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「天使は見えないので描かない」と宣言するクールベ 19世紀中ごろのフランスは革命、政変が相次ぐ政治の動乱期であった。ギュスターヴ・クールベは、社会主義思想の影響を受け、自由を求めて立ち上がろうとする民衆の側に立つ血気盛んな画家であった。彼は、あい変わらず神話世界を描くサロンの画家たちに強く反発し、「天使は見えないので描かない」と古典絵画の主題を捨て去った。神や天使、その威を借りようとする為政者の夢物語ではなく、クールベが描くのは、社会の底辺で仕事にいそしむ人々の姿であった。クールベは、主題を現実に向けることによって、いわば、古典絵画の「近代化」をめざしたといえるだろう。 クールベ絵画のライバルは写真映像 クールベが戦いを挑んだ相手は、サロンを牛耳る新古典主義絵画のほかにもう一つ、当時普及した写真映像、それこそが彼の真のライバルであった。彼のこれでもかといわんばかりのねちっこい写実描写は
「階段を下りる裸体No.2」1912 「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展2004-5でこの作品をご覧になった方も多いのではないでしょうか。 デュシャンの初期の話題作「階段を下りる裸体No.2」1912は、古典以来の絵画という表現メディアを素材にとりあげ、そこにどれほどの前衛芸術としての「仕掛け」を組み込めるかという実験的な試みである。 前衛芸術の「仕掛け」というのは人間を機械に一部にあるいは機械そのものにしてしまう現代の文明に配する批判、その文明を牽引する科学に対する批判の概念レベルの表現である。 デュシャンのほどこした概念上の「仕掛け」は観衆のうちでゆっくりと「遅延」してはたらきはじめ、古い芸術(の概念)を壊していく...。「階段を下りる裸体No.2」には、一見、古典絵画の雰囲気が漂う。褐色の深く落ち着いた色合いはちょっとあのレンブラントを思わせさえする。「仕掛け」の入れ物で
@ なぜ20世紀アメリカ現代美術なのか? p.26 2日目のはじめに 一日目は古典期から現代に至る美術史の流れを背後の歴史的経緯と重ねておおまかにたどりました。 これで現在に至る時代と表現の位置がそれなりに見えてくる地点に立てたかと思います。 それぞれの時代の芸術表現は、作家個人の成し遂げたものであると同時に、その時代の社会の産物という側面を持ちます。それは表現する芸術家個人がいかに普遍的な表現をめざしても、彼(彼女)が生きる時代の時代認識と事象の制約を受けるからです。ちょうど、ダ・ビンチの絵画が時代から突出した要素を垣間見せながらも、やはりルネサンス時代の生んだ古典的な絵画表現の枠組みの中にあるというように...。 現代美術と言えども、例外ではなく、時代の先をゆく表現をめざした作家たちの表現も、そうした前衛的要素を含みなが
巨大な壁面に貼り付けられた皿と古ぼけた複製画の組み合わせ 70年代に入ると、「ポップ」の記号漁りもひとまわりした感があり目新しいものが乏しくなった。芸術のポップ表現は閉塞し、巨大化した(しすぎた?)生産・情報システムばかりが際立つようになる。(システム「アメリカ」の進展に比して、その前衛性が鈍り、権威がかげりを見せた時期といえる。ベトナム戦争、ウォーター・ゲート事件の痛手も響いているだろう。) この閉塞感から登場するのが二つの異なるトレンドである。一つは新表現主義の絵画。それは、都市の記号の中で、打ち捨てられ誰も振り向きもしなくなった古層から抽出された記号を組み合わせた表現である。 レストランで働くシュナーベルは、ゴミ捨て場に捨てられた皿とレストランの壁にかかる古ぼけた複製画を組み合わせる。彼の絵がらはどこにでもある複製画のように凡庸だ。巨大な壁面に貼り付けられ突出する皿とその絵柄と
シュナベールを一躍有名にしたのは、皿を埋め込んだ異様で巨大な彼の画面でした。皿の部分が飛び出した画面は、モザイクと呼ぶにはあまりにも荒々しく作られ、絵を描くカンヴァスとしてはおよそふさわしくない様子をしています。 彼の作品を特徴づけるのは、画面から突出する皿と絵画のイメージの場違いな衝突です。ここに取り上げた作品はたまたま目にした図版のなかの一枚ですが、この作品でも、肖像画にしては大きなサイズの画面からたくさんの皿の部分が突出しています。その突出は上に描かれたイメージと折り合う訳でなく、ただ自らを主張すべく突出しています。 通常、私たちが絵を見るとき、画面を絵画の空間として見ようとします。ところが、画面から突出する皿は、絵画の空間を見ようとする私たちの視線に否応なく介入してきます。皿は私たちの絵に向かう視線をさえぎり、現実の事物を見る位置に引き戻します。 彼の作品を目にしても、私たちに
デュシャンのレディ・メイド デュシャンの飄々とした態度には、かえって古典的な表現には断じて従属しないぞとする強い意志が見え隠れする。柔軟さ穏やかの中身は断固とした筋金入りの前衛芸術の魂が息づいている。そんなデュシャンの前衛表現の一つがレディ・メイドだ。 レディ・メイドは現代の大量生産/大量消費のシステムを批判的にとらえた表現だ。日常の私たちを取り巻くのは記号化された大量生産品だ。情報も同じように切りそろえられた記号の束だ。そうした暮らしの中で個々の考え方さえも同じように既製品化しているのではないか....。そんな文明批判がこの表現の根底にひそまされている。 レディ・メイドは、芸術にふれて感動したいという観客の常識的な期待を見事に裏切り、面食らう私たちを<芸術の表現とはいったい何だったのか>という初源の問いにさりげなく引き戻してしまう。 彼は美とか趣味的に面白いとかいう感覚を離れてふと
黒の垂直と水平の線、三原色と白黒、灰色、これだけがモンドリアンが見つけ出した世界の本質をあらわす要素です。モンドリアンに先行して抽象化の考え方を展開していたのはキュービズムです。モンドリアンにはキュービズムのとらえた世界は物質の中心になるはずの精神が欠けているようにみえました。彼は自らの見出した、物質と精神を結ぶ基本要素を使った厳密な構成こそ、キュービズムにあらわされた、ばらばらに崩れた近代の世界観を超えて再び世界を統一的に表現するものだと信じていました。 この作品では彼の基本要素の黒の線は姿を消しています。それまでの厳格で禁欲的な構成のイメージは全く陰をひそめ、ニューヨークのヴィヴィッドな熱気に感応した楽しげで明るい画面になっています。この時点でモンドリアンは彼の造形に負わせた厳格な意味付けを捨て去り、自由で軽快な制作の楽しみを選んだに違いありません。そのために、この絵は抽象画でありなが
何者かが背後に迫る気配に、少女は不安にかられて振り返る。はたして彼女は危機を乗り切れるのか? 画面は少女の顔をクローズ・アップでとらえ、事の重大さを強く訴えかけています。リキテンシュタインは、現代のマス・メディアが私たちに差し出すヴィジュアルな記号の一つ、漫画を取りあげます。 漫画はその内容を一瞬のうちに伝える記号性をもっています。その一こまは雄弁かつ瞬時に、全体の筋書き、面白さ、対象とする読者の層までもを物語ります。 彼は劇的な漫画の一こまを選び取り、そのまま大画面にに引き伸ばしたように描きます。 リキテンシュタインは、漫画の記号性を題材にしたことについて次のように語っています。 「それは何かの絵のように見えるのでなく、物そのもののように見えるのです」 Roy Lichtenstein,Janis Hendrickson, 1995, Benedikt Taschen リキテン
街の電光掲示版は現代都市の記号の典型の一つです。そこには、簡明な数行の言葉によって都市の情報が刻々と流されます。私たちはそこに流される情報が、天気予報、ニュースの断片、CMなどであることをあらかじめを知っています。都市の流れに乗りながら、私たちは動きを止めることなく瞬時にその情報を読解します。 ところがホルツァーが電光掲示板に流すのは、私たちが予期している<システム>の情報とは全く異質な、個が発するメッセージです。「私を私の欲望から守ってください」という電光掲示板の文字は、都市の流れのなかでは無縁の形而上学的な警句です。 私たちは、私たちが受け取るはずの野球試合のスコアでも明日の天気でもない、個が発するメッセージに一瞬の虚を突かれます。 彼女の作品はまさに突然出現した天の掲示のように都市の空間を彩ります。 七〇年代に絵画から出発したホルツァーは、抽象表現主義の二世代目に当たるマーク・ロ
トリード美術館付属デザイン学校で学ぶ。 ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツに学ぶ。 ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチで哲学、人類学を学ぶ。
トムリンソン・コート・パーク, 1959, カンバスにエナメル, 213.4×176.9cm, 川村記念美術館,佐倉 一九五〇年代も終わろうとする頃、二十二才のステラはジャッドに並んでミニマル・アートの作家として出発します。ジャッドが立体の表現を取ったのに対して、ステラは平面から始め、絵画を最低限の要素に切りつめます。人は「画面に見えるものしか見ないはずだ」と言う彼は、絵画からイメージを排除してしまい、最低限の要素でなりたつ絵画を考えます。そのミニマルな絵画とは、黒のエナメル塗料でただストライプを描くだけのものでした。彼が一九五八年から始めたブラック・シリーズがそれです。ストライプの幅はアルバイトで愛用した2・5インチ(6・4 cm)の塗装用の刷毛の幅そのままに塗られ、わずかに塗り残された画面の白さがそれぞれのストライプを分けています。 「・・・芸術は不必要なものを排除する。フラン
作品の台の部分は、激しいタッチの色彩とアルファベットの板などを張りこんだ抽象表現主義を思わせる芸術の空間です。かつての芸術空間はここでは一つの事物として扱われ、その上に乗せられる事物の台座でしかありません。 台座の上にすえられた「意味のない」現実の日常に属する物体は彼が古道具屋で見つけた羊の剥製とその胴体に巻き付けた古タイヤです。台座に張り付けられたアルファベットの板も彼がどこかで拾ってきたもののようです。 「私はど真ん中になにか意味のないものを置くことによって形式的なコンポジションのあどけない考え方を無視してきた」と語るラウシェンバーグは、画家が生む限られたリアリティしか持たない絵画に代え、見い出した事物のリアリティを出来るだけ保存し組み合わせることを芸術表現としました。 事物の組み合わせとそれらの上に塗られたけばけばしい色彩は、あくまでそのリアリティを強調するためのものでした。
1912年のデュシャン三兄弟。ジャック・ヴィヨン、マルセル・デュシャン、レイモン・デュシャン。二人の兄もそれぞれ画家、彫刻家となった。新たな時代の始まりとはいえ、二〇世紀の初頭は、まだ良家の子息が実名で前衛芸術家として活動することがはばかられるような時期でもあった。 時代の認識と芸術表現 芸術表現にふれるうえで見落としてならないのは、その表現が時代の認識の水準、世界観をどのように具体化し、またその水準をいかに押し上げようとしているかです。 二〇世紀は科学・技術の時代です。 時代の認識の水準はその科学・技術によって押し上げられていきました。 科学・技術が解明しつくせないのが私たちのこころ、即ち精神の領域です。 無論、科学・技術は私たちの精神の世界をも事物の側面からとらえ、その構造を解明していきます。 ところが、私たちの精神はその解明を繰り込み、常に疎外の状態を生み出すのです。
ジャッドは、抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極をめざします。 彼には画家が思うにまかせて、感情や情念を画面にぶつけるように絵具を塗りたくる表現は、非理性的でがまんのならないものでした。 現代に至って人は理性を放棄したのか? 理性こそ我々の存在の中心にすえるべきものではないか? 合理主義者のジャッドは、混沌の追究に向かって走りだした現代の美術を再び知の領域に引きもどそうとするのです。活動歴としては彼の前世代に当たるラウシェンバーグやジョーンズは、絵具の激しいタッチを精神の至高の記号として抽象表現主義から受け継ぎ保存しています。 ところが、ジャッドは絵具の激しいタッチを非理性的要素だとして排除します。さらに歩を進める彼は、ついには、絵画表現を非理性の表現として否定するに至ります。 壁面に等間隔に規則正しく取り付けられた七つの金属の箱。 そのぴかぴに磨き上げ
C・シャーマンは、映画のスチール写真の手法で写真を撮ります。若い女性は待ち受ける運命におののくかのように上方に不安げな視線を投げかけています。 この意味ありげなシーンはまるでヒッチコックの映画の導入部分を思わせます。 被写体の女性はシャーマン自身ですが、 はでなメーキャップといかにもお仕着せの服装は、彼女がすでにある物語のなかの存在であることをを示しています。 背景のビルや女性の服装からすると、写真の時代設定はニューヨークに高層ビルが建ち並び始めた今世紀の始め頃のようです。 田舎から上京したばかりの 若いヒロイン。 彼女は目的の場所が見あたらず、街の規模の大きさと喧噪に当惑し立ち尽くしているのでしょうか・・・。 それとも、事態は全く逆で、彼女はこの街を去ろうとしているところなのかも知れません。 ビルから出てきた彼女は、後にしたオフィスのあたりを嫌悪の情をもって振り返る・・・
●どうしてこのページを作ったかというと.... 【美術全体をどうとらえるか】 私の美術体験から �@ 出発点は「芸術」とは呼ばれない表現だった? �A 古典芸術が本物の芸術 �B 近代絵画の自己表現こそ芸術 �C ショック!現代美術の前衛表現はぜんぜん違うぞ! �D 美術表現の全容をどんなふうに想い描けばよいか? 【内的世界の構造】 �E 私たちの内的世界 精神のイメージ �F 現実世界を対象化する個の精神と社会の共通認識 �G 個の精神と時代の世界観 【美術史をもう一度考える】 �H ルネサンス期(15世紀 )−「神学」と「科学」の共存 ダ・ビンチ �I 「神学」の世界観に抗い進展する「科学」(15世紀末−16世紀) �Jバロック期 光と闇の相克 レンブラント ベラスケス フェルメール �K「近代」への突破口を拓くニュートン( 17世紀後半
One: Number 31 ポロックはただ描くために描くというアクション行為そのものの持続だけで成り立つ、近代絵画とは全く違うアート芸術表現を始めました。この画面からは具体的なイメージは一切消え失せています。彼の制作は通常のそれとは異なり、画面を床に敷き、筆や棒から絵具、塗料を滴らせ四方から画面を埋めていくというものです。画面は躍動する激しい絵具、塗料の線や飛沫の集まりです。ここには地下のマグマが煮えたぎっているかのような、エネルギッシュなアクション行為の結果のみがとどめられています。 近代に入ると、画家の描く行為はようやくタッチとして画面にあらわれるものの、本来、画家の描く行為は絵画の空間の背後にかくされるべきものでした。 現代に至り、近代絵画の行き詰まりに直面したポロックは、大胆にも、画家たちが最も重要と考えてきた絵画の要素、イメージを描くことを絵画から捨て去ります。後に残され
マリリン・モンローは、二〇世紀アメリカの巨大なマス・メディアがつくりあげたセクシーな「女」の記号です。一九六二年、ウォーホルは彼女の死亡のニュースが流れると即座に彼女を題材にすることを決めます。 生前、マリリンは自分自身と、スクリーンが生み出したセクシーな彼女の虚像とのギャップに苦しみました。彼女は、本当の自分を見いだそうとさまざまな人生遍歴を歩みましたが、それがまたマスコミにスキャンダラスにとりあげられ、ますますその虚像をふくらませていきました。彼女の悲劇は現代の記号による疎外の象徴です。マリリンはその悲劇性にも高められ、私たちの情感を刺激する「女」の記号の典型となりました。 実在の人物であった彼女は、今や生死を超えた完全なイメージの記号です。ウォーホルのねらいは、完全なイメージの記号となったマリリンを使い、現代の記号性と私たちの情感の関係をあからさまにすることです。現代の社会のなかで
デュシャンに近代芸術からの転換を促したのは一個のプロペラでした。 時は二〇世紀の始め、ブランクーシ、レジェらと航空展を訪れ、モーターやプロペラのまわりをものもいわずに歩きまわったデュシャンは、突然ブランクーシにこう問いかけました。「絵画は終った。このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」 フェルナン・レジェ、ドラ・バリエとの対話、1954 .みずえ 1977 .6 デュシャンがプロペラに見た芸術の敗北は、一目瞭然の決定的なものでした。事物の機能面を追求する科学・技術の描く曲線は、画家が美を追求して生み出す曲線をはるかに凌ぐ精度の高さを示していました。 近代絵画が画家の感覚を頼りに追求した<純粋な美>はプロペラに大きく溝をあけられ、今や科学・技術の築いた日常の時間空間にすっポリ飲みこまれてしまっていました。 この埋めようのない落差がデュシャンを愕然とさせたの
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