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1300年前、「3密」を知らない日本人は感染症が怖すぎて「奈良の大仏」を建てた | 文春オンライン
思えば、「令和」という元号は『万葉集』が出典だ……という話を去年の4月に寄稿していた。あのときは万葉... 思えば、「令和」という元号は『万葉集』が出典だ……という話を去年の4月に寄稿していた。あのときは万葉集で詠まれた歌みたいに想像力がもっと膨らむ時代になればいいな~と思ったものだったけれど、完全に平和ボケした頭の発言であった。現実は思いもよらないもので、令和の最初は、元号の出典となった『万葉集』の時代――つまり奈良時代とおなじく感染症に悩むこととなってしまった。 そう、じつは万葉集の時代とは、中国からの文化や知識によって文化が発展した一方で、同時に天災と感染症に多くの人が苦しんだ時代でもあった。 ある種のグローバル化(国外からの文化の流入)、それと同時に引きおこる疫病。そもそも、奈良時代に大仏が建ったのも、遷都が繰り返されたのも、今でいうところの「感染症の流行」が原因だったのだ。 福岡県太宰府市の大宰府展示館にある、「梅花の宴」を再現した人形(ただし、当時本当に梅が咲いていたかは疑義が呈され
2020/04/24 リンク