エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
九州災害史を歩く(1) 17世紀と酷似する熊本地震 記録が伝える防災の教え - 西日本新聞
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
九州災害史を歩く(1) 17世紀と酷似する熊本地震 記録が伝える防災の教え - 西日本新聞
シルバー人材センターの玄関ロビーに保存展示されている麦島城の石垣=熊本県八代市 写真を見る 熊本地... シルバー人材センターの玄関ロビーに保存展示されている麦島城の石垣=熊本県八代市 写真を見る 熊本地震で石垣の一部が崩れた八代城跡=熊本県八代市 写真を見る 麦島城跡で出土した柱や垂木などの建築部材=2002年、熊本県八代市 写真を見る 写真を見る 写真を見る 城の石垣は幅10メートルにわたって崩れ、ブルーシートで覆われていた。熊本県八代市の八代城跡。江戸時代に築かれた南九州の防衛拠点を、4月にマグニチュード(M)6・5とM7・3の熊本地震が襲った。 震災から2カ月が過ぎたが、崩れ落ちた築石(つきいし)はそのまま。市役所本庁舎も倒壊の危険があるため、閉鎖が続く。石垣の修復にはまだ長い時間がかかりそうだ。 震災前は地震が少ない地域と思われてきた熊本。だが、「歴史をひもとくと、たびたび大地震が起きていた」と八代市立博物館の鳥津亮二学芸係長(39)は話す。 八代城跡から南へ約1キロ、市シルバ