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国内最大級のファッションECサイト「ZOZOTOWN」。同サイトには、ユナイテッドアローズやビームスなど160以上のショップ、1,200以上のアパレルブランドを展開。その掲載アイテム数は常時約6万点、年商は170億円を超える。今回は「ZOZOTOWN」の運営会社、スタートトゥデイを率いる前澤友作氏を取材した。前澤氏は元ミュージシャンという異色の経歴を持つ起業家。そんな前澤氏に、起業の経緯、音楽と経営の共通点、若者へのメッセージなどを聞いた。 ― まず少年時代の話から聞かせてください。前澤さんはどんな子どもだったんですか。 勉強も運動もそれなりにできるけど、ちょっとワルい子どもでした(笑)。先生に反発するタイプだったので、保守的な先生には嫌われていましたね。また、当時はファッションを通して、自分自身の個性を表現していました。たとえば、小学4年生の頃からリーバイスの古着のジーパンを履いていた。
※下記はベンチャー通信4号(2002年3月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 ただし、売上などは2009年3月末時点のものです。 【起業家の軌跡】 <稲盛和夫プロフィール> 稲盛和夫は、1932年1月に鹿児島市で生まれた。1955年に鹿児島大学工学部を卒業し、京都で就職。 1959年4月、知人より出資を得て、資本金300万円で京都セラミック株式会社(現:京セラ株式会社)を設立。 以来、ファインセラミックスに関する技術開発力をもとに、ICパッケージをはじめ各種電子部品、産業用部品等のメーカーとして急成長させ、今日では通信機器、情報機器、宝飾品等の製品群を持つ世界有数の優良企業に育て上げた。 また1984年には電気通信事業の自由化に即応し、DDIを設立。国内の長距離電話の低料金化を実現するとともに、1987年から移動体通信事業を行うセルラー電話会社8社を次々と設立し、全国を網羅する通
国内最大のスナック菓子メーカー、カルビー。1949年の設立以来、「かっぱえびせん」「ポテトチップス」「じゃがりこ」をはじめ、数々のヒット商品を生み出し続けている。しかし、近年は少子化による市場縮小や競合企業の台頭により、業績が伸び悩んでいた。そこで創業家より招聘されたのが、ジョンソン・エンド・ジョンソンの経営トップを15年間務めた松本晃氏である。2009年にカルビーの代表取締役会長兼CEOに就任後、現在まで5期連続の増収増益を達成。老舗企業を再び成長軌道に乗せている。その秘密はどこにあるのか。グローバル化のポイント、経営者の条件などもまじえて話を聞いた。 ― 経営トップに就任以来、なぜ増収増益を続けることができたのですか。 カルビーという会社にポテンシャルがあったからです。私はそれをちょっと引き出しただけ。だから、5期連続の増収増益はなんでもないこと。少なくとも、あと30年は続けないといけ
小柄ながら異様なまでに存在感のある中島武は、その独特のセンスを活かし、様々な業態のレストランを作り続けている。彼は、「紅虎餃子房」、「胡同マンダリン」など、最近話題のレストランの仕掛け人だ。そんなスタイリッシュなレストランを、いかにして全国に200店舗も展開させることができたのであろうか。中島武の起業家半生に迫ってみた。 ※下記はベンチャー通信7号(2003年2月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 【インタビュー前編】本当に内気だった幼少期 ― 中島社長の小さい頃のお話を教えてください。 小さい頃は、本当に小さい子供でした(笑)。私は九州で生まれて東京に引っ越して来ましたが、小学校に入学するまでは軽い自閉症でした。 とても内気な子供だったので、幼稚園の先生が私を特殊学級に入れたらどうかと親に相談したくらいです。授業中、先生に当てられて本を読むように言われても、恥ずかしくて本を人前で読
都市と地方の格差が叫ばれている中、長崎県佐世保市に本社がある“ジャパネットたかた”は順調に成長を続けている。しかも従業員300人超で年商1000億円(2007年度は1161億円)を稼ぎ出す優良企業でありながら、なんと本社の最寄り駅は無人駅という立地だ。いったい“ジャパネットたかた”の強さの秘訣は何なのか。その秘訣は、自社スタジオを完備し、自社スタッフで番組制作をする「自前主義体制」なのか。あるいは、テレビ、ラジオ、インターネットなどを駆使した「メディアミックス」の販売戦略か。はたまた年間約50億円のコスト増になっている「金利・手数料ジャパネット負担」という独創的なビジネスモデルなのか。しかし、今回の取材を通して分かったのが、上記の要因もあるにせよ、“ジャパネットたかた”の強さの秘訣とは、髙田明という比類なき経営者にあるということだ。愚直に顧客満足度と社員満足度を向上させてきた髙田明。今回は
海外旅行会社で最大手のエイチ・アイ・エスの創業者でありながら、現在は澤田ホールディングスの代表として、果敢に新規事業にチャレンジしている澤田秀雄。澤田は間違いなく日本を代表する起業家の一人である。今回は澤田に“成功する起業家の条件”などを聞いてみた。 ※下記はベンチャー通信30号(2008年1月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 【インタビュー前編】成長著しいモンゴルに投資 ― 最近、澤田さんはモンゴルと縁が深いようですね。 そうですね。前々からモンゴルは天然資源が豊富な国で、将来的に大きな経済成長が期待できると思っていました。そして、ちょうど5年ほど前に日本からの直行便がモンゴルに飛ぶことになったんです。この話を聞いてチャンスだと思ったんです。 2003年にモンゴルの国立銀行(現:ハーン銀行)が民間に払い下げられることになり、モンゴルの大臣から「ぜひ友好国である日本にも投資して欲し
SBIホールディングス株式会社 代表取締役執行役員CEO 北尾 吉孝 “野心”ではなく、“志”を持ってほしい いま日本経済人の倫理観の欠如に警鐘を鳴らし続けている一人の男がいる。財界の憂国の士、北尾吉孝だ。北尾は、野村證券で“伝説の証券マン”としてその名を轟かせ、ソフトバンク入社後はグループ総帥の孫正義の軍師として辣腕を振るった男である。そして今年8月には、北尾率いるSBIホールディングスは、孫正義率いるソフトバンクグループとその資本関係を完全に解消した。その北尾に、ベンチャーとは、経営者とは、はたまた孫正義についてまで聞いてみた。 ※下記はベンチャー通信24号(2007年3月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 【インタビュー前編】人生の方程式:考え方×能力×情熱=人生や仕事の結果 ― 北尾さんは、ベンチャー企業に投資する時、どのような点で会社を見極めるんですか? 僕は必ず社長面談を
取材時、冗談を飛ばしながら、常に笑顔を絶やさなかった鎌田和彦。鎌田は学生時代からビジネスをしている。そこで出会ったのが、あのUSEN社長の宇野康秀だ。新卒で入社した会社を1年足らずで退社。宇野などの仲間とともにインテリジェンスを創業。そのインテリジェンスは、創業して19年、いまやグループ社員4000名を超え、グループ年商も900億円を上回る勢い。しかし、鎌田は、撮影スタッフの「成功者っぽくカッコよく写っていますよ」との言葉に、「いや、僕は成功なんてしてませんよ」と真顔で答える。そんな彼の姿勢に、インテリジェンス急成長の秘密を垣間見た気がした。 ※下記はベンチャー通信22号(2006年12月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 【インタビュー前編】世は平成バブル。学生企業が大流行 ― 鎌田さんは、学生時代からビジネスをしていたそうですね。 そうですね。当時、日本は空前のバブル経済。80年
この「ニッポンの社長」では、全国各地で 活躍する社長方に自身の「企業ストーリー」を語ってもらいます。 これまで私たちは多くの社長方を取材して きました。経営者の決断までのドラマには、苦悩や想いが凝縮しています。 皆さまに嘘偽りのない「企業ストーリー」 を届けていきたいと考えています。
柳井正は根っからの異端児だった。高校時代のあだ名は「山川」。人が山と言えば、自分は川。人と同じことはしない。実家の家業を継いだ後も、親の言うことには耳も貸さず、ただ自分の目だけを信じた。香港で出会ったSPA(製造小売業)。世界を見渡せば、年商数千億のカジュアルチェーンは全てSPA。「だったら日本のチェーン店がやっていることは全部間違っている」。そう考えて、日本でSPAの巨大チェーンを築くことを決意する。そんなユニクロは、2001年の売上高が4000億円を突破した。ユニクロの柳井正とは、いったいどんな男なのか。その秘密を探ってみた。 ※下記はベンチャー通信8号(2003年7月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。 【ユニクロ世界進出までの軌跡】 柳井正は1949年2月に山口県宇部市で生まれた。実家は洋服店と土建業を兼営していた自営業。柳井は地元の宇部高校を卒業後、早稲田大学政治経済学部に入
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