サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
参議院選挙2025
www.k2.dion.ne.jp/~jan2005
マリオギャラクシーをプレイして思った。最近のゲームは何かが違う、と。 20年前のマリオなんて、今のゲームからしたらチャチなもんだ。ただひたすらに前に進んで、亀を溶岩に叩き落すだけ。 それが、今のマリオは120もの素敵なミッションが用意されている。全部クリアするだけで一苦労だ。しかもその後には更なる難関が待っている。嬉しいねえ。 でも、20年前のほうがなんかおもしろかったんだよな… 何が違うんだろう? プレイする側の感性が老いただけなんだろうか?それとも経験を積みすぎて、ちょっとやそっとでは驚かなくなったからだろうか? それらもあるだろうが、何より、今のゲームはユーザに対して世話を焼きすぎなんじゃないか? 大昔のマリオの、ゲームとしての目標はただひとつ。単に8-4をクリアすることだ。 ワープを使おうが地道に面をクリアしていこうが、何をしてもいい。そして、8-4をクリアした後は
※この記事の続きだよ 「普通の作家」や「普通の本」は価値が高いもののように感じるのに、「本を出したサイトの管理人」や「サイトの書籍化」だと一気に格が下がるように感じる。この問題について、もうちょっと考えてみる。 本を出すのは自分にはとても無理だが、サイトなら自分でもできる。そのせいで 作家>>>(越えられない壁)>>>サイト管理人≒自分 の錯覚が生まれるのだろうと思ったのだが、それだけなんだろうか。別の何かがありそうな気がする。 kaz::hatenaの「一方的な親近感」という記事。3行でまとめると、 サイトを読む 管理人の個人的な情報を知る 一方的に親近感が湧く ということだ。 この辺に問題がありそうだ。 一般的な本に比べると、サイトは個人的な語りが多い。そのような個人的な語りは、はっきり言うと読む側の人間を置いてけぼりにした、管理人の自己満足だ。 商業ベースの出版
罫線を使った樹形図を簡単に作成することができるソフトです。 たとえば、特定のディレクトリの内部の構成をテキストに書いてメールで送る必要があるとします。 そのとき、ディレクトリの階層構造をどうテキストで表現するか?ひとつの方法は、罫線文字を使って枝を書き、樹形図にすることです。 しかし、罫線を使って木構造を表す樹形図を作成するのは非常に手間です。枝を書くために、毎回「けいせん」で変換しないといけません。 このソフトは、そんな手間をなくし、簡単に樹形図を作成する手助けをします。
今日は、毎日のように見ていたあるサイトを見るのをやめてからちょうど1年になる。 そのサイトは、数多くの投稿者がおもしろいネタを投稿する形式のサイトであった。アクセス数は数百万にも達しており、客観的に見ても人気の高いサイトだった。 かつての自分は、そのサイトをチェックするのを日課にしていた。非常に質の高いネタが多数投稿されていて、毎日見ても飽きなかったのだ。 しかし、あるときから様子がおかしくなっていった。 どう見てもつまらない、作者の自己満足的な投稿がだんだん増えてきた。 管理人も投稿者との馴れ合いの度合いを次第に強め、常連投稿者を明らかに身びいきするようになっていった。 さらに、管理人の増長も気になってきた。どことなく自分のサイトの影響力を鼻にかけるような態度が漂ってきて、それが鼻につき始めてきたのだ。 それでも、そのサイトに毎日通うのをやめられなかった。毎日つまらなくなった
好き勝手に書き散らかしているこんなサイトでも、ニュースサイトで紹介されたり、はてなブックマークの注目エントリに入ったりすることがときどきある。 1日6hit以下の零細サイトが、「私信の多いニュースサイト」を書いたときはアクセス数が普段の100倍以上になったこともあった。すぐ元に戻ったがな'`,、('∀`) '`,、 そのようなとき、(賛否含めて)記事を紹介してくれた人や、読んでくれた人に対してありがたさを感じる反面、ある種の怖さも感じるのだ。 はじめてサイトを作ったときは、「どうせ誰も見に来やしないから好きなこと書こうぜ」というスタンスで好き勝手なことを書いていた。 誰も見に来ないならなぜ書いたのか?それは単純に「書きたかったから」だ。 ウェブにアップロードする時点で、「自分の書いたもので注目を集めたい」という気持ちが多少なりともあるのは間違いない。しかし、それ以上に、「書きたい
花を買い来て妻と親しむわけにもいかんしなあ。。。 サイト巡りをしていると、ときどきどうしようもない劣等感に襲われる。 「なんでこの人は、こんなに役立つHTMLの解説を載せてくれるんだ?しかも無料で。」 「なんでこの人は、これほど理路整然としてかつユーモアのセンスのある文章を書けるんだ?」 「なんでこの人は、自分よりずっと年下なのにこんなに絵がうまいんだ?」 「なんでこの人は、直前のレスからわずか数分でうまい切り返しのレスを返すことができるんだ?」(匿名掲示板の話。管理人とは違うが) 「なんでこの人は(ry おいらにもその才能を分けてくれ。。。 プロバイダ代さえ払えば、無料でおもしろい情報を山ほど手に入れることができるのが、ウェブのよいところである。 しかし、それは「優れた才能の持ち主が山ほどいる」ということであり、その人と自分を比べて劣等感を抱いてしまう諸刃の剣でもある。
ウェブ拍手というものがある。サイトに設置されたボタンを押すだけで、簡単に管理人に応援の気持ちを伝えられる仕組みらしい。 人気もかなりあるようで、あちこちのサイトで使われている。客からのリアクションが欲しい人がそれだけ多いということの表れなのだろう。 だが、そこにはある危険性が潜んでいる。 自分の気分を他者に支配される危険 ウェブ拍手の危険性。それは、管理人の気分が外部からの反応に支配されてしまうということだ。 ウェブ拍手を設置したからには、訪問者からの反応が欲しい。もし訪問者がウェブ拍手のボタンを押してくれたり、さらにコメントを残してくれたりしたら、管理人は嬉しく思うだろう。逆に誰もウェブ拍手をしてくれなかったら、期待を裏切られた分の空しさが残る。 つまり、管理人の気分は、訪問者がウェブ拍手に反応するかどうかに依存するわけだ。だが、訪問者がウェブ拍手を押すかどうかは訪問者が決める
※この記事には続きがあるよ よく行くサイトの中の人が本を出しているのを、ある日本屋で見かけた。 そのとき、何ともいえないもやもやしたものを感じた。言葉にすると「無料のサイトなら見るけど、有料の本にするほどのクオリティじゃないだろ…常識的に考えて…」という感じだ。 その本の中身を見たわけじゃないし、「普通」の本にも糞みたいなものがあるのも承知だが、どこか普通の本の1ランク下のような感じがする。また、普通の作家は「雲の上の人」なのに、サイトを通して(一方的に)知っている管理人は「こいつ知ってるw」ぐらいの差がある。 この、普通の作家と、本を出したサイトの管理人の間に感じられる差別感は何なんだろう。 この感じの原因は、本とサイトの敷居の高さの違いが原因なのではないだろうか。 本を出すとなると、原稿を書いて出版社に持ち込んで、何度も原稿をはねられて、やっと本を出すというプロセスを踏むん
インターネットに存在するおもしろいネタをどこかから引っ張ってきてかき集め、それでアクセスを稼ぐ、いわゆるニュースサイト。重宝している。 だが、一部のサイトに、どうにも引っかかる点がある。 やたらと私信が多いサイトがあるのだ。 毎日のように、今日は遊びに行ったので更新が少ないとかなんとか、どうでもいい近況報告をしてくれるサイト。お前の都合など知るか。 「○○さんからの頂き物イラスト」などを嬉々としてトップに飾るサイト。お友達ができたのがそんなに嬉しいのか?俺はお前のママじゃない。 個人的な友人らしき人物にあてたメッセージを載せるサイト。いったい誰? これらのサイトは、ネタ元としては上質な道具なので重宝するのだが、唯一の欠点はこういう私信があまりにもうっとうしいことだ。こっちは無料で利用させてもらっているわけで文句を言ってもしょうがないし、個人的なことを書きたくなる気持ちも理解でき
ちょっとそこに座れ。お前に言いたいことがある。 イラストを公開するたびに「下手ですみません」だとか「へぼいイラスト」だとか、いちいち言い訳をするんじゃあない! 本当に下手なイラストならば、お前にいちいち説明されなくても、見れば下手だということぐらいすぐ分かる。それとも、「あなたの絵は本当に下手糞ですね!!デッサンが狂いまくってて、5分で目が腐りそうですね!!」とでも言って同意してほしいのか?お望みとあらばいくらでも言ってやるが。 (まあ、実際には絵がけっこう上手なところも多いんだが。それは謙遜のふりした嫌味ですか?) なぜ、このような言い訳をする人間がいるんだろう? 描いた本人にとっての、言い訳をする利点その1。下手に出ることで、他人の批判を封じることができる。 どうせ、「あらかじめ下手に出ておけば、叩かれることもないだろう。あわよくば、『そんなことないですよ〜お上手ですぅ〜』
1日のアクセスが6ヒットに満たない、通称6ホットサイト。弱小サイトとか閑古鳥サイトとか言っても、ほぼ同じ意味だ。 そんなサイトの管理人が「どうして大手サイトにならないの?」と他人から訊かれたときの、6つの言い訳。好きなのを使ってほしい。 客を大切にしたいから サイトにもピンからキリまであって、訪問者が1日あたり1人にすらならないところもあれば、1日何万人というところもある。 大勢の客が来れば、管理人からしたらありがたいが、管理人にとって1人1人の客の価値は下がる。訪問者が1日数人程度ならば、大切なお客様としてお迎えするゆとりもあるが、何万にもなるとその他大勢としてないがしろな扱いをせざるを得ないだろう。 私はサイトに来てくれる1人1人を大切にしたい。だからあえて6hotでい続けるのだ。 6hotでいる限り、私はそれぞれの客を大切におもてなしすることができる。 他人を蹴落としたく
JavaScript実験室 「あえて使う必要のないところでJavaScriptを使う」がコンセプト。JavaScriptといいつつMeadowやVBAまで手を出している。 Meadowでdoxymacs使おうぜ MinGWでDXライブラリを使う 樹形図作成elisp スライドパズル(15パズル) かみはバラバラになった :
「アクセスがないのになぜサイトを更新し続ける?」という疑問に対し、心の平衡を保つための考え方いろいろ。 負け犬の遠吠えから開き直り、果ては運命論まで。 世の中には完全なものなど存在しない。私のサイトが完全におもしろいということはありえないが、完全につまらないということもない。少なくとも一片のおもしろさはあるはずだ。 人間の評価は相対的なものだ。名作をつまらないと言う人もいるし、駄作をおもしろいと言う人もいる。それと同じで、私のサイトをつまらないと言う人が絶対にいるが、面白いと言う人もいるはずだ。 アクセスがないのは、私のサイトが万人受けしないということを示しているのかもしれない。しかし、いつの世にも、万人受けしない特殊な嗜好の持ち主がいて、自分の嗜好を満たせないでいるものだ。 金持ちには金持ちなりの苦労がある。アクセスを得られないということは、金持ちの苦労を味わわなくてよいということで
「ウェブサイト」「心理学」「言葉」「認知」といったことをテーマに、日々考察したこと。 上が最新。
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www.k2.dion.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く