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パリ五輪
bunshun.jp
平出和也さんと中島健郎さんが「世界中の登山家の憧れだった」理由 「誰もやっていないこと」を何度も成し遂げた2人が挑んだ人類未踏の“最難関ルート”とは《K2で遭難、救助は打ち切りに…》
1997年に現役引退した“ギャオス内藤”こと内藤尚行氏 ©時事通信社 球団には1円も入金されていなかった 事態が発覚したのは、参加した講師からの訴えだった。 「野球教室のあと村中コーチから球団側に『(球団営業部で次長の)Aさんに何度も講師代が振り込まれていないと催促したが対応してくれない』と申告があった。球団は、その教室があったことも知らず、契約書もなければ稟議書もなかったことで、“闇営業”だったことが発覚したのです」(同前) 主催したスポンサー企業は仲介した代理店に開催費を支払ったものの、球団には1円も入金されていなかった。さらに球団が調査を進めるとA氏がかかわっている別の闇野球教室の存在も発覚した。
今回の都知事選で大躍進を遂げ、今や時の人となった石丸氏。そんな気鋭の政治家に強い関心を示したのが、日本を代表する超大物経営者だ。2人は7月下旬、共通の知人が仲介する形で秘密裡に対面を果たすのだが――。 7月22日の昼下がり、銀座・並木通り沿いの商業ビルの最上階にある豪奢なサロン。絨毯張りのフロアには重厚な深紅の丸テーブルが2つ、その周りに大きな革張りのソファが並ぶ。 部屋の奥に座っているのは、サロンの主、ドトールコーヒー創業者の鳥(とり)羽(ば)博道氏(86)。その横には、KDDIの前身、第二電電共同創業者の千本(せんもと)倖(さち)生(お)氏(81)が腰掛ける。
アベノミクスのブレーンとして知られる経済学者の浜田宏一氏。その活躍の裏側で長らく躁うつ病に苦しんできた。さらに回復の途上、実の息子を自死で亡くす。人生とは何か? ともにアメリカで活躍するハーバード大学医学部准教授で小児精神科医の内田舞氏を聞き手に、その波乱に満ちた半生を語る。7月19日に発売になった『うつを生きる 精神科医と患者の対話』(文春新書)から、精神医学と経済学の相似性について語られた箇所から一部抜粋してお届けします。(全4回の4回目/最初から読む) ◆◆◆ アベノミクスが実現したこと、やり残したこと 浜田 さて、戦後の歴史を見ると、円安だった時期のほうが日本経済は生き生きとしていた。円安でエズラ・ヴォ―ゲルから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とおそらく揶揄をも含めて言われていた日本の成長経路は、日本の貿易相手、欧米の産業にとってはハンディがきつすぎたと思います。そこで円高を是正し
「それまでの人生分以上の性交をした 」と語る選手も 配布がはじまったのは、1998年ソウル五輪とされる。その後、7万個を用意しても足りなくなった2000年シドニー五輪以来、配布数は10万をこえるようになった。 公式的に、避妊具は啓発用だ。世界中の選手がコンドームを持って帰れば性感染症防止精神が広まるというわけだ。しかし、選手の性行為用だとする証言も出てきている。前出の金メダリストは語る。「IOCは認めないけど、事実だから隠さないよ。じゃないとあんな大量のコンドーム配らない」 。1992年バルセロナの2週間で「それまでの人生分以上の性交をした」と告白する英卓球選手マシュー・サイドにいたっては、五輪を「セックスフェスティバル」と表現した。 「選手の70~75%はオリンピックで関係を持っているだろう」 。こう語ったのは、6つの金メダルに輝いた米水泳選手ライアン・ロクテ。同じく金メダリストである米
世界的な人気を誇るアメリカのオートバイメーカー「ハーレーダビッドソン」の日本法人「ハーレーダビッドソンジャパン(HDJ)」のディーラーで「自社登録」や「業販」といった正規ディーラー契約上の禁止行為が相次いでいることを受け、日本を含むアジア太平洋地域を管轄する「ハーレーダビッドソンアジアパシフィック(HDAP)」が調査に乗り出していたことが「週刊文春」の取材で分かった。
「阪神・オリックス優勝パレード担当 兵庫県元課長が死亡 告発文で『疲労し療養中』と記載 斎藤知事が公表」(毎日放送7月25日) 《兵庫県の斎藤知事を告発した文書で、阪神・オリックスの優勝パレードの業務で疲弊し療養中と記載されていた元課長の男性(53)が、今年4月に死亡していたことがわかりました。》 ここで言う「斎藤知事を告発した文書」とは、この春まで兵庫県で西播磨県民局長を務めていた60歳の男性職員(以下X氏)による文書のことだ。 X氏は3月中旬、知事による部下へのパワハラや視察先企業からの贈答品の受け取りなど7項目の疑惑を指摘した文書を、一部の報道機関や県議に送付。県はX氏が文書作成者だと断定し、X氏の公用PCを押収した。 その2日後、斎藤知事は定例会見で「業務時間中に『うそ八百』を含め、文書を作って流す行為は公務員として失格だ」と述べた。県はX氏を停職3カ月の懲戒処分にした。 7月12
昨年2月25日にNHK-Eテレで放送された「ETV特集 ルポ死亡退院 ~精神医療・闇の実態~」。2023年のテレビで最も優れたスクープ報道として高く評価された。日本新聞協会賞、放送人の会グランプリ、石橋湛山早稲田ジャーナリズム大賞、貧困ジャーナリズム大賞など主だった賞の最高賞を受賞した。 東京・八王子市にある民間の精神科病院・滝山病院。精神科のほかに内科も併設し、人工透析治療などができるため、精神疾患に加えて腎疾患などを抱える合併症の患者が他の病院からも送り込まれてくる。そこではベッドに寝たきりの高齢患者を看護師らが問答無用で殴る、叩く、つねる、蹴る。暴力や虐待が日常茶飯事。ベッドに縛り付ける身体拘禁も日常化。入手した資料で入院患者の約8割が死亡して退院。いったん入院すると死亡しない限りは退院できないというおぞましい実態、“死亡退院”の現実があった。 「このままでは殺される……。どうか助け
東京・八王子市にある民間の精神科病院・滝山病院。精神科のほかに内科も併設し、人工透析治療などができるため、精神疾患に加えて腎疾患などを抱える合併症の患者が他の病院からも送り込まれてくる。そこではベッドに寝たきりの高齢患者を看護師らが問答無用で殴る、叩く、つねる、蹴る。暴力や虐待が日常茶飯事。ベッドに縛り付ける身体拘禁も日常化。入手した資料で入院患者の約8割が死亡して退院。いったん入院すると死亡しない限りは退院できないというおぞましい実態、“死亡退院”の現実について、NHK-Eテレ・6月29日放送の「ETV特集 死亡退院 さらなる闇」が続報した。(全2回の2回目/前編を読む) 死亡診断書。朝倉院長の指示で「急性心筋梗塞」という診断名に(ETV「死亡退院 さらなる闇」より) ◆ ◆ ◆ 「お金にもなる。お金取れるでしょ」 院長が率先する患者への過剰な医療行為をスタッフは「濃厚治療」という隠語で
裁判員が「社会のセーフティネットがあれば違った人生を送っていたはずだ」と語り、現場の捜査員が彼の生い立ちを知り「彼も被害者」と匿名でコメントを寄せる異例の事態…。高齢者2人を殺害したにもかかわらず、「前橋高齢者強盗殺人事件」犯人男(当時26歳)に同情が集まったのはなぜか? 事件後の加害者や、その家族を追った高木瑞穂氏と、YouTubeを中心に活躍するドキュメンタリー班「日影のこえ」による新刊『事件の涙 犯罪加害者・被害者遺族の声なき声を拾い集めて』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む) 土屋和也。生活保護を受けていた20代前半、就職すべく履歴書に貼った写真(写真:筆者提供) ◆◆◆ 殺人犯に同情の眼差しが向けられる裁判 和也の存在を初めて知ったのは、2014年11月と12月、前橋市内で起きた2件の強盗殺人事件の容疑者として和也が逮捕されたことを報じる、新聞の片
越境進学で受けたバッシング ――静岡県立清水東高等学校には越境進学しましたが、そこまでしても入りたかったわけですよね。 武田修宏(以下、武田) 全国高等学校サッカー選手権大会で清水東高校の優勝を見て、「すげえ、絶対にここに行くんだ」と思ったんですよ。清水東高は進学校で、そこも「文武両道、かっこいい」って。 ――でも、越境進学したことでバッシングが。 武田 当時は、「浜松で育ったら浜松」って考えだったから。学区を越えて清水東に行くのって、あんまりいいことではなかったんですよ。静岡は西部とか中部とか、ライバル同士で火花をちらしてたんです。浜松、清水、藤枝あたりはバチバチだったけど、それがあったから強くなっていったんでね。 浜松から清水に行っちゃったら、浜松の人たちは、そりゃあ気分がよくないわけですよ。「浜松で育って、浜松の小学校、中学校に通ったのに、なんでライバルの清水に行くんだ」っていうね。
Jリーガー時代、凄まじい人気で“いわれのない話”も ――武田さんは、陽キャであることでも人気が高かったですよね。1993年のワールドカップ・アメリカ大会のアジア最終予選となった対イラク戦、いわゆる“ドーハの悲劇”で日本代表チームが沈痛な面持ちで帰りの飛行機に乗る中、武田さんはCAたちをナンパしていたそうですけど。 武田修宏(以下、武田) それ、ラモス(瑠偉)さんが面白おかしくテレビで話して、ネットニュースになっちゃったんですよ。 当時のヴェルディって、めちゃくちゃ実力があって、有名だった。だから、こちらからだけじゃなくて、女性のほうからも寄ってきてくれた時代だったんです。普通に国内線に乗ってるだけで、電話番号を渡してくれる時もありました。 ドーハの帰りの飛行機って、当然チャーター便じゃないですか。しかも乗ってるのは、日本代表ですよ。「今度、飲みに行きましょう」ってなりますよ。 現役時代は甘
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」 1992年のバルセロナ五輪。当時14歳の少女の言葉に、日本中が沸いた。競泳の史上最年少金メダリストである、岩崎恭子さん(46)。世間が興奮に包まれる一方で、本人はどう感じていたのか? あらためて話を聞いた。(全3回の1回目/つづきを読む) 未だに覚えていただいてありがたい ――五輪シーズンになると風物詩のように、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」という言葉が紹介されます。32年経っても変わらず伝えられることをご本人はどう思っているんですか。 岩崎恭子さん(以下、岩崎) ありがたいですよ。これまで競泳だけでなく、五輪で活躍した選手はたくさんいるのに、未だに覚えていただいているんですから。でも、時には、「岩崎宏美ちゃん」と呼ばれたりもしますが(笑)。「人生で一番幸せ」と言ったよね、と確認されるので、やっぱり覚えていただいているんだな、って。幸せなこと
「今まで生きてきた中で、一番幸せです」 1992年のバルセロナ五輪。当時14歳の少女の言葉に、日本中が沸いた。競泳の史上最年少メダリストである、岩崎恭子さん(46)。その人生は、金メダルを獲った日を境に一変したという。 突然注目されたことによる強いストレスから、記憶障害に。「金メダルなんて獲らなきゃよかった」と後悔する日々がつづいた。そこからどのようにアトランタ五輪出場を果たしたのか? そして着衣泳の普及に努める現在について、岩崎さんに聞いた。(全3回の2回目/つづきを読む) ©深野未季/文藝春秋 ◆ ◆ ◆ 「13歳の時の自分に戻ればいいんだ」苦境から立ち直ったきっかけ ――解離性健忘(心的外傷やストレスによって引き起こされる記憶障害のこと)を発症するほどの強いストレスはいつごろまで続きましたか。 岩崎恭子さん(以下、岩崎) 高1ぐらいまでですね。バルセロナ直後は過大な注目がストレスにな
ジャーナリストの中原一歩氏が出版した『小山田圭吾 炎上の「嘘」』には、小山田氏が「人生で精神的に一番辛い期間だった」と語る“空白の5日間”が克明に描かれている。あの時、本当は何が起きていたのか、小山田氏本人に話を聞いた。 東京オリンピックの開幕を4日後に控えた2021年7月19日、開会式の音楽を担当していた小山田圭吾氏が辞任を発表した。 4日前の15日からインターネット上で、過去に音楽誌やサブカルチャー誌のインタビュー記事に掲載された学生時代のイジメについての発言をきっかけに炎上状態となり、小山田氏の所属事務所には殺害予告まで届く事態に――。 ©文藝春秋 撮影・三宅史郎 ▼▼▼ ――3年前の東京オリンピックで、開会式直前に小山田さんが辞任したのは本当に衝撃的でした。あの時、小山田さん自身には何が起きていたんでしょう。 小山田 開会式のスタッフとして名前が発表された次の日でした。僕は昼からバ
『点と線』や『ゼロの焦点』『砂の器』といった長編推理小説によって国民的作家の地位を築いた松本清張は、もちろん短編も名作の宝庫。数百作に及ぶ清張短編の中からミステリ界の旗手二人が各々のベストを厳選、その魅力について縦横無尽に語り合った。 北村 今回は私と有栖川さんが持ち寄った、それぞれのベスト5を中心に、非常に豊かな宝の森、松本清張の短編について語り合いたいと思います。清張先生の短編は質量共にさすがで、アンソロジーも多数編まれています。それらの収録回数ベスト3の作品では、すでに語り尽くされている「張込み」と「顔」が同率トップという結果になりました。 有栖川 両方とも、「或る『小倉日記』伝」などで歴史小説的な作風を見せていた松本清張が、推理作家としての存在感を示し始めた初期の作品ですね。 北村 多彩な清張短編だからこそ、何を選ぶかに編者の個性が出ますね。佐野洋・五木寛之選のアンソロジー(『短編
青山隊員はすぐに詰所を飛び出し、一ノ倉沢に向かう。途中で通報者と合流して、1時間半後には、早くも岩壁の基部にたどり着いた。 「あれ、人間じゃないか?」 目の前には、標高差300メートルにおよぶ垂直の岩壁が突き立っている。これこそが、長いこと「登攀不可能」として日本の登山界で名を馳せた「衝立岩」である。難攻不落を誇った衝立岩は、この前年、1959年についに登られたばかりだった。 青山隊員はその衝立岩に目を向けた。すると、岩壁の真ん中あたりに、不自然な赤い一本の線が見えた。よく見るとそれはザイル(登山用ロープ)である。その赤い線をたどって目線を下げていくと、その末端にはなにやら黒っぽい塊がぶら下がっている。 「あれ、人間じゃないか?」 右の三角形の岩壁が衝立岩。ここに人間が吊り下がっていた… そこまでの距離は200メートルほど。人間のように見えるものの小さくてよくわからない。青山隊員はさらに近
2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。 炎上の発端となったX(旧ツイッター)の投稿がされたのは、就任が発表された翌日の早朝。その後、どんどん過熱するバッシングに小山田氏と周囲の人々は追い込まれていく。 ここでは、ノンフィクション作家の中原一歩氏が小山田氏本人や関係者に取材してまとめた『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介。炎上の影響は小山田氏の家族にも及び、ついに「殺害予告」にまで発展する――。(全4回の4回目/最初から読む) 小山田圭吾氏 ©時事通信社 ◆◆◆ ホテルでの逃亡生活 炎上は本人以外にも影響を与え始めていた。リハーサルの最中、家族からあるメールが入る。 「週刊誌の記者らし
2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。 炎上の発端となったX(旧ツイッター)の投稿がされたのは、就任が発表された翌日の早朝。小山田氏は不安を抱えながらバンドのリハーサルを行っていたが、事態は徐々に深刻さを増していった。「誰ひとり、事実がわからなかった」小山田氏の家族も過熱するバッシングに動揺していたという。 ここでは、ノンフィクション作家の中原一歩氏が小山田氏本人や関係者に取材してまとめた『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介。小山田氏とその家族、そしてマネージャーの高橋氏は“試練の日々”をどう過ごしたのか。(全4回の3回目/最初から読む) 小山田圭吾氏 ©文藝春秋 ◆◆◆ 初めてのスキャンダルにマネージャーも動揺
2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、就任したばかりだった東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。 小山田氏は炎上の直後に発表した声明文で、問題とされる雑誌の記事について「事実と異なる内容も多く記載されております」と主張している。では、実際には、現場で何が起きていたのか。 ノンフィクション作家の中原一歩氏による小山田氏インタビューの一部を『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(文藝春秋)より抜粋して紹介する。(全4回の2回目/最初から読む)
2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』や『クイック・ジャパン』に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、就任したばかりだった東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。 小山田氏は炎上の直後に発表した声明文で、問題とされる雑誌の記事について「事実と異なる内容も多く記載されております」と主張している。では、何が事実で何が事実ではないのか――。 ノンフィクション作家の中原一歩氏による小山田氏インタビューの一部を『小山田圭吾 炎上の「嘘」』(文藝春秋)より抜粋して紹介する。(全4回の1回目/続きを読む) 小山田圭吾氏 ©文藝春秋 ◆◆◆ 「全裸でグルグル巻」は本当なのか? 『ロッキング・オン・ジャパン』も『クイック・ジャパン』も、いじめの内容はもちろん、話をしている文脈も違う。ただ、これらの記事の内
冬はスキー、夏は「雲海テラス」の絶景で知られる北海道屈指の人気ホテル群「星野リゾート トマム」(占冠(しむかつぷ)村)。ところが……。 雲海が美しい「星野リゾート トマム」のHP 昨年秋の“中国マネーが買い漁る”シリーズ(電子版で配信中)でも取り上げたが、星野トマムを2015年に約183億円で買収したのが、中国の大手財閥「復星(フオースン)集団」だ。以来、復星が所有し、星野が実際の運営を担ってきた。
総務省が5年ごとに行う「住宅・土地統計調査」(2023年)が発表された。全国の空き家数は900万戸。前回(2018年)調査に比べて51万戸、5.97%の増加。住宅総数に占める空き家の割合(空き家率)は13.8%に達する深刻な状況であることが各種メディアで一斉に報じられた。 写真はイメージ ©Nobuyuki_Yoshikawa/イメージマート たしかに空き家数は1958年調査では全国でわずか36万戸にすぎなかったのが、65年間で25倍になったことになる。また空き家のうち、個人住宅で何らかの理由で誰も住まない放置状態になった空き家数は全国で385万戸、前回調査比で37万戸、10.5%の増加となったことは、人口減少が加速し、高齢化が進む日本で一大社会問題になることが懸念される現象として多くの識者がコメントしている。 空き家率が高いエリアを都道府県別にみると、和歌山県、徳島県の21.2%を筆頭
片山副知事 驚くべきことに、4月ころから県の総務部長や産業労働部長が、X氏の極めて私的なデータを県職員や県議に見せて回っていたと、複数の県関係者が明かしている。 「産業労働部長から文章の内容を見せられた関係者は、『もしアイツ(X氏)が逆らったら、これの中身、ぶちまけたるねん』と、産業労働部長から強い言葉を聞かされたというふうに証言してくれました」(前出のO記者) プライベートを利用し「脅迫」していた だが、このX氏のプライベートな文章は、知事に対する一連の疑惑とは無関係なものだ。X氏のプライベートな文章を見せられた県関係者は、このように捉えているという。 「今回のX氏の告発文書と、X氏の私的な内容というのは、直接関係のない資料であるというような受け止め方をしていて、今回のX氏の告発の趣旨が変わるようなものではないというふうに聞いています」(同前) 告発とは無関係なプライベートなデータを利用
本作に関しては、すでに他媒体で原作小説にフォーカスした記事を書いたのだが、まだ全然言い足りないんですよ! という話を文春オンラインの編集氏にしたところ「じゃあ書くべし」とのことなので、さらに踏み込んだ話をここで披露させていただくのだ。 ナチスはアウシュヴィッツを「関心領域」と実際に呼んでいた! ときに「関心領域」というタイトル、本来の意味は何なのか? 自らの関心事からちょっとでも外れていれば、そこにどんな地獄があろうと黙殺できてしまう人間の正常化バイアスのおぞましさを示す、心理的ダークサイドの核心を突く実に見事な言葉である。……がしかし、実はこの説明は半分しか正解でない。 なぜというに、実はそもそもナチス親衛隊が、アウシュヴィッツ収容所エリアをコードネーム的に「アウシュヴィッツ関心領域(Interessengebiet des KZ Auschwitz)」と実際に呼んでいた歴史的事実がある
「同情の余地なし なぜ事前に指導できなかったのか」と厳しい声も ではスポーツ新聞の担当記者はどう見ているのか? 各紙の「記者の目」を見ていこう(7月20日分)。 スポーツニッポンは『体操・宮田が五輪辞退 主将が公然とルール違反…同情の余地なし なぜ事前に指導できなかったのか』。 ・今回の宮田の五輪代表辞退は当然であり、同情の余地は全くない。 ・代表チームの主将でありながらなぜ公然とルールを破るような行動を取ったのか、なぜ事前に周囲が指導できなかったのか、その本質的な部分を解明することが何よりも大切だ。五輪辞退だけでうやむやにすることは絶対に許されない。 6月、パリ五輪での新ユニフォームを披露する体操女子日本代表 ©時事通信 スポニチ編集委員・藤山健二氏はかなり厳しく書いていた。 サンケイスポーツは『【記者の目】パリ五輪代表辞退の宮田笙子、想像以上の重圧でもルール破ってよい理由にはならない』
今年でデビュー9周年を迎える9人組ガールズグループTWICE。彼女たちを象徴するキーワードを挙げるとしたら「挑戦」が真っ先に思い浮かぶ。結成から現在まで、常に新しい道を歩んできたグループだ。特筆すべきは、彼女たちの活躍によって、K-POPグループの日本人メンバーが活躍できる領域がさらに広くなった点だろう。 中でも、日本人のサナ(本名:湊﨑紗夏)はとりわけ注目に値するメンバーだ。彼女は韓国で、ファンだけではなく大衆からも高い人気を集めている。 TWICEのサナ27歳 ©時事通信社 K-POP界の先入観を振り払ったTWICE 韓国人5人、日本人3人、台湾人1人で構成されるTWICEがデビューしたのは2015年。この頃のK-POP界は、海外からの人気が上昇する一方で、外国人メンバーに対してかなり排他的な立場を取っていた。特に韓国の社会情勢によって、日本人メンバーに対しては他の国籍のメンバーと比較
「何もない自分に何ができるか」すごく考えていた小さい頃 ――最初にタトゥーを入れたのはいつでしょうか。 大黒堂ネロ(以下、ネロ) 18歳の時です。高校を中退して、通信制に通っていたんですけど、その時にタトゥーを入れている人が周りにいて。それでカッコいいなと思って、軽いノリで入れました。 ――ご家族や同級生が入れていたり? ネロ いえ、全然なかったです。小さい頃は「おかあさんといっしょ」や「天才てれびくん」を見ていたような子どもでしたし、タトゥーを見たことはありませんでした。 ――小さい頃は何に興味があったんですか。 ネロ 特に趣味も好きなこともなかったです。自分に何も特徴がなくて、それが嫌で。何もない自分に何ができるかってことをすごく考えていました。 ――意外です。 ネロ で、自分にできることは同じことを何回も繰り返すことだと思って。特別なことはできないけど、昔から何かに熱中することが多く
浜田 舞さんのお母さまの千代子ドクターとは友達でありながら、同時に千代子先生に精神科医としてアドバイスを仰ぎ、様々な面で助けてもらいました。イェール大学の入院生活を終えた後もうつが続き、どうしても母国語の日本語でないと本心が語れないと感じていた1987年頃に、ちょうど舞さんとご両親がニューヘイブンに越してきて、経済学部の研究員に日本人の精神科医である千代子先生を紹介してもらいました。 千代子先生は当時イェール大学の客員研究員として臨床を勉強されていたので診察を受けることはできなかったのですが、たくさんの相談に乗ってもらったのです。その後もアメリカに主治医がいるものの、少し長めに日本に帰国する機会があったときには、千代子先生に日本の精神科の主治医として診ていただいた。「うつは患者のエネルギーが回復する治りかけが最も自殺のリスクが高く、危ないから油断してはならない」ということを適切な時に言って
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