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王であるキリスト:私たちが、よってもって立つべき「軸」とは?
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王であるキリスト:私たちが、よってもって立つべき「軸」とは?
王であるキリスト (B年)の説教=ヨハネ18.33b~37 2015年11月22日 わたしたち人間は、基本的に、自分... 王であるキリスト (B年)の説教=ヨハネ18.33b~37 2015年11月22日 わたしたち人間は、基本的に、自分の外に向かって躍動しながら成長し、それぞれに役割を果たしています。その出発点になっている場が「家庭」でしょう。しかし、「一家団欒」「ほのぼの家族」なんて言葉も死語に近いものになってきました。本来だと「わたし」の「今」は、この家庭で生まれ、育ち、あらゆる基礎的な生き方を学んだ場であるのに、どこかに置き忘れてしまってはいないか、・・だからこそ、思い起こして「原点」にかえってみることも必要でしょう。 家庭は「ゆるしを与えることと互いにゆるし合うことを学ぶ修練の場」のようであると、教皇フランシスコは言います。わたしたちは互いの弱さや利己主義がもたらしている傷を皆が抱えています。生きることの中心が「この世」であり、わたしたちの心を動かしているものが虚栄心であったり、野心であり、また、快