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厄介すぎる芸名を背負って生きてきた男が、自らのデリケートゾーンに踏み込みまくる一冊。なにしろ帯文からこの調子である。 「殿(ビートたけし)と相棒(水道橋博士)と離れ、独りになった。コロナ禍で(自ら経営する)スナックには閑古鳥が鳴いた。初孫が誕生し、母親は施設に入った。カミさんは、オレに愛想を尽かして出て行っちまった」「それでもオレは、酒を呑んで、笑って、時に打ちひしがれながら、生きてゆく――」 前作『粋な男たち』の発売から5年半の間に起きた触れづらいエピソードの数々。それを、「オレが長年にわたり心血を注いできた漫才コンビ『浅草キッド』は、正式な解散宣言こそしていないものの、実質的な“解散状態”にある」「どうしてこんなことになっちゃったのかな? 自分でもよくわからないよ」「ふたりで漫才をすることが絶対に不可能ではないにせよ、かなり難しい状況であることは間違いない」「いまの状況はボタンの掛け違
《一切の自分ていふものを捨てるのだ。》 しかしその後に自分の言葉を否定する。 《吾は死に面するとも、理想を持ちつづけん。吾は如何なる事態となるとも吾であらん事を欲する。》 芸術を志しながらも救いを仏教や基督教に求め、また哲学が芸術を支える杖となるのかと悩む。 《吾を救ふものは道徳か、哲学か、芸術か、基督教か、仏教か、而してまよふた。道徳は死に対して強くなるまでは日月がかかり、哲学は広すぎる。芸術は死に無関心である。》 《俺は画家になる。美を基礎づけるために哲学をする。単に絵だけを書くのでは不安でたまらん。》 かと思えば 《前に哲学者になるやうな絵描きになるやうな事を書いたが、あれは自分で自分をあざむくつもりに違ひない。哲学者は世界を虚空だと言ふ。画家は、深遠で手ごたへがあると言ふ。(中略)之ぢや自分が二つにさけねば解決はつくまい。》 当時の水木さんは哲学書や宗教書を読みあさっていたようだ。
二十年ほど前、見知らぬ中年女性に突然話しかけられたことがある。「昨日から何も食べていないので百円貸してくれませんか」。当時、学生だった私の中にあった“ホームレス”像と、目の前の彼女の姿はまったく重ならなかった。 昨年十月に刊行されたこの『小山さんノート』を読んで愕然とした。あのとき自分に見えていなかったもの、想像しようとしなかったものをそのまま差し出されたような気がした。 「そうやって自分ごととして考えながら、生きてきた時間や経験にひきつけて読んでくれる読者が多いんです。嬉しいし、この本の在り方が通じているような気がしています」(エトセトラブックス・松尾亜紀子さん) 2013年末、都内の公園で亡くなったホームレスの女性「小山さん」。彼女が暮らしたテントの中には、なにやら手作りのキラキラしたものと、大量の手書きのノートが遺されていた。それらを有志の女性たちで書き起こし「身を切る思いで抜粋した
昨年、NHK BS4KおよびBSプレミアムで放送された「天使の耳 交通警察の夜」(前後編)が、NHK総合の「ドラマ10」で全4回に再構成されて放送された。原作は東野圭吾の『天使の耳』(講談社文庫)。6編が収録された短編集で、1989年から91年にかけて雑誌に掲載されたものだ。うわあ、もう30年以上も前の小説なのか。 原作はいずれも交通事故をモチーフに、交通課の警察官たちが事故の裏側に迫っていく様子を描いている。東野圭吾らしいどんでん返しが仕掛けられたトリッキーな作品集であるとともに、当時の交通法規制の問題点を炙り出す社会派な物語でもあった。 原作に収録されているのは、交差点で起きた衝突事故で信号はどちらが青だったのかを盲目の少女が立証する「天使の耳」。走行中のトラックがいきなりハンドルを切って中央分離帯を乗り越えた理由を探る「分離帯」。初心者マークをつけた車が後続車に煽られて事故を起こして
ロシアのウクライナ侵攻が始まってから2年が経った。 この間、ロシアが北海道に上陸を仕掛ける“両面作戦”がとられるのではないか、という推測を目にした方もいるのではないか。 ロシアがウクライナとの戦争中、日本に攻め入ることは物理的にまず不可能だと語るのは、防衛研究所防衛政策研究室長・高橋杉雄氏だ。 冷戦期には“現実的な脅威”だったソ連による「北海道の占領」が、今では非現実的となった理由とは。現在のロシアに欠如する能力と、日本が北海道に配置する陸自の“最精鋭部隊”について、高橋氏の著書『日本人が知っておくべき自衛隊と国防のこと』より探ってみよう(以下、抜粋は同書より)。 ■ソ連にとって最善策だった「北海道の占領」 冷戦期の主戦場はヨーロッパですし、大陸では中ソ対立もありました。そんな国際情勢の中で、日本は主要なプレイヤーのポジションにはいませんでした。にもかかわらず、ソ連の日本侵攻はありうると考
文芸評論家の細谷正充が、フレッシュな新人作家5名から、面白さ保証のベテラン作家の本までを紹介します。 *** 掲載されるのは二〇二四年三月号だが、私にとっては今年最初の「ニューエンタメ書評」である。ということなので新しい年に相応しく、新人のデビュー作から始めよう。まずは、葉山博子の『時の睡蓮を摘みに』(早川書房)だ。第十三回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作である。 一九三六年、女子専門学校の受験やお見合いに失敗した滝口鞠は、日本から逃れるように父親のいる仏領インドシナの首都ハノイに向かった。大学に入学して、念願の地学を学ぶ鞠。だが戦争へと向かう時代のうねりに彼女は翻弄されていく。 戦前から戦中をハノイで生きた、自立心旺盛な日本人女性を中心に、幾人かの波乱の人生を活写した歴史ロマンである。先に触れたように、アガサ・クリスティー賞大賞受賞作なので、ミステリーの要素はある。スパイや策略が渦巻いて
精神科医のアンデシュ・ハンセンさん ©Stefan Tell 「努力は遺伝に勝てない」「子育ての苦労や英才教育の多くは徒労に終わる」など、日本において口にすべきでないとされがちな“不愉快な現実”がある。これらのタブーを進化論や遺伝学、脳科学の知見から明かしたベストセラーが橘玲さんの『言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)だ。 この橘さんが「同じことをいっている」というスウェーデンの精神科医がいる。世界的ベストセラー『スマホ脳』の著者、アンデシュ・ハンセンさんだ。ハンセンさんが遺伝や進化の観点から心の問題を解説した最新刊『メンタル脳』(新潮新書)は、スウェーデンの4000の学校に配られたという。 他国では推奨される一方で日本においてはタブー扱いされる、メンタルと遺伝・進化の深い関係について解説した橘さんの『メンタル脳』書評を以下、ご紹介する。 *** 拙著『言ってはいけない』で、「ひ
2023年6月、モーニング娘。やAKB48の振り付けを手掛けた夏まゆみさんが亡くなった。彼女の訃報を受け、多くの芸能人が哀悼の意を表した。なかでも彼女を恩師と仰ぐモーニング娘。の新旧メンバーたちの悲しみは深く、それぞれが自身のブログやSNS、お別れの会などで心からの感謝と悲痛な思いを吐露していた。 ここまで彼女たちに影響を与えたのは「振付師」という仕事の特殊性もあるのだろう。結成したてで不安を抱えた下積み時代のアイドルと向き合い、叱咤激励しながら親身になって指導をし、同じ時を過ごす。なかなか芽が出ないなかでメンタルにも問題がでてしまうアイドルも当然いるだろう。アスリート並みに歌い踊る彼女たちの健康面にも目を配り、人気が出たときの喜びもともに味わっていく。まさに“病めるときも健やかなるときも”の世界だろう。 PASSPO☆やHKT48、=LOVEなど300人ものアイドルを担当してきた人気振付
一九五九年、ウラル山脈北部の雪山で若者の登山チーム九名の遺体が発見される。テントから一キロ以上離れた場所で皆散り散りになり、服や靴は脱げ、三人は頭蓋骨折などの重傷、一人は舌を喪っていた。一部の衣服からは濃度の高い放射線が検出された─。 「世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相」とサブタイトルが付けられた『死に山』(安原和見訳)は、フロリダ出身の映像作家ドニー・アイカーが現場へ足を運び、チームに何が起きたのかを探った渾身のルポルタージュ。冬山登山の模様、遺族ら関係者への取材、九人の当時の足取りを再現する時間軸を交互に配置し、写真や図解などの資料も豊富に盛り込みながら真実に迫ってゆく。 殺人説、陰謀説、宇宙人の仕業説などのあらゆる仮説を取りあげ、導かれた結論は驚きの一言。しかし荒唐無稽ではなく、専門家による詳細な裏付けも記されていて、こんなこともあるのかと唸らずにはいられない。そし
世界的な人気を誇るサイエンス・ライター、サイモン・シンの邦訳著作は、なんと累計120万部を超える。数学の天才たちの人間ドラマを追う過程で数学の真髄を伝えるノンフィクションの名作『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)は、いまも、ロングセラーの記録を伸ばしている。サイエンス翻訳の名手として知られ、サイモン・シンの全著作を手掛ける翻訳家、青木薫さんが、『フェルマーの最終定理』訳出の舞台裏を振り返る。翻訳の過程で起きたドラマのような出来事、その時、あの著名な数学者はなんと言ったのか――。(本文・青木薫) 「数学を伝える」ために、翻訳者として日頃努力していることを書いてほしいというお申し入れがあった。しかし、あらためて考えてみると、数学を伝えるために翻訳者にできることは、ごくごく限られているように思う。訳語を工夫するといっても限度があるし、妙に砕けた言いまわしは、かえって内容を伝えにくくする面もあると
第20回「女による女のためのR-18文学賞」受賞作「ありがとう西武大津店」を含む短編集『成瀬は天下を取りにいく』。その舞台は滋賀県大津市の膳所駅周辺だ。刊行を祝し、著者の宮島未奈さんが〈ぜぜさんぽ〉に繰り出すと、そこでは物語の主人公・成瀬あかりが待ち構えていて……? 発売後即重版の超話題作「成天」の世界を、お楽しみください。 *** 滋賀県大津市の難読地名、「膳所」。その昔、宮中に届ける食事を作っていた場所だったから膳所と名付けられたというが、読み方の由来には諸説ある。 しかし我々だって、たとえば「今日」と書いてなぜ「きょう」と読むのか、いちいち考えないだろう。それと同じで「膳所」と書いたら「ぜぜ」なのだ。 わたしのデビュー作『成瀬は天下を取りにいく』の主な舞台は膳所である。すでにお読みになった方々からは、膳所の読み方を一生忘れないだろうとの感想をいただいている。 JR膳所駅の改札を抜け、
8月末、Xで「#ペドフィリア(小児性愛)差別に反対します」なるハッシュタグがトレンド入りした。 何事かと思っていたら、小出版社「ころから」が、「ペドフィリアを含むあらゆる内心の自由について、いかなる制限もなく保障されるべきだと考えております」との告知を掲げた。目を疑うべき事態である。 あらましはこうだ。昨年8月、ころからは『イン・クィア・タイム』というアジア系クィア作家アンソロジーを翻訳出版し、作家の王谷晶に帯文を依頼した。ところが、王谷がペドフィリア差別発言をしていると本書訳者の村上さつきとその連帯者が指摘し、帯文の撤回を要求したのである。王谷の「『LGBTQのQにペドフィリアが含まれる』はデマだ」というツイートが糾弾されたようだ。 王谷には、トランス差別を指摘されて長文の反省文を書き、熱心なアライ(支援者)に転じた過去があった。王谷は今回も自らの差別意識を自覚反省し、ペドフィリア差別反
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さん自身が出演した放送回の舞台裏を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 中篇 先月号の本稿「前篇」の文末は、「『タモリ倶楽部』を『ライター』としての私が今どう感じているのか次号にお送りします。(後篇につづく)」であった。しかし今回このページのタイトルには〈中篇〉とある。 あのこれどういうこと
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、タモリ倶楽部のターニングポイントとなった企画や若手芸人のキャスティングが増えたわけ、そして番組の司会を努めてきたタモリの魅力を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 後編(完) 1996年3月に放送された「タモリ倶楽部」は、個人的にとても思い出深いものであり、かつ図らずも当番組の今後の
40年にわたり放送されたバラエティ番組『タモリ倶楽部』。お尻を振るオープニング映像やマニアックすぎる企画、言われてみれば確かに聞こえる「空耳アワー」など、多くの視聴者を楽しませてきた伝説の深夜番組だ。 「毎度おなじみ流浪の番組、タモリ倶楽部でございます」という挨拶で始まる番組はどのように作られていたのか? 当時、放送作家として22年間にわたって番組に携わった高橋洋二さんが、制作現場の裏側を明かしながら、印象に残っている思い出を語った。 ※本編は高橋洋二さんによる私的な回想録です。番組制作の一端を担った放送作家が見てきたタモリ倶楽部の一面としてお楽しみください。 高橋洋二/極私的「タモリ倶楽部」回顧録 前篇 1982年10月8日に始まり、2023年3月31日に終了したテレビ朝日系「タモリ倶楽部」で、私は1990年から2011年の間、構成を担当した。私より長きにわたり番組に携わっていたスタッフ
今、売れに売れている本がある。今年の5月に発売された『世界でいちばん透きとおった物語』(新潮文庫nex)は口コミやSNSでのレビューが評判を呼び、発行部数があっという間に28万部を超えた。 表紙を一見すると、爽やかな感じの青春小説のようだが、発売元が「絶対に電子化はできません」と断言するように紙の書籍でないと味わえない謎解きがある、ミステリ要素の強い物語だという。 主人公は二十歳の男性で、彼の父親が亡くなったところから物語は始まるのだが、この父親が非常にクセのある人物なのだ。大御所のミステリ作家であり、妻帯者にもかかわらず大変なプレイボーイだった。主人公は不倫の末に生まれ、認知もされずに母親の手で育てられた。 この主人公が、亡き父が最期に執筆していたという遺稿を探し始める話なのだが、なぜこれがベストセラーとなっているのか? かつてニート生活を送っていたこともあるという著者の杉井光さんの言葉
「新潮」2016年5月号 日本で一番受賞が難しい文学賞は川端康成文学賞です。というのも、授賞対象が前年度に発表された短篇作品だから。書店に行って、五大文芸誌(「文學界」「新潮」「群像」「すばる」「文藝」)の目次を見てみて下さい。半分くらいが短篇小説で占められているのがわかるはずです。その一年分の中から選ばれるわけで、年に二回も開催され、対象が新人作家の発表した中短篇に限る芥川賞あたりと比べると、競争率の高さは半端じゃありません。 最終候補に残るのだって大変なことです。その意味で、受賞作以外のタイトルも公表してくれるのは小説ファンにとってありがたいかぎり。おそらくは三百篇近いであろう新作から候補に挙がったということは、たとえ落選したとしても優れた作品にちがいなく、読んでみたいという気にさせられるからです。 その証拠が過去のリスト。たとえば、色川武大「百」が受賞した第九回(一九八二年)の落選作
「せめてお別れだけでもしたい」 いくら探しても見つからないという家族から依頼を受け、山岳地帯や里山における行方不明者の捜索を行う民間団体の活動を綴ったノンフィクション『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』が刊行された。 著者は、医療資格保持者や山岳・登山ガイド、山岳救助経験者などで構成された山岳遭難捜索チーム「LiSS(リス)」代表の中村富士美さん。 深い悲しみや苦しみを抱える家族をケアしながら、行方不明者のプロファイリングを元に捜索している同団体の代表が、これまで経験してきた遭難捜索の現場を詳らかにした本作を、女優の中江有里さんが紹介する。 中江有里・評「遭難者を発見する“だけじゃない”ドキュメント」 十代の頃、映画撮影のため毎日のように山を登った時期がある。総勢五十人ほどのスタッフとともに登って下りる日々は体力的には厳しかったけど、充実感があった。山は楽しい、と
書籍の撮影時、スタジオのキッチンで材料やスパイスを準備する筆者。 南インド料理専門店の総料理長が、書籍『「エリックサウス」稲田俊輔のおいしい理由。インドカレーのきほん、完全レシピ』(世界文化社)の刊行に寄せて、4回連載でインドカレーへの熱い思いを綴ります。 連載第1回はインドカレーを作ったことのない一人の料理人が、その後、カレーの深い沼に入っていくきっかけとなった出来事を明かします。 *** 【初めてのインドカレー】 15年ほど前のこと、僕は成り行きで一軒のインドカレー屋さんを任されることになりました。 繁華街からは外れた、大きなオフィスビルの一階にあったその店の名前は「エリックカレー」。エリックというのは、その店を始めた時の日本人のシェフがインドカレーを習った、ネパールだかバングラデシュだかの方のお名前だったと後に聞きました。持ち帰りだけの小さな店を、そのシェフが任されて一人で切り盛りし
歴史的名著『歴史の終わり』の著者フランシス・フクヤマによる一冊『リベラリズムへの不満』が刊行された。 リベラリズムへ向けられる理論的批判に答えつつ、リベラリズムの価値と再生への道を提示した本作の読みどころを、東京大学教授の宇野重規さんが紹介する。 宇野重規・評「あのフクヤマが書く堂々たるリベラリズム論」 タイトルは『リベラリズムへの不満』であるが、内容は堂々たるリベラリズムの擁護論である。ただし、あのフクヤマが書くリベラリズム論である。右派のポピュリズム、左派のアイデンティティ政治によるリベラリズム批判に応えつつ、ジョン・ロールズに代表される現代アメリカのリベラリズムともはっきりと距離を取る点に特徴がある。ロールズの立場が中道左派的なリベラリズムであるとすれば、フクヤマは中道右派的なリベラリズムとも言える。コンパクトな本であるが、極めてバランスの取れた「王道」的なリベラリズム論であろう。
■なぜあの人は仕事ができて、私はできないのか? 「あの人はどうして仕事をテキパキこなせるんだろう」 社会人になって最初の数年、そんな思いを抱えていました。コンサルタントという仕事は、日々多くの作業に取り組まなければいけません。しかし、並行作業が増えすぎて、やらなければいけないことを見落としてしまったり、手戻りで締め切りに間に合わなくなったりと、自分の仕事のできなさに悩んでいました。 一方で、私以上に作業を抱えている先輩社員は、どんどん発生する新しい作業をテキパキとスムーズに処理しています。最初は「私とは地頭が違って才能があるんだろうな」と思い込んでいたのですが、同じチームで仕事をしているうちに、あることに気づいたのです。 それは「整理する力」の違いです。先輩社員を含め、テキパキと物事に取り組んでいる人たちは、あるテクニックを実践していました。これは属人的なものではなく、やり方さえ知っていれ
著者は日本の経済ジャーナリストを代表するひとりだ。個人的には「最も優れた」という形容詞をつけたい。日本の政官財の欲望渦巻く世界、ワシントンでの覇権国家アメリカの生々しさ、打算に秀でた中国の政治家たち、そして長期停滞の舞台裏までを、現場での取材を豊富に交えて描き、現代史の証言として面白い。 田村氏が経済ジャーナリストとして最も優れているのは、現場体験を踏まえ、客観的なデータとそれを的確に読み解く経済学の基礎がしっかりしているからだ。当たり前のようでいて、経済学を適切に現場で応用できる記者は日本にはほとんどいない。日本の経済記事の後進性はひどいものなのだ。 取材対象との距離感も素晴らしい。日本の記者たちはしばしば取材対象と懇意になりすぎてしまい、忖度を重ねる「御用記者」が多い。いまでも財務省のご機嫌をとるかのような緊縮財政記事ばかり書いている。このような安易な姿勢とはきっぱり決別しているところ
寺山修司の周辺にも結構やばい「こじらせた」人が…… 大槻:中森さんが『TRY48』を書き始めたのはいつ頃ですか? 中森:構想を考えたのは、10年前です。没後30年のムックに、「もし寺山が生きていたら」という原稿依頼をされて、そのオチを、寺山が秋元康と大ゲンカをして、みずからTRY48というアイドルグループをプロデュースする、というものにしました。で、しばらくしたら、これを小説にしたらいいんじゃないかと思ったんです。 それで寺山のお弟子さんのような存在で「月蝕歌劇団」を主宰されていた高取英さんの芝居を見た後、高取さんに、寺山と結婚していた九條今日子さんを紹介していただいて飲みに行きました。そこでこの小説の構想を話したら、「ぜひ協力するわ」と言ってくださったんですが、1カ月後に九條さんがお亡くなりになってしまいました。高取さんも「月蝕で芝居にするよ」と言ってくださっていたんですが、4年前にお亡
フリースタイルラップと和歌の意外な共通点 宇多丸 いとうさんは、「フリースタイルダンジョン」の審査員をずっと務められてきて、若い子のフリースタイルバトルを、僕なんかよりいっぱい見てるじゃないですか。 いとう 見てる見てる。 宇多丸 ラップの仕方や内容に、何か変化って感じられますか? いとう 高校生とか中学生くらいの子が、あまりにうまい入り、スタイル、切り返しとか、韻の踏み方とかをしてくるわけじゃないですか。もう完全に日本語というもののエンジンが変わったなっていう感じがある。いま彼らは、現実に会話してるときにはない脳の働きでやってるわけだから。サイファー(※2)で常に自分たちを鍛え、リズムの中でどれくらい韻が踏めるかっていうことを頭の中に叩き込み、言葉を喋っていく。それから相手の論理をどういうふうにいなすのか、ひっくり返すのか、脅すのかっていうようなことも同時にやっていく。 宇多丸 それこそ
「言語とはジェスチャーゲームのようなものだ」という画期的な見方を提示して話題になっている『言語はこうして生まれる 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』。同書に刺激を受けたライムスターの宇多丸さんが、日本語ラップの先駆けであるいとうせいこうさんと対談。コミュニケーション論から日本語の歴史、フリースタイルラップと言語の変化などを縦横に語り合った。 会話の主導権は「聞く側」に? 宇多丸 この本を読んだ時、いとうさんと話したいと思ったんです。 いとう うん。言語というと、ある言葉の「A」というイメージをそのまま運んで、相手がそれを受け取るという風に思ってしまう。でも、実際のコミュニケーションはそんなことはなくて、実は短波放送みたいにすごく雑多なノイズだらけの音の中から正しい歌詞を見出すみたいな作業をしているわけだよね。 宇多丸 そうです。さぐりさぐりで、なんとか工夫しながら、ジェスチャーゲームのよ
日本語ラップの難しさ いとう 著者はデンマーク人とイギリス人だけど、英語圏で活躍している人たちだよね。英語は大づかみしやすい言語とも言える。「私はそう思わない、なぜならば」という語順だから。でも日本語は「これこれこういうわけで、違うと思うんだよね」というように結論が最後につく言語。我々ラッパーが一番最初に困った日本語の特徴でもあるんだけど。 宇多丸 そうでしたね。 いとう さらに日本語は膠着語で、ほとんど「だ」とか「じゃない」で終わるから、韻が踏みにくい。それで「そうは思わない、俺は」と倒置法を使うようになった。ちなみに、この倒置法はほんの10年ちょっと前までは、ライブでは観客に伝わらなかった。だけどこの頃は伝わるようになってる。日本語を聞く能力が変わったんだよ。 宇多丸 それと、日本語は文語的なものと口語的なものの乖離が激しいじゃないですか。口語のふんわりした構造に対して、文語は、漢語的
石田英敬・評「誰でも分かる、フーコー『性の歴史』」 ミシェル・フーコー『性の歴史』第四巻『肉の告白』ついに刊行! この事件の意味が分からなければ、きみには現代の思想を語る資格がない。でも、センセイ、思想とか哲学なんてボク/ワタクシには関係ありませんのよって、きみはおっしゃるかな? いや、そんなことはないんだよ。きみの周りのこの世界をみまわしてごらん。そして、きみ自身の生と性と精神の経験をふりかえってごらん。あなたは、処女? きみは童貞? ゲイ? レスビアン? ヘテロ? バイセクシャル? トランス? カミングアウトした? #MeTooとかも知ってるよね? いや、あわてないでほしい、これはとってもまじめな話なんだ。思想とか哲学って、そうしたスベテを徹底的に考えることなんだぜ。それでね、そうしたことをあらためて考えるために読むべきなのが、このフーコーの『性の歴史』なんだ。 このたびめでたく新潮社
予告どおり、樋口毅宏『中野正彦の昭和九十二年』(以下『中野正彦』)の回収事件について考えたい。意想外にも、石戸諭による論説「〈正論〉に消された物語」が『新潮』3月号に出たので参照しよう。 『中野正彦』は昨年12月17日に発売が予定されていたが、直前も直前16日に、版元であるイースト・プレスが回収を発表した。これだけでも異常な事態だが、輪を掛けて異常な光景がツイッターでは展開していた。 担当編集者M(男性)の「見本できました。(中略)何事もなく書店に並びますように」というツイートに、同社の女性編集者Kが食ってかかったのだ。 ヘイト本が自社から出されようとしているが、抗議しても担当編集者は聞く耳を持たない、「助けてください」と、MとLINEで交わした問答のスクショまで晒して訴えたのである。 『中野正彦』は、安倍晋三を「お父様」と崇拝するネトウヨ青年の日記の体裁で書かれたディストピア小説である。
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