメインテーマに推し進めていますが、今回は多少の脱線をいたします。どうしても書き記したかったのです。 「幸徳秋水」という名を、このブログの記事の、たとえ片隅にでも。 そもそも大逆事件とは何であったのかを、簡単に説明します。 大逆事件とは、明治天皇暗殺計画のことを指します。秋水は首謀者のうちの一人に数えられて、極刑に処せられまし
宇宙そのものが謎の宝庫なので、今更、宇宙のどこがミステリーなのかと、改めて問うのもおかしいような気がします。 だからと言って、日々感じる疑問とは桁違いにミステリーであることは、間違いのない事実です。 たとえば、宇宙の星の数と地球にある砂粒の数は、どちらが多いと思いますか? なんと宇宙の星のほうが、砂粒よりも圧倒的に多いんですね。 地球全土にある、砂粒を蹴散らすほどの勢いで星は生まれてきたし、今もなお、生まれ続けているわけです。 ところがやがて、地球では満天の星を見ることができなくなる日がやってきます。 そんなこと、信じられますか? 砂粒よりも多い星が、空からほとんど消えてしまう日は必ず、やってくるのです。 宇宙の膨張によって、銀河同士がどんどん遠ざかっているからです。 どれだけ宇宙って、広いのかと驚いてしまいますが、さらに空間は広がって、銀河同士で目視できなくなってしまうというんだから、仰
当たり前に考えれば、宇宙が始まらないと、生命は生まれないということになります。 果たして、そうでしょうか。 もともとの宇宙は、どれくらいの大きさだったのか。 初めから気が遠くなるほどの大きさだったのかと言えば、そうではなくて、人間が小さな赤ちゃんから産まれるように、宇宙もまた微小な状態から、現在の途方もないほどの大きさになったのだと考えられています。 生まれたばかりの宇宙の大きさは、10のマイナス35乗メートルという大きさでした。これは究極の小ささとして、量子力学では「プランクの長さ」と呼ばれています。 ただし驚くのはその大小だけではなくて、それぞれの大きさの階層には独自の構造が存在していることです。 これはかのアインシュタインでさえも、理解できずに苦悩した分野でもありました。 アインシュタイン曰く「遠く離れた物質が、瞬時に影響し合うはずがありません。相対性理論によれば、光の速度よりも速く
今日の明け方、私は宇宙の果てに立っていました。 嘘をつくな、と言う方もいるとは思いますが、私は私なりの考え方を用いて、宇宙の果てに立っていたと断言できます。 これからこのブログでは宇宙のことについて書くと、先日の記事では高らかに宣言をしました。それをいきなり撤回するほどの度胸も愛嬌も、私には不足しているので、今日もまた、宇宙をテーマについて書こうと企んでいます。 宇宙なんて、難しいという意見をブクマで幾人かの人にコメントしていただき、ひょっとしてテーマを無造作に決めたのは、早まったかもしれないと思いながらも、私は前回の記事をつらつらと読み返してみました。 するとなんと、私の文章の固いこと、この上ない事実に気づいたのです。 まるで余所行きの服を着せられた、坊ちゃんです。 よく小説を書き始めた頃に言われた言葉、お前さんの文章は固いんだよ、というのをまざまざと思い出させてくれました。 四角四面の
時間は実は、凍った川だという説が現在、有力です。 つまり宇宙の誕生から消滅まで、すでにもう、時間は存在しているというのです。 むしろ流れているのは、我々のほうかもしれません。 生命体は観測機のような物だと言う説があります。凍った川の中を漂いながら、その時々を観測して、やがて役目を終える。 確かにそう考えれば、納得できる部分もあります。 しかしなぜこういう説が生まれたのか、それを証明する手立てはあるのか、という疑問が新たにわきます。 時間の概念を覆したのは、かのアインシュタインです。アインシュタイン以前は、どこにいようが、今という時間は繋がっていると考えられていました。 宇宙には絶対的な時間が存在している、それが一般的な考え方でした。 分かりやすくいうと、大阪にいる私と、北海道にいる誰かさんの今は、常に同じ時間の中に存在していると考えられていたのです。ところがそこに、行動という要素をプラスす
果たして、薬でアルツハイマー病を克服できるのでしょうか。 もっと言えば、薬を服用することによって、脳の働きをもとに戻すことが可能なのでしょうか。 調べてみると、とんでもない薬が研究されていることに驚かされます。 飲めば頭が良くなる、そんな薬を世界中の研究者が開発しているのです。しかも新薬として、早くも出回っているというのだから、ビックリします。 まるで夢のようですね。 知的能力を向上させる薬なんて、SFの斜め上を駆け抜けています。アメリカでは栄養素やビタミンなども含めて、スマートドラッグと呼ばれているそうです。 これらの薬はもともと、脳疾患のために開発されたものです。 脳疾患というのは、それまで正常だった知的能力が低下してしまった状態をさします。主にアルツハイマー病や、脳血管障害などによって起こる、老年性痴呆の治療薬として開発されたのです。 アルツハイマー病というのは、脳神経が大量に死滅、
左手にはグリコの看板があり、横にはツレがいました。 道頓堀川が揺れています。 この橋って昔は「ひっかけ橋」なんて言われれていました。ですが残念ながら、私はここでひっかけようとして、成功したためしはありません。 阪神タイガースが優勝すると、ここから道頓堀川に飛び込むやつが、数人でます。 「あいつら、あほやな。便器に飛び込むのと、同じやぞ」 ツレがそんなことを言いながら、笑いました。 高校生のころ、この近くのビアガーデンでアルバイトをしていました。私が育った家からここらまで来るのに、自転車で20分くらいで来られたので、いわば地元のような町でした。 大阪の下町で生まれたことが、ずっとイヤでした。 騒々しくて柄が悪くて、品性の欠片もなくて、繊細な神経なんてどこをどう探してみても見つからない。だから泣きたくなるくらい、私は私の町が嫌いでした。 目につくものすべてが、どうしようなくイヤでした。 アルバ
私はいつも、記事を書くときには実弾を込めたいと願っています。でもやっぱり、難しいですね。 高校のとき、私は音楽が好きで、歌うのがもっと好きで、いつもギターの弾き語りをしていました。 大してうまいわけではなかったのですが、自分の曲を作ることに没頭していました。確か何十曲も作った記憶があります。でも今では一曲も覚えていないので、正確な数字はわかりません。 私は生意気で不遜でした。 人への思いやりにも欠けていました。 大学四年のとき、かまやつさんが審査員長を務めていた、第一回千里音楽祭というものがあって、私のグループはそこでグランプリを貰いました。 私はベースを弾いていましたが、残念ながらプロになったのは、ボーカルの女の子だけでした。 そこでひょっとしたら、私は音楽といったん縁を切ったのかもしれません。 諦めたのかもしれないと、思うのです。 社会人になったら、自作の曲を作る時間なんかなくて、そも
20世紀の戦争は油の戦争だったと言われています。 そして今世紀に戦争が起こるとしたら、それは水の戦争だと予言する人がいます。 これからさらに世界中が水不足に悩まされるのは、確実です。それに比べれば、日本ははるかに恵まれていると言えますが、それでもやがて、日本にも水をめぐるトラブルが起こるだろうことは、予測できます。 では海水は、水の代用品になり得るのでしょうか。 宇宙飛行士は、船内で自分のオシッコを浄化して飲んだりしています。だとしたら、海水を浄化すれば水不足の決め手になりそうに思うのですが、どうやらそう甘くはいかないみたいです。 人間が生存するためには、水は欠かせないモノです。 それと同時に塩分も重要な要素であることは間違いありません。 味噌汁やスープは、水分と塩分が程よく混ざりあった食品です。 海水もまた、同じように水分と塩分が混ざり合った液体ですが、普段、人間は海水を飲料水として使う
ケンブリッジ大学のオーブリー・デ・グレイ博士は、老化は病気であり、治癒が可能であると言っています。 今から25年後、人間の寿命が1000歳以上になっている可能性があると発表したのだから、まさしく驚きです。 寿命を伸ばす研究をしている方々は世界中にはたくさんいますし、理論的には可能だと言っている人も、多いです。だからおそらく、人間の寿命に関しては、今よりもずっと長く生きられることは間違いありません。 それがもしも、900歳や1000歳まで寿命が伸びたとしたら、私たちも1世紀近くの人生を手に入れることができるのでしょうか。 答えは間違いなく、ノーです。 たとえ技術的に可能になったとしても、一般の方がそれほど長く生きられることは、絶対にありません。 今でも世界の人口が増えすぎて、食糧問題、飲料水の問題などで汲々としているのが、現実です。 この上、1000歳以上、死なない人類で地球があふれかえった
介護保険を使うためには、ケアマネジャーを選ぶ必要があります。 叔母を自宅介護すると決心したとき、どうやったら介護保険を使えるのかまったくわからず、役場まで行って相談したことがありました。 すると担当の方が名簿を持ってきて、この中の事業所から一つ選んで、そこからくるケアマネジャーさんに、細かいことを聞いてくださいと言われました。 ケアマネジャーさんを選んで、介護認定を取り、介護保険の申請を行う必要があるわけです。そうした手続きを踏まないと介護保険というのは、受けられません。 そこまで終わると、ケアマネジャーさんがケアプランを作ってくれて、ようやくデイサービスや訪問介護などのサービスを、介護保険適用料金で利用できるようになるのです。(1割負担です) 細かいことは一切、ケアマネジャーさんがやってくれますので、利用者は疑問や要求をケアマネジャーさんに直接、伝えるだけです。 ケアマネジャーさんは、要
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『恒温鼓风干燥箱-低温霉菌培养箱-电热恒温培养箱厂家-上海J9九游会老哥俱乐部』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く