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「死ね」でも「クズ」でも発言すればいい。覚悟があるのなら。|イケハヤ大学【ブログ版】
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「死ね」でも「クズ」でも発言すればいい。覚悟があるのなら。|イケハヤ大学【ブログ版】
ここら辺は誤解を招きがちなところなので、改めて文章にしておきます。 言論の自由と、発言の責任を取る... ここら辺は誤解を招きがちなところなので、改めて文章にしておきます。 言論の自由と、発言の責任を取る覚悟 ぼくは言論の自由は大切だと考えています。 ゆえに、「死ね」やら「クズ」やら「消えろ」といった罵詈雑言も、その発言がもたらす結果の責任を取る「覚悟」があるのなら、発言すればいいと考えています。その上で、彼・彼女の行為を、法律、ないし社会が判断するだけですから。 これはヘイトスピーチを法的に規制するか、という話に通じますね。「韓国人は死ね!」と叫ぶ彼らが、その発言の責任を取る覚悟があるのなら、それもよいと思います。 問題なのは、死ねだのクズだの叫ぶ輩たちが、ほとんどの場合、十分な覚悟を持っていないことです。せめて対話くらいして欲しいものですが、ほとんど確実にスルーされるんですよね。例は出しませんが…。 結局ネットで罵詈雑言をつぶやき散らすほとんどの人間は、逃げ道を用意した上で、卑屈にも「死ね