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大谷翔平
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他人にとっては大事でも、自分にとっては大事ではない、というものは、たくさんある。 当たり前の話だ。 部活が大事な人もいれば、勉強が大事な人もいる。 しかし「大事にして当たり前」ということが決められて、なんとなく外れてはいけない雰囲気ができると、 本当は自分にとっては大事でなくても、なんとなく大事なような「気がする」ものだ。 社会的に(所属集団的に)大事だとされているものは、その中では理論武装がなされていて、いかに大事かが盛んに語られる。 そこを論理的にぶち破るのは結構難しかったりする。 しかも一度そういう風潮が出来上がってしまえば、安心したいがゆえに色んな人がその「大事なもの」を持たせようとしてくる。 とりあえずお得だから持っとけよ、我慢してもらっとけよ、と言われたりする。 でもさ、そんなてめえらの好みとか都合なんて正直知らねーよ。 いらねーものはいらねーんだよ。 とおれは思う。 とりあえ
おれは大学院に行くのを辞めてしまった人間だ。 そして辞めても日々充実して、なんとかかんとか生きている。 だけど別にレールを外れることそのものが良いことだとも、悪いことだとも思わない。 それはあくまで向き・不向きの問題であって、普通を外れた生き方があっている人がいれば、安定してまっとうに生きるのがあっている人もいる。 そんなのは、朝食はご飯派? or パン派?、みたいな食習慣程度の違いでしかない。 そんな部分に注目したって仕方がなくって。 唯一考えるべきは「たとえ失敗してもその選択自体に悔いはない、と思えるくらい自分の選択に夢中であるか」ということだとおれは思う。 自分の選択に裏切られたって構わない、と思えるくらい自分の選択が好きであること。 よっぽど大事なのはそういう部分だろう。 自分の選択に夢中になっている人は、強い。 成功・失敗という指標や形式的な基準から抜け出しているからだ。 自分の
どんな情報にも正解・不正解はないんだと思う。 絶対的な正解・不正解なんてないはずだと思う。 そこにあるのは誰かにとっての正解・不正解、というものだけで、 あらゆる角度から正解の情報とか不正解の情報とかがあるわけではない。 実際にこれだけいろんな意見があるんだから、誰かの正解・不正解を鵜呑みにしても仕方なくって。 完璧な正解とか、絶対的な不正解を求めてもどうしようもない。 いわゆる成功者といわれる人たちですら、いろんな考え方があるわけで、全てを真にうけていたらキリがない。 だから正解・不正解は自分で決めるしかない。 いろんな人がいろんなことを言っている中で 自分で経験してみて、やってみて、自分としてはこうだと思う、という結論を得るしかない。 そうやって一つ一つ確認しながら、自分のスタンスを確立していくしかない。 それは実は結構しんどい道でもあって。 誰かが言っていた結論をわけ知り顔で語るのは
日本に限ったものなのか、限らないものなのか知らないが、 人生というものにはいわゆる「正規ルート」とされる類のものが 間違いなく存在している。 普通の人ならこう歩むよね、 こういう道を歩めば大抵有利に生きていけるよ、 みたいなルート。 あるよね。 手順はカンタン! 《普通の人生の作り方》 ①高校を卒業します。この際受験勉強だけは頑張ります。なお勉強する意味は考えなくても良い ②少しでも偏差値の高い大学に入学します。大学の4年間はモラトリアムなのでリア充しましょう。ただし就活だけは頑張ります。なお働く意味は考えなくても良い ③留年も休学もせずにストレートで卒業します。空白期間を作らないことだけを考えましょう。 ④できる限り名の知れた大きくて安定した企業に入ります。 ⑤そこで定年まで働きます。転職はできるだけしないこと。 ⑥老後は自由だよ!やったね! 普通の人生、がある程度共通のものとして社会的
個人的にはなんだけど、 草食系男子って言われるとなんとも言えない悲しい気持ちになる。 えーまじかー草食系かー、ってなる。 友達に聞いても男はほとんどの場合 「草食系男子」という言葉に良いイメージを持っていないようなんだよね。 この草食系男子という言葉、 もともとは褒め言葉として考えられたものらしくて。 『草食男子』という言葉の生みの親である深澤さんは インタビューの中で次のように話しておられる。 深澤 困ったことに、私以外の人がみんな最初の私の意図とは違う形で、この草食という言葉を使うようになっちゃったんですね。 (中略) 草食男子という言葉に端を発して、「若者が情けない」という思い込みができてしまってメディアがそれをやっちゃっている。困ったなと思いましたね。 そしてその年に流行語大賞のトップ10にも入って、そのときにも私は、「これは褒め言葉として付けました。古くて新しい男らしさが草食男子
他人に対してどうやって心を開くのか、ずっと分からなかった。 楽しく会話をする方法が分からなくて、 心から笑うってどういうことなのか理解できなかった。 同性にも異性にも積極的になんてどうしてもなれなくて、 いつもビクビクして生きていた。 面倒くさがりでテキパキと行動できなくて、 必死になれるものもなく、なんとなく生きてきた。 そんな自分の性格が大嫌いで、 どうしておれはこんな性格なんだ、なんて不幸なんだ、と自分を恨み、 あげく、そんな風に産んだ・育てた親を、おれは恨んだ。 でも自分ではマイナスにしか捉えられないその性格だって 自分を守るために必要だから本能的に自分が自分に身につけさせた、 生きるための術だったんだよね。 他人に心を閉ざすことができなければ きっとおれは自分の感情を整理しきれずに爆発していただろうし、 消極的になることで不用意に傷つかないように自分を守ってきた。 テキパキしてい
おれは自分自身のことを本当に愚かだなあと思うんだよね。 今日は就活の関係で 朝10時くらいに飛ぶ飛行機に乗る予定だったんだけど 余裕で寝坊してしまい、 朝から駅や空港をスーツ姿で駆けずり回って、 息を切らしながら必死の形相で手荷物検査に向かい、 結果、搭乗手続きに5分間に合わずにそのフライトを乗り過ごした。 LCCなんでいくら安い方だとは言え 5分の睡眠のために約一万円を無駄にした自分自身に 本当にほとほと呆れる。 思わず、なんて愚かなんだ、と空港で一人呟くほどには 自分自身に呆れた。 百歩譲ってこれが初めての乗り過ごしだったなら まあそんなこともあるよね、って自分を慰められるけど 実は飛行機を乗り過ごしたのは今回で3回目で。 年間何十回も乗ってるわけじゃないのに すでに3回も飛行機を乗り過ごすって どんだけてめえはアホなんだよ、 と能天気なおれでもさすがにツッコミを入れたくなる。 要はお
人生は様々な要素の関わり合いで決まっていくんだと思っていて。 人間関係・仕事・自己実現・タイムマネジメント・趣味・恋愛・・・ 数えきれないほどの要素の組み合わせで人生が動いていく。 で、それらの要素一つ一つにはさらに細かい要素が含まれていて、 その細かい要素の組み合わせによって 上で示したような大きな要素でどんな結果が出るか決まっていて、 最終的にはそれら大きな要素の組み合わせで人生全体が決まってくる、 というような構造になっているんだとおれは思うんだ。 例えば人間関係だけをとって考えてみても、 そこに含まれる小さな要素はほんとにたくさんあって、例えば どういう人と付き合い、どういう付き合い方をし、どんな時間を過ごし、どんなスタンスで臨み、どんな関係性をつくり上げ、何をめざし、どれくらいの範囲の人と付き合うのか、 といったようなものがある。 そんな微妙な差異を無意識的だろうが意識的だろうが
ここ最近は就活をやっている。 何かと締め切りに追われる日々で 時々情報が処理できなくなって 思考がシャットダウンする。 でもシャットダウンしながらも 常に何かを忘れているような そんな感覚は止まってくれなくて なんとなくそわそわする。 そんな感じであたふたしながら 就活をしているんだけど、 エントリーシートとか履歴書を書いていると 「学生時代に最も力を入れたこと」という質問に 本当によく出会う。 噂には聞いていたけど 本当にこんなに頻繁に聞かれるんだな と驚く。 その出現率ゆえ 就活界隈ではこの質問のことを 「がく(せいじだい)ちか(らをいれたこと)」 略して「がくちか」と呼ぶそうで 最初聞いた時は がくちか(笑)どこのデパ地下だよ とか思っていたおれも 最近は「がくちか」の存在感に恐れおののいている。 がくちか先輩、調子のってサーセンした。 で、おれはこの「がくちか」がどうにも苦手で。
例えばブログでも本でもテレビでも なんでもいいんだけど、 人生をどうにかして良くしたいと思って 「偉い人」の言葉から学んでいる人って わりといると思う。 ビジネス本とか自己啓発書が売れてるんだから どうにかしようと学んでる人は 一定数いるはずだ。 で、おれもその口で 人生が変わる考え方、みたいのを 探し求め、学んできた。 たしか高校2年生くらいのときから そういうものに触れていたので 7年くらいはそういうものを 勉強しているんだと思う。 自己啓発、みたいなものに否定的な人もいるし、 おれは過去に、おれの部屋に来た女の子に 自己啓発書を見つけられて、 こういうのって気持ち悪い、 って面と向かって言われたりしたこともある。 まあ可愛くなかったし くそぼけが、と思ってスルーしたけど。 おれは自己啓発とかって 別にそんなに悪くないと思うんだよね。 というか事実おれ自身そういったものに 救われてきた
人生初の飲食バイトを始めて早一ヶ月が経とうとしている。 うちの店はそれなりに覚えることが多くて 準備物や手順を覚えるだけでもなかなか大変で、 しかもそれに加えてスピードも求められるから、 かなり悪戦苦闘している。 そもそもおれは決して要領が良い方ではないので、 同じようなミスを何回もして怒られることがある。 そういうときは結構やな感じの言い方をされるときもあったりして。 特に普段ぬくぬく生きてると 怒られること自体少ないから 最初は割とぐさっときていた。 怒られ慣れてないというか、 ダイレクトな批評に晒される機会が少ないと、 批評の内容を自分に対する否定と勘違いする ということが起きやすい。 自分の作業についての批評であるだけで、 自分の存在が批評されてる訳ではないのに、 否定的な言葉を自分に対する否定であるように感じて なんというか「真に受けてしまう」ことがある。 先輩アルバイトの振る舞
やるべきことを淡々とやる、 というのは非常に大事なスキルだと最近思う。 以前こんな記事を書いた。 zzzowlzzz.hatenablog.com ここでも同じようなことを書いたんだけど、 やるべきことが淡々とできない時、というのは やるべきことに向き合えない自分を正当化したくて 「人生の意味」とか「本当にやりたいこと」とか そういう本来は頑張った先に見えてくるものを 先に得ようとしてしまう。 そういう態度はぶっちゃけダサい。 それって言ってしまえば 「おれは先に頑張る理由が欲しいんですけど。」 「頑張る理由があるんなら頑張りますけど。」 というメンタリティーですべてに取り組んでいる、 ということを意味しているわけで。 それはある種、逃げでしかないからだ。 現実の伴わない人生哲学なんて 頭の中でのただの言葉遊びに過ぎないんだ。 だから人生は一向に前に進んでいかないし、 そのままでは頭でっか
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