エントリーの編集

エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
夕日を見なくなった私は何を見て生きているか - 気楽生活研究所(仮)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています

- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
夕日を見なくなった私は何を見て生きているか - 気楽生活研究所(仮)
夕日を見なくなった。 数年前まで住んでいた実家の自室は南西向きだった。夕方になると、空の色が変わる... 夕日を見なくなった。 数年前まで住んでいた実家の自室は南西向きだった。夕方になると、空の色が変わるのがわかってくる。まばゆい光が向きを変え、影を伸ばし、赤みを帯びてくる。紫陽花色になるか、赤とんぼの色になるか。 たまに「これは!」と感じる色がある。そんな時は部屋を出て、階段へ。いかにも昭和っぽい模様入りの窓ガラス越しに見える絞り染めのような空は、窓を開けると細やかな水彩画のようになる。 今住んでいる部屋は南向き。しかも道路に面しているので、レースカーテンは常に閉めている。空を見なくなった。意図的に見ようとしない限りは。 「見るもの」にも種類がある。 1 なんとなく生きているなかで見えるもの 2 ちょっとしたきっかけが与えられて見に行くもの 3 重い腰を上げてようやく見に行くもの 以前の私にとっての夕日は1だった。今は2を通り越して3になりつつある。 1の部分に、上質なもの、豊かなものがどれ