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アメリカ大統領選
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「山月記」に関するツイートでかなりツイッター上で話題になっていた新井紀子さんについて、私も色々思うところを書いていたのだが、ご本人からリプライをもらっていたことに気づかず、ツイッターのアナリティクスを見ていて返信があったことに気づいたのでこちらからも返信しようとしたら、ブロックされていたので返信ができなかった。 やり取りに関してはご興味のおありの方はツイログ等で私と新井さんのタイムラインを追いかけていただければわかると思うのだけど、ブログにまとめようと思ったのは「山月記」をめぐる批判を超えた次元での疑問であるので、その辺りのことはここでは触れず、より本質的と思われるところを考察し、書いておきたいと思う。新井さんの諸々のツイートから感じられる教育観・教養観に関する疑問である。 私が主に日本の教育について問題に感じていることの一つは「教養の退潮」ということで、より本質的に社会や人間、科学や諸々
【『夢と狂気の王国』は、「特別なアニメ」たちを生み出す「ありのままのスタジオジブリ」を描いた傑作だった】 忙しい中で、なぜかたまたま行きたい企画、見たい映画が何本もあるという事態に。その中で、昨日は錦糸町へ砂田麻美監督『夢と狂気の王国』を見に行き、今日は池袋へ『吾妻ひでお原画展』を見に行った。 今日は、『夢と狂気の王国』の話を。 『夢と狂気の王国』は、スタジオジブリを舞台にしたドキュメンタリー映画。デビュー作の、自らの父の死をドキュメンタリーで撮った『エンディングノート』で脚光を浴びた34歳の砂田麻美監督が、2012年から今年にかけてスタジオジブリに密着してカメラを回し、スタジオジブリの空気感のようなものを描き出した作品。 今年夏の宮崎駿監督の『風立ちぬ』、今まさに公開の始まった高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と重なったために、きっと多くの人が見に行くだろうと思っていたのに公開される映画館の
【世の中をよくしていくために、考えたこと:あのころ堀江貴文さんは何をやろうとしていたのか】 世の中の階層というものの特徴は、上に行けば行くほど周りが良く見えてきて、視界が広くなり、すっきりして来るということにあると思う。 そうなると、世の中を動かしている「構造」が良く見えて来る。資本主義とか何とか、言葉や概念では知っていても、実際にそれがどう言う威力を持っていて、それをどう使ったらどう動くのかとかは、階層の上の方に行かないと分からない。というか、実際に「会社」というものを経営してみないと分からないだろう。 それは多分、自動車を運転するようになって、道路や地域に対する感覚が全く違ってしまうあの感じと似ていると思う。自分が歩いたり自転車に乗ったりしている時には自動車というものは邪魔なだけだが、あたりまえだけど自動車というのはある目的地に向かって運転されているわけで、自分が運転してみると前の車が
【木枯らし/「まど☆マギ」と「進撃の巨人」をなんとなく比べてみる】 今日も不順な天候で、通り雨が降ったと思ったら急に冷え込み、木枯らしが吹いた。夕方になってから出かけたのだが、寒いからと思って久しぶりにジャケットを着てネクタイを締めて出たが、外を歩いているとマフラーをしている人やコートを着ている人もいて、晩秋から冬へと一直線に落ちて行っている感じがした。 昨日見た『まど☆マギ』のことを考えていて、(あ、ネタバレなのでこれから見るつもりの方はこの段落はスルーしてください)なんかどうも自分は十分には満足しなかったのだけど、それはなぜだろうと思う。やはりテレビシリーズの時の緊張感が、今回は足りないなと思ったからなのだろう。予想よりもどんどん悲惨なことになるあの展開力が、今回は少し足りないというか、予定調和的な部分が大きかったからではないかなと思う。魔法少女たちも前回はマミ、さやか、杏子と三人死ん
【本質を見るか、構造と機能を見るか】 このところ日曜日には更新できていない。それは余裕がないから、つまり忙しいからであるわけだけど、なぜ余裕がないかと言えば仕事や生活の上でやらなければならないことやそっちに関係して気になることが多かったりすることもあるわけだけど、自分のやりたいことが多すぎてその順序があまりよくつけられないうちに時間が無くなって行ったり、体力的に余裕がなくなって更新するまでに至らないということも多い。 今年は何のかんの言っても仕事が忙しい。ここ数年の中では一番忙しいと思う。生活上のことでもいろいろあってなかなかやりたいことをやる時間がないということもある。そういう中で朝から草刈りをしたり、自分の会計の収支を複式簿記で完全に記録したりやることを自ら増やしている面もあるから、余裕がなくなるのもむべなるからである。身体についてもいろいろ考えながら自分の調子を見てはいるのだけど、こ
有楽町に出て友人と別れ、さてどうしようかと考えて交通会館のビルの梅花亭で子福餅と柚子餅を買い、物産館で天然酵母パンを買った。銀座をぶらぶらしたあと、やはり『ノルウェイの森』を見ることにして、また日比谷に逆戻り。宝塚劇場の地下のスカラ座で4時20分の回に入ることにした。この映画、もともと見るつもりはあまりなく、DVDになってからTSUTAYAで借りてみればいいくらいに思っていたのだが、ツイッターで村上隆氏が絶賛の嵐だったので、どういうものなのか一度見てみようという気になったのだ。今日はたまたま日比谷に来ることになったので見る気になったら見ようくらいに思っていたのだけど、まあ今日を逃したらいつ見るか分からないなと思って結局見た。 私は原作小説は読んでいない。読んでいる人と読んでいない人とではそれなりに感想は違うと思うし、特にあのラストに関してはきっといろいろ意見があるだろうなと思う。 しかし私
今朝の信州は18度くらいまで下がり、普通の布団をかけていても涼しいくらいに感じた。一気に秋がやってきた。雲の感じも秋らしい。コスモスが元気が出てきて、こぼれた種から青紫の朝顔が咲いている。信州は夏から秋へ、そして冬へと駆け降りて行くような気候なので、寝床の中で、そろそろ寒さの対策もしなければなあ、とぼおっと考えていたりした。しかし正気に戻ると、さすがにまだそれは早い。朝夕は寒いくらい涼しくても、しばらくは晴れたらまだ暑い。それでも空気もさらっとしてきて、秋は確実に進んでいる。 昨日は10時半に東京の家を出て丸の内丸善に立ち寄って本を物色し、梅田望夫・飯吉透『ウェブで学ぶ』(ちくま新書、2010)を買った。ウェブと学びというテーマが面白かったのだが、少し読んだだけなのだけど梅田自身のグローバルウェブに対する考え方が実はかなり変化しているということが読んでいるうちに分かってきて、俄然興味が高ま
3月3日(日)晴れ 今日は冷え込んでいる。今までの最低気温がマイナス6.2度。昨日の朝は予想ほど冷え込まなかったけど、今朝はかなり寒い。上巳の節句(桃の節句)にこの冷え込みは、桜田門外の変を思い出す。薩摩出身で日本近代警察の基礎を作った川路利良を描いた「だんドーン」も、今ちょうど桜田門外の変をやっていて、時期を合わせたのだなと思う。当時は当然旧暦だから新暦では3月24日、3週間日付はずれるわけだけど、いずれにしてもこの季節に江戸で雪が降るというのは話ができすぎているなあとは思う。もちろん川路が関わった史実はないわけだが、井伊直弼の密偵だった村山たかとの攻防の一場面として、この場面にも登場している。二人の間には二重密偵の犬丸という存在(架空)があり、見せしめのために殺された彼がこの場面のキャスチングボートを握っていたという展開が面白かった。 https://amzn.to/3T26BdH *
久しぶりの友人から電話がかかってきて話す。いろいろ話しているうちに今日ブログに書こうと思っていて書かなかったことを思い出した。 日本シリーズの第一戦はテレ朝で野村前楽天監督が解説で、例によっていろいろ喋って(ぼやいて)いたのだが、まあそれなりに面白かった。途中でテレビを離れたので最後まで聞けなかったけど。昨日の第二戦はフジで解説は清原と新庄。新庄は久しぶりに野球を見るのが楽しくてしょうがない感じで、しかも最近の選手について全然知らず、でもポイントポイントでこうなんだよ、と話しているのが面白かった。なんていうか、ああいう解説って今まで聞いたことがないけれども、すごく新鮮でよかったと思う。多分嫌いな人は嫌いなんだと思うけど、テレビのしがらみみたいなものに縛られないであれだけ言いたいことをいえたのは、新庄が「最初で最後」の解説だったからだろう。清原もそれにあわせてずいぶん言いたいことを言っていた
昨日。10時半過ぎに出かけ、大手町で乗換え。丸の内丸善の前にX的な女の子たちが大勢いて何事かと思ったら、ヨシキの著作刊行記念サイン会が行われるということだったらしい。ダークスーツの男女が行き交う丸善の一階に異空間が出現していた。東京駅のキオスクで読売新聞を買う。朝mixiを見ていたら村上春樹のインタビューが掲載されるという情報があったからだ。一面に抜粋、23面に詳しく出ていたが、新聞のインタビューらしく語尾とかが適当に端折られているのでなんだか読みにくい。『モンキービジネス』みたいなだらだらした感じの方がずっと読みやすいのだが。でも要点は押さえられているという感じかな。上中下の三回に分けての掲載。村上が『1Q84』について語るのは初めてで、その意味で注目される内容だと思ったが、その他の部分では今までいろいろなところで彼が語ってきたことが中心だという印象を受けた。印象に残ったことをいくつか。
謡曲『安宅』読了。なるほど歌舞伎の『勧進帳』とは富樫の位置付けがまったく違う。歌舞伎では富樫は基本的に自分のハラ一つですべてを飲み込んだ上で一行を通してやる「いいヤツ」なのだが、能では弁慶たちの迫力に押されて一行を通してしまう情けないヤツで、しかも通した後でお詫びだといって酒を飲ませて召し取ろうとするこすいヤツでもある。能の方が義経主従の危難が浮かび上がって悲劇性が高まるが、歌舞伎は富樫の役者にかなり大きな花を持たせる演出なのだ。義経の位置付けも違う。能は子方でそう重要性がないわけだが、歌舞伎の場合はかなり重要な役者が演じる格の高い役だ。まあスター総出演的な、華やかな大衆性を持った演出にしたのが歌舞伎の『勧進帳』の成功のもとだろうし、富樫の「武士の情け」、義経の貴種の魅力というものを称揚しわかりやすく描く幕末明治以来の新しい価値観が現れているということなんだろうと思う。作能された時代には「
ちょっと大き目の急ぎの事務仕事が昨日の午後一段落し、そのあとはちょっとほっとしていた。妹とその子どもたちが少し前から来ていたのだが、子供というのはやはり見ていると面白いなあ。妹は小学校の先生なのだが、育休を取って三人の子どもの子育てをしている。みんな丈夫ですくすく育っていていい感じだ。 今日の午前中は松本に出かけて、午後一休みして大仕事。それもつつがなく終わり、その後の仕事はぼちぼちと。新しい仕事の問い合わせもあり、それなりに動いてはいる。 暇な時間を見つつ塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』読了。最後の三浦雅士との対談が面白い。三浦雅士は最近、私の中では『ダンスマガジン』の編集長でありバレエ評論家なのだが、昔は『ユリイカ』の編集長だったのだからやはり文芸評論家なのだ。 この対談を読んで思ったが、塩野七生が文学の方面からも歴史学の方面からも叩かれる存在らしい、ということは薄々知らなくは
ご案内 長い夏もようやく終わろうとしています。 今年は冷房なしで過ごしたので、こんなにと思うくらい汗をかきました。 涼しいところで、また日が落ちて涼しくなってから、読書をするのも乙なものですね。 気になる本がご案内できたらいいなあ、と思っています。 □私のお勧め こんなときにはこんな本□ ■閑(しず)かな気持ちになりたいとき。■
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