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未来図書目録 アイン・ランドとは誰か 『インターコミュニケーション』 2002年Spring 橋本努 書きたい本や企画したい本ならたくさんある。しかしそういう話は直接出版社に持ち込むことにして、今回はニューヨークに関係する内容に絞りたい。まだ翻訳のないアメリカの女流作家、アイン・ランド(1905-1982)について紹介したいのである。 アイン・ランドと言えば、40年代にはハリウッド映画やミュージカルのシナリオ作家として、50年代には国民的な大衆小説の作家として、また60年代以降はリバタリアニズムの政治思想を代表する哲学者として、アメリカではかなり有名になった女性である。逞しく、美しく、しかも破天荒な人生を送ったヒロイン的存在である。現在でもニューヨークの書店では、哲学や文学のコーナーに必ずといっていいほど彼女の本が数冊並んでいる。出版社ランダムハウスによるアンケート結果(1998)では、「
HOME リチャード・ローティを脱構築する 『理戦』no.74, 2003 Autumn, pp.66-87. 橋本努 0.はじめに 「それを言っちゃぁ、おしまいよ」――世の中には、聞いてしまったら身も蓋もない答えが返ってくるような問いがある。哲学者リチャード・ローティが執拗にたずねまわるのは、そんな問いだ。とりわけ彼は、自身が身を置くアカデミックな正統哲学を無用であると告発し、哲学にルサンチマンを抱く人たちの生を肯定する。その魅力は、共倒れを覚悟で相手に最大のパンチをかますという、アイロニーの手法にあるだろう。相手を倒すが、自分もいずれ倒れる覚悟を決めておく。哲学に対する彼のアプローチは、そうした捨て身戦法にかける「意気込み」にある。 だが一方で、ローティの痛快さを嫌う人も多い。批判者たちによれば、「ローティのいうアイロニストの語彙では、民主主義を支持する理由を次の世代へ伝えていくことは
・【社会学】=「社会的行為(Handeln)を解明しつつ理解し、これによってその経過とその結果とを因果的に説明しようとする一つの科学」(7) ・【社会的行為】=「行為者……によって思念された意味にしたがって他者の行動(Verhalten)に関係せられ、かつその経過においてこれに方向づけられている行為」 ◆意味と解明 ・社会学でいう【意味】:①行為者ないし平均的かつ近似的に与えられた行為者たちによって「主観的に思念された」意味。あるいは、②概念的に構成された純粋型において、「類型として考えられた行為者によって主観的に思念された」意味。 ⇔規範科学(法学や倫理学など)における「意味」(客観的・形而上学的) ・「シーザーを理解するためにはシーザーとなる必要はない。」→「追体験できること」は、理解の明証性のために重要であるが、それは意味解明のための絶対条件ではない。(8) ・【解明(Deutung
HOME 書評――石岡繁雄・相田武男著『氷壁・ナイロンザイル事件の真実』を読む 折原浩200704 厳寒の北アルプス・穂高岳で遭難があいつぎ、いずれも命綱が切れ、ひとりの若者は墜落して絶望、とラジオ報道で知ったのは、今から約五十年前、大学一年生のころだったと思う。その後、この事件を題材とする井上靖の小説『氷壁』が、朝日新聞に連載され、「山のロマン」として評判になった。筆者も、とびとびには読んだ記憶がある。作家はたしか、「ナイロンザイルに欠陥があって切れた」と、はっきりとは語らなかった。しかし、読者はおおかた、「これほど大々的に取り上げられるのだから、すでに原因は明らかにされ、決着がついているのだろう」くらいに受け止め、山好きの人以外、事件そのものにはあまり関心を向けず、そのうちに忘れてしまったのではないかと思う。筆者も、そのひとりだった。 ところが今回、思いがけず石岡繁雄・相田武男著『石岡
以下の内容は、大学生との会話の中から生まれたものです。 ご批判・ご意見・ご感想・アドバイスなどをお寄せいただければ幸いです。 皆様の意見を取入れて、よりよいものにしていきたいと思っています。 ・大学院進学のすすめ 「彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人でもなかった。要するに、彼は門の下に立ちすくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。」(夏目漱石『門』岩波文庫) ・【大学院進学という甘いすすめ】 現在、文科省の方針によって、大学院生の人数は毎年一万人以上も増加している。大学院生数は日本全体で約20万人。これは研究者の総数と同じくらいの人数だ。博士課程に在籍する学生は、1970年において1万3000人、1996年において4万8000人である。 これほど大学院生を増やしても、研究者になれる人数は以前と変わらないのだから、多くの大学院生は、途中で進路変更を迫られることになる
一、 科学一般の権能と 科学知の限界 マックス・ヴェーバーは、科学一般の権能を、大別して、①与えられた目的にたいする手段の適合度の検証、②その手段を採用したばあいに生じうる随伴結果 (犠牲) の予測、③当の目的の意義にかんする知識の提供、に求めた。 ①については、「われわれは、(われわれの知識の、そのときどきの限界内で)いかなる手段が、考えられたある目的を達成するのに適しているか、それとも適していないか、一定の妥当性をもって確定することができる」(富永祐治・立野保男訳『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』1998、岩波文庫、p. 31、圏点による強調は原著者、下線による強調は引用者、一部改訳、以下同様)と述べている。 自然科学であれ、人文-社会科学であれ、およそ科学知には、いついかなるときにも「ここまでしか分からない」という限界があり、そのかなたには未知の領域が広がっている。なる
阿閉吉男・内藤莞爾訳『社会学の基礎概念』恒星社厚生閣1987、清水幾太郎訳『社会学の根本概念』1972岩波文庫(ただし訳が悪い)
◆PRとしての公共性 ・ほんらいの世論の機能であった公開性は、いまや世論の注目を引きつけるもの、「広報活動(PR=public relations)」となり、公共性=知名度を高めるものとなっている。(12) ◆ギリシアの公共性 ・「公的生活(bios politikos)は市民の広場(agora)で演ぜられ、決して地域に結びついたものではない。すなわち公共性は、会議や裁判の形をもとりうる対話(lexis)と、戦争であれ闘技であれ共同の行為(praxis)とにおいて成立する。」(13) ・ポリスにおける市民としての地位は、このように家主(oikodespotes)としての地位を土台にしている。 ・「すべて存在するものは、公共性の光のもとではじめて姿を現して、万人の眼に映るものとなる。万象は、市民たち相互の対話のなかで、言葉となり形姿を得る。平等な者たちが競い合う闘いのなかで、最優者が傑出して
HOME ウェーバー『職業としての政治』岩波文庫[1919=1980] ・【政治(politik)】:「自主的に行われる指導行為」(8)。「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力」(10)。 ・「政治的問題」=「権力の配分・維持・変動に対する利害関心」(10) ・【国家】:「ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体」(9)→国家が暴力行使への「権利」の唯一の源泉と見なされているということは、現代に特有の現象である。「正当(legitime)な暴力行為という手段に支えられた、人間の人間に対する支配関係」(10) ◆支配の正当性:支配の内的な正当性の根拠(11) ①伝統的支配(「永遠の過去」がもっている権威の神聖化) ②カリスマ的支配(人格的な帰依と信頼に基づく。人民投票的支配者を含む) ③合法性による支配(制定法規の妥当性に対
HOME ベーシック・インカム論 『生活経済政策』 no.154, November, 2009, 27-30頁、所収 橋本努 はじめに 雇用の不安定化や長期失業率の上昇を背景として、近年、基本所得(ベーシック・インカム)論を支持する議論が浮上している。基本所得論とは、未成年者を含めたすべての国民に対して、政府が毎月一律の基本所得(例えば7万円)を配付するという、それ自体としてはシンプルな政策の提案である。だれもが「人間らしく生きる権利(生存権)」をもつならば、有職時にも失職時にも、最低限の所得を給付されねばならない。そのような権利観から、無条件の基本所得給付を求める声が上がっている。 この主張はしかし、「働かざる者、食うべからず」という伝統的な倫理観に反するのみならず、マルクス主義を含めた従来左派の倫理観、すなわち「労働は能力に応じて、賃金は必要に応じて」という分配の正当化原理にも抵触す
HOME 書評 ウルリッヒ・ベック著『ナショナリズムの超克 グローバル時代の世界政治経済学』 島村賢一訳、NTT出版2008 『図書新聞』2008年11月8日号、1頁 橋本努 話題となった『危険社会』の著者ベックが新たに取り組んだテーマは、「コスモポリタン現実主義」というグローバル化の規範理論。不透明な世界の権力ゲームはいかにして可能なのか。従来型のナショナリズムを越えるためのシナリオと戦略を、あらゆる観点から考え抜く。この世界のゆくえを透徹に見通した理論書だ。 著者によれば、一国主義的な発想は危険である。一番危ないのが社民の安全戦略なのだが、しかし私たちはこの思考にどっぷり浸かっている。その枠組を根底から反転させようというのが本書の狙いだ。国民国家からポスト国民国家へ、あるいは「第一近代」から「第二近代」へと、ビジョンの歴史的転換を明快に示しつつ、時代の新たなプロジェクトをゲーム論の「戦
福祉国家における個人と国家の関係について ―イギリスの社会福祉政策史をもとに― 丹羽 文子 経済学部 経済学科 17980036 2000.7.3提出 <このレポートの構成> 1.はじめに 2.イギリスにおける社会福祉の発生(中世~国家介入のはじまり) 3.ベヴァリッジ体制とナショナル・ミニマム原則 4.福祉国家の危機とサッチャー政権 5.福祉国家の抱える矛盾 6.福祉国家における個人と国家の関係について 本文中の(*1)~(*9)は参考文献を参照した部分であり、最後にまとめて示した。 1.はじめに 今日、日本を含む先進諸国がかかえる大きな問題の一つに、高齢社会への対応がある。平均寿命・高齢化率が世界最高水準に達している日本は、社会福祉制度による高齢化への対応が求められ、福祉国家としてのあり方を考えていくことは、今後の課題であるだろう。福祉国家の理念とは何か。日本の場合は、日本国憲法25条
HOME 「学者学」という奇妙な領域 2007年6月29日掲載(ブログより転載) 小谷野敦 1988年に「NICS」が「NIES」に変わったというのも、二十年近く前のことだし、若い人は知らないだろう。前者はNewly Industrializing Countriesの略で、二十世紀後半に経済成長を遂げた香港、台湾、韓国、シンガポールをさしたものだが、香港や台湾は「国」といえるかどうか疑わしいというので、CountriesをEconomiesに変えたということである。1993年に翻訳が出たエズラ・ヴォーゲルの『アジア四小龍』(中公新書)はこの四地域を論じて、その成功の理由の一つとして、マックス・ヴェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で論じたプロテスタンティズムの代わりに、儒教がその役割を果した、とした。もっともそうなると、より大きな龍である日本が、十九世紀終りから目覚し
HOME 合評会コメント 中野剛志著『国力論』以文社(2008)、 および、同著『経済はナショナリズムで動く』PHP研究所(2008) 現代経済思想研究会(2009.5.16.) 橋本努20090518 博士論文を元に平易に書かれた経済思想書として、いずれも小著ながら、凝集された内容と単純明快なイデオロギー的主張をうまく組み合わせていて、とてもインパクトがある。以下に合評会当日に私がコメントしたことを、少し修正しながら記していきたい。 1. 経済ナショナリストは、構造改革をどう捉えるか。 この10数年間で、立法過程に大きな変化が起きている。例えば「食育基本法」のように、法を偽装した「共通善」が国家の理念として掲げられるようになり、あるいは常識的な言語でもって、議員立法の手段でエリート対抗的な法律が作られるようになった。小泉構造改革によって、内閣主導の国民的ポピュリズムが可能になったためであ
3.合法的支配、官僚制的行政幹部による純粋型 (1)任意の法が、協定または指令によって、合理的な(目的合理的・価値合理的な)志向をもって、制定されうるという観念。(13) (2)抽象的な・通常は意識的に制定された諸規則の体系。 (3)合法的なヘルの発する指令は、この非人格的な秩序に準拠している。(14) (4)服従者は、仲間(国家においては市民)としてのみ、また「法」に対してのみ服従するのだという観念。 (5)合理的に限界づけられた・ザッハリッヒな管轄権の範囲内でのみ、服従の義務を負うのだ、という観念。①継続的な・規則に拘束された経営(Betrieb)。②権限。③官職階層制。④手続きの規則。⑤行政手段(官職財産)と行政幹部の私的所有物との完全な分離。⑥官職地位の非専有。⑦行政の文書主義。(14-16) 4.つづき ・「合法的支配のもっとも純粋な類型は、官僚制的行政幹部による支配である。」(
HOME 「ポスト近代社会の進化論:社会の発展は自生化主義で見よ」 『理論戦線』no.80, 2005 Summer, pp.124-145. 橋本努 1.ポスト近代と進化論の地平 「ポスト近代」と呼ばれる現代社会において、「進化」という発想は一つの地平を提供しているように思われる。急進左翼から新保守主義に至るまでの現代の諸思想は、近代主義者たちが想定してきた「大文字の理性による統治」なるものを、創造的に超え出ようという点で共通するからである。ポスト近代、すなわち「近代の次に来る時代」という歴史認識において、私たちが共に立てている規範的な問いとは、およそ次のようなものであろう。すなわち、 「意志(すなわち意図と忠誠の複合体)の国家中心的な編成と、財配分の設計主義的な編成にもとづく近代社会のモデルを超えて、このモデルよりもさらにすぐれた発展(すなわち進化)を可能にする社会の制度条件とは何か。
・「労賃は資本家と労働者との敵対的な闘争を通じて決定される。[その闘争で]資本家が勝つ必然性[はどこにあるか]。資本家は、労働者が資本家なしで生活できるよりも長時間、労働者なしで生活することができる。資本家たちのあいだの団結は慣習となっており、効果のあるものだが、労働者たちとの団結は禁止されており、労働者にとって悪い結果をもたらす。」(17) ◆労働者の苦しみ ・「あらゆる他の商品の場合と同様に、人間に対する需要が、必然的に人間の生産を規制する。供給が需要よりはるかに大きいとき、労働者の一部は乞食の状態か餓死に陥る。こうして、労働者の生存は、他のすべての商品の存立のもとへ引き下げられている。労働者は一個の商品となっており、しかももし自分を売りさばくことができれば、それは彼にとって幸運なのである。」(18) ・「したがって市場価格が自然価格へひきよせられるさいに、もっとも多く、また無条件に損
HOME クリントン政権の「福祉から就労へ」 橋本努 『理戦』2006 summer No.84.所収 はじめに 現代社会の方向性を特徴づける言説の一つに、「規律訓練社会」から「監視社会」への移行という俗説がある。従来の福祉国家社会は、人々を主体化するための規律訓練権力を張りめぐらせたシステムであったのに対して、現代社会はむしろ、犯罪を防止するための監視力を強化したシステムへと移行しているというのである。はたして本当だろうか。 なるほど戦後の福祉国家社会における人々の身体は、例えば学校や病院や刑務所といった施設を媒介にして、微視権力による「主体化=自律化」を促されてきたという側面がある。しかし「小さな政府」を理念とする八〇年代以降のネオリベラル社会においてはどうかというと、そこにおいてもやはり、公的機関における微視権力の作用が問題とならざるをえない。イギリスとアメリカにおける最近一〇年間の
社会科学者のための古典研究会 案内1(ゲスト大澤真幸氏)1993-1 案内2(ゲスト橋爪大三郎氏/上野千鶴子氏)1993-2 私が大学院生だったころ、東大社会学の地下実験室にて、 桜井芳生さんや小林盾さんらと、熱い勉強会をしていました。 懐かしい思い出です。
HOME 書評 篠原雅武著『公共空間の政治理論』 人文書院2007 『図書新聞』2007年11月10日、5頁 橋本努 「空間とはなにか」――。これは、京都大学の間宮陽介先生が、ある年の大学院入試(修士課程)において出題された問題であるという。たまたまこの試験問題に挑んだという筆者は、その後「空間」論を専門領域と定め、「空間の政治理論」と題する博士論文を同大学へ提出したというのだから面白い。その論文を加筆修正して生まれた本書は、「空間」をめぐる政治の本質的な問題と向き合った力作だ。自前の思考営為によって、著者はこの領域で問題となる事柄を徹底的に悩み抜いている。その真摯な姿勢において、本書は「精神の格闘記」と呼ぶにふさわしいであろう。 この一〇年間、日本の大都市はいずれも、目まぐるしい変化を遂げてきた。高層マンションが乱立し、人々の生活は、都市の快適な居住空間のなかへと、ますます内閉しつつある
HOME 作成・橋本努 ホッブズ『リヴァイアサン』岩波文庫[1651] ・トーマス・ホッブズ(Thomas Hobbes 1588-1679):英国国教会の田舎牧師の二男。オックスフォード大学卒業、フランシス・ベーコンの秘書を務める。三回におよぶ大陸旅行で、デカルトやガリレオらと交流した。 ・「コモン-ウェルス」:ラテン語のキウィタス(都市)に当たる。ローマの都市国家に代表される政治社会。 ・「リヴァイアサン」:人工生命の技術知によって創造された、人工的人間としてのコモン-ウェルス(ないし国家)。ホッブズはコモン-ウェルスを、一方では人体との対比によって、他方では機械との対比によって捉えた。聖書「ヨブ記」によれば、「地上にはかれ(リヴァイアサン)とならぶものはなく、かれはおそれをもたないように作られている。かれはすべての高いものごとを軽蔑し、あらゆる高慢の子たちの王である」とされる。聖書に
HOME 森村進氏の応答に対する簡単な応答 橋本努200610 拙稿「自己所有権型リバタリアニズムの批判的検討」『法哲学年報 2004 リバタリアニズムと法理論』(2005)において、私は森村進氏の独創的な立論――自己所有権型リバタリアニズムの一類型――に対していくつかの批判的検討を試みました。この拙論に対して森村氏からの応答がありましたので、その応答に私から簡単なコメントを(ホームページを通じて一般読者に)付します。 森村進氏は、ご高論「自己所有権論の擁護――批判者に答える――」『一橋法学』第五巻第2号、2006.7.の中で、高橋文彦氏と立岩真也氏と小生からの批判に応じられています。森村氏の小生に対する応答は比較的短いものですが、氏は私の批判を三つにまとめて、それぞれ応答されています。 第一の論点は、自己所有権型のリバタリアニズムは、成長論的自由主義が関心を寄せている、①「潜在的に創造可
HOME 山之内靖「羽入-折原論争への応答」 以下の文章は、山之内靖様から寄せられた応答です。 橋本 努 様 2004年1月29日 「ウェーバー研究者たちに羽入-折原論争への応答を呼びかける手紙」および、「羽入―折原論争への参入と応答」を拝受しました。 まず、「呼びかける手紙」に関してですが、私はこの論争にも、また、羽生氏の議論にも、まったく関心がありません。私は、すでに『ニーチェとヴェーバー』(1993年、未来社)、『マックス・ヴェーバー入門』(1997年、岩波新書)、『日本の社会科学とヴェーバー体験』(1999年、筑摩書房)で私のなすべき作業はなし終えた、と自覚しています。私は既存のヴェーバー学のあり方に違和感を抱き、その違和感に長らく苦しんできましたが、それとの取り組みを通して自分なりの解答を構築してきました。その主題は、ヴェーバーを西洋近代に始まる文
HOME 書評 デヴィッド・ハーヴェイ著『ネオリベラリズムとは何か』 本橋哲也訳、青土社2007 『図書新聞』2007.6.2. 3頁. 評者・橋本努 現代の左派諸思想にあって、その最大公約数となるのはおそらく、「ネオリベラリズム(新自由主義)」に対する批判であろう。「なにはともかく、ネオリベ体制は最悪である」というのが、現代左翼の通底音であるように思われる。 日本においても例えば、九〇年代後半から現代にかけて、実に多くの雑誌が「ネオリベ批判」特集を組んできた。『日本教育法学年報』、『科学的社会主義』、『ポリティーク』、『土地制度史学』、『総合社会福祉研究』、『ラテンアメリカレポート』、『賃金と社会保障』、『経済』、『社会評論』、『労働運動研究』、等々。ざっと挙げただけでも、これだけの雑誌が特集を組んでいる。書物においてもいろいろな批判書が出版されているが、このイデオロギーを最深部において
HOME 書評「山中優著『ハイエクの政治思想』勁草書房2007」 橋本努200705 著者の山中優氏と小生は、数年前にチリの首都サンティアゴで開かれたモンペルラン・ソサエティでお会いして以来、親しく交友を続けてきた。氏は幼少の頃に片腕を失い、かなり不自由な生活を強いられてきた障害者である。しかし実際に接してみると、氏はその不自由を感じさせないほど朗らかで、すぐれた人徳に満ちている。おそらくその背後では、人並みならぬ苦労と強靭な努力があり、日々の逆境を克服されてきたのであろう。氏は京都大学に合格したのちに研究者の道を選ばれ、そしてこのたび、第一級の研究書を刊行された。まず、このような奇跡的な人生を歩んでいる山中氏に対して、私は最大の賛辞を送り、心から敬意を表すると同時に、本書の刊行を喜びたい。 本書はおそらく、ハイエク研究において、時代を画する意義をもつだろう。すでに日本のハイエク研究の水準
HOME 書評的考察「大屋雄裕著『法解釈の言語哲学』勁草書房2006」 橋本努200704(未発表) 去る2007年4月6日のLegi研(井上達夫プロジェクト)では、大屋雄裕氏の著書『法解釈の言語哲学』の合評会が行なわれた。この機会に私も本書を精読し、本書から大いに学んだので、以下に思うところを書き記しておきたい。 おそらく本書は、法哲学と言語哲学をめぐる分野の、時代を代表する一つの古典になるであろう。ヴィトゲンシュタインからクリプキを経て野矢茂樹に至るまでの言語哲学の発展を、一通り批判的かつ体系的に検討した点は高い評価に値する。大屋氏は、批判の論理の組みたて方において周到であり、しかも根源的な思考を強靭に働かせている。法哲学を離れても、本書は面白く読めるだろう。(若い頃にヴィトゲンシュタインの哲学に魅了された人であれば、なおさらであろう。)本書は、ヴィトゲンシュタイン以降の言語哲学がもつ
HOME 書評的省察:井上達夫のリベラリズムと向き合う 2003/12/18 橋本努 (以下のエッセイは、2003年12月13日の東京法哲学研究会における私のレジュメに加筆・修正したものです。当日の内容は、井上達夫氏の近著をめぐる合評会であり、コメンテイターは亀本洋氏と私でした。) 0.はじめに 現代の社会哲学・社会思想を語る上で、おそらく井上達夫ほど重要な思想家はいないであろう。リベラリズムの刷新によって、コミュニタリアニズムや熟議民主主義などの諸思想を自らの体系に取りこむというその独創的な思想は、いまや現代社会における「普遍」として君臨するイデオロギーであるかのようにみえる。この思想はしかし、どこにその首頚骨をもつのだろうか。この思想によって包摂されない別の可能性は、どこにあるのだろうか。 以下では、井上達夫著『普遍の再生』および『現代の貧困』において詳述された井上流リベラリズムの思想
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