かつて「幻の酒」と呼ばれた日本酒「獺祭」が今、散々な言われようである。 「ドンキの棚に並んでる時点でありがたみゼロ」 「スマホで『だっさい』って打つと『ダサい』って変換される。もう名前が答え出してるじゃん」 SNSにはかつての銘酒を嘲笑するような書き込みが並ぶ。十数年前、居酒屋で「獺祭ありますか」と聞くだけで通ぶれた時代が懐かしい。あの頃の獺祭は、手に入らないからこそ輝いていた…。 凋落の原因は明白だ。ブランドの希釈化である。山口県の山奥にあった小さな蔵は、データ管理による四季醸造と大規模な増産体制で、純米大吟醸の出荷量日本一にまで駆け上がった。 品質を落とさずに量を増やすという理念は立派だが、結果として「どこででも買える酒」になった。イオンの酒コーナー、ドン・キホーテのプレミア棚、果てはAmazonでポチれる。希少性という最大の武器を手放したのである。酒好きが辛辣に「もはや工業製品」と評