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大屋雄裕「リバタリアニズムにおける『自由』?」(森村進(編)『リバタリアニズム読本』(勁草書房 2005)... 大屋雄裕「リバタリアニズムにおける『自由』?」(森村進(編)『リバタリアニズム読本』(勁草書房 2005)合評会コメント) 東京法哲学研究会。というわけで、コメンテータ3人のうちの1人として報告してまいりました。この本自体については3者の見方がほぼ一致していて、良い本である。那須さん(摂南大学)の表現を借りれば「2冊目に読む本として」、ということになるでしょう。リバタリアニズムの広がりや内部の意見の差異を感じ取るには良いけど、これだけだと中心的主張は見えないかもしれない(私見)。1冊目としては例えば森村進『自由はどこまで可能か:リバタリアニズム入門』(講談社現代新書 2001)なんかがいいんじゃないかと、このあたりも概ねコンセンサスなんじゃないかな。 さて、では私がどういうコメントをしたかというと概ね3点(以下、当事者である私の主観が混入している可能性についてはご留意いただきたい)。 でも