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池澤夏樹著『母なる自然のおっぱい』が装いも新たに再刊! 1992年刊行の『母なる自然のおっぱい』(新潮社刊・読売文学賞)はその後文庫化されたものの、入手が難しい状況が続いていましたが、このたび新編集で実業之日本社から再刊されることになりました。 書き下ろしエッセー「ハイイロチ … もっと読む
陽気な哲学者 書評者名:池澤夏樹 初出:林達夫・久野収『思想のドラマトゥルギー』(平凡社)解説 初出年月日:1993年6月 学者とは不自由なものだと素人は考えている。最初に専門分野を選んでしまえば、研究の経路はおのずから決まって、死ぬまでにどれほど遠くまで行けるかで生涯の価値が定まる。つまり、素人の目には学問というのはコースの決まった耐久レースのようなものと映っているのだ。こういうことになる理由は明快で普通の人にとって勉強とは上から与えられたカリキュラムの消化以外の何物でもないからだ。なすべきことは決まっており、それを何パーセントまで自分のものにしたかが成績として残る。学者は勉強するのが仕事なのだから、やはりその内容は決まっていて、何点取ったかで成績が決まるように思う。無理もない。 実際には、学者とは実に風とおしのよい、自由勝手な職業である。何をどう研究するかは自分で決めればいい。売
先頭に立つ人は鋭いが、少し遅れて進む人は丸くて幅が広い。どちらが馬力を必要とするか。たぶん馬力の種類が、瞬発力と持続力のように、違うのだろう。エーコは後者だ。彼は鋭利な刃物ではなく、むしろ鈍器。先に立って新雪の中にルートを開くのではなく、全員の荷物を幅広い肩に背負って後から進むポーター。総括者、会計検査官、査定人。彼のような人物を出す段階になると、その文明は完成する。あるいは頂点を越える。そう言いたい誘惑に駆られる。 エーコは形を借りる。二つの長篇を通じてそれはいよいよ明らかになった。『薔薇の名前』は形式においては連続殺人を中心の謎として据えたミステリーだった。この小さな土台の上に、細密な歴史小説とか、ヨーロッパ思想史における正統と異端の問題とか、笑いとキリスト教の関係とか、さまざまな要素が山のように積み重なっていた。彼の腕力は相当なもので、このような多くの荷を積んだ車を、山を越え坂を越え
池澤夏樹が語る自伝『一九四五年に生まれて』 気鋭の文芸評論家、尾崎真理子の巧みなインタビューに応えながら、池澤夏樹が語り下ろした自伝『一九四五年に生まれて』が岩波書店より刊行されました。これまで私的人生についてあまり多くを語らなかった池澤夏樹が、人生と創作のすべて … もっと読む
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