サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大阪万博
www.giftedpower.net
昨年2019年はNHKでギフテッド特集が組まれたり、ギフテッド関連の書籍が立て続けに上梓されたりして、ギフテッドという概念が社会に向けて大きく発信された年でありました。 私がギフテッドという概念に真剣に触れ始めたのは2018年ですから、私自身がかなりの新参者ですが、ネットの片隅でギフテッドに関して発信している者の端くれとして、昨年はギフテッドをめぐる環境にポジティブな流れを感じ、なかなか嬉しい気持ちになりました。 そんな良い流れの中で一つ心配なのは、やはりギフテッドをめぐる議論において、「高IQ」という特徴ばかりがやたらと取り上げられてしまうということです。ギフテッドがIQテストで高いスコアを示す確率が高いという話が一人歩きしているという印象は、昨年のNHKのギフテッド特集を見ていても、大いに感じるところでした。 以前の記事にも書いた通り、この問題はIQというものに関する無理解、IQリテラ
NHKはEテレで「素顔のギフテッド」と題したギフテッド特集が放送されました。昨年8月末に放送されたクローズアップ現代+のギフテッド特集の続編的な位置づけで制作されたということで、NHKギフテッド特集の第二弾ですね。 3月12日に放送されたばかりですが、15日(日)15時15分から再放送があるそうなので、興味のある方はぜひご覧ください。 昨年8月のギフテッド特集は本放送を見逃して再放送で視聴したのですが、今回は見逃さずに済みました。女優ののんさんを起用したことでも話題になっていましたし、その点で様々な視聴者を広く獲得することに成功したのではないでしょうか。 で、早速観てみた感想ですが、今回の番組は・・・アートでしたね。番組の中で「ギフテッドとは何か」という説明をほとんどしないまま、出演者をギフテッドと断定しつつ番組が進んでいたので、ギフテッドとは何かを知りたくて視聴した方の中には、消化不良な
前回の記事では、思考力・知的活動に強く依存するチェスと、人間の知的活動に普遍的に関わる一般知能を指数化したIQの間の相関の無さを紹介していきました。 しかし、なぜIQはチェス能力とそこまで相関しないのでしょうか?記憶力の良い人はチェスの盤面をたくさん記憶できてチェスが強くなりそうですし、ワーキングメモリ―が強ければ頭の中で駒を動かして先の盤面を読むのも簡単そうです。視空間認知能力の高さは、全般的にチェスに有利に働きそうだというのは、全くもってありそうなことではないでしょうか。 それにも関わらず、こうしたIQテスト的認知能力と、チェス能力の間にはごく弱い相関しか認められません。それを示した研究結果を見てきた後でも、これはやはり、結構不思議なことに感じられます。 結論から言えば、IQテストの結果とチェス能力が解離する理由は、チェスという専門領域での能力とIQテスト的な認知能力というものが非連続
8月28日の夜、ブログのアクセスが爆発的に伸びました。記事をアップしたわけでもないのに妙だなと思って調べたところ、NHKのクローズアップ現代+でギフテッド特集「知られざる天才 “ギフテッド”の素顔」が放送されたことを知りました。というわけで本放送は見逃したのですが、ラッキーなことにすぐに再放送で見ることができました。 こんな風にテレビでギフテッドが取りあげられて、その存在、概念が社会に知られていくのはとても良いことだと思います。突出した能力、型にはまらない個性を持つ人達、そういう多様性が認識され、受容され、そしてきちんと育成される必要がある。そうした問題意識が社会に共有されていくことが、この国の教育システム、そして社会を良くしていくためには、やはり必要であると番組を見て重ねて思いました。 今回の番組はSNSでの反響も大きかったようで、ギフテッドという概念の認知度を上げるという意味での効果は
このところ忙しくてブログがほったらかしになっていたのですが、とある筋から面白い話を聞きました。曰く、「高IQ者を認定して支援すること」を事業内容として掲げる民間団体が日本に発足したという話です。「なんだそれ?」と興味を持って詳しく聞くと、どうやら突っ込みどころ満載の「IQリテラシー案件」である可能性が高いとのこと・・・。 その団体は、もう活動を始めているというので早速ウェブサイトを見てみましたが、まごうことなきIQリテラシー案件でした。まあ、小耳にはさんだだけで胡散臭い話ではあります。しかし、先日(といってももう一か月も前ですが)の記事で書いた通り、IQやIQテストに関する一般的な理解、リテラシーというものは、あまり広がっていません。こんな稚拙な商法でも見抜けない人は見抜けない可能性はあると感じました。 そこで、この団体の活動内容の問題点を指摘しながら、人間の知能やIQテストについて、また
【お断り】以下の議論は全て「子供の知能検査」「子供の発達障害」に関して行われています。「大人の知能検査」「大人の発達障害」には当てはまらないと思われる部分がありますので、区別した上でお読みください。 --------------------------------------- うちの長男ケイのおかげで、発達障害と知能テストにはずいぶん興味を持って情報収集するようになりました。で、最近考えていて、ふと気づいたことがあります。 発達障害の話の中で、よく「WISCの指標得点(群指数)の差が○○以上だと生きづらい」ということを聞きます。中には「WISCの指標得点の差が大きいから発達障害」と判断する医師もいるとかいないとか。○○の部分は15だったり20だったり色々あるみたいですけど、発達障害の説明では、この指標得点の差(ディスクレパンシー)の話は結構よく出てくる話ですよね。 たしかに、言語理解と処
この記事は後半部分になります。未読の方は、ぜひ前半の記事からお読みください。 www.giftedpower.net 自分たちの悩みとぴったり重なったギフテッドの社会不適応問題 ギフテッドという概念を初めて身近に意識したのは、WISC-IVでケイがマークした高スコアの意味を調べていた時です。「IQ130以上は、ギフテッドの可能性がある」という、色んなサイトで繰り返し目にする記述が気になり調べを進めると、各所で紹介されている「ギフテッドの特徴」は、どれもケイに驚くほど当てはまったのでした。 しかし、ギフテッドについてリサーチを進める中で最も目をひいたのは「高い能力、ユニークな能力を持つが故に、同世代のコミュニティに上手く適応できない」という、ギフテッド児がしばしば抱える社会不適応の問題でした。それを見た時、直感したのです「ここに、私達の悩みへの答えがきっとある!」と。ギフテッドの社会不適応の
現在の日本社会において、「ギフテッド」というのはおよそ何の実用性も持たない概念です。ギフテッドを正式に認定できる人もいなければ、仮にどこかで認定されたところで、それによって受けられる社会的サービスというのもほぼ存在しません。 ギフテッドという言葉はあまり正しく認知されておらず、子供の特徴を端的に伝えるためのラベルとしての機能も、期待できません。子供は「なんでもできる天才児」、親は「悩んでいる様子で子供を自慢してくる親」と盛大に誤解される可能性があり、「子供がギフテッドかもしれない」なんて、外では誰にも言えません。 つまり、現在の日本社会において「うちの子はギフテッド」と考えたところで、得られる社会的なインセンティブは皆無です。そして、もしこの判断を間違えれば、子供の人生に余計な重荷を背負わせ、子供に必要なサポートを与えられないというリスクだってあります。 それならば、この日本で子供をギフテ
ここ最近うちの子のアスペルガー診断について書いてきたので、ついでにもう一つアスペルガー関連のネタを。 自分の子供がアスペルガーかもしれないと疑っていたり、実際にアスペルガーと診断されたということになれば、当然親はアスペルガー症候群についてリサーチします。私も子供がアスペ認定された親として、アスペルガー症候群やASD(自閉症スペクトラム症)についてこれまで色々と情報収集をしてきました。 そんな中で、「アスペルガー症候群の特徴」としてしばしば目にしたのが「とても知能が高い人が多い」というものです。こうした記述は専門家によるアスペルガー症候群関連の書籍でもよく見られますし、「アスペルガー症候群 高知能」で検索すれば、アスペルガーと高知能の関係性に言及している発達障害解説記事もたくさん見つかります。下の記事みたいなタイトルからしてギョッとするものもあります。 アスペルガー症候群と高知能の関係性を示
姿勢って生きていく上で結構大切です。実は私自身がとても姿勢の悪い人間(今でも)なので、姿勢が悪いことによる弊害については、身をもって知っているつもりです。 親が子供の姿勢を考える時、一番気にするのは「見栄え」かもしれません。姿勢が悪いせいでだらけた人間だと思われたりするというのも、実際身に覚えがあります。やっぱり見た目は大切です。しかし、子供の生活や成長を考えた時、姿勢の悪さが大きな影響を与えるのは、なんといっても学校生活、特に授業時間かなと思います。 姿勢が悪い人にとっては、長時間座っているということ自体がもはや重労働なんですね。だから、学校で座っているだけで、姿勢の悪い人はどんどん疲れますし、ストレスがたまります。当然、集中力も削がれていきます。私は今でも椅子に座ってるとすぐ疲れてしまいますが、間違いなく姿勢の悪影響があるなと感じています。 うちの長男ケイも、幼稚園時代はとても姿勢が悪
この間うち、うちの長男ケイの多動について、最適情報処理レベルの高さで説明できるのではというモデルを考えていました。これはつまるところ、うちの子の多動の原因は好奇心の強さではないかという考え方です。この最適情報処理レベルによるケイの多動モデルは、一般的なADHDの多動の説明である「抑制機能が弱い」という特徴が、うちの子にはあまり当てはまらないという不満を動機として生まれてきました。そしてこのモデルは、好奇心が非常に強くて、頭の回転が速く、やることがないと多動が出るケイの特徴とよくマッチしています。なので、個人的に良いアイディアだと感じていたのですが・・・よく考えるとこの理論には、大きな問題点があることに気が付きました。 高い最適情報処理レベルによるケイの多動の説明の問題点 最適情報処理レベルが普通より高いということは、退屈な状態から脱する、つまり脳内情報処理量を最適レベルまで回復するのに、普
私は別に、クライマーでもなんでもありません。うちの子供にくっついて、ボルダリングジムに「通っているだけ」の人間です。しかし、そんな私から見ても、ボルダリングジムというのはとても心地の良い場所だなと感じます。別に座り心地の良いソファがあるわけでも、ドリンクバーのサービスがあるわけでもないんですけど、結構何時間でもいられてしまいます。 子供のクライミングが見ていて本当に楽しいというのは、大きな理由としてあります。でも、たぶんそれだけではありません。いくら子供のクライミングが見ていて楽しくても、ジムそのものが居づらい場所だったら、行きたいとは思いませんからね・・・。ボルダリングジムの居心地の良さというのは、ボルダリングジムを満たしているフレンドリーな空気や、そこにいる人達のほどよい距離感といった、ボルダリングジムの持つユニークなコミュニティ特性から来ている部分が大きいと思います。 子供には、しっ
プールサイドのベンチに座り、スイミングクラスの開始を待つ20名程の小学生達。その中にただ一人、大人しく座っていない子がいます。ベンチに腰掛けた姿勢から後ろ手をつき、両足を高く持ち上げ、ベンチの上でくるくると、奇妙な体勢で回っている子。そうです、ケイです。 うちの長男ケイは、じっとしていられない子です。家で椅子に座っていても大体どこかしら体が動いていますし、ずっと喋っています。ケイは児童精神科でADHD(+アスペルガー症候群)の診断をもらっているので、ケイの多動は、専門家のお墨付き。発達外来の診察室でも、キャスター付椅子で当然のようにぐるぐる回っていました。日常的に見ていても確かにじっとしていないし、ケイの多動は素人目にもよくわかります。 ケイには色々とぶっ飛びな特性があるので、ケイの脳みそがいったいどんな風になっているのか、考えたり想像を巡らしたりするのは非常に楽しいことです。そこで今日は
ピグマリオン効果は「成績が伸びると教師が思い込むと、その生徒の成績が実際に伸びる」という、教育心理学の分野ではとても有名なお話です。 「親が子供に期待をかけて育てると子供が伸びる」「親が子供に期待すれば子供はそれに応えてくれる」といった具合に、ピグマリオン効果は育児や家庭教育にも応用できるとして、色々なところで紹介されています。すると、努力する子を育てるためには、努力する子になるよう期待をかけて育てていこう!ということになるでしょうか。 ところが・・・ピグマリオン効果が子育てに応用できるという話は、多くの場合ピグマリオン効果への間違った理解にもとづいています。ピグマリオン効果の実証研究を詳しくみてみると、実は子育てや家庭教育とピグマリオン効果は非常に相性が悪く、育児の中でピグマリオン効果を生み出していくことは、ほぼ期待できないということがわかります。 しかし、ピグマリオン効果の研究から、子
いじめ問題に学校がまともな対処をせず、悲劇的な結果を招いた。最近もそんなニュースを耳にして、大変暗い気持ちになりました。そして同時に、強い危機感と恐怖心が湧き上がってきます。いじめの被害にあって、理不尽に家族の人生が狂わされるというのは、やはり決して対岸の火事ではない、すぐそこにある危機だと。 私がそんな危機感を覚えるのは、うちの長男ケイが、小学一年生にしていじめの被害を受けたという体験が大きく影響しています。入学してまだ半年も経たないうちに起きた出来事。低学年ではいじめはそれほど心配ない、と勝手に考えていた私にとって、その日目の前で繰り広げられたのは、自分の考えの甘さを思い知らされる、残酷で、衝撃的な光景でした。 最初はうちの子が悪いと思っていた下校トラブル この話はケイを発達専門外来に連れていった経緯でも少し触れましたが・・・ことの起こりは、ケイが下校中に下校班のメンバーに暴力を振るっ
目標に向かって努力を続けていく上では、失敗を恐れずに行動できる必要があります。あらゆる挑戦に失敗はつきものであり、勝負事には必ず勝者と敗者が生まれます。全ての努力が成功や勝利という結果をもって報われるということも、残念ながらありません。従って、失敗の可能性があるということを理解した上で、それでもなお努力できる強い心が必要となります。 以前の記事では、失敗の可能性があってもなお努力を続けていくために「努力の成功体験を積む」というアプローチをご紹介しました。 これは、努力することで自らが成長する体験を積むことで、努力というもの、そして自分自身への自信を深めていくアプローチです。 しかし、失敗を恐れずにチャレンジを続けていくためには、「失敗」そのものに対するものの考え方も重要です。いくら成功体験を繰り返し積んでも、失敗への恐怖感が強すぎれば、一度の失敗で心が折れてしまうということにもなりかねませ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www.giftedpower.net』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く