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大谷翔平
ameblo.jp/sugarmountain
10位 A面で恋をして/ナイアガラ・トライアングル2 (81年 松本隆/大瀧詠一) 09位 冬のリヴィエラ/森進一 (82年 松本隆/大瀧詠一) 08位 DAWN TOWN/シュガーベイブ (74年 伊藤銀二/山下達郎) 07位 さらばシベリア鉄道/大滝詠一 (81年 松本隆/大瀧詠一) 06位 快盗ルビイ/小泉今日子 (88年 和田誠/大瀧詠一) 05位 熱き心に/小林旭 (85年 阿久悠/大瀧詠一) 04位 風立ちぬ/松田聖子 (81年 松本隆/大瀧詠一) 03位 君は天然色/大滝詠一 (81年 松本隆/大瀧詠一) 02位 しあわせな結末/大滝詠一 (97年 多幸福 /大瀧詠一) 01位 恋するカレン/大滝詠一 (81年 松本隆/大瀧詠一) 15日から19日の5日間、ニッポン放送で大滝詠一師匠のアルバム『DEBUT AGAIN』が3/21(サンニーイチ)に発売されることを記念して特別番
ビートルズの有名なルーフトップ・コンサート:あなたの知らない15の事実 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music 昨日(1月30日)ジェファーソン・エアプレイン~ジェファーソン・スターシップのオリジナル・メンバーであるポール・カントナーの逝去を知り、過去のエントリーの中からエアプレインがビートルズのルーフトップ・コンサートよりも前にビルの屋上での演奏を行っていたというエントリ(2011年12月15日「UP ON THE ROOF」)をフェイスブックにアップしました。その後でネットを検索していたらローリングストーン誌のウエッブで「Beatles' Famous Rooftop Concert: 15 Things You Didn't Know」という記事にヒットしました。1月30日は当のルーフトップ・コンサートが行われた日だったんですね、なんというシンクロニシティ。「あなたの知ら
10日ほど前にnot a second time先輩からメール便でタイムリーな大瀧さん関連の切り抜きをいただきました。 キネマ旬報が出している「映画に連れてって」という小林信彦さんの対談集の切り抜きでタイトルは”ミュージシャン必見の「バック・トゥ・ザ・フューチャー」”というものです。バック・トゥ・ザ・フューチャー(以下BTTF)は僕も大好きな映画で、85年の公開時には映画館でしっかり観ていますし、その後TVで放映された時なんかも何度か観ていて、何度観ても楽しめる、それはつまり脚本が良くできている、映画だと思います。 大瀧さんはBTTFを試写で観たとのことです。タイトルからははーんタイム・マシーンの映画ねぐらいの興味だったようですが、監督がロバート・ゼメキス、脚本がボブ・ゲイル、製作がスピルバーグという(大瀧さんお気に入りの)ビートルズが登場しないビートルズ映画「抱きしめたいI Wanna
またまた、いただいたコメントからのネタで恐縮です。最初コメ返しで終わらそうと思ったのですが、書いてたらコメの字数制限も超えそうだし、だったらエントリで動画とか交えたほうが良いだろうということで・・・。 今回もかくたさんからいただいたものです。 (ビートルズの日本でのデビュー・シングル、「プリーズ・プリーズ・ミー」という説もあり) >ビートルズの日本での受容 日本でビートルズが紹介された当時、それほど聴いている人間は多くなかったという証言をよく読みますが、 渋谷陽一が中学時代、ホームルームで「ビートルズは是か非か」という討論会をしたら、1対圧倒的多数で渋谷の負けという話をよくしてました。私もそんなもんかと思ってたのですが、山下達郎は桑田佳祐との対談で「ビートルズ来日したとき僕の中学のクラス半分(武道館公演に)行った」と発言しております。 4:30あたりからです。 渋谷は新宿区落合中、達郎さん
大瀧”師匠”詠一氏のポップス”普動説”の後半です。(前半はコチラから→ポップス”普動説” by大瀧詠一 前半 GSブームとその揺り返し 大瀧詠一:そのブームはジャズ・バンドをジャズ喫茶から追い出したんだから、すごいよね。でもロカビリー喫茶というのはできなかったなぁ。ジャズ喫茶のまま。名前は変わらなかった。いったん付いた名称は中身が変化しても当分そのままという、ジャンルのネーミングにも似た話だね。で、ロカビリーもカヴァーがスタートだから、例の<型>で言うとしっかり左派。プレスリーのモノマネで十分都会の娘には人気はあるけど全国的なヒット曲はまだない、と。そこへ平尾昌晃の「ミヨちゃん」「星は何でも知っている」が登場した。 萩原健太:かなり歌謡曲よりの作品でしたよね。 大瀧:歌詞の内容はね。でも「ミヨちゃん」のサウンドやメロディのベースになったのはハンク・ウィリアムズの「カウ・ライジャ」。ウエスタ
大瀧”師匠”詠一氏のポップス”普動説”の後半です。(前半はコチラから→ポップス”普動説” by大瀧詠一 前半 読み返すと誤字だらけでお恥ずかしい、訂正させていただいています。) GSブームとその揺り返し 大瀧詠一:そのブームはジャズ・バンドをジャズ喫茶から追い出したんだから、すごいよね。でもロカビリー喫茶というのはできなかったなぁ。ジャズ喫茶のまま。名前は変わらなかった。いったん付いた名称は中身が変化しても当分そのままという、ジャンルのネーミングにも似た話だね。で、ロカビリーもカヴァーがスタートだから、例の<型>で言うとしっかり左派。プレスリーのモノマネで十分都会の娘には人気はあるけど全国的なヒット曲はまだない、と。そこへ平尾昌晃の「ミヨちゃん」「星は何でも知っている」が登場した。 萩原健太:かなり歌謡曲よりの作品でしたよね。 大瀧:歌詞の内容はね。でも「ミヨちゃん」のサウンドやメロディの
(not second a time先輩からコメントで貴重な情報をいただきあらためて調べていく中でレココレ増刊の「ザ・ビートルズ・ソロ・ワークス」が自宅にあることに今頃気づき、その中のレコーディング・セッション・リストなどを参考に更に追記および動画の追加を行いました。) ジョン・レノンのファンであればご存知かとは思いますが1973年の10月から1975年の1月までジョンとヨーコは別居生活を送っています。現在「失われた週末Lost Weekend」と呼ばれる期間なのですが、一般的な理解としてはジョンがヨーコと別れLAに出向きニルソンやリンゴやキース・ムーンと呑んだくれて放蕩の限りをつくしていたが、さすがに自分の愚かさに気づきヨーコに謝罪しよりを戻す迄の時期というものなのではないかと思います。 僕は「愛と平和」の使者=ジョン・レノンというのはジョンの死後にヨーコによって必要以上にデフォルメされ
先日のエントリ「世界史分の日本史」というタイトルは大瀧”師匠”詠一氏の日本のポップスを分析した”分母分子論”の中の核となる考え方です。”分母分子論”については83年のFMファンでの相倉久人氏との対談の中で披露されています。この対談は2005年に発売された「大瀧詠一―総特集 大瀧詠一と大瀧詠一のナイアガラ30年史 KAWADE夢ムック 文藝別冊」に再録されたので比較的簡単に読めるようになりましたが”分母分子論”を発展させた”普動説”については、91年に掲載された「ポップス・イン・ジャパン ゼロサン」という雑誌が今では非常に入手困難bな状態で読まれたことのない方も多いのではないかと思われます。 かくいう僕も雑誌のコピーを持っているだけなのですが、あらためて大瀧師匠の私論を理解するため、かつ今後のエントリで師匠のありがたいお言葉を引用しやすくするため、般若心経を写経するがごとく、”普動説”をテキ
☆エジソン・ライト・ハウス/恋のほのお ☆ホワイト・プレインズ/恋に恋して ☆ザ・ピプキンズ/ギミ・ダッ・ディン ☆ブラザーフッド・オブ・マン/若者の歌(二人だけの世界) 昨日の続きです。1970年の2月の全英チャートで上にあげた4曲がTOP10に同時にランク・インいたしました。さて、この4曲の共通項は?というのが昨日の問題でした。70年代のポップス好きならさほど難しい問題ではなかったかもしれませんね、答えはボーカルをとっているのがどの曲もトニー・バロウズ(写真)という人だということです。 このトニー・バロウズという人きちんと自分の名前がクレジットされたグループでもレコードを何枚も出しているのですが、何故かあまりヒットせず。その歌声の明快さを買われてか今で言うフィーチャリング・ヴォーカル的にバンドに参加して歌を歌うと何故かほとんどヒットしてしまうという不思議な経歴の持ち主です。 69年末に
唐突ですが、ちょっと時間的余裕があったので久々の文字起し。今回は1984年にNHKサウンド・ストリートの枠を1週間使い放送された「大滝詠一スペシャル’84」のうちHISTORY OF NIAGARAと題されたナイアガラの歴史を渋谷陽一司会で大瀧詠一氏が語ったものをアップしてみました。1984年6月20日に「HISTORY OF NIAGARA Part1('73~'76)」が翌21日に「HISTORY OF NIAGARA Part2('77~'80)」がオンエアされていますが今日はそのうちのPart1となります。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 大瀧詠一(以下 大) ナイアガラの全作品が聴けるナイアガラの歴史、ヒストリー・オブ・ナイアガ
本編の文字おこしも遅々として進んでいないのに、いきなり番外編とはコレいかに・・・ 日本POPS伝のエントリに取り組んでいるせいでここのところ大滝詠一師匠関連の音源を何かと聴きなおしています。さんざん今まで聴いてきた楽曲のはずなのになんで今まで気がつかなかったのと愕然としてしまったお話を。まずは78年発売のナイアガラ史上最大の問題作『Let's Ondo Again』からタイトル曲になっている「Let's Ondo Again」をお聴きください。 アミーゴ布谷 / Let's Ondo Again さて「日本POPS伝Ⅱ」をここまでお読みいただいた方でしたらこの「Let's Ondo Again」を聴いた時”アレッ”と思われなかったでしょうか。イントロのあたりなのですが・・・。このオリジナル・バージョンだとちょっと分りにくいかもしれませんが81年に『ナイアガラBOX』のためにリミックスされた
天才は天才を知る。そっかージミヘンもやはり天才ジョニ・ミッチェルのデビューには注目していたんですね。 10月29日にリリースされるジョニ・ミッチェルのアーカイブ・ボックス「The Reprise Years(1968-1971)」で、ジョニのデビュー直前のライヴをジミヘンが客席で録音した音源が公開されます。 1968年3月19日、24歳のジョニ・ミッチェルはカナダのオンタリオ州オタワにあるLe Hibou Coffee Houseでライヴを行なっていました。デビュー・アルバムの「Song To a Seagull」は、数日後にRepriseでリリースされる予定でした。 同じ日に数ブロック離れたキャピトル・シアターでジミ・ヘンドリックスはショーを終えジョニに電話を入れ、自分のテープレコーダーでジョニのライヴを録音したいと申し出ます。ジミヘンもジョニに注目していたというわけです。 >「スタッフ
脚注を入れていたらアップできる文字数(4万字)を超えてしまいましたので 「その1の1」と「その1の2」 に分けることにしました。 面倒ですが「なにとぞよしなに」 毎年恒例 山下-大瀧 両巨頭による新春放談 さてさて、今年はどんな話がとびだすことやら 山下達郎(以下Y) みなさん新年あけましておめでとうございます。山下達郎です。 えー毎週日曜日午後2時からの55分間は私山下達郎がお送りいたしております 「JACCSカードSUNDAY SONG BOOK」 (注:Tokyo FM系列ネット) えー2006年1月元旦の放送でございます。 今年2006年も変わらぬご愛顧何卒よろしくお願い申し上げます。 えー皆様どのような年末年始お迎えでございましょうか 今年もSUNDAY SONG BOOK はりきってやってまいりたいと思います。 毎年お正月は恒例「新春放談」 大瀧詠一さんゲストにお迎えいたしまし
山下達郎 SONORITE(初回限定盤) 大ファンである山下達郎の7年ぶり、待望のフル・オリジナル・アルバム「SONORITE」が9月14日に発売されます。 今日と来週の達郎のFM番組「SUNDAY SONGBOOK」 で全曲特集が組まれています。今週は全13曲のうち6曲を紹介。 ファンとしては多くの人にこのアルバムをプロパガンダしようと番組の文字起こしに挑戦しました。 以下ちょっとながいですがお時間あればお読みください。 **************************************************************************************************** そういうわけで9月14日発売、久しぶりのフル・オリジナル・アルバムでありますが「ソノリテSonorite」。 えー「ソノリテ」といいますのは音の響き方とかそういう意味でご
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