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僕は「忠臣蔵」が大好きである。2006年には、赤穂を、2009年には敵の吉良上野介義央(1641~1703)の本拠地・吉良を訪ね た。 東京にも松の廊下跡のある江戸城始め「忠臣蔵」に関する史跡はたくさんあるが、その第一のものは、高輪の泉岳寺だろう。 ここ泉岳寺には個人的な思い出がある。小学生の頃だった、祖父に連れられて初めて来た。その時以来、すっかりこの場所が好きになった。
1995年に映画が生誕100周年を迎えたことは、まだ記憶に新しいことと思う。映画の100歳の誕生日を祝うべく、世界各地でイベントが催されていた。わが国日本でも松涛美術館で「シネマトグラフと明治の日本」が開催されたり、僕の母校のW大学でも「早稲田と映像の20世紀」なんて企画が行なわれたものだった。そういった展示会では、映画草創期の貴重な作品を観る機会がずいぶんとあった。リュミエール兄弟のシネマトグラフ。ジョルジュ・メリエス(1861~1938)のトリック映画。歌舞伎を撮影した現存最古の日本映画「紅葉狩り」(1899年)、etc。そんな中には、発明王エジソンの製作した映画も上映されていたのだが、それらの作品を観ていてふとある疑問に行き当たった。1995年が映画誕生100周年であるなら、映画の誕生は1895年でなくてはならない、実際展覧会のプログラムでも、1895年12月28日にフランスのリュミ
高校生の頃、よく友人と展覧会を観に行った。通学の乗り換えに新宿駅を使っていたこともあって、小田急や伊勢丹といったデパートの美術館に学校帰り立ち寄ったものである。 当時の僕は印象派の絵画が特にお気に入りだった。マネ、モネ、ドガ、ルノワール、ロートレック、ゴッホ、ゴーギャン…。考えてみれば彼らはみなフランスのパリを拠点に活躍した人たちである。それ以来、僕にとってフランスのイメージはまさしく“芸術の都”であった。 19世紀の終りに現れた新興芸術“映画”。それは瞬く間に音楽、詩、舞踏、建築、彫刻、絵画に続く“第七の芸術”となった。当時芸術の都で活躍していた芸術家の中には、この映画に目をつけた人たちがいた。サルバドゥール・ダリ(1904~89)を始め、マルセル・デュシャン(1887~1968)、写真家のマン・レイ(1890~1976)らはみな自身でも映画を製作するようになる。彼らの作った作品の多くは
神秘の事故、天の誤算、 僕がそれを利用したのは事実だ。 それが僕の詩の全部だ、つまり僕は 不可視(君らにとっての不可視)を敷写(しきうつし)するわけだ。 ―ジャン・コクトー「自画像」より―(*1) *1 ジャン・コクトー/堀口大學訳「コクトー詩集」169ページ お次はフランスの詩人ジャン・コクトー(1889~1963)の映画である。ところが、この章の題名は「サイレント黄金時代(1913~1927)」。コクトーが最初の映画「詩人の血」を製作した1930年、時代はすでにトーキー(発声映画)となっていた。当然「詩人の血」も、トーキーとして製作されている。コクトーはその後も1本もサイレント映画を撮ってはいない。にも関わらず、なぜここでコクトーを取り上げるのか。それは、彼が1920年代にフランスで数多く製作されたアヴァン=ギャルド映画の系譜を受け継いでいるからに他ならない。「???」「超現実世界への
昨年(2001年)、大阪にユニバーサル・スタジオ・ジャパンがオープンした。連日多くの人を集めているとの話であるが、どうも僕には興味がわかない。 2000年4月。僕は約20年ぶりにアメリカのユニバーサル・スタジオを訪ねた。20年前、6歳の時に訪ねた際は、撮影所見学ツアーを中心とした比較的地味な場所であったように記憶しているのだが、今回はそこがすっかりテーマパークに変化していることに大きな驚きを得た。僕は、自転車に乗ってE.T.の故郷を救いに行き、デロリアンで過去や未来を旅して周り、ジュラシック・パークへの冒険に出かけていた…。 アメリカのユニバーサル・スタジオはその名の通り、実際の映画撮影の行なわれているスタジオである。スタジオ見学ツアーでは、過去の名作が撮影された実際の現場を見ることができる。「サイコ」(1960年米)のベイツ・モーテルであるとか、「十戒」(1957年米)の割れる紅海など。
あれはまだアメリカに住んでいた頃だから、4~5歳のことだったろう。友人の家に遊びに行って、そこで8ミリの映画を観た記憶がある。一人の眼鏡をかけた男が、自殺をしようと思い立つ。落ちていたピストルをこめかみに当てるとそれは水鉄砲。川に飛び込めば浅瀬で、深みを選べば船の上に落ちる…。20年も昔に一度観たきりの映画なのだが、これらの場面だけは鮮明に覚えている。その後、この時の映画の主人公を演じていたのはハロルド・ロイド(1893~1971)ではなかったのかという気がしていたのだが、再びこの映画に出会う機会はなかった。 それが、2年程前だったろうか、近所のビデオレンタルで借りてきた映画の中に、この作品を発見し、とても懐かしい気分になった。その作品は「ロイドの化物屋敷」(1920年 米)。あの男はやはりハロルド・ロイドで間違い無かったのだ。つまり僕にとってロイド体験は、チャップリンやキートンよりもはる
ここ数年、あらゆるジャンルにおいて日本人の世界的な活躍がめだっている。ノーベル賞では3年連続で受賞(2000~2002年)しているし、大リーグでのイチロー(1973~)、新庄剛(1972~)らの活躍は連日テレビや新聞をにぎわしている。 それでは映画界はどうであろう。昨年(2001年)ベルリン映画祭で、宮崎駿(1941~)監督の「千と千尋の神隠し」(2001年スタジオジブリ)が見事にグランプリを受賞したのを始めとして、ここ数年の日本映画の国際的な活躍は目覚ましい。だが、映画の都ハリウッドに目をやると、そこを舞台に活躍している日本人は案外少ないのである。特殊メイクのスクリーミング・マッド・ジョージ(本名・谷譲治/1956~)のようなスタッフはまだしも、人種という避けて通れない壁があるせいか、俳優はほとんどいない。 ところが、映画史を紐解いてみると、サイレント期のハリウッドに、堂々とスターとして
ここでは、競技かるたの歴史について紹介していきます。 論文「日本競技かるた史(2)」 「実践学園紀要19」掲載論文の改訂版です。
友人の家に遊びに行くと時たまホームビデオを見させられることがある。結婚式の披露宴だとか、子供の運動会がその定番メニューだが、当事者であるならいざ知らず、赤の他人が見て面白いものにはまずめったに出会えない。19世紀末に登場した映画というのも、最初はただそこにあるものを撮影しただけの、まさしくホームビデオの元祖とも言うべきものであった。例えばリュミエール兄弟の作品の中にも、「赤ん坊の食事」(1895年仏)だとか、タイトルを聞いただけでほぼ想像がつくようなものがある。 「レ・フィルム・リュミエール」というレーザーディスクが出ている。映画100年を記念してフランスで放送されたテレビ番組のLDだが、1日1本、1年間で計365本のリュミエール作品を放送すると言うプログラムであったらしい。解説(フランス語)つきで、観ていてなかなか興味深いものなのだが、それでも立て続けに何十本と観ていると飽きてきてしまう
5年来仲良くしている異性の友人がいる。彼女はアートが好きで、ギャラリー情報誌にアート評を書いたりもしている。彼女とは年に数回食事をしたりするのだが、その際にギャラリーの話をいろいろ聞いているうちに、そんなに面白いものならぜひ僕も行ってみようと思うようになった。銀座や原宿にはギャラリーや画廊が多い。何も予定の入っていない休日など、ふらりと出かけて適当なギャラリーを覗いてみる。絵や写真、彫刻、インスタレーションなど様々なジャンルのアートは、もちろん観ているだけで楽しい。気に入った作品に思いがけず出会えたりする。時には作家自身が会場内にいらっしゃって、作品について素朴な質問をぶつけたりすることができるのも楽しみの一つだ。前項でも書いた通り、もともと絵を観るのは嫌いではなかったので、最近ではすっかりハマってしまった。いい趣味と出会えることが出来て彼女にはとても感謝している。 僕のアートの“師匠”で
ドイツ映画「カリガリ博士」(1919年) ヴェルナー・クラウス(左)とコンラート・ファイト (「カリガリからヒトラーへ」より) 20世紀最大の発明とは、「映画」、「ファシズム」そして「精神分析」の3つと言われることがある。ドイツは、この3つすべてに大きく関わった国である。1895年11月1日にエミール(1863~1939)とマックス(1859~1945)のスクラダノフスキー兄弟によってベルリンで初公開された「ビオスコープ」は、フランスのリュミエール兄弟による「シネマトグラフ」よりも2ヶ月近く早い偉業であった。ファシズムは言うまでもなくアドルフ・ヒトラー(1889~1945)率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の専売特許みたいなものだし、厳密にはオーストリア出身だが、精神分析の創始者ジークムント・フロイト(1856~1939)はドイツ語を喋っていた。フロイトの亡くなる1年前の1938年
映画史探訪 ~映画史エッセイ~ 序.青春劇場いざ序幕 第0章 映画前史(~1893) (1)古代人は電影の夢を見るか?~有史以前の映画~ (2)幻燈幻想~マジックランタン(幻燈機)~ 第1章 映画の誕生(1894~1912) (1)二人の映画の父~エジソンとリュミエール兄弟~ (2)20世紀の魔術師~ジョルジュ・メリエスの魔法映画~ (3)イギリスの輝いてた日々~ブライトン派の映画~ (4)アメリカ人の郷愁~エドウィン・S・ポーター「大列車強盗」~ (5)青年は荒野をめざす~ハリウッドの誕生~ (6)エキゾチック・ジャパン!~映画日本上陸~ 第2章 サイレント黄金時代(1913~1927) (1)歴史の国の歴史映画~イタリア史劇「カビリア」~ (2)グッドモーニング・スペクタクル~D・W・グリフィス最後の救出~ (3)アメリカの恋人たち~メアリー・ピックフォードとリリアン・ギッシュ~ (4
アメリカという国は常に敵が必要なようである。2001年にはアフガニスタンのタリバン政権およびオサマ・ビン・ラディン(1957~2011)率いるテロ組織アル・カイーダと戦っていたが、去年(2003年)はイラクのサダム・フセイン大統領(1937~2006)が相手だった。ひょっとしたら来年あたりは朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記(1942~2011)と戦っているかもしれない。そのアメリカの好敵手を50年もの永きに渡って務めてきたのが今は亡きソ連であった。 ソ連…「ソ連邦」とか「ソビエト連邦」などとも呼ばれるが、正式な名称は「ソビエト社会主義共和国連邦」である。英語では「Union of Soviet Socialist Republics」なので、略して「USSR」とも言う。世界最初の社会主義国家(*1)として1922年に成立した。 ソ連自体は20世紀になってから出来た若い国である
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