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大谷翔平
ameblo.jp/khirose1944
ども~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!! しとしとぴっちゃん、梅雨ですね~~。 なんか、気圧のせいか、午後から中ずっと激しい頭痛で、死にかけましたY(>_<、)Y さて、昨日は、「もうひとつのインパール」ということで、歩くパワハラ野郎こと、花谷中将についてチラっとご紹介しました。 しかし、牟田口だけでも強烈だったのに、さらに、花谷、そして、日本に戻った棚橋連隊長を待っていたのは、辻政信の「なんで戦死しなかった!!」という罵倒ですよ。東條もそうだったらしい。 まあ、いまさらですが、この日本軍のショボい体育会みたいなノリは、何に由来するものなのか、頭をかかえてしまいました。 しかも、今の日本にも、プチ牟田口や、プチ花谷みたいな人はゴロゴロしてる。 実は、ボクが地元に帰ってきた最初の職場の上司(病院の事務長)がそういう奴で、「(女性職員の)誰それを何回泣かせてやった。」とか
ども~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!! いやなんか、蒸し蒸し天気で、社長エアコンつけるのケチってて超ウザいんですけどw、とにかく、予告した、花谷正師団長極悪伝説、いってみましょう!! 今回もまた、舞台はビルマ。昭和19年(1944年)。 1941年、真珠湾攻撃を行い、翌年、シンガポールを陥落させた日本軍ですが、翌年6月、ミッドウェイで空母4隻を失い、さらに翌1943年には、ニューギニアの東端ガダルカナルで消耗した末に敗れます。ニューギニア戦線全体もボロボロ。 なので、この頃になってくると、だんだんと敗色が濃くなり、そんな中、補給を無視したインパール作戦が強行され、日本陸軍初の師団長による「抗命事件」が起こる有様。 実は、1944年3月のインパール作戦に先立って、2月に、上の図の一番左下、アキャブの北方に陣取っていた第55師団による「第二次アキャブ作戦」というのも行われたんです。
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