サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
blog.goo.ne.jp/akame_2005
ワシが中の人じゃ。 アップしてもうだいぶ経つしツイッターでも報告してるからいいやと思っていたんですが、一応こちらでも告知します。 そして新たな映像が… 今年の8月、やっと実現した訪朝は私の「あれから5年後のよど号グループを撮る」ということ以外に、「『ようこそ、よど号日本人村』サイト立ち上げに関わる映像撮影」が大前提としてありました。 そして現在日本人村に住んでいる6人のインタビューを撮影、編集し、アップしたものが以下です。 「私からの質問」というよりは、よど号グループに興味を持った人が疑問に思うようなことを質問として提示し、それらに答えていってもらう、というかたちをとりました。 ただ、その内容を考えたのも、撮ったのも、編集したのも私なので、この映像の扱いをどうするかちょっと悩みました。100%向うからのメッセージというわけでもない、という点で。 ひとまず私が制作している映画『赤軍の人々』Y
前回のエントリ 連合赤軍を巡る 【1】 スナックバロン・植垣さん にて静岡を訪れ、そのままある方にお会いするため大阪に向かいました。しかし40年前の縁を手繰り寄せるのは、わたしのような者にとって簡単には行かず、断念せざるを得ない状況となりました。 一旦東京に戻り、今度はすぐさま群馬へと向かいました。群馬、長野をまたいだ「連合赤軍」に関する場所を巡るため。 案内して下さったのはメル斗さん。 以下は当日つけた記録に加筆したものです。 高崎駅にてメル斗さんと待ち合わせ。会うのは実に4年ぶりくらいか。 以降車にて移動。 小川伸介監督の学生運動ドキュメント映画『圧殺の森』の舞台となった高崎経済大学前を通る。 その近くに、進藤氏・Mさんが夫婦と偽って借りたアジトがあるというので、だいたいの場所を見る。 熊よけの鈴を買い、昼飯を食い榛名山へ。 【榛名山とは・・・(以下wiki) 榛名山(はるなさん)は、
本日、赤軍ドキュメントのインタビュー撮影に行ってきました。 内容がよど号グループに関わることだったので、昨日は資料を読んだり訪朝時の映像を観直したりしていました。 よど号グループに対するインタビューの中で、改めて観てみると今さらながら面白い内容のものがありました。 皆さんに対して「よど号で平壌に訪れた『赤軍兵士』時代と、今現在とで、思想や考え方に変化はありましたか」と質問した時のことです。 かつて「裸のラリーズ」結成時のメンバーだった若林盛亮さんが、以下のように答えてくれました。 以下、インタビュー書出し 「ロックは分かる奴が分かればいい、分からん奴は分からんでいい、でやってきた。 ロックはそれでいいかもしれんが、政治はそれではダメだと。やっぱりアイドルがいい、と。国民みんなに愛される。 ロックは別にアングラでも良い。やっぱり政治を目指す以上、革命家を目指す以上、もっと大きな愛の中で生きる
連日のパレスチナ・ガザ地区に関する報道を目にすると、本当に滅入ってくるというか心が痛いです。 普通、外国のニュースって何か起きても「なんてひどい。けしからん」と他人事みたいに思ってしまうのですが、パレスチナの場合は彼らとの間に少しばかりの恩義、縁があるので。 わたしがパレスチナとの間になんらかの絆ができたのは、「リッダの戦士たち」を知ったことがきっかけでした。 かつて日本人の若者がパレスチナ、そしてアラブの大義を信じて決死作戦を敢行。 結果だけいえば、その作戦は間違い以外の何者でもないし、こういうことは決して繰り返されてはならないと思う。 しかし彼らが命を賭して訴えたかったことってなんなのか。 学生であり日本人の若者が、なぜ遠くアラブの地でいわゆる「銃乱射事件」と呼ばれることを起こしたのか。 制作している赤軍派のドキュメント映画撮影のために、3年前の2011年、レバノンを訪れました。 その
前回、前々回と静岡について書いてきましたが、わたしが静岡に行った理由は「おでん」でも「ガンダム」でもなく、元連合赤軍兵士・植垣康博さんに会うためでした。 植垣さんについて少しばかり。 植垣さんはもともと静岡の出身ですが、地質学への興味から弘前大学へ。 ここで全共闘運動に身を投じ、頭角をあらわした頃、赤軍派と接触。メンバーである坂東國男氏率いる「坂東隊」の一員となり、資金調達のためのM(マネー、マフィア。要は強盗行為)作戦を数々こなしていく。(植垣さん著の『兵士たちの連合赤軍』においては、ここらへんまで非常にあっけらかんと、明るい青春物語のように描かれている) やがて赤軍派が革命左派(京浜安保共闘)と共闘、連合赤軍を結成するに至り山岳ベースへ合流。 同志殺しに積極的に関わり、最後は他3名と買出しに行った折、軽井沢駅において逮捕される。 この時すでに、「粛清・逃亡・逮捕」によって連赤メンバーは
今年の2月5日、元連合赤軍指導者・永田洋子さんが亡くなりました。 永田さんに対する個人的な思いはこちらのエントリ「永田洋子さんについて」で書いたとおりです。 それから一月あまり後、あの震災から間もない3月13日、「連合赤軍の全体像を残す会」主催による、永田さんを送る会が開かれました。 わたしは取材・撮影のため会に参加させていただき、その後ほぼ全ての発言を一本の映像としました。 そこには元同志、知人、弁護士、救援関係者・・・さまざまな方が語る「人間としての」永田洋子像がありました。 発言内容を書き出しているうち、これはすごいドラマであると同時に、貴重な資料であると痛感しました。そこで「全体像を残す会」のご厚意により、以下にその文を掲載させていただくことになりました。 長くなったため、前半と後半に分けて掲載します。 以下、発言内容の主要な部分をわたしの主観で抜き出し、一部意訳したものです。 ■
森恒夫さんが自決したとき火葬する前に止めろ、ということで待て待てと、棺の前で体を張って止めた。それから医者に遺体を確認させた。 その後通夜をやりたいってことで場所を探したが、今回(永田さん)の場合は救援をやっている方の関係で段取りよくやれて良かった。 若松監督の映画は(『実録・連合赤軍』)どちらかというと赤軍の観点から描かれたものなので、革命左派からのことはあまり知られていない。 これから明らかにされていったらいいなと思う。 ■漫画家 山本直樹 しばらく前から永田さんや坂口さんや植垣さん、大泉さんの本を読んでいて、これはすごい物語だ、漫画にして読みたいと思っていた。 でも僕の専門はエロなので誰か描かないかな、と思っていたが誰も描かないようだし、他の人にやられるのもしゃくなので、描き始めた。(イブニングにて連載中の『レッド』) 描き始めて5年ほど経つが、まだ陰惨なところには行っていない。これ
「渡辺文樹」という監督をご存知でしょうか。 名前を知らなくても、写真の「ある日突然ベタベタと街中に貼られているポスター」を知っている方は多いんじゃないでしょうか? これをやっている監督が渡辺文樹さんです。 ご自分の監督作をご自分で全国各地に上映して回る、独特のスタイルをとられています。 制作から上映まで一貫して自主。 実はわたしも、確か小学生くらいのことだと思うのですが、何回か町内に貼られているのを見て「なんだろうこのおぞましい絵は・・・」と思ったものです。 ちょうど『バリゾーゴン』という、原発村で起こった事件をモチーフにしたドキュメント?映画を上映してまわっていた頃で・・・検索すると出てきますが、ポスターの絵が非常に個性的なんですね。おまけに「失神者、続出!」といった手書きの煽り文句まで書かれており。 子供が見たらそりゃビビります。 この映画の上映会において全国各地で「金返せ」コールが起
発表された当時から永田洋子さんの絵は「あんな女が少女漫画みたいな絵を」と言われていたようですが、同じ連合赤軍の植垣さんからの助言「漫画の模写でもかまわないんだ」という言葉に応えるかたちで描き始めた絵が、彼女の絵の始まりだったようです。 まさしく「絵」なのに、フキダシで台詞が書いてあったりします。 この日、ギャラリーではトークショーが行われ、連合赤軍の植垣康博さん、反日武装戦線“さそり”の宇賀神寿一さん、足立監督、さらに飛び入りで(ご本人はお客として来たつもりだったらしいですが)一水会顧問・鈴木邦男さんも参加。 獄中で描く絵をそれぞれの視点から語ってくれました。 植垣康博さん 描く権利をいかにして獄中からつかむか、という内容。「自著の挿絵」という口実からどんどん権利を広げていった。ボールペンを手に入れるまで一年半かかった、とのこと。 何かの時に描いた絵があまりにデキがよく、捨てるのはもったい
元日本赤軍最高指導者・重信房子さんの面会に、小菅の東京拘置所に行ってきました。 重信さんのことはまた別に書くとして、今回は体験記的なものを書いておこうと思います。 また、こういった情報はなかなか集めにくい、リアルタイムな情報が入りにくい、という面もあるので、他の人はともかくとして、わたしが体験したことをありのままお伝えします。 まず東京拘置所(以下、東拘)への行き方。 電車の場合、小菅駅で降りるか、綾瀬駅で降りるかの2パターンあります。 東拘入り口まで小菅の場合約10分、綾瀬の場合約20分くらい。 普通は小菅ですが、綾瀬からだとこのように、遠くから拘置所を見ることができてお得。
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『blog.goo.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く